第百二話「拠点作り」
三月十七日。
絶望の荒野に入って三日目の朝を迎えた。
昨夜、主要なメンバーを集め、この場所に簡易拠点を建設し、周囲の状況を確認しつつ、魔物や罠への対応に慣れるという方針が決められている。
拠点を建設する時間を利用して、人馬族を含む草原の民たちがマウキ村に戻り、物資を調達することになった。
これは草原の民の指揮を執るギウス・サリナスの提案だ。
「我らがここにいても役に立つことはなさそうです。この時間を利用して一度物資の補給に向かいたいと思います」
「通った場所とはいえ危険です」とレイは反対するが、ギウスは彼らの絶対的な支配者“白き王”であるレイに対し、「王のお言葉なれど」と珍しく反論する。
「昨日までの二日間、我らは守られるだけの存在でした。王のお考えに異を唱えるつもりは毛頭ございませんが、我らにも活躍の機会がいただければと思っております……」
草原の民たちは各氏族を代表する戦士たちで、自分たちが足手まといになっているという事実に、そのプライドを大きく傷つけられた。しかし、それは厳然たる事実であり、戦いたいと主張したとしても、王であるレイの支持は得られないことも理解していた。
そこで昨夜のうちに全員で話し合いを行った。そして、自分たちの利点は何かということと、草原を出る時にレイから言われた“物資の補給”という言葉から、自分たちにできることで存在価値を示そうと決めた。
「我らの足ならマウキ村まで一日で充分たどり着けます。ハミッシュ殿たちの馬を借りれば、一往復でもかなりの量の物資を運べるでしょう。我らにこの任をお与えください」
そう言って大きく頭を下げる。
マウキ村までは約五十kmあるが、人馬族と優秀な軍馬であるカエルム馬の組み合わせであれば一日で移動することは不可能ではない。飼葉を運ぶ必要はあるが、水は造水の魔道具を使えばよいため、一頭の馬に八十kgほどの物資を載せることが可能だ。
マーカット傭兵団に与えられた馬を借りれば、二百頭近い数にもなる。それに人馬族二十名が加わるため、遊牧民戦士が騎乗する四十頭を除いたとしても、一回の輸送で十三トン以上の物資を輸送できる。
レイはその有効性を認めるものの、安全性に疑問を持っていた。
その話に月魔族のヴァルマ・ニスカが話に加わった。
「ギウス殿の提案に賛成です。付け加えるなら、獣人部隊と翼魔族部隊の一部を斥候兼伝令として同行させてはどうでしょうか。一度通った場所ですから、危険な罠はほとんど見つけています。あとは突然現れる魔物への対応だけですが、獣人の斥候と翼魔族の呪術師が同行すれば、ギウス殿たちの腕ならさほど心配はないかと」
彼女の意見でレイも決心する。
「分かりました。ギウスさんに補給部隊の指揮をお願いしたいと思います」
こうして草原の民はマウキ村に向かった。彼らには獣人部隊十名と翼魔族呪術師五名が同行している。
草原の民を見送った後、レイはイーリス・ノルティア率いる月魔族の呪術師七人と土属性魔法が使える翼魔族呪術師五人、そしてルナを招集した。
「この場にどのような拠点を作るべきか検討したいんです。地面を固めることと、食料の保管庫は作ることは必要だと分かるのですが、何か意見はありませんか」
イーリスたちもこのような拠点作りをしたことがなく、「レイ殿のおっしゃるもので充分では」と答えている。
そこでルナが一枚の図面を出してきた。
「夕べのうちにセオ君たちと話し合って案を考えておいたわ」
「準備がいいね」とレイがいい、隣に立つアシュレイが納得したような表情を浮かべる。
「そう言えば、ロックハート城は魔法で作られたのだったな。美しい城だと聞いたことがある」
「ええ、ザックさんが一人で作ったんです。いろいろと仕掛けもあって凄いお城なんですよ。それだけじゃなくて監視塔や防壁なんかも作っていますね」
ルナは思い出し笑いをしながら、「フフフ……でも一番たくさん作ったのはお酒の貯蔵庫だった気がしますけど」と付け加える。
「どんな風にするんだい」とレイが図面を見つめて呟くと、
「形は一辺が五十mの正方形ね。まず石の生成で五十cmくらいの厚みの床を作るわ。このくらいあれば魔物が割って出てくる可能性は低いから……中心から東寄りに百平方メルトくらいの保管庫を……そうね、高さは三メルトくらいでいいと思うわ……それを建てて、その東に調理場と排水設備を配置して、更にその東に馬を繋ぐ場所を……」
ルナたちの考えた案は西側に人の居住エリア、東側を厩舎にするというものだった。
「……とりあえず壁や屋根を作る余裕はないでしょうから、天幕を張るスペースがあればいいと思うわ。ロープを固定する突起を作っておけば天幕も張り易いはず……どう、できそうかしら?」
その問いにイーリスが「思ったより大掛かりなのですね」と形のいい眉を顰める。
更にヴァルマが同じように難しい表情で、
「これだけの広さですと、レイ殿を含めた十三人でも今日中に終わるかどうか……」
「あら、私も手伝うわよ。まだ大したレベルではないけど、石生成くらいの魔法なら問題なく使えるから」
「それはありがたいことです」と答えるが、
「我々もこれほどの設備を作ったことがありません。もう少し小規模なものにしてはいかがでしょうか?」
ヴァルマの言葉にルナが「そうなの?」と首を傾げる。
「レイ、あなたなら一人でも、このくらいはできるのではなくて?」
突然話を振られ、困惑する。
「ど、どうかな。こういうことをやったことがないから何とも言えないよ」
そこでステラが話に加わる。
「ロックハート家では普通かもしれませんが、昔の帝国のように土木工事に魔法を使うことは一般的ではありません。今の帝国の魔術師では道や橋を維持するのが精いっぱいだと聞いたことがあります」
「確かにそうですね。でしたら、私が聞いたコツをお伝えします。ザックさんが十歳くらいの時……確か今の私くらいのレベルだったそうですけど、そのレベルでもコツさえ知っていれば割と簡単に石の浴槽を作ることができたそうです……」
「十歳で……」とイーリスが驚くが、ルナはそれに構わず説明を続けていく。
「……漆喰とかモルタルはご存じでしょうか?」と聞くと、レイ以外は首を傾げる。
「私も詳しくは知らないのですが、レンガやタイルの間に入れて接着させるものだと思ってください。つまり、泥のようなものが乾くと固まるイメージを使えば、土を効率よく石に変えることができるのです」
「なるほど」とレイが頷き、
「無理やり作るんじゃなくて、実際にあるものを真似れば効率がいいってことか」
「そういうことよ。石の壁を作るのも似たような感じね。地中から土の塊が隆起してくるイメージで土の壁を作ってから石に変えると効率がいいそうよ」
説明を受けたレイは言われたイメージで魔法を使ってみた。
地面の石化に関してはコンクリートをイメージしたことで、魔力の消費は少なく、更に変換速度も想像より速かった。
「これなら僕だけでも半分くらいの面積をやれそうだよ」
「そうでしょ」とルナは微笑みながら答える。
その後、イーリスたちも同じように地面の石化を行った。最初はコツが掴めず戸惑ったものの、何度かやっていくうちに徐々にコツを掴んでいった。
レイはイーリスたちに拠点化の作業を一旦任せると、偵察を兼ねた周囲の魔物討伐について、ハミッシュらマーカット傭兵団の隊長クラスやウノ、セオフィラスらと協議する。
まずハミッシュが口火を切った。
「最初は指揮官クラスが経験を積むとして、ウノ殿たち、それにアッシュとステラといった経験者の同行が必要だ。あとは治癒師を兼ねた翼魔族の呪術師がいてくれたら助かる」
「その点は問題ないと思いますが、どの程度の人数にしたらいいと思いますか」
「不測の事態に対応するなら十人以下だろうな。それ以上だとどうしても目が届かんところが出てくる」
ハミッシュの意見が通り、ウノ、セイス、オチョ、ヌエベ、ディエスが斥候のリーダーとなる形で五つの班が編成された。但し、ウノは緊急時にレイと共に救援に行く班で、偵察には出ない。
「不可視の殺戮者が出てきた場合など、対応できない時はすぐに引いてください。とにかく無理は禁物です。あくまでこの土地に慣れることが目的なのですから」
四つの班は互いに支援が可能なように二百メルトほど離れた状態で東に進む。今回はあくまで試しということで、三、四時間で戻ってくる予定だ。
偵察班を送り出したレイは拠点作りに取り掛かる。
イーリスたちに合流したが、作業は順調だった。
「ルナ様のアドバイスでこれほど捗ると思いませんでした。魔力との兼ね合いですが、夕方までには地面の石化は完了しそうです」とイーリスがレイに報告する。
「魔力の残量には注意してください。不測の事態が起きた時にすぐに動く必要がありますから」
その注意にルナが「休憩を頻繁に挟むといいと聞いているわ」といい、
「これもザックさんに教えてもらったのだけど、安静状態だと魔力は一時間に十から十二パーセントくらい回復するそうよ。四分の一くらい使ったとしても二時間くらい横になっていれば元に戻るから、最初に半分くらいまで使って、その後に二時間休憩、四分の一使うという感じで作業をすれば、常に半分以上の魔力を確保できると教えてもらったわ」
「残りの量がどのくらいかっていうのが分かりにくいと思うんだけど」とレイが聞く。
レイを含め、魔力の残量を知るすべがないためだ。
「その辺は感覚で覚えなさいと言われたわ。義姉のシャロンさんに教えてもらったのだけど、少し疲れたと感じるくらいが四分の一、頭が少し重いと感じるくらいが半分だそうよ。もちろん、一気に使った時のことだし、気を張っている戦闘中は別だそうだけど」
「そのようなことまで研究されているのですか」とヴァルマが驚く。
ソキウスの呪術師を含め、一般的な魔術師は魔力の残量に非常に気を遣う。しかし、測定する手段がなく、あくまで本人の申告によって管理しているに過ぎない。
そのため、比較的高レベルの魔術師であっても初歩的な攻撃魔法を数度使っただけでそれ以上魔法の行使をやめる者もいるほどだ。
もっとも宮廷魔術師や闇の神殿の呪術師のように、合同で訓練をしている場合は同程度のレベルの者を参考に使用回数を感覚的に覚えることもある。
「あくまで目安だそうよ。ザックさんは魔力の量を数字で見ることができたそうだから、参考になると思うわ」
「数字で見る? そんなことができたんだ」とレイは呟き、
(僕の小説の設定だとステータスは確認できないはずなんだけど……ザックさんが特別なのか、別の方法で魔力だけ分かるのか……あとでルナに聞いてみよう……)
レイは一瞬そのことに気を取られたが、すぐに指示を出す。
「とりあえず、二時間の休憩は入れる方向でいきましょう。少なくとも二十パーセントは回復するんですから、何かあっても対応できるでしょうから」
その後、レイも拠点作りに加わった。
彼に任されたのはルナと一緒に食料保管庫を作る仕事だった。
魔術師レベルが高く魔力に余裕があるレイが土の壁で土の壁を作り、石化のイメージが上手くできるルナがそれを石の壁に変えていく。
一時間ほどで縦横十メルト、高さ三メルトの倉庫ができ上がる。
その倉庫に背を預けて休憩しながら、「何だか不思議な気分だね」とレイが話しかけた。
「何がかしら?」とルナが小首を傾げる。
「ルナと二人でこんな作業をしているのが、何だか不思議だなってね。高校の文化祭でも一緒に作業したことなんてなかったのにって、ふと思ったんだ」
「そうね。でも私にとってはずいぶん昔のことだから、あまり実感はないけど」
「そうか、君にとっては二十年くらい前のことなんだね。僕にとっては三年も経っていないんだけど」
そこでルナは空を見上げる。
「元の世界に戻ったらどんな感じなのかしら。私の場合、この世界に染まってしまったから、向こうの日常生活に戻れる自信がないわ」
レイも同じように空を見上げ、
「僕も同じだよ。君の場合は元の世界とほとんど姿が変わっていないからいいけど、僕の場合は全然違うからね。この身体の感覚で元の身体に戻ったら戸惑うことは間違いないよ」
そう言った後、二人で顔を見合わせて同時に笑う。
しかし、すぐに二人は真剣な表情に変える。
「元の世界に戻るにしても、この戦いに勝たなくちゃいけない」とレイが強い口調で言うと、ルナも大きく頷く。
「魂が消えるのも日本に戻れないのも嫌だけど、それ以上にこんなところで終わりたくないわ。それにもう一度あの人に……」
最後の言葉はレイには聞こえなかった。しかし、聞き直すことはせず、
「僕もまだまだこっちでしたいことがある。こんなところで終われない」
二人はそれ以上言葉を発しなかった。しかし、心の中で決意を新たにしていた。
午後になると、偵察に出ていたハミッシュの班が戻ってきた。
疲れてはいるものの、一人も欠けていないことにレイは安堵する。
「どうでしたか?」と聞くと、ハミッシュに代わり副官であるアルベリック・オージェが答える。
「五キメルくらいしか進めなかったよ。あの見えない敵は出てこなかったけど、十回くらい襲われたかな……」
いつも陽気な彼にしては疲れた表情をしていた。
「……それにハミッシュには殴られるし……」
そう言ってヘルメットを見せる。金属製のヘルメットの一部が凹んでおり、軽く小突いたという感じではなかった。
「何があったんですか?」と聞くと、ハミッシュが苦々しい表情で、
「いきなりアッシュに向けて弓を構えたから思いっきり剣の腹で殴った。明らかに正気ではなかったからな。恐らく何者かに操られたんだろう」
「他の人はどうだったんですか?」とレイが聞くが、
「エルフであるアルだけが操られていたな」
「前にも話していますが、獣人だけに聞こえる音で精神に影響を与える罠がありました。今回はエルフだけに効くものだったのでしょう。そう考えると、他の種族にも同じことが起こるかもしれません。音が聞き取りにくくなるのは厄介ですが、耳栓を使った方がよさそうですね」
他の班も襲撃は受けたものの、死者や重傷者はいなかった。
その夜、偵察班の情報が共有され、明日も同じように周囲の偵察に出ることが決定した。




