第百話「荒野の脅威」
三月十五日の午後四時頃。
拠点としたマウキ村から西に三十kmほどの場所に到着した。草原の民と妖魔族以外が徒歩であること、 “絶望の荒野”という危険な土地であることを考えると、想定以上に順調に進んだと言える。
カエルム馬を保有するレイたちが徒歩なのは、奇襲を受けた時に対応できないと判断したためだ。そのため人馬族で修行をしていたセオフィラスたちや、騎乗戦闘に特化したマーカット傭兵団の四番隊ですら馬から降りている。
順調と言っても障害が何もなかったわけではない。道のなき荒野であり、足場が悪く歩くだけでも体力を使う。
それに加え、魔物の襲撃を何度も受けている。
襲ってきた魔物はゴーストなどのアンデッド系が多かった。ミスリル製の武器や魔法でなければ倒せない相手だが、妖魔族の呪術師が五十人もいることから、被害を出す前に魔法で殲滅している。
他にも岩に擬態した“人食い岩”や透き通ったカマキリの魔物、“水晶蟷螂”など、二級から三級に相当する魔物の襲撃を受けている。
その強力な魔物の襲撃であっても、ウノたち獣人部隊の警戒網と各隊の指揮官の的確な指示により、軽傷者が数名出ただけで済んでいた。
ウノたちの優秀さについて歴戦のハミッシュ・マーカットが語っている。
「優秀な斥候のありがたみが分かる。もし彼らがいなければ、死者が十人ではきかんだろう。それにしても想像以上に危険なところだ。サエウム山脈の奥地でもここまで酷くはない……」
サエウム山脈はラクス王国とカエルム帝国の国境にある山脈で、魔物が多く棲むことで有名な場所だ。マーカット傭兵団も何度か魔物の間引きの依頼を受けている。
ウノの報告ではこの先に野営に適した場所がないとのことで、レイはハミッシュたちと相談の上、ここで野営することを決めた。
「今日はここで野営します。夜間の警戒は獣人部隊の方がメインですが、三班に分けて襲撃に即応できるようにしておいてください。ここの魔物は思いがけない方法で襲ってきます。鬼人族、妖魔族、人馬族、獣人族、人族のバランスを可能な限り取るようにしてください。食事の準備、天幕の設営、馬の世話、周囲の警戒は事前の打ち合わせ通りでお願いします……」
出発前から計画が練られており、レイの指示に討伐隊の隊員たちは迷うことなく行動を開始する。
レイは主要なメンバーを集め、明日以降の予定を確認する。
「明日も予定通り西に進みます。今のところ順調ですが、進めば進むほど危険な罠が待ち受けています。ですので、今日以上に慎重に行動をお願いします……」
全員が大きく頷く。
「明日も獣人部隊と妖魔族部隊は半数を斥候として進路の確認をお願いします。但し、先行し過ぎないように。獣人だけに作用する精神攻撃がいつ来るか分かりませんし、空の上も安全とは限りませんから」
ウノが「御意」と答え、イーリスとヴァルマが同時に「承知しました」と答える。
レイはそれに頷くと、人馬族のギウス・サリナスとタルヴォに視線を向けた。
「ギウスさんの部隊は人馬族が馬を守る形で中央に、タルヴォ殿の鬼人族部隊は前衛をお願いします。小鬼族の斥候を百mほど先行させてください」
二人が了承すると、ハミッシュにも指示を出す。
「明日はレッドアームズが殿をお願いします。ハミッシュさんには後衛の指揮をお任せしますので」
その指示に「了解した」とハミッシュは答え、
「お前は前で全体の指揮を執るんだな」と確認する。
「はい。恐らく以前苦戦した“不可視の殺戮者”という魔物が襲ってくるはずですから」
不可視の殺戮者は液体金属のような身体を持つ魔物で、地中から槍のような触手を伸ばして襲ってくる危険な存在だ。
探知能力に優れたウノたちですら発見は困難であり、更に有効な攻撃手段はレイの“雷”の魔法くらいしかない。
そのため、レイは自分が即応しやすい場所にいることが必要だと考えた。
簡単な打ち合わせを終えて解散する。
「疲れてはいないか」とアシュレイがレイに声を掛ける。
「さすがにこれだけの部隊の指揮を執ると気疲れするね。でも大丈夫。僕より優秀な人たちが班の指揮を執ってくれているから」
「そうか。でも無理はするな。ヴァニタスとの決戦のカギとなるはお前とルナなのだからな」
それだけ言うと、アシュレイは食事を受け取りに向かった。
食事は簡単なものだが、温かい料理が用意された。三月の中旬という季節を考え、体力を保つためにルナが提案したのだ。
「温かな食事は体力の回復に有効です。私がいた村では森の中でも可能な限り温かい食事を摂るようにしていました」
その言葉にセオフィラスも同調する。
「兄ザカライアスの言葉ですが、寒さが厳しい時には温かい料理と甘い物が有効なのだそうです。実際、ラスモア村では偵察用の拠点に調理場がありますし、はちみつ漬けなどの甘い物を常に準備するようにしていました」
そのため、食料と一緒に燃料も用意されていた。燃料は薪と石炭で、土属性魔法が使える魔術師たちが簡単な竈を作り、そこで具だくさんのスープを作っている。
「ロックハート家ならお酒じゃないの」とレッドアームズの副官アルベリック・オージェが混ぜっ返す。
「うちはお酒に関しては厳しんですよ。戦いの時にお酒を飲んでもよかったのはドワーフだけでしたから」
セオが真面目に答えるが、アルベリックは冗談のつもりだったのでその言葉に驚く。
「ドワーフはお酒を飲みながら戦っているの!」
「ええ、アンデッドとの戦いの時にはスコッチの樽を横に置いて、ジョッキで飲みながら戦っていましたよ。まだ子供でしたけど、楽しそうに戦っているなって思いましたね」
その言葉に張り詰めていた討伐隊の面々の表情がほころぶ。
その夜は魔物の襲撃もなく、無事に夜明けを迎えた。
朝食を摂った後、再び行軍を開始した。
しかし、すぐに“絶望”という名が付いた理由を思い知らされる。
ウノが指揮する獣人部隊は扇状に広がりながら一キメルほど先行し、更にその上空にはアスラ・ヴォルティ率いる翼魔族部隊が警戒と針路上の障害物を確認していた。
最初に異変が起きたのは上空にいた翼魔族の呪術師だった。
突然喉を掻きむしりながら墜落していく。その姿にアスラは一瞬茫然とするが、すぐに地上付近に降下するよう指示を出す。
「周囲を警戒しつつ降下! 見えない敵が潜んでいる可能性があるわ!」
アスラの指示は部下たちを通じて伝えられていくが、大きく広がっていることから肉声での伝達には限界があり、彼女の行動に注視していなかった者は同じように喉を掻きむしって墜落していく。
「何が起こっているんだい……」とアスラは呟くが、すぐに部下の下に飛ぶ。
レイにも翼魔族が墜落する姿が見えていた。しかし、その理由は分からない。
「全員停止! 上空に異変! 周囲の警戒をしつつ、その場に待機!」
彼の命令に全部隊が停止し、武器を構えて警戒を始めた。
「斥候を下げさせてください」と傍らに控えるウノに命じると、“月の巫女”イーリス・ノルティアを呼ぶ。
イーリスにも部下が墜落した様子は見えており、すぐにレイの下に降り立った。
「何が起きているか分かりますか?」とレイが聞くと、
「いいえ。このような事態は伝承にも出てきません」
闇の神殿には二千年前に“絶望の荒野”に迷い込んだ時の伝承が残されていた。その中にはレイたちが襲われた“不可視の殺戮者”や有毒ガス、精神攻撃を掛けてくる魔物の話が載っている。しかし、突然墜落したという話の記憶はなかった。
五分ほどでアスラが戻ってきた。
「被害は五名です。全員が即死か、それに近い状態のようです」
レイはその報告に「済みません。僕の油断です……」と謝罪するが、すぐに気を取り直し、「原因は分かりませんか?」と聞く。
「毒にやられた感じはありませんが、苦しげな表情でした。恐らくは窒息ではないかと」
「窒息ですか?」
「あれほど苦しげな表情でありながら、悲鳴の類は一切聞こえませんでした。毒であっても悲鳴くらいは上げられるのではないかと」
更に質問しようとした時、ウノが戻ってきた。
「報告いたします」と言って頭を下げる。レイが「お願いします」と言って頷くと、すぐに報告を始める。
「周囲に魔物らしき気配はありません。ただ気になる点が一つございました」
「気になる点ですか?」
「翼魔族の呪術師が落ちた場所の空が微妙に他と異なりました。僅かに雲が歪んで見えたのです。ただ、それは一瞬のことですぐに他と変わらなくなりました」
「歪んだ……どういうことだろう……」
横で聞いていたルナが「屈折率……空気の密度が薄い層でもあったのかしら」と呟く。
「空気の密度? それはどういうこと?」とレイが聞くと、
「風属性魔法で真空を作り出すことができるのは知っているかしら」
「確かに風属性は気体を操るからできないことはないけど」
「私の義理の姉は真空の矢を作ることができたわ。それにザックさんの作った防音の魔道具も真空を利用していたはず。もしかしたら、上空に真空に近い層を作っておいて、そこを通った人が窒息したのかもしれない」
「でも、真空なら空気が吹き込んですぐに消えるんじゃないかな。それにウノさんたちも魔物はいないと言っているし……」
その言葉を遮るようにルナが話していく。
「魔道具や魔法陣を使った罠なら気配を感じないわ。それに今は議論するより、原因を探って対策を考えるべきよ。もし、私の考えているような罠なら、地上でも有効なのだから」
レイは「そうだね」と頷き、ウノとヴァルマに指示を出す。
「危険ですが、ウノさんとヴァルマ殿で墜落現場付近を探ってくれませんか。ウノさんは気配を探るのが得意ですし、ヴァルマ殿は魔法陣の知識がありますから」
その命令にウノは「御意」と、ヴァルマは「承りました」と答えて現場に向かう。
「全員、その場で聞いてください! 恐らく何らかの罠があります! それだけではなく、我々を足止めするための罠かもしれません! 周囲を警戒するだけでなく、地面や空にも注意を払ってください!」
その命令に全員が「オオ!」と答え、警戒を始める。
レイの予想は当たっていた。
足を止めた本隊に“不可視の殺戮者”が襲い掛かってきたのだ。
最初の犠牲者は前方にいた中鬼族戦士だった。
周囲を警戒しつつ、剣を構えていたが、突然地面から現れた銀色の槍に心臓を貫かれる。
中鬼族戦士の断末魔が荒野に響き渡った。
元々探知能力は低いが、それでも討伐隊に選ばれた精鋭であり、油断もしていなかった。それでも一瞬にして命を失った。
歴戦の鬼人族戦士たちもその光景に茫然となる。
それに気づいたレイはすぐに命令を叫んだ。
「全員、岩の上に! 草原の民は百m後退! 妖魔族部隊はあまり上空に上がらずに指示を待ってください!」
レイは命令を下しながら、全員が指示通りに動いているか確認する。
当初は我を失っていた鬼人族もレイの命令とタルヴォ・クロンヴァールの指揮により、即座に岩の上に登っていた。
草原の民と妖魔族はそれぞれ名指しで命令を受けたことから、すぐに行動を開始している。
ハミッシュらレッドアームズや獣人部隊はベテラン揃いであるため、戦場で逡巡することがいかに危険か知っており、条件反射的に命令に従っていた。
セオたちも即座に動きながら、実戦経験の少ないルナたちに「早く上がって!」とフォローを入れる余裕があった。
その様子を見てレイは安堵するが、すぐに次の命令を発した。
「見えにくいですが、奴の体の一部がどこかに見えるはずです! 揺らぐような地面を見つけたらそこに奴がいます! 注意深く見てください! 見つけたら私の魔法で倒します!」
すぐに不可視の殺戮者は見つかった。ユニス・ジェークスが弓を構えながら、
「レイさんの右手前、十メルトの場所にいます!」と言いながら矢を放つ。
矢は地面に命中するが、土に刺さる音はせず、地面に吸い込まれていった。
「見つけました! 前に話した通り、奴の本体は地面の中にあります! 魔法を撃ち込むと地面が崩れますから、すぐに逃げる準備をしてください! ではいきます!」
そう言った直後に雷の呪文を唱えていく。
「世のすべての光を司りし光の神よ。御身の眷属、光の精霊の聖なる力を集め、雷帝の槍、雷を我に与えたまえ。我はその代償として、御身に我が命の力を捧げん……」
不可視の殺戮者はレイに向かって銀色に輝く槍を伸ばしてきた。しかし、その槍はアシュレイの剣によって断ち切られ、更に別の攻撃もステラの双剣によって切り刻まれて消えていった。
その間にレイの魔法が完成した。
レイは左手を突き出すと、真下にいる敵に電撃を放つ。
「我が敵を焼き尽くせ! 雷!」
その直後、雷が落ちた時のような轟音と共にバシッという電流の流れる音が響く。
「近くの人はできるだけ離れて!」とレイが叫ぶ。
水銀のような銀色の液体が地面から湧き出してきた。
以前と同じように動きがおかしくなった不可視の殺戮者は地面に流れ出るように広がっていく。
その直後、地面が崩落し、直径五メルトほどが陥没していく。
幸い、レイの指示によりその場から離れており、崩落に巻き込まれる者はいなかった。
「まだ油断しないでください! タルヴォ殿! ハミッシュさん! この状態なら切り刻めるはずです!」
その言葉より前にセオたちが動いていた。
「セラは右から! ライルは左! ロビーナはセラのフォロー! ユニスは僕と一緒に正面から攻撃!」
矢継ぎ早の指示だが、息の合った五人はブルブルと震えながら動く不可視の殺戮者に攻撃を加えていく。
セオが斬り込んでいくと、敵は反撃するが、それまでのようなはっきりとした刃ではなく、波打つような触手での攻撃に変わっていた。
「あまり効かないわね。大きく踏み込むわよ!」とセラフィーヌがバスタードソードを大きく振りかぶって突っ込んでいく。
「セラ! 無茶しすぎ! ロビーナ! 触手がセラにいかないようにフォローして!」
セオはそう言いながらも自分も大きく踏み込んでいった。
二人の斬撃が液体金属のような身体を大きく切り裂いていく。その様は熱したナイフでバターを切るような手応えで、二人は戸惑いながらもその場で剣を振り続けていった。
三十秒ほどで不可視の殺戮者も動きを止め、ドロリと解けるように形が崩れていった。
その間、レイたちは周囲を警戒しつつもロックハート家の戦いを見つめていた。
不可視の殺戮者が倒されると、レイは苦笑しながら、
「君の兄弟は戦闘狂だね、ルナ」
その言葉にルナも「昔からなのよ」と苦笑いを浮かべていた。




