第九十八話「大晦日」
十二月三十日。
ザレシェに到着して二十日あまり。この間、レイたちは訓練に明け暮れていた。
相手はマーカット傭兵団やセオフィラスらロックハート家の者たちに加え、ギウス・サリナス率いる人馬族、更には大鬼族の雄タルヴォ・クロンヴァールらとも模擬戦を行っている。
模擬戦と言ってもいわゆる“ロックハート流”と呼ばれる実戦さながらの厳しいもので、歴戦の傭兵ハミッシュ・マーカットをして、「死者が出なかったのは奇跡」と言わしめたほど激しかった。
まだ一ヶ月未満という短い期間であり、レベルアップには至っていないが、レイは実戦さながらの訓練に手応えを感じていた。
他にも積極的に部族間の連携訓練を行っており、“力がすべて”という価値観の鬼人族と“戦うことが存在意義”という人馬族の間では友情に近いものが芽生え、僅か一年前にペリクリトルで死闘を繰り広げた、鬼人族とマーカット傭兵団の間にも理解の兆しが見え始めている。
但し、レイに関しては鬼人族の宿敵“白の魔術師”というイメージが強く残っているためか、タルヴォやソルム・ソメルヨキなど、一部の者以外は未だにわだかまりが残っていた。
イーリス・ノルティア率いる妖魔族の呪術師たちも新たな魔術の習得を目指して修行を行っていた。
その教師役はレイではなく、ルナだった。
当初、イーリスやヴァルマ・ニスカは何度も煮え湯を飲まされたレイの誘導型魔法を習おうとした。しかし、彼のイメージは元の世界の“誘導ミサイル”であり、この世界のイーリスたちに上手く伝わらなかった。
諦めかけた時、ルナが「私が教えてもらったイメージの方が合うかも」と言って修行に加わった。
彼女が伝えたイメージはロックハート家でよく使われる“燕翼の刃”だった。
「私の義理の姉は生き物を参考にするとよいと教えてくれました。燕なら狙いたいところに餌があるというイメージを精霊に伝えればよいと……」
イーリスたち優秀な呪術師はそのヒントで魔法の燕を作り出し、不完全ながらも魔法の誘導に成功している。
「さすがは御子様です! 生き物に模すのならば、他の属性にも応用が利きそうです」
誘導に成功したイーリスが珍しく興奮している。
「義理の兄は光属性ではハヤブサを、火属性では竜を、闇属性では蝶を作っていました。それぞれ特徴的で……そう言えば、イーリス殿も全属性が使えたはずですね」
「その通りですが、それが何か?」
「面白い魔法を教えてもらったのです。これは学術都市の研究者の方からですが……」
ルナは学術都市ドクトゥスの研究者キトリー・エルバイン教授から学んだ収納魔法を思い出した。
「この魔法は光と闇、風と土の四属性が必要になります。難しい理論があるのですが、正直なところ私は理解していません。ですので、イメージだけをお伝えします……」
そう言ってから身振りを加えて説明を始める。
「……まず光と闇で別の世界を繋ぐイメージを作ります。そして、その世界の中に土で空間を作り、風をイメージしながら出し入れをするのです。一番難しいのは光と闇で別の世界を繋ぐところですが、闇の中に光をイメージすると繋ぎやすいと教えてもらいました……」
「イメージが難しいですね」とソキウス最高の呪術師であるイーリスでもこぼすほどで、なかなか成功しなかった。
しかし、ルナはこの魔法が今回の遠征のカギになるのではないかと考え、根気よく指導を行った。
イメージ力が必要なのか、この期間に習得できたのは全属性が使える月魔族の呪術師七名のうち、イーリスとヴァルマの二名だけだ。しかし、残りの五名もイメージは掴んでおり、あと一ヶ月ほどで使えるようになるとルナは考えていた。
収納魔法が習得できそうだという報告を受けたレイは、頭を悩ませていた兵站問題を解決できそうだと安堵する。
現状の計画では三百名もの大部隊で絶望の荒野と呼ばれる不毛の地を進まなければならない。
拠点とするマウキ村から絶望の荒野の最深部までどれほどの距離があるのかは不明だが、レイたちが以前通った場所でも百km近くある。恐らく更に数十キメルは必要であり、往復を考えると少なくとも半月分の食料などの物資を運ぶ必要があった。
当初の計画では草原の民と大鬼族戦士に輸送を依頼するつもりでいたが、それでも遠征が長期化した場合を考えると充分ではない。何らかの方法で補給部隊を出さなければならないと考えていたのだ。
もし飛行できる月魔族の呪術師が収納魔法を習得できれば、この補給の問題も一気に解決する。月魔族にとって百キメルという距離は無理をすれば一日、余裕をみても一日半あれば往復できる距離に過ぎない。
仮に月魔族の呪術師たちがルナと同じ程度の収納魔法を使えるとすれば、穀物なら一人一トンほどを一度に運ぶことができる。大鬼族戦士がいるため、この部隊の一日当たりに必要な食料は一トン近くになるが、幸いなことに水は魔法と魔道具を使うため、運ばなければならない物資は食料だけで済む。つまり拠点に物資さえ備蓄しておけば、一往復で七日分の食料を確保できることになるのだ。
今日までは毎日休むことなく訓練を続けていたが、大晦日に当たる今日と元日の明日は訓練を行わないことにしていた。
その代わりでもないが、すべての部族が集まって新年を迎える祭が開かれることになっている。
これはルナが提案したことだった。
大晦日の二日前、主な部隊長が集まる会議の席で「一年の最後の日と年明け最初の日くらいは休みにして新年を祝いましょう」と提案した。
その提案に当初レイは乗り気ではなかった。
「でも、三月には虚無神との戦いが待っているんだ。一日でも多く鍛えた方がいいんじゃないか」
同じようにアシュレイも反対する。
「すべてが終わってから祝えばよい。第一、ロックハート家では新年も休まず鍛錬を行うと聞いているぞ」
それに対し、ルナは笑いながら反論する。
「そんなことはないですよ。確かに早朝の訓練は欠かさず行いますけど、自警団の訓練は休みでした。第一、あの村はお祭り好きですから、そういった日に激しい訓練を行うことはありませんよ」
「確かに祭好きという印象はあるが……だが、相手が相手なだけに気を緩めるのはどうかと思うのだが……」
アシュレイはまだ納得していない。
「“締めるところは締める。緩めるところは緩める”ってしておかないと、逆に効果が上がりません。ハミッシュさんもそう思いますよね」
ルナは近くにいたハミッシュに話を振る。
「そうだな。今の調子なら無理をする必要はない。身体をしっかり休めるのも戦士の仕事だからな」
「ハミッシュさんがそういうのなら休みにしようよ」
「そうだな」
レイとアシュレイもハミッシュがそう言うならと納得し、祭が開かれることになった。
ルナの決定に鬼人族は歓喜した。
敬愛する月の御子と共に新年を祝う祭ができるためだが、更にルナがある提案を行ったことからいつも以上に盛り上がっている。
「各部族の自慢の料理を披露しあいましょう。ちょうど皆さん集まることですし」
彼女の言う通り、月の御子に新年のあいさつをするため、ザレシェから離れた場所に住む小鬼族や大鬼族の民たちも続々と街に入っている。
その数は三万人以上であり、当然自分たちの食料は持ち込んでいる。貧しい人族や獣人族は別だが、鬼人族は比較的裕福であるため、持ち込んだ食料も普段より良いものが多く、それを見たルナが思いついたのだ。
しかし、ルナはどれくらいの規模になるか考えていなかった。ザレシェの人口は二万人、それに三万人が加わることになり、全員が参加するとなると五万人規模となる。
そのため、街の行政官である小鬼族のソルム・ソメルヨキが頭を抱えることになった。
神に等しい“月の御子”の提案であり、断ることなど考えられず、実行に向けて検討を始めた。しかし、準備期間が極端に短いこと、それだけのイベントを行うノウハウがないことから、すぐに壁にぶつかってしまう。
政治的な能力の高い中鬼族のヨンニ・ブドスコに聞いても、
「私ではお力になれそうにもありません」という答えしか返ってこない。
更に盟友であるタルヴォに相談に行くが、
「儂もヨンニ殿と同じだ。どうすればよいのか見当もつかぬ」
「そうだろうな。武人であるお前に聞いても無理だとは分かっていたんだが……」
ソルム自身、タルヴォの“将”としての統率力は評価するものの、それは武人としてであることは充分に理解している。
「ならば、レイ殿に相談してはどうだ? “白き軍師”と呼ばれている知恵者だぞ」
その意見を採用し、レイのところに相談にいった。
相談を受けたレイは「五万人規模の祭ですか!」と絶句する。
一緒にいたアシュレイも「いくらレイでも無理だろう」と言い、ステラも「こういうことは戦いとは違うので……」と言うことしかできない。
「ルナに相談するしかないと思いますよ」とレイがいうと、
「それだけは容赦していただきたい。御子様に命じられたのにご本人に相談にいくなど、俺の矜持が許さぬので」
そこでたまたま近くにいたアルベリック・オージェが「何の話?」と加わってきた。
レイが概略を説明すると、
「こういうことはロックハート家に任せればいいんじゃないかな? ドワーフ・フェスティバルは大規模なお祭りみたいだし、ルナちゃんもそれをイメージして提案したんだと思うよ」
「確かにアル兄の言う通りだ。セオ殿に相談してみてはどうだろうか。彼はドワーフ・フェスティバルを企画したザカライアス卿に匹敵する知恵者だ。何か良い知恵があるのではないか」
こうしてセオフィラスたちが召集される。
話を聞き終えたセオは「五万人規模の祭なんて無理ですよ!」と叫ぶが、セラフィーヌがそれを遮り、
「面白そうじゃない。草原の民の祭より参加する人が少ないんだからできるはずよ」
その言葉で今度は草原の民たちが呼び出された。そして、年に四回ある祭について聞き取りを行っていく。
ソレル族の戦士長ギウス・サリナスは突然の質問に困惑するが、
「我らの祭は普段の生活と大して変わりませんからな。食事の質が多少よくなるのと着飾るくらいでして……」
「普段の生活というと、ラークヒルに行った時みたいな感じですか?」
レイが質問すると、
「その通りです。我々は頻繁に移動しますから慣れているのです……」
その言葉でレイはあることを閃いた。
「鬼人族の皆さんも行軍する時に野営をしますよね」
「もちろん。眷属たちに糧食と調理器具、天幕などを運ばせるが、それが何か」
「街の外で野営すると思えばいいんですよ。その日だけはいつもより良い食事にしてお酒を出せば、ルナが言っている祭になるのではありませんか」
「だが、それでは御子様が各部族の野営地を回り続けねばならん。それに部族間の交流という目的を果たせぬのではないか」
「そうですね……」と考えるが、すぐにアイデアが浮かんだ。
「なら、何か所かに固めてはどうでしょうか。五か所くらいなら割と行き来もできるでしょうし、祭の第一会場、第二会場という感じにもなります。そこにルナが順次訪問する形にしたら、皆さんと一緒に楽しめるのでは?」
「それがいいわ! ついでに誰でも自由に食事ができて、お酒が飲めるようにしてはどうかしら」
セラがそういうとソルムも大きく頷き、
「確かにそれならば御子様のご要望にも沿う。大急ぎで各部族をどう割り振るか決めねばならんな」
レイたちに「助かった。今後ともよろしく頼む」と言って足早に去っていった。
大晦日の昼頃。
朝から雪がちらつく、あいにくの天気だったが、ザレシェ郊外は活気に満ちていた。
「バスケス家の灰色狼の煮込みだよ! 香草を利かせているから臭みもなくて美味いよ!」
「ハンヌラ家の四手熊の岩塩焼きだ! 脂が乗って美味いぜ!」
野営地のそこかしこで料理が振舞われている。
更に持ち込まれた酒樽が大量に開けられ、真冬の草原で宴会が始まっていた。
最初のうちは仲のいい者同士が集まっていたが、酒が入ることで次第に人の輪が大きくなり、中鬼族と小鬼族が一緒に飲んでいたり、人族と大鬼族が盃を合わせていたりと、普段見られない光景が広がっていた。
これはルナが仕向けたことだった。
彼女は野営地を訪れると、いろいろなところで笑顔を振り撒きながら、声を掛けていた。
「そこの人たちの半分はこっちに来てください。この料理はとても美味しいですよ! こっちも同じように半分向こうに行きましょう。私もすぐにいきますから……」
月の御子に直接命じられたため、鬼人族たちは戸惑うことなく従った。更に一緒に料理を食べ、酒を飲むことで雲の上の存在だった月の御子が身近に感じられるようになっていた。
ルナはレイたちと一緒に行動しており、ことあるごとにレイと鬼人族が酒を酌み交わすように誘導した。
「私の盟友もよろしくお願いしますね」
そう言いながら盃を受け取り、レイに手渡す。
「ほら、レイも何か言いなさい」
「あ、ありがとうございます」とレイが言うと、その戸惑う姿に鬼人族たちも笑みがこぼれる。
ルナたちがいなくなった後、
「白の魔術師も戦場でなければ、ただの若者だな。もっと恐ろしい奴かと思っていたぞ」
「そうだな。あんなに腰が低い奴だとは思っていなかった。あれでオルヴォ様を一騎打ちで破ったとはとても思えん。だが、悪い奴ではなさそうだ」
このようにルナの思惑通り、レイに対するわだかまりは少しずつだが消えていった。
その様子を近くで見ていたアシュレイはルナに賞賛を贈る。
「さすがは月の御子殿だな。レイに向ける視線から敵意を感じなくなった気がする」
「ありがとうございます」と笑顔で答え、
「普段のレイは恐ろしくも何ともないですから、近くで見てもらえれば分かってくれると思ったんです」
ルナが言ったように、鬼人族はペリクリトル攻防戦の生き残りが語る“白の魔術師”の虚像が先入観となっていた。
彼と接した者はその先入観の呪縛から逃れることができたが、ほとんどの者が実像を知ることができない。
そのため、祭という場を作って、レイが鬼人族たちと接する機会を作ったのだ。
彼女の作戦は成功し、祭は大きなトラブルもなく、夜を迎えた。
ルナは“大政庁”に戻ると、静かに祈りを捧げ始めた。
(この一年は私にとって良い年でした……確かに最初は攫われてきたし、ヴァニタスに身体を乗っ取られたそうになりました。でも、あの人のことを少しだけ理解できるようになれた気がします……)
そして、自らの決意を新たにする。
(……来年はヴァニタスとの戦いが待っている。その戦いに勝って、あの人に謝罪を、いいえ、感謝を必ず伝えに行くわ……)
彼女の後ろではライアンとイオネが控えていた。
二人はルナが何を祈っているのか何となく察し、何も言わずに静かに見守っていた。




