第九十七話「大広間での会議」
十二月八日。
レイたち一行は鬼人族の都ザレシェに到着した。
月の御子であるルナを崇拝する鬼人族は総出で出迎え、そのまま鬼人族の城ともいえる“大政庁”に入った。
レイたちは装備を外した後、今後の方針について協議を行った。そして、レイのことを鬼人族たちに認めさせることが必要だという認識で一致する。
会議の時間となったため、ルナ、レイ、ハミッシュ、そしてウノの四人は四階にある大広間に向かった。
アシュレイやステラ、セオフィラスらは人数の関係もあるが、今回は部族長及び部隊長クラスのみが出席できるということで大広間には入れず、隣にある控えの前で待っている。
ちなみに人馬族のギウス・サリナスは部隊長の一人に当たるが、体格的に日本の城のような作りの大政庁に向かないことと、“白き王”であるレイに従うのみと考えているため、参加していない。
大広間には鬼人族の主要な二十五の部族の長やその代理、そして月魔族の指導者、“月の巫女”のイーリス・ノルティアと実戦部隊の長であるヴァルマ・ニスカの姿があった。
ルナが先頭に立って入室すると、待っていた鬼人族たちは一斉に平伏して彼女を迎え入れる。イーリスとヴァルマも神に対するように胸に右手を当て、片膝を突いて頭を下げていた。
ルナは上座に当たる椅子に座ることなく、その前にある敷物の上に直接に座った。事前に打ち合わせていたレイたちは彼女の左右に迷うことなく座る。
鬼人族たちは用意された椅子に座らなかったことに驚きを隠せず、視線を彷徨わせている。そのことに気づいたルナが毅然とした口調で説明していく。
「私は“月の御子”ですが、魔族の国の一員でもあると自負しています。ソキウスの理念は“同志による互助”。そうであるなら、その同志の一人である私が皆さんを見下ろすような椅子に座るわけにはまいりません」
その言葉でも多くの族長は納得したように見えない。それを察したのか、大鬼族のタルヴォ・クロンヴァールが代表して発言する。
「御子様が我らを同志と思っていただけることは至上の喜びなれど、組織の序列は必要ではありますまいか。我らにとって御子様は神にも等しきお方。そのことも含みおきいただければと存じます」
「タルヴォ殿のお言葉ですが、私を妄信することは虚無神に付け入る隙を与えることになるのです。私はそのことをルーベルナで痛感しました。月の御子といえども神々の前では平等なのです。そしてソキウスの理念に従うことこそが、神々のご意思に沿うものだと確信しております」
タルヴォはそれ以上議論することなく、「御意」と大きく頭を下げると、族長たちに向かって話し始めた。
「御子様は始まりの神殿で神々と言葉を交わされておられる。ならば、そのお言葉に従おうではないか」
族長たちもそれ以上何も言わず、大きく頭を下げる。
「では、最初に私から西側であったこと、これからのことを説明させていただきます。その前にこの方たちについて紹介させていただきます……」
そう言った後、左側に座るハミッシュに視線を向け、
「この方はハミッシュ・マーカット殿。西側では最強の傭兵と呼ばれている方です。皆さんもご存じのアシュレイ殿の父君です……」
ハミッシュが小さく会釈をすると、鬼人族から溜息が漏れる。彼らもハミッシュの尋常ならざる力を感じていたのだ。
そして、右端に座るウノを紹介する。
「この方はご存じの方も多いと思いますが、ウノ殿です。我が盟友の直属であり、獣人部隊を率いて偵察と周囲の警戒を主に担当していただくつもりです……」
ウノは紹介されている間も微動だにせず、薄く目を瞑っていた。
その隙の無い姿に、ウノのことを詳しく知らない者も只者ではないと息を呑む。
「ここにはおられませんが、人馬族と遊牧民の騎兵を率いるのはソレル族の戦士長、ギウス・サリナス殿です。彼も我が盟友の直属となります」
そして、最後に右隣のレイに目を向け、ニコリと微笑む。
「最後に既にご存じとは思いますが」と前置きした後、
「私の盟友レイ・アークライト殿を紹介します。こちらでは“白の魔術師”という名の方が通っていると思いますが、彼は“光の神の加護を受けた方でもあるのです。つまり、私と対となる存在なのです」
“対となる存在”という衝撃的な事実に族長たちがざわつく。そのことに気づいたルナは更に説明を続けていく。
「先ほどタルヴォ殿が話された始まりの神殿、創造神神殿において、三主神、八属性神に拝謁することができました……」
神々と会ったという話をルナから直接聞き、族長たちは“さすがは御子様だ”というように満足げに頷いている。
「……拝謁の際、彼が私と対になる存在であることをはっきりと伝えられています。そして、今回のヴァニタスとの対決では私に代わり指揮を執っていただくつもりでいます」
指揮を執るという話に「御子様ではないのか」という声がそこかしこで囁かれる。
「静まれ! 御子様の御前である!」
タルヴォの一喝で場は静まるが、それでも納得した様子はない。
ルナは全員の顔を見回しながら、慈愛に満ちた表情で話を続けていく。
「彼と戦った皆さんにとって、納得しがたいことは理解しています。ですが、敵としてはこれ以上ないほど危険であるということは、味方となればこれ以上頼もしい存在はいないということになりませんか?」
「確かにそうですな。指揮に関しては言うこともありませんし、魔術もさることながら槍の腕もよい。御子様をお守りするには最良の方ですな」
ルナの意図を汲むタルヴォがそうフォローすると、族長たちも頷き始める。
そこでルナは勝負に出るため表情を引き締める。
「今回の遠征では彼の命令を受け入れられない者はどれほどの勇者であっても連れていきません。ヴァニタスが不和に付け込んでくるからです。もし、ソキウスの民が誰一人納得しなくとも、私は西から来た方たちとヴァニタスに挑むつもりです。これは決定であり、変わることはありません」
族長たちに再び動揺が走る。月の御子に従って邪神と戦うことは何よりの誉れと考えていたためだ。
その動揺をよそにタルヴォが重く低い声を発した。
「クロンヴァール家の族長として、レイ殿の指揮権を認めると宣言する! 御子様、我が一族を討伐隊の末席にお加えください!」
その言葉にルナはニコリと微笑み、
「ありがとうございます。あなたが加わってくだされば、これ以上心強いことはありません」
その直後、小鬼族の雄、ソルム・ソメルヨキが矮躯を床に擦り付けながら叫ぶ。
「我がソメルヨキ家も白の魔術師殿を総大将と認めます! 我らも末席にお加えください!」
その叫びに中鬼族の有力部族の長、エルノ・バインドラーが同じように身を投げ出すようにして懇願する。
その勢いに次々と族長たちが声を上げていく。
そんな中、唯一声を上げず、冷静さを保っている人物がいた。それに気づいたルナが興奮する族長たちをよそに、ヨンニに声を掛ける。
「ヨンニ殿はレイを認められませんか?」とルナが静かに確認すると、多くの族長たちが月の御子に逆らっているという事実に驚きと共に怒りを見せる。
しかし、御子の御前ということで非難の声を上げる者はおらず、大広間は不気味な静寂に包まれた。
ルナに問われたヨンニ・ブドスコは非難の視線を向ける族長たちに目もくれず、しっかりとレイを見つめて話し始めた。
「確かに白の魔術師殿は魔術においては“月の巫女”殿に勝り、ペリクリトルでは大鬼族の英雄にして、ソキウス西方派遣軍の総大将オルヴォ・クロンヴァール殿に一騎打ちで勝利している。それだけではなく、あの“絶望の荒野”をも踏破された強運の持ち主でもある……」
そこで一旦言葉を切り、訝しげに見る族長たちに視線を向ける。
「……それらのことを考えれば、確かに“光の神の御子”で間違いないのだろう。しかし、総大将としての資質は別ではないのだろうか……」
そこでハミッシュに視線を向ける。
「……アクィラの西で戦ったアスラ殿に話を聞いたが、ユルキ殿の部隊と戦った際に指揮を執っていたのは、そこにおられる人族の戦士であったと……」
翼魔族の呪術師アスラ・ヴォルティは中鬼族のユルキ・バインドラー、大鬼族のバルタザル・オウォモエラと共にラクス王国の辺境で陽動部隊を率いていた。
その際、ミリース谷でハミッシュ率いるマーカット傭兵団と騎士団の混成部隊と、ユルキ率いるオーク部隊が戦闘になった。ユルキの部隊は十分の一にも満たないレッドアームズたちに敗北し、陽動作戦は失敗している。
「……我が兄ヴァイノはペリクリトルで白の魔術師殿の罠に嵌って壊滅的な損害を被り、敗北の決定的な原因を作った。しかし、その時も白の魔術師殿ではなく、黒衣の戦士が指揮を執っていたはず……」
ヨンニが思った以上に情報を得ていることにレイは驚くが、表情を変えることなくその話を聞いていた。
「……いずれの戦いにおいても神算鬼謀というべき策で我らソキウスの軍を苦しめたことも事実。しかしそれは総大将としての実績ではないのだ。そのような者に御子様のお命をお預けしてよいのか。特にこれほど多くの種族が集う部隊を指揮することは経験豊かなタルヴォ殿でも難しいだろう。だから私は疑問を抱かずにはおられぬのだ」
ヨンニの言葉に一旦は納得した族長たちも顔を見合わせ始める。
「白の魔術師殿は総大将ではなく、一人の戦士、あるいは軍師として御子様を支えるべきだと言いたいのか?」
タルヴォが低い声で確認すると、ヨンニは小さく首を横に振る。
「御子様が指揮を執られることになった場合、人馬族はもとより、獣人たちもそれを認めぬのではありますまいか。無論、そこにおられるハミッシュ殿も」
そこで気が短いエルノが暴発する。床をバシンと平手で叩き、
「何が言いたいのだ! それでは誰が総大将になればよいと言うのか!」
怒りをあらわにするエルノに対し、ヨンニは冷静さを保ちながら反論する。
「勢いで決めてよいこととは思えないのです。時を掛けて慎重に見極めるべきであると私は考えます」
「そのような悠長なことをしている時間などない! 敵は狡猾な邪神なのだ! 我らが手をこまねいているうちに、思いもよらぬ悪辣な手を打ってくるかもしれんのだぞ!」
エルノの罵声にルナが静かに「エルノ殿、少し落ち着きましょう」と言って鎮める。
「も、申し訳ございません」とエルノは恐縮する。
ルナはヨンニに顔を向け、
「おっしゃることは一理あると思いますが、時を掛けると言ってもどれほど掛ければ納得されるのでしょうか?」
そこでヨンニは自らの考えを話し始めた。
「この場で決めて近日中に出陣するとした場合、絶望の荒野に着く頃には真冬になってしまいます。彼の地では水の補給もままならず、体力を維持することが困難であったと聞いております。相手が相手だけに気候を含め、万全な体制で当たるべきではありますまいか」
ヨンニは真冬に絶望の荒野に挑むことに反対だった。そのため、レイの指揮能力に疑問を呈し、時間を稼ごうとしたのだ。
「では、冬の間にレイが指揮を執るにふさわしいかを見極めるということですね?」
ルナはそう言いながらレイに視線を送る。その眼は“ここから先はあなたが決めるべき”と言っていた。
レイは小さく頷くと、
「ヨンニ殿がおっしゃることは理解できます。確かに拙速に決めるべきことでもありませんし、準備は万全にしておくべきでしょう」
そこでタルヴォが冷静な声で確認する。
「ヨンニ殿に確認したいが、その準備期間はレイ殿が指揮を執るということでよいのだな」
「もちろんです。我がブドスコ家も協力させていただきます」
その様子を一言もしゃべらずに見ていたイーリスが「よろしいでしょうか」と発言を求めた。ルナがレイに確認するように視線を送ると、レイは「どうぞ」と言って許可する。
「月魔族と翼魔族からは呪術師五十名を連れてきております。我らは御子様、いえ、レイ殿の指揮下に入りたいと考えておりますが、ヴァニタス討伐隊はどの程度の規模をお考えなのでしょうか? 狡猾な敵が相手であり、更に戦場はあの絶望の荒野なのです。いたずらに多くの兵を送ることが得策とも思えません」
レイは大きく頷くと、
「おっしゃる通り、少数精鋭とならざるを得ません。具体的には私たちとマーカット傭兵団で四十、獣人部隊百、草原の民六十の約二百名に加え、妖魔族の呪術者五十、鬼人族戦士五十、計三百名が最大といったところであると考えています」
僅か五十名しか枠がないと知り、鬼人族たちがざわめく。
「神々からは絶望の荒野の最奥に行けるのは、始まりの神殿で神の祝福を受けた者のみと言われております。私とルナ、アシュレイ、ステラ、ウノ殿たち五名、ライアンとイオネ殿の十一名が最後の戦いに挑むことになります。皆さんには私たちがヴァニタスと直接戦うまでの手助けをお願いしたいと考えています」
「僅か十一名で神と戦おうとおっしゃるのですか」とイーリスが平板な声で確認する。その声には非難の響きがあった。
「そうなります。神から聞いた話ではヴァニタスは仮初の肉体を得たそうです。そのため、今までより自由に動けるものの、その肉体は滅ぼすことが可能なのです」
「邪神とはいえ、神を封じられるほどの肉体であれば、それだけで脅威なのではありませんか? いかに神々の祝福を受けたレイ殿やルナ様であっても、それほどの敵に対して勝利を得られるのでしょうか」
厳然たる事実を突きつけてくることにレイはたじろぐが、表情を引き締めて反論する。
「勝機は多くないと神々からも言われています……」
その言葉に「ならば……」とイーリスが声を上げるが、それを封じるように話を続けていく。
「ですが、これは好機なのです。神々ですら封じることが難しいヴァニタスを封じる、またとない機会なのです。神からはヴァニタスを封じた肉体が滅べば、彼の者の魂も力を失い、数千年から数万年もの間、世界に干渉できなくなると伝えられました。ここで勝負に出れば、私たちにとって悠久ともいえる時間を得ることができるのです」
「しかし、敗れてしまえば元も子もないのではありませんか?」
「そうかもしれません……ですが、ヴァニタスに自由に動かれれば、世界は滅びの道にまっすぐ進むことになるのです! 私たちの子や孫が安心して暮らしていける世界を作るには、私たちが危険を冒さなければならないのです!」
レイの強い意志にルナも同調する。
「私もレイと同じ気持ちです! 確かにヴァニタスは強力な敵です。ですが、決して勝てない相手ではないのです! 私はヴァニタスに心を消されそうになりましたが、今ここにいます! それが何よりの証拠なのです。ですから、私たちに力を貸してください!」
ルナが頭を下げると、イーリスもそれ以上反論できなくなる。
「では、これより三ヶ月間はヴァニタス討伐のための準備に費やし、その間に問題点を洗い出していきましょう」
レイがそういうと、イーリスを含め全員が頭を下げて了承した。




