第九十六話「ザレシェ到着」
十一月二十四日。
レイたち一行は魔族の国ソキウスの最西端、レリチェに入った。
一昨日は“月の御子”であるルナの帰還ということで、盛大な宴が催された。駐留する鬼人族や妖魔族だけでなく、村人である人族や獣人族たちも神の遣いが戻ってきたことに歓喜していた。
そして昨日はザレシェに向かう準備を行った。
移動の準備自体は簡単だったのだが、誰がザレシェに同行するかという人選で大いに揉めた。
大鬼族のタルヴォ・クロンヴァールと月魔族のヴァルマ・ニスカは鬼人族と妖魔族それぞれの代表ということで早々に決まったが、西側との国境に当たるレリチェ村の重要性を考えると、責任者として族長クラスが残る必要があり、中鬼族のペッカ・ベントゥラと小鬼族のイスト・スラングスのどちらが残るかで舌戦を繰り広げた。
ペッカは月の御子であるルナがソキウスに入った当初から護衛を務めていることを主張し、イストは重要拠点であるレリチェには鬼人族の主力である中鬼族の指導者が必要と訴えた。それぞれの部族の者たちも口々に自分たちが同行すべきだと主張する。
最終的には騎兵が主体のレイたちに対し、体格に劣る小鬼族では移動速度が落ちること、更には族長代理であるペッカより族長であるイストの方が適任であることから、イストが責任者として残ることがルナによって決定された。
決まった瞬間、イストは滂沱の涙を流して悔しがる。
それでもルナから「レリチェを頼みます」と手を取って言われたことで何とか収拾した。
その後、懸念であった鬼人族の眷属召喚の処置について、タルヴォから報告を受けた。
鬼人族の眷属召喚方法は女性の身体に魔晶石を埋め込み、魔力を供給することで強制的に魔物を生み出すという非人道的なものだ。
多くの女性は西側から攫ってきた者たちだが、それだけでは足りず、同胞であるソキウスの国民である人族の女性を拉致した事例もあった。
ルナはその方法を聞き、即座に禁止を命じたが、その結果を知ることなくジルソール島に向かったため、その報告が行われたのだ。
「オーガやオークなどの召喚について、いかなる種族の者であろうと人体を使うことはきつく禁じました。この村の近くにあった召喚場所も完全に閉鎖し、召喚に使われた女性たちは丁重に扱っております……」
召喚に使われた女性の多くは精神に異常を来しており、闇属性魔法の使い手ヴァルマをもってしても完治させることはできなかった。
そのため、彼女たちの希望に従い、安楽死させている。
「以前にもお伝えしましたが、この召喚方法は敵であるヴァニタスによってもたらされた可能性が高いと言わざるを得ません……」
ルナは召喚方法を知ってからレイと何度も話し合い、闇の神の啓示によってもたらされたという伝承から、ヴァニタスが成り済ましたのではないかという結論に達した。
「……例えヴァニタスとは無関係であったとしても、鬼人族の皆さんは優秀な戦士であり、その力だけで私には充分だと思っています。今後はどのような状況になろうとも、この召喚方法は禁忌とし、完全に封印します。これは月の御子としての命令です。破る者はどれほどの地位であろうと厳しく処断します」
普段のルナからは考えられないほど強い口調で言い切った。
その強い意志を受けた闇の精霊たちの力により、タルヴォらは額を床に付けたまま「「御意」」と答えることしかできなかった。
レリチェからザレシェに向かうのは大鬼族のクロンヴァール家と中鬼族のベントゥラ家が主体となるが、人数はそれぞれ五十名ずつと少数精鋭となった。
これは既にマーカット傭兵団や人馬族ら草原の民、更にはウノたち獣人部隊という精鋭揃いであるため、護衛は不要であるためと、迅速な移動を行うためにカエルム馬の移動速度に付いてこられる者だけが選抜されたためだ。
また、ヴァルマ率いる月魔族と翼魔族もレリチェに残す伝令以外のすべてが同行する。元々レリチェに派遣された者たちはルナの護衛となるべく選抜されており、戦闘経験も豊富な者が多いためだ。
その中にはラクス王国の東の辺境チュロック砦近くでレイと戦ったアスラ・ヴォルティの姿もあった。
「それでは出発します! 目的地はザレシェ! 各隊長の命令に従い、規律正しい行軍をお願いします!」
「「オオ!」」
ルナの声に魔族たちが応える。
本来ならレイが指揮官なのだが、未だに白の魔術師と呼ばれているように、ソキウスの民からは警戒されている。また、月の御子を崇拝する鬼人族はルナが指揮を執るべきだと考えていることから、レイとルナで協議して決めた。
晩秋というより既に初冬という季節だが、レリチェからの移動は順調だった。
心配された鬼人族の移動速度だが、名馬に乗る騎兵に対し、誰一人遅れることはなかった。元々体力的に優れていることもあるが、月の御子の護衛としての矜持が遅れることを許さなかったためだ。
十二月に入るとソキウスでは雪が降り始めたが、十二月八日、誰一人欠けることなく、無事ザレシェに到着した。
ザレシェでは鬼人族たちが総出で月の御子を出迎えた。その数にレッドアームズの傭兵たちは驚きを隠せない。
「これほどの数の鬼人族がいるとは……本気で攻めてこられたら、ペリクリトルはヤバかったんじゃなかったのか……」
歴戦のハミッシュ・マーカットが副官のアルベリック・オージェに話している。
「そうだね。大鬼族も結構いるみたいだし、中鬼族もオークより強そうだね……」
いつも陽気なアルベリックだが、見た目がオーガやオーク、ゴブリンの姿に酷似している鬼人族の戦士たちを前に、笑顔が引きつっている。
一方の鬼人族たちも異様な姿の人馬族や明らかに精鋭と分かるウノら獣人部隊、英雄の風格を持つハミッシュらに対し、警戒までいかないものの、微妙な視線を送っていた。
「あいつらが白の魔術師が率いる戦士たちか。確かに強そうだが、我らだけで充分だ」
中鬼族の雄、バインドラー家の当主エルノが訝しげに見ながら、ブドスコ家の当主となったヨンニに話しかけている。
「おっしゃる通りですね」とにこやかに答えるものの、すぐに感心したような口調でルナを褒め称える。
「ですが、さすがは御子様です。あれほどの戦力を西側から連れてこられるとは。白の魔術師殿も味方としては頼もしい限り。これらすべては御子様のご人徳の賜物。素晴らしいことだとは思いませんか」
ヨンニは今回の邪神討伐の主力が彼らであると考え、プライドが高い鬼人族と衝突させないことが重要だと考えた。そのため、ルナが“連れてきた精鋭”という表現を使った。
「確かにその通りだ。御子様は白の魔術師殿を盟友とおっしゃられたそうだ。ならば、我らにとっても盟友ということだな」
単純なエルノはヨンニの言葉に乗せられ、当初抱いた不信感をきれいに忘れた。
鬼人族の民衆の歓迎を受けながら、ルナは馬上から手を振り続けていた。
彼女の装備は以前のような毛皮のコートとドレスではなく、黒竜の革を用いた武骨な革鎧と漆黒のマントであったが、民衆たちはその凛々しい姿に以前よりも熱狂的な歓声を上げている。
「何という凛々しいお姿だ。あの方と共にあれば、邪神など恐れる必要はない!」
「俺も御子様をお守りするために遠征軍に志願するぞ!」
ルナにもその声が聞こえており、熱狂しすぎていることに不安が過る。
(ありがたいことなのだけど、あまりに熱くなりすぎるとヴァニタスに付け込まれないか心配になるわ。セオ君から聞いた話だと、ヴァニタスは巧みに人の心を操るらしいから……)
それでも笑顔を絶やすことなく、ザレシェの街の中を進み、鬼人族の政治の中心、“大政庁”と呼ばれる建物に到着した。
大政庁は木造四階建ての巨大な建物だ。
その前には各部族の族長らが並び、片膝を突いてルナを出迎える。
「ご帰還、おめでとうございます。我ら鬼人族一同、心よりお待ち申し上げておりました」
族長会議の首座である小鬼族のソルム・ソメルヨキが代表して口上を述べる。
「皆さんにはご心配をお掛けしました。既に聞いておられるとは思いますが、まだ戦いは終わっておりません。皆さんのお力を私にお貸しください」
ルナの言葉に「御心のままに」とソルムが応え、他の族長たちは地面に額を付けるように大きく頭を下げた。
ルナは大政庁に入る前にソルムに対し、
「客人たちを宿舎にご案内してください。族長の方々は後ほど大広間に集まっていただければと思っております」
大広間は最上階にあり、族長会議が行われる場所だ。
「承りました。御子様もお疲れでしょうから、二時間後に大広間に集合でいかがでしょうか」
ルナは「配慮、痛み入ります」といってソルムに頭を下げると、イオネを引き連れ、以前彼女に与えられた部屋に向かった。
レイとアシュレイ、ステラの三人はヴァルマに案内され、大政庁にある客室に向かう。
ルナとレイにはそれぞれ獣人部隊の護衛が付いているが、彼らは姿を消している。これはウノの指示で、ヴァニタスの手が伸びていないことを確認できるまでは、敵地と同様の扱いをするとしたためだ。
ハミッシュたちレッドアームズとセオフィラスたちは大政庁近くの宿舎に案内される。そこは遠方から来た護衛たちが滞在するための施設で、予め彼らのために空けられていた。
ソルムが最も困ったのは人馬族の扱いだった。
巨体というだけなら大鬼族の方が大きいが、馬の身体の彼らに合う宿舎がなかったためだ。
ソレル族の戦士長ギウス・サリナスは困惑する小鬼族の戦士に「気遣い無用」といい、
「どこか平地があれば、そこでよい。天幕があれば充分だからだ」
小鬼族の戦士はその言葉に困惑するが、最終的には演習場に案内された。
一時間後、レイはルナの部屋を訪問していた。彼の他にアシュレイとステラ、セオ、ハミッシュの姿もある。
「この後、族長たちに話をするんだけど、指揮命令系統について確認しておきたいことがあるんだ」
レイがそう切り出すと、ルナは「あなたが指揮官でしょう?」と首を傾げる。
「そのつもりだったんだけど、ザレシェの人たちを見て少し変えた方がいいと思ったんだ」
「どう変えるのかしら?」
「鬼人族や妖魔族は君じゃないと動いてくれない。だから名目上の指揮官を君にやってもらおうと思っている。現地に入ったら僕が指揮を執るけどね」
「名目上の指揮官……つまり、絶望の荒野に入るまでは私があなたたちに命令を出すということ?」
「そうなるね。まあ、今まで通り話し合って決めるつもりだけど」
そこでセオが話に加わる。
「僕は反対ですね。現地に入った時にレイさんが指揮を執ると言っても混乱してしまいますよ」
「俺もセオの意見に賛成だ」とハミッシュも同調する。
更にセオは指揮命令系統の重要性を訴える。
「ただでさえ“絶望の荒野”は危険な土地なんですよ。そこに混成部隊を派遣するとなれば、何が起きてもおかしくありません」
「ですが……」とレイが言おうとするが、セオはそれを目で制して話を続ける。
「それ以上に危険なのはヴァニタスです。指揮命令系統がしっかりしていないと敵に付け込まれる恐れがあることは分かっているのでは? このことはルナがきちんと話して、ソキウスの人たちに納得してもらうべきです」
「セオさんの言いたいことは分かるけど……」
「私もセオ君の意見に賛成よ。既にタルヴォ殿とヴァルマはあなたに敬意をもって接しているわ。あの二人がソキウスの派遣部隊の実質的なトップになるなら、問題はないと思うの。ただ、中鬼族を説得するのはちょっと骨が折れそうだけど」
ルナはそう言って苦笑する。
「族長会議の場でレイさんのことをきちんと説明するべきです。最悪の場合、ハミッシュさんが鬼人族と戦って力を認めさせれば、少なくとも鬼人族はレイさんの指揮権を認めると思います」
セオの言葉に「確かにそうね」とルナも頷く。
鬼人族は力こそ正義という考え方が浸透している。レイもタルヴォと戦って勝っているが、圧倒的な勝利とは言い難かった。そのため、最強の傭兵と呼ばれるハミッシュが力を見せつけ、彼がレイの指揮権を支持すると言えば、鬼人族は説得できると考えたのだ。
「ヴァルマは私が説得するわ。でも問題は翼魔族の方よ。キーラもそうだけど、何十年も苦楽を共にした仲間を殺された恨みは容易には消えないわ」
キーラ・ライヴィオは翼魔族の呪術師であり、実戦部隊の指揮官だ。ルナを救出する際にレイの魔法とヴァニタスに乗っ取られたイーリスによって多くの部下を失っている。そのため、ルナが回復した後もレイの命を狙い、謹慎処分を受けていた。
彼女自身は今回の遠征から外されているものの、翼魔族の中には未だに“白の魔術師”に対するわだかまりが残っている。
「ところでイーリス殿はもう来ているのかな」とレイが確認する。
「さっき聞いた話だと、月魔族の神官たちとザレシェの闇の神殿にいるらしいわ。出迎えの時に姿を見せなかったのは、鬼人族が過剰反応すると危険だからみたい」
レリチェ村を発した伝令は翼魔族であり、ソキウスの首都ルーベルナにも早い段階で到着していた。そのため、数日前に“月の巫女”イーリス・ノルティアもここザレシェに着いている。
鬼人族の中にはイーリスがルナを拉致したことを覚えている者が多く、月魔族を信用していないと公言している者もいる。
そのため、イーリスは公の場には可能な限り姿を見せず、静かにルナを待っていたのだ。
「大広間には呼んでいるから、あとで顔を合わせるのだけど、それが何か?」
ルナの問いにレイは小さく頷き、
「イーリス殿にやってもらいたいことがあるんだ」
「やってもらいたいこと?」
「僕たちが絶望の荒野に向かったら、闇の神殿で祈りを捧げてもらいたいんだ」
「祭祀長だから祈りは捧げると思うのだけど……」とルナは首を傾げている。
「その祈りに鬼人族や人族、獣人族も入れて大々的にやってもらいたいんだ。神々の話だと、人々の祈りによって神の力が増減する。多くの人に真摯に祈ってもらえたら、僕たちの助けにもなるんじゃないかな。それ以上にソキウスという国を一つにまとめるいい機会になると思うしね」
その言葉でルナは「分かったわ」と納得する。
「そのことを私がソキウスの民にお願いして、祭祀長であるイーリス殿が国民みんなと一緒に祈りを捧げれば、わだかまりが解けるかもしれないということね」
「そこまで上手くいくかは分からないけど、少なくとも君を守りたいという想いを共有できればいい方向に行くと思うんだ。そのことを頼みたいと思っている」
「確かにあなたがそれを提案すれば、翼魔族の呪術師たちも少しは心を開いてくれるかもしれないわ。もし、それでも駄目なら、ヴァルマが信用できる者だけを連れていくしかない」
ルナは強い意志を見せてそう言い切った。




