第九十四話「王妃との交渉」
十一月六日の夕方。
カウム王国の王都アルスにある鍛冶師ギルド総本部では大宴会が始まろうとしていた。
宴会の目的はセオフィラスらロックハート家の者たちとの懇親だが、匠合長ウルリッヒ・ドレクスラーは別のことも考えていた。
レイたちはアクィラ山脈の東にある魔族の地、永遠の闇から戻った後、アルスに立ち寄っている。その際、ルナはウルリッヒとゲールノート・グレイヴァー、オイゲン・ハウザーの三人に自分の秘密を明かしていた。
ウルリッヒはルナとレイがジルソール島で何らかの試練を受けることを知っていたが、すべて終わったのではないと何となく感じていた。
彼はギルド職員からセオが王国の東の要衝トーア砦を通過し、永遠の闇に再び入ろうとしていることを聞いており、更に人馬族を率いていることから、まだすべきことが残っているのではないかと考えたのだ。
そんなこともあり、ウルリッヒはルナたちへの支援について、ギルドとしてできるだけのことをやろうと思っていた。
総本部の中庭には多くのテーブルが並べられ、次々と料理と酒樽が運び込まれている。その量を見たレイは「何千人分なんだろう……」と呆れていた。
「ドワーフの鍛冶師方が三百人以上いますからね。人族の五倍くらいは食べて飲みますから、このくらいは必要なんです」
セオが冷静に説明するが、レイは「前の宴会より多い気がするんですけど」と納得できない。
「それはそうよ」とルナが話に加わる。
「どうして? 前も同じくらいの数だったと思うんだけど?」
ルナは一つの古びた樽を指さす。その樽には“立ち上がった獅子”、すなわちロックハート家の紋章が描かれ、更に“ZL”という焼き印が押されていた。
「今回はラスモア村から美味しいスコッチを持ち帰っているから、いつも以上に職員さんたちが気合いを入れているの。もちろん、私も頑張ったわよ」
そう言って料理の方に視線を向ける。そこには大きな鍋がいくつも並び、湯気を上げていた。
「何年物なの?」とセラフィーヌはルナに尋ねる。彼女自身は酒に興味がなく、ウルリッヒらに聞いていなかったのだ。
「さっきゲールノートさんに聞いたんだけど、十五年物らしいわ。何でもザックさんが私たちがお世話になったからって渡してくれたそうよ」
「十五年物って凄いのかい」とレイが聞くと、セラが「樽一つで十万クローナはするんじゃないかしら」とさらりと答える。
レイが「十万……」と茫然としているが、彼の頭の中では“一億円”という言葉がグルグルと回っていた。
「でも、私も飲んだことがないから美味しいかどうかはしらないわ。まあ、ザック兄様が太鼓判を押したのなら間違いはないんでしょうけど。後で少し飲ませてもらったら?」
そんな話をしていると、郊外にいた人馬族たちが入ってきた。ソレル族のギウス・サリナスを筆頭に華やかな衣装を身に纏った二十人の人馬族と同じくカラフルな民族衣装を着た遊牧民四十人がきれいに整列してレイの前に立つ。
「我らもお呼びとのことでしたが、よろしかったのでしょうか」とギウスが遠慮気味に尋ねる。
「もちろんですよ。それにここでの宴会は無礼講ですから、固くならずにおいしいお酒と料理を楽しんでください」
ギウスたちはその言葉に大きく頭を下げてから会場に散っていった。
その後、ハミッシュらマーカット傭兵団がやってきたが、彼らは以前にも宴会に参加しているため、ギウスたちほど緊張していない。
準備が整ったのか、演壇にウルリッヒが上っていく。
既に多くの職員たちが来場者にビールの入ったジョッキを手渡しており、ドワーフたちの中にはお代わりをしている者もいた。
「今日はセオたちロックハート、ハミッシュ殿らレッドアームズ、それにギウス殿ら草原の民の歓迎会じゃ! それでは皆の者、ジョッキを掲げろ!」
その言葉に全員がジョッキを掲げる。
「では我らの友に乾杯。ジーク・スコッチ!」
「「ジーク・スコッチ!」」という声が唱和される。
「今日は十五年物のスコッチがある! ザックが儂らにと言って贈ってくれたものじゃ! スコット殿が手掛けた最高級の酒じゃ! 味わって飲むんじゃぞ!」
「おお! それは楽しみじゃ! ジーク・スコッチ!」
「十五年物だと! 生きていてよかった! ジーク・スコッチ!」
そんな歓喜に満ちた声が飛び交う。
「まずは十五年物からじゃ! 皆の者用意はできておるな」
ウルリッヒはそう言いながら美しいグラスを掲げている。
「いつの間に取り出したんだ? ジョッキはどこに行った?」とライアンが驚いているが、ルナは「いつも持ち歩いているから。ジョッキは腰のところに専用の袋があるのよ」と当たり前のことのように説明する。
そう言っている間に、ドワーフたちはグラスを手に樽の前に並んでいた。
グラスに琥珀色の液体が満たされると、ドワーフたちは次々と列から離れていく。そして、口に含んだところで「何という美味さじゃ!」と叫び、更に「ジーク・スコッチ!」と叫びながら空のグラスを掲げる。
十五年物の試飲が終わったところで宴会場は落ち着きを取り戻した。
レイはアシュレイ、ステラ、そしてハミッシュらとテーブルを囲んでいた。一応ビュッフェ形式であり自由に取れるが、レイたちのテーブルにはギルド職員たちが絶えず料理を運んでくれるため、落ち着いて宴会を楽しむことができている。
「ウルリッヒ殿にはこの後相談するつもりか」とハミッシュが聞くと、レイは大きく頷く。
「そのつもりです。セオさんの話では王妃様もじきにやって来られるそうなので、タイミングを見て相談するつもりでいます」
「この雰囲気で相談なんてできるの?」とアルベリック・オージェが周囲を見回しながら呆れ気味に聞く。
「その辺りはルナとセオさんに任せるつもりです。僕は酔い潰れないように頑張るだけです」
苦笑いを浮かべながら、ウルリッヒたちと談笑しているルナたちの方を見る。
そのルナだが、和やかな雰囲気でウルリッヒやゲールノートらと話していた。
「よくぞ無事で戻った」とウルリッヒがいうと、ルナは「ありがとうございます」と軽く頭を下げるが、
「あとでご相談があります。カティさんが来られてからお時間をいただけますか?」
「無論じゃ。カティは長らく王宮を空けておったから、もう少し時間が掛かるかもしれんが、酒の匂いに釣られて必ずやってくるからの」
「カティさんなら十五年物があるのに来ないことはありえないですね」
そう言ってルナが笑う。
彼女の予想通り、宴が始まって一時間ほど経った頃、平民の格好をしたカトリーナ王妃が総本部に現れた。急いできたのか、少し息が荒い。
「ザックさんにいただいた十五年物はまだ残っていますか?」
あいさつもせずにスコッチの話をし始めたことに、ウルリッヒが苦言を呈する。
「安心せい、まだ残っておるわ。じゃが、いきなりスコッチのことはなかろう。ルナたちの歓迎会でもあるんじゃぞ」
その言葉に王妃は「私としたことが、オホホ」と口元を隠して作り笑いを浮かべるが、その眼は十五年物の樽に釘付けになっていた。
「仕方あるまい。あれはギルドに贈られたものでおまえの分は本来入っておらんのだぞ」
「そんな悲しいことをおっしゃらないでください。私と皆さんの仲ではありませんか」
そう言いながら上目遣いでウルリッヒを見る。
「分かった、分かった。遊んでおらんでさっさと味わってこい。ルナが話があると言っておる。それを飲んだらさっさと戻ってくるんじゃ」
その言葉で王妃は素早く一礼すると、人馬族が驚きのあまり二度見するほどの速度で十五年物の樽の前に並びにいった。
無事にスコッチを手に入れた王妃はグラスの残り香を楽しみながらウルリッヒたちのところに戻ってくる。そこにはルナに呼ばれたレイもいた。
「お話があるそうですね。ウルリッヒさんのお部屋をお借りできますか?」
「無論じゃ。では行くぞ」と言ってウルリッヒは立ち上がった。しかし、王妃は「料理とお酒を取ってきますわ。少しお待ちくださいね」と言って再び離れていった。
その様子を見ながら、「本当に王妃様なんだろうか」とレイが独り言を呟く。
料理を大量に載せた皿と、大きなジョッキを手にした王妃が戻ってきた
「お待たせしました。では参りましょうか」
レイはその様子に呆気に取られてしまうが、ウルリッヒが「行くぞ」と声をかけられ我に返る。
ウルリッヒとゲールノートに続き、王妃、レイ、ルナ、そしてセオが匠合長室に向かった。
匠合長室に入ると、王妃の表情が変わる。
今までの酒好きの商店のおかみのようなあけすけな表情から、怜悧な政治家のものになっていたのだ。
その変化にレイだけでなく、ルナも驚きを隠せない。
「王宮で話は聞いておりますわ。トーア砦を通って永遠の闇に入りたいそうですね」
「はい」とルナが答える。
「理由は珍しい魔物と戦いたいからということでしたが、本当のことを教えていただけるということでよろしかったですね」
射貫くような視線にルナは「は、はい」と答えることしかできなかった。
彼女にとって“カティさん”は優しいおばさんというイメージしかなく、このような視線を向けられたことがなかったためだ。
セオも同じように驚いていたが、彼は予めザカライアスから警告を受けていたため、顔に出すことはなかった。
ルナはその視線にたじろいだが、すぐに真っ向から受け止め、話し始める。
「では、理由をお話しします。少し長くなりますが、最後まで聞いてください……」
打ち合わせ通り、自分たちは虚無神から世界を守るため、神々から力を授けられたこと、自分は魔族の国“ソキウス”の指導者的な立場にあること、レイは草原の民の王であり、ルークス聖王国では“光の神の御子”と呼ばれていることなどを話していく。
「……魔族も光神教と同じく、ヴァニタスに操られていたのです。すでにその影響はなくなり、アクィラ山脈の西側に対して侵略する意思はなくなりました。ソキウスの“月の御子”として、私は貴国と平和的な関係を築きたいと考えております……」
その言葉に王妃がピクリと反応するが、それを誤魔化すようにジョッキに口を付ける。
ルナは今回のアルス訪問の目的、ヴァニタスとの最終決戦についても話していく。
「私とレイは仲間と共にクウァエダムテネブレの“絶望の荒野”でヴァニタスと戦うつもりです。これが成功すれば短くとも数千年、長ければ数万年間、ヴァニタスの脅威に怯える必要がない平和な時代になるのです。ですので、トーア砦を通ってクウァエダムテネブレ、いえソキウスに入ることを許可していただけないでしょうか」
ルナの話が終わった後、誰もしゃべらなかった。ただウルリッヒとゲールノート、王妃の三人がビールを飲む音だけが部屋に響いている。
王妃がジョッキを空け、テーブルにコトンという音と共に置いた。
「つまり、ルナさんとレイさんは神々の使いであり、世界を守るために邪神であるヴァニタスと戦うということですね。そして、そのためにトーア砦を通過する許可が欲しいと……分かりました。トーア砦の通過の許可は明日にでも出すようにします……」
その言葉にレイとルナは安堵の息を吐き出した。しかし、王妃の言葉はまだ続いていた。
「……ルナさん、いえ、ソキウスの実質的な女王である“月の御子”殿にカウム王国として要求があります」
「要求ですか」と思わず聞き返す。
「はい。我が国は度重なる魔族の侵攻によって多大な被害を受けております。例えそれがヴァニタスによるものであったとしても、謝罪も賠償もなく、ソキウスという国家を認めることはできません。ですので、国家としての謝罪と、十九年前の侵攻による損害に対する賠償をソキウスに求めます」
突然の話にルナだけでなく、レイやセオも驚き、言葉を失った。
三人に構わず、王妃は話を続ける。
「当然のことでしょう。ソキウスという国家がカウム王国へ侵略戦争を仕掛け、多くの損害を与えたのですから。それにこのことが認められなければ、我が国と関係を築きたいと言っても誰も認めないでしょう」
「確かにそうですが……」とルナはそれだけを口にした。
ルナにも王妃の言っていることは理解できた。
魔族側が一方的に戦争を仕掛け、それによって多くの兵士が死んでいる。
しかし、賠償のこととなると話は別だ。
(私の一存では約束できないわ。カウムに支払えば、ペリクリトルやラクス王国にも支払わなくてはいけなくなる。それにそもそも魔族を追い出したのは帝国やカウム王国なのだから、二千年前の話とはいえ、一方的に魔族側が悪いとされるのには抵抗があるわ……)
心の中で葛藤するが、言葉にならない。
その時、レイが助け舟を出した。
「結論を出す必要はないよ。君が月の御子であってもソキウスの人たちと話し合わずに決められないのだから」
「そうね」といい、王妃に向かって小さく頭を下げ、
「レイの言う通り、私の一存ではお答えできません。それにそもそも魔族が住んでいた土地を帝国が奪ったことが発端です。この件に関しては貴国やラクス王国も黙認していたはずですから、道義的な責任は逃れられないと思っています。ただ、そのことを言い出すと、まとまるものもまとまりません。ですので、何かいい方法がないか考えさせてください」
「分かりましたわ。ただこれだけは覚えておいてください。国と国との関係は個人の関係とは全く異なるのです。もし助言が必要なら、あなたの義理の兄上や姉上に相談なさったらよいと思います。あの方たちなら誰もが納得できる方法を考えてくれるでしょうから」
王妃としてもこの話を出すつもりはなかったが、ルナから国としての関係を築きたいという提案があったため出したに過ぎない。
そのことにルナも気づき、「ありがとうございます」と大きく頭を下げた。
「これで難しい話は終わったな。では、飲みに行くぞ!」
ゲールノートが立ち上がってそういうと、王妃も立ち上がり、
「全然飲み足りないですし、お腹も空いたままです。それに早くいかないと美味しいものがなくなってしまいますわ。レイさん、ルナさん、セオさん。早く行きますわよ」
それまでの厳しい政治家の顔からただの酒好きの顔に変わっていた。
レイとルナは顔を見合わせると同時に立ち上がる。
「いろいろと勉強したいことはありますけど、今は美味しいお酒や料理を楽しみましょう!」
レイはそう言いながら王妃たちの後に続き、匠合長室を出ていった。




