第九十二話「東へ」
九月二十八日。
レイたちは無事に傭兵の国フォルティスに到着した。
その間の行程ではウノたち獣人部隊の活躍もあり、魔物の襲撃などのトラブルは一切起きていない。
「これほど平和な移動は初めてだな」
歴戦の傭兵、ハミッシュ・マーカットがそう呟くほどだった。
フォルティス市では獣人たちの傭兵ギルドへの加入手続きが行われたが、一級傭兵であるハミッシュや、世界最強と謳われたギデオン・ダイアーの弟子でもあるセオフィラス・ロックハートらの口添えもあり、問題なく手続きは行われていく。
そして、手続きを終えた獣人たちは情報収集のため、順次出発していった。
さすがに百人という人数であり、手続きが完了するまで二日は掛かると見られていた。そのため、アシュレイからある提案があった。
「折角なのだから祭を楽しんではどうだ」
十月一日は秋の収穫祭であり、ここフォルティスでも盛大に祭りが行われる。しかし、レイは僅かに寂し気な表情を浮かべて首を横に振った。
「行きたいのはやまやまなんだけど、急がないと冬になってしまうよ。ソキウスの冬の厳しさは去年体験しただろ」
レイの言葉にステラがやんわりと反論する。
「急いだ方がいいとは思いますが、息抜きも大事だと思います。だから、アシュレイ様のご意見に賛成します」
「冬になるといってもトーア砦を越えるためにカウム王国と交渉しなければならないわ。その時間を考えたら、一日二日の遅れなんて小さなものよ」
ルナもレイを説得に回った。
三人の説得を受け、「そうだね。一日くらいのんびりしようか」とレイも了承した。
その話を聞いたマーカット傭兵団の若手たちは「やったぜ!」と言って喜ぶ。
「出発は明後日だ。あまり羽目を外し過ぎるなよ」とハミッシュが釘を刺したが、「大丈夫ですって」と五番隊の若手ハル・ランクルがいつもの調子で答えていた。
収穫祭の前夜祭である九月三十日、レイたちはフォルティスの街に繰り出し、祭りを楽しんだ。
夜には傭兵ギルド総本部での宴会に参加する。
本来なら鍛冶師ギルドのフォルティス支部から誘いがあるはずだが、主要な鍛冶師たちがおらず、支部での宴会はなかった。もっとも比較的若いドワーフたちは傭兵ギルドの宴会に参加していた。
マーカット傭兵団の傭兵だけでなく、人馬族ら草原の民たちも招待されており、宴会は大いに盛り上がった。
人馬族は移動中こそ武骨な革鎧を身にまとっているが、町や村では原色を多用した派手な民族衣装を着ており、その異形と巨体は常に注目の的だった。
ちなみに人馬族は宿に泊まることを断り、遊牧民たちが運ぶ天幕に宿泊していた。彼らの巨体が入るのは厩舎しかないためだ。
フォルティスで収穫祭を楽しんだ翌日、レイたちは傭兵たちの見送りを受けて出発した。
フォルティス国内はトラブルもなく順調だったが、十月半ばに最大の難所であるローグデール峠を越えてカエルム帝国領内に入った後は、帝国から干渉されることが多くなる。
宿場町に入る際にしつこく質問されるだけでなく、宿に役人が現れ、同じことを説明することもあった。
獣人部隊からの情報と合わせて、東部総督であるエアルドレッド辺境伯が警戒していることは分かるものの、その理由は判然としなかった。
それでもセオたちロックハート家の関係者が同行していることから、大きな問題になることはなく、十月十五日に東部域の主要都市エアルドレッドに到着した。
エアルドレッドに入る際、門を守る騎士が人馬族の入市に懸念を示した。
「人馬族がトラブルを起こさぬ保証がない。それにそこにいる傭兵たちはラクス王国の傭兵ではないのか? その見事なカエルム馬をどうするつもりなのだ」
それに対し、レイが答える。
「人馬族がもめ事を起こすことはありません。ですが、万が一トラブルになった場合は、私が責任を持ちます」
「君のような若者が責任を?」
そこでセオが間に入り、
「彼は詩に聞く“白き軍師”殿です。それでも不満でしたら、ロックハート家の三男である私が保証人になります」
ロックハート家と聞き、騎士は「ならば仕方あるまい」と言って入市を許可した。
何とか中に入ることができたと安堵したものの、宿に入る前に総督府から呼び出しを受けてしまう。
呼び出されたのはセオとハミッシュ、そしてレイの三人だった。
執務室ではなく、尋問にも使われそうな兵士たちの詰所の部屋だった。部屋の中には三十代くらいの貴族らしい官僚と護衛の兵士五人が待っていた。
レイたちが座ると、子爵位を持つ総督府の高官が質問を始めた。
「君たちに聞きたいことがある。まず、今まで草原を出たことがない人馬族がなぜ東に向かっているのかね」
その問いにセオが答える。
「私と共にラスモア村にいく予定ですが、それが何か?」
「本当にロックハート家を訪問するのかね。我々にも人馬族が戦争に介入したという情報は伝わっている。その人馬族がなぜこのようなところにいるのだ?」
聖王国軍がラークヒルより撤退してから一ヶ月半ほど経っている。帝国軍は飛竜部隊などを使い、主要な都市に聖王国との戦争の顛末を伝達していた。
東部総督であるエアルドレッド辺境伯のところにも当然情報は来ている。
総督が気にしているのは今まで皇帝の要請でしか動かなかった人馬族が、突然主体的に動き、更にこのような遠方に現れた理由だ。
草原の民に新たな指導者が現れたという情報とラクス王国の傭兵団と懇意にしているという事実から、草原の民とラクス王国が密かに手を結んだのではないかと勘繰っていた。
子爵の問いにセオが余裕の笑みを浮かべて平然と答えた。
「私の兄ザカライアスが関係しているのですよ。つまり、酒が絡む話なんです」
その意外な言葉に子爵は動揺する。
「酒だと……確かにザカライアス卿なら酒だが……それは真なのか?」
「もちろんです。村で馬乳酒の作り方を教えてもらうことになっています」
子爵は「馬乳酒だと……」と混乱し、それ以上質問できない。
更にセオが畳み込むように話していく。
「馬乳酒はご存じでしょうか? 人馬族や遊牧民が馬の乳で作る酒なのですが、特殊な作り方で季節によって味が大きく変わるのです。それに部族ごとでも微妙に味が違うんですよ。もっとも兄がその馬乳酒の作り方を聞いて何をするのかは私には分かりませんが……」
「いや、酒の話をしたいわけでは……」と子爵は言うが、それに構わずセオは話し続ける。
「……申し訳ありません。ですが、先ほど人馬族がなぜここにいるのかとのご質問でしたので。人馬族がここにいる理由ですが、既に聞いておられる通り、レオポルド殿下と共に人馬族のトーレス族が帝都に向かっています。このようなことは今までなかったことですが、現実として起きているのですよ。ですから他の氏族が草原の外に出てもおかしくないと思います」
「確かにそうだが……ならばなぜラクスの傭兵団と行動を共にしておるのだ?」
「彼らは鍛冶師ギルドが雇った、私の妹ルナの護衛です。過保護すぎるとは思うのですが、妹はドワーフの皆さんに特に気に入られているので」
そこでセオはハミッシュに視線を送る。ハミッシュもその意図に気づき、平然とした口調で話を引き取る。
「いかにも。匠合長のウルリッヒ殿より直々に依頼された。依頼料はこの剣だ」
そう言って見事なアルス鋼の両手剣を見せる。
「これはウルリッヒ殿が直々に打ってくれた逸品。それだけではない。隊長クラスにもオイゲン殿やヨハン殿ら名工の武具をいただいている。決してただ働きではない」
子爵は文官だが、ウルリッヒらが作る武具がどれほどの価値になるかを知っていた。そのため、マーカット傭兵団ほどの護衛を雇うことは充分可能だと考えた。
「うむ。確かに報酬は適切なようだが、娘一人に百人もの凄腕の傭兵を付けるとは常識では考えられぬ」
「ドワーフに酒に絡む話で常識を求めるのはどうかと思いますが」とセオが笑いながら言い、更にハミッシュもにやりと笑い、
「ウルリッヒ殿に言わせると、あの娘は孫娘のようなものだそうだ。まあ、美味い酒のつまみを作ることは確かだが」
「酒のつまみ……その程度のことで……信じられん」
「ドワーフの前でその程度などと言わない方がよいと思います」とセオは釘を刺し、
「信じられないようでしたら、ルナにその価値があるのか、この街のドワーフに聞いてみてはいかがでしょうか」
子爵は一瞬考えるが、ロックハート絡みでドワーフと揉めることに腰が引けたのか、
「それには及ばん。ロックハート家の三男である卿がそう申すのであればその通りなのだろう」
「では、私たちも宿に戻ってよろしいでしょうか」とセオが切り出す。
「無論だ。だが、これだけは言っておく」と言ってセオに詰め寄る。
「帝国内で揉め事を起こせば、ロックハート家といえども処罰の対象となる。このことは肝に銘じておくのだ。武人である君に言っても理解できぬかもしれぬが、帝国内では大きな嵐が吹き荒れる可能性がある。ルークスとの戦争など比較にならないほど大きな問題が」
「ご忠告ありがとうございます。何をご懸念されているのか理解できませんが、帝国内で問題を起こさないよう肝に銘じます」
セオはそういうと、大きく頭を下げた。
総督府を出ると、レイはセオに大きく頭を下げる。
「おかげで助かりました。僕ではあれほど上手く切り抜けられなかったと思います」
「そんなことはないでしょう。何と言っても“白き軍師”と呼ばれているんですから」
とセオは笑うが、すぐに真剣な表情に戻し、
「どうやら東部総督閣下は皇帝陛下の世継ぎ問題が激化するとお考えのようですね。それもあって自分の責任範囲である東部域で揉め事を起こしてほしくないとこれほどしつこく釘を刺してきたのでしょう」
「では、この先もこんな感じになるのでしょうか?」
「そうはならないと思いますよ。恐らくですけど、この先では割と歓迎されると思います」
「それはどういうことなのだ?」とハミッシュが首を傾げる。
「この先はレオポルド皇子派が多いところです。もし、トーレス族の話を聞いているなら、人馬族と一緒にいる僕たちを歓迎して、殿下にいいところを見せようとするはずです。それに数は少ないですが、皇太子派の貴族も人馬族に手を出すことはないでしょう。人馬族とトラブルを起こせば、次の皇帝陛下になった時に困ることになりますから」
セオの言葉通り、エアルドレッドを出た後は歓迎されることが多くなる。
そして、順調に東方街道を進み、カウム王国内に入った。
「アルスではトーア砦の通過の許可を取るんですよね」とセオがレイに話しかける。
「ええ、僕が使った抜け道は獣道より酷いですから。ソキウスでも馬を使うなら、トーアを通過しないと無理ですから」
ルナを追ってソキウスに入った時は、トーア砦をバイパスする抜け道を使っている。しかし、ウノたち獣人部隊がいて初めて道が見つかるほど険しい場所で、馬を使った移動は遊牧民でも不可能だった。
そのため、カウム王国政府にトーア砦の通過を許可してもらい、魔族が侵攻に使った道を通ってレリチェ村に入るつもりでいる。
しかし、問題が一つあった。
カウム王国は魔族から西側の国を守るためにトーア砦を建設した。そのため、砦から東に出るには王国政府の許可が必要だが、正式には魔族の脅威が去ったことになっていないため、王国政府との交渉が必要だった。
「ウノさんたちでも集めにくい情報があるでしょうから、僕が先行して集めておきます。上手くいけば事前交渉も済ませておけると思いますし、鍛冶師ギルドの支援もお願いするつもりですから」
セオはそういうと、ライル・マーロン、ユニス・ジェークスと共に、本隊から離れ先行した。
十一月一日。
レイたちは無事にカウム王国の王都アルスに到着した。
大門には先行したセオたちが待っていた。ルナは思ったよりドワーフの姿が少ないなと考えたが、すぐにその理由は分かった。
セオはルナに近づくと、「ウルリッヒさんたちは今、村に行っているそうだよ」と教える。
「ラスモア村に?」
「ああ、戦勝記念祭に出席しているらしいんだ。確かにフォルティスでもルディガーさんたちがいなかったからその時に気づけばよかったんだけど……今年は春にできなかったし、それ以上にザック兄様が帰ってきているからって盛大にやっているらしいんだ。ゲールノートさんもオイゲンさんもいないし、親方クラスはほとんどいないんだ」
戦勝記念祭はラスモア村がアンデッドの大群に襲われ見事撃退したことを記念して行われるイベントだ。
通常は戦死者に対する鎮魂と、村に大きな被害が出なかったことを祝うだけなのだが、何年かに一回、“ドワーフ・フェスティバル”と呼ばれるイベントが併催される。“ドワーフ・フェスティバル”とは正式には“鍛冶技能評定会”と“酒類品評会”の総称で、鍛冶の腕を競い、更に自慢の酒を持ち寄って披露しあうという祭を指す。ドワーフたちが主体になっていることから、そう呼ばれているが、正式名称より俗称の方が有名だった。
「十月二十二日だからあと五日は戻ってこないわね。だから……」
ルナはすぐに納得したが、同時に懸念も覚えていた。
「でも、それだと王国政府との交渉が難しいわ。セオ君、どうだったの?」
そこでセオは肩を竦め、
「想像通りだよ。詳しい話は宿に入ってからするよ」
一行は宿に向かってアルスの街の坂を上っていった。




