第九十一話「決戦の地に向けて」
九月四日の夕方。
レイはレオポルド皇子との会見を成功の裡に終わらせた。暴走する可能性があるレオポルド皇子は帝都に戻り、ルークス聖王国への侵攻に反対しているレドナップ伯爵率いる第四軍団がラークヒルに残留することとなった。
更にレイ自身が帝都に行くことも阻止し、魔族の地にある“絶望の荒野”に向かうことも可能となった。
その後、レオポルド皇子から晩餐の誘いがあったが、レイは草原の民の軍をこれ以上放置できないと言って、それを断っている。
皇子はその言い訳に一応納得したため問題となっていないが、レイとしては長い時間一緒にいることで、草原の民の支配者“白き王”という仮面が剥がれることを恐れたのだ。
日が傾く頃になり、レイはマーカット傭兵団とウノら獣人部隊を率いてラークヒルの街を出た。街に散っていった獣人たちもいつの間にか合流しており、レイたちは彼らが街に潜伏していたという事実に気づいていなかった。
「兵舎の寝台を借りることもできたのにすみません」とレイはハミッシュに謝る。
一ヶ月前に中部域に入ってから、彼を含め、まともな宿に泊まれた回数は数えるほどしかないためだ。
「気にするな。長期の行軍訓練だと思えばいいだけだ。実際、まともに剣を振っておらんから訓練のようなものだったがな」
ハミッシュの副官であるアルベリック・オージェが口を挟む。
「確かに戦わなかったけど、心臓に悪いことばかりだった気がするよ。この先の方が大変そうなんだけど、何も考えずに戦えばいいだけの方が僕は気が楽だね」
「確かにそうだ。俺も政治がどうこうというのは性に合わん」とハミッシュは苦笑しながら頷く。
ラークヒルの街の外にある草原で人馬族ら草原の民の軍と合流する。
レイは族長ら主だった者を集め、今回の作戦の成功に対する感謝を伝える。
「皆さんのお陰で、無益な戦争を避けることができました。聖王国でも聖王自らが先頭に立って改革を始めると言っています。これで神々が懸念した虚無神の策を防ぐことができたのです。これも皆さんが私に力を貸してくれたお陰です。本当にありがとうございました」
そう言って大きく頭を下げる。同じようにアシュレイ、ステラ、ルナも頭を下げる。
「顔をお上げください!」と草原の民たちが慌てて叫ぶ。
レイはゆっくりと顔を上げ、更に言葉を続けていく。
「この先、私は仲間たちと共にアクィラ山脈の東、魔族の地に向かいます。そこでヴァニタスと戦い、この世界に平和を取り戻そうと思っています……」
「私も連れていってください!」と人馬族の若者が声を上げる。その声に人馬族の指導者であるリーヴァ・ソレルを始め、多くの者たちが同じように声を上げた。
レイはそれを手を上げることで鎮めると、
「ヴァニタスとの戦いは大軍同士ではなく、少数での戦いとなります。それに“絶望の荒野と呼ばれる地は馬で行動できる土地ではありません」
「しかし、我ら人馬族なら普通の馬が行けぬところへもいけます」とリーヴァが必死に食い下がる。
事実、人馬族の精鋭ならカモシカのように崖を駆け下りることも可能であり、通常の騎兵とは比較にならないほどの機動性がある。また、遊牧民たちの乗馬技術も他の騎兵とは一線を画している。
「草原の民の方々には別のお願いがあるのです」と言って草原の民たちを見ていく。そして、落ち着いたところで再び話を始めた。
「ルークス聖王国とカエルム帝国の戦争ですが、今回は何とか回避することができました。しかし、敵は神々すら恐れるヴァニタスなのです。どのような手を打ってくるのか正直分かりません。どのような事態が起きても皆さんがいらっしゃれば、両国の間に立って戦争を止めることができます。ぜひとも世界を守るために力を貸してください」
レイの説明を聞き、草原の民たちは落胆しながらも自分たちの使命を理解する。
「王のご命令は確と受け取りました。しかしながら、我らも敵との戦いに加わりたいのです。少数でも構いません。王の軍の末席に我らの代表者を加えていただけないでしょうか」
そう言ってリーヴァは平伏する。それを見た草原の民たちは同じように懇願し、平伏した。
レイはどうすべきかと困惑する。
(人馬族や遊牧民は強力な戦力だけど、絶望の荒野では足手まといになりかねない。そのことを正直に言うのはかわいそうだし、どうやって断ればいいんだろう……)
レイの苦悩を感じたのか、アシュレイが耳元でささやくように助言する。
「各氏族の代表者を連れていけばよいのではないか。あの地に向かうにしても輜重隊は必要だ。その護衛として行けるところまで同行してもらえばよい」
その考えにレイも考え直す。
(確かにアッシュの言う通りだ。レッドアームズにウノさんたち、イーリス殿や大鬼族の精鋭が加わるとして、三百人以上の大所帯になる。そうなったら食糧を運ぶだけでも一苦労だ。アッシュは護衛と言ったけど、直接運んでもらうことも考えておいた方がいい。人馬族には悪いけど、彼らの背中に食糧を載せれば一人百kgは優に運べる。遊牧民にもカエルム馬を余分に連れていってもらって輸送を手伝ってもらえば、補給の問題は解決する……)
そのことを正直に説明していく。
「草原の民の皆さんには戦いだけでなく、食料などの物資の運搬をお願いしたいと思います。この役割を不服に思われない方であれば私と共に来てほしいと思います」
レイは真剣な表情で草原の民たちを見つめるが、彼らは同行を許可されたという事実に「「オウ!」」と雄叫びを上げる。しかし、その雄叫びをリーヴァが「静まれ!」と一喝することで抑え、
「どの程度が同行を許されるのでしょうか。また、我らに期待する任について、お心の内を教えていただけないでしょうか」
「各氏族から二名ずつ。遊牧民の方たちは予備の馬を二頭ずつ連れていっていただきたいと思います。期待していることは最終的な決戦の地に向かう際の物資の補給と最終拠点の防衛です。もちろん、平地での戦闘も考えられますが、可能性は低いと思います」
その言葉に草原の民たちは落胆の表情を見せるが、リーヴァは「我らの身体は向かぬということですな」と納得する。
「そうです。ですが、私たちが進むためには補給部隊が必要です。どのような地形になっているのか分かりませんから、最終的には数十名の精鋭だけで向かう可能性が高いと考えています。ですので、草原の民だけが残されるわけではありません」
レイは自らの経験から、奥地に進むのはハミッシュらマーカット傭兵団の隊長クラスとウノら獣人部隊の精鋭、更には月魔族や翼魔族と言った飛行部隊に限定することになると考えていた。
「では、各氏族には戦士長及びそれに準ずる者を基準に選抜するよう命じます」
リーヴァがそう言って各氏族に指示を出そうとしたが、レイは「まだ話があります」と言ってそれを留める。
「レオポルド殿下が帝都に凱旋する際、人馬族戦士千名を同行させることになりました。私としてはトーレス族にお願いしたいと考えています」
その言葉にトーレス族の族長が平伏する。
「ありがたきお言葉。我が氏族の名に賭けて王の期待に応えましょう」
「詳細は後ほど説明します」とレイはいい、更に「先ほどの話に関係するのですが」と前置きした上で、
「帝国軍が約定を違えた際に戦争を止めるための指揮を執る方が必要です。私としてはソレル族のリーヴァ族長にお願いしたいと考えておりますので、皆さんもリーヴァさんの指示に従い、帝国と聖王国の戦争が起きないように睨みを利かせてください。これについても詳細は後ほど説明します」
レイは反発があるのではと危惧したが、草原の民からは肯定的な言葉しか出てこなかった。
彼らは自分たちの矜持よりも、二千年もの長きにわたって待ち、ようやく現れた“白き王”の期待を裏切ることを気にしたのだ。
レイは思ったより簡単に草原の民を説得できたことから心の中で安堵の息を吐き出していた。
その後、詳細について夜遅くまで話し合った。
翌九月五日。
レイは草原の民、七万人を率いて東に向かった。草原の民たちは戦闘こそなかったものの、帝国と聖王国の大国間の戦争を止めたという事実に高揚していた。
そのため、野営の度に祭のような賑わいを見せた。
レイは各氏族の陣を頻繁に訪れるようにし、草原の民たちとの交流を深めていく。彼らは白き王を迎えるという名誉に涙を流さんばかりに歓迎し、レイは草原の民たちを完全に掌握した。
六日後の九月十日。中部域の主要都市ネザートン近郊に戻った。
草原の民たちの求めに従い、任務成功の宴を開催した。それは宴というレベルではなく、草原の民のほとんどが参加する大規模な祭典といいほどの規模だった。
多くの氏族がレイに献上品を持ってきたが、彼は最初受け取らなかった。
「この先の軍資金はどうするつもりですか?」というセオの言葉に答えに窮するが、草原の民に負担を強いることをよしとしない。
「でも、各氏族の負担を強いることになりませんか」
レイは遊牧民である草原の民が裕福ではないと考えていた。
しかし、それは彼の思い違いだ。優秀な軍馬であるカエルム馬は一頭一万クローナ以上で売れるし、更に羊などの家畜も多数所有している。
それ以上に大きいのは彼らには税の負担がない点だった。兵役の義務もなく、納税の義務もない。そして豊かな草原地帯を独占している。それに加え、商人たちとも取引があることから、少なくない現金を所持していた。
「草原の民はどの氏族も裕福ですよ。装備や服装を見たらわかると思いますけど……」
「皆さんの負担にならない程度で協力していただけると助かります」と言って、各氏族の代表に頭を下げる。
その腰の低さに草原の民たちは慌てるものの、自分たちの王が神のために戦うということで、三十の氏族から百万クローナ以上(日本円で約十億円)の現金がすぐに集まる。彼が制限しなければ、更に倍以上集まっただろう。
これにはレイだけでなく、ハミッシュらも驚いていた。
また、レッドアームズの傭兵たちが借りていた馬についても、この先の移動を考え、貸与ではなく正式に譲渡となった。
獣人部隊の編制だが、ウノが全体の指揮を執り、セイス、オチョ、ヌエベ、ディエスが各隊の隊長となることが決まった。
「他の人たちから不満は出ないのでしょうか。皆さん精鋭という話でしたから」
レイは序列のようなものがあり、それを無視しているのではないかと気にした。
「問題ございません」とウノはその懸念がないことを伝えるが、レイは自分が直々に任命するという形として、獣人たちに不満が出ないように配慮する。
もっとも獣人たちはウノが言う通り、全く気にしていなかった。彼らは上位者であるウノの命令に従うだけであり、任務遂行に支障がないのであれば誰が指揮官であっても気にしない。
獣人部隊は伝令として二十名がレイと行動を共にし、他は別行動となった。これはウノが提案したことだった。
「本隊より先行して情報を集めた方がよいでしょう。中部域とフォルティスはよいとして、その先は再び帝国領に入ります。どのような状況か確認することはもちろん、城塞都市内で警戒に当たる場合、別行動をとっていた方がよい場合もございます」
「そうですね。僕も情報があった方がいいと思います。ウノさんたちは大変でしょうけど……」
こうして獣人部隊は少数の連絡要員を除き、彼らの得意な間者として行動することになった。また、獣人たちは傭兵の国フォルティスで傭兵ギルドに加入することも決まった。
彼らが持つオーブはルークス聖王国のものであり、帝国やカウム王国での行動に支障が出ないようにとの配慮だ。
九月十四日。
三日にも渡る祝宴を終え、レイたちは東に向けて出発する。
出発時にはレイたちの他に、レッドアームズ百名と獣人部隊百名、人馬族ら六十名の総勢二百七十人以上が整列していた。
レイはハミッシュ率いるレッドアームズを主力とした戦士たちに守られ、ネザートン近郊の草原を出発した。
彼の出発には三十万にも及ぶ草原の民が見送り、その盛大な見送りにレイは責任の重さをひしひしと感じていた。
(これだけの人が僕のことを指導者だと思ってくれている。それに聖王国のこともある。何としてでもヴァニタスを倒して平和な世界にしなくては……)
その思いはアシュレイに伝わっていた。
「一人で気負う必要はない。私もステラもいるのだ。それに父上やウノ殿たちも。仲間を信じろ」
「そうだね。みんながいることは忘れないようにするよ。それでもこれだけの人から崇められるとちょっとね」
「確かにそうだが、お前はお前だ。今まで通りにやればいい」
そんな話をしながら馬を進めていった。




