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トリニータス・ムンドゥス~聖騎士レイの物語~  作者: 愛山 雄町
第五章「始まりの国:神々の島」

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第九十話「帝国軍への対応」

 九月四日の正午過ぎ。

 レイはカエルム帝国の西の要衝ラークヒルの街に入るべくゆっくりと近づいていた。

 彼の護衛はアシュレイらの他にマーカット傭兵団(レッドアームズ)の精鋭約百名とウノ率いる獣人部隊約百名だ。


 獣人たちだが、彼らはいつの間にかレッドアームズの後方に隊列を作っていた。全員が隷属の首輪を外しているため、無口な傭兵にしか見えず、帝国軍も違和感を持たなかった。

 静かに隊列に加わっていたため、先頭を行くレイが気づいたのは城門の手前だった。


(いつの間に……ウノさん並みの腕の人ばかりということか。それにしても何人いるんだろう……)


 レイはウノたちが同行してくれた方が安全が確保できると考え、黙認することにした。


 レイたちを先導しているのはセオフィラス・ロックハートだった。彼はいつも通りの柔らかな笑みを浮かべており、余裕すら感じられる。

 しかし、内心では総司令官であるレオポルド皇子のことを信じ切れず、この後の展開を憂慮していた。


(草原の民が味方すると言って殿下を説得したけど、気が変わっている可能性もある。短絡的なことをされなければいいが……まずはレドナップ伯爵に会って殿下のお気持ちを確認したいところだな……)


 そこまで考えたところで、レイに近づき、


「僕は先に行って情報を集めてきます。レオポルド殿下への謁見には時間が掛かるでしょうから」


 それだけ言うと斥候であるユニス・ジェークスを引き連れて城門に近づいていく。

 セオが城門で兵士に話をすると、門はゆっくりと開かれていった。

 セオは振り向きざまに手を振り上げ、街に入れると合図する。そして、そのまま先行するように街の中に消えていった。


 レイは「行きましょうか」とハミッシュ・マーカットに伝える。


 ハミッシュは小さく頷くと、「出発」と鋭く合図を出す。レッドアームズの傭兵たちは精鋭らしい動きで馬を進めていく。


 城門に到着したが、セオが話を付けたためか、身分証であるオーブをチェックすることなく、中に通される。

 城門の中には完全装備の帝国軍兵士が整列して待ち構えていた。その先頭に第四軍団の副軍団長カルヴィン・レドナップが静かに立っている。


「馬を降り、我々についてきてもらいたい!」


 レイは「了解しました」と伝え、愛馬を降りて手綱を引く。

 他の面々も同様に馬を降りると、カルヴィンは兵士たちに出発するよう命じた。更にレイたちのところに近づき、


「とりあえず兵舎まで来てもらいたい。殿下への謁見だが、午後三時頃を予定している。それまでに謁見の準備を整えておいてほしい」


 カルヴィンもセオが先行した理由に気づいているのか、真面目な表情のまま意味ありげな視線を向ける。


(セオさんが戻ってくるまで勝手なことはするなということなんだろうな……帝国軍の兵士たちもバタバタしているから……)


 彼らが歩いている大通りは思いのほか人通りが多かった。その多くは第三軍団と第四軍団の兵士たちで、草原の民が動いたことから城壁の守り固めるために慌てて移動していたのだ。


 レイとレッドアームズの面々は馬を引きながら素直に従っていたが、ウノは表面的には従っているように見せながらも帝国軍がレイを害そうとした場合に備えるため、独断で行動を起こしていた。


 彼は指揮下にある獣人たちの一部に密かに街の中に潜むように命じていた。獣人たちは城門をくぐった後、少しずつ街の中に消え、最終的には三十人ほどが隊列から消えている。しかし、巧妙に行動したため、帝国軍側で気づいた者は一人もいなかった。


 午後一時過ぎに兵舎に到着すると、すぐに昼食が出された。

 レイは毒による暗殺の危険を一瞬考えたが、何事もなかったかのように料理を口に運ぶ。カルヴィンは警戒されると思っていたため、その光景に「卿は見た目以上に豪胆だな」と感心する。


「ここで私を殺しても意味がありませんから」と平然と答えるが、内心では別のことを考えていた。


(もし毒が入っていても魔法で何とかなる。まあ苦しいのは嫌だけど……)


 また、カルヴィンに言った通り、皇子が自分を殺すメリットがないとも考えている。


(暗殺は一番悪い手だ。その程度のことはレドナップ伯が気づいているはず。それに僕を捕らえて草原の民を脅しても長期的に見たら意味がない。無理やり言うことを聞かせるより、懐柔する方が現実的だから……)


 カルヴィンが引き上げると、入れ替わるようにセオが戻ってきた。


「伯爵に会ってきました」と言って主要な者たちを集めて話を始める。


「殿下が心変わりしたということはないようです。ですが、噂というあやふやなものではなく、もう少しはっきりとした成果が欲しいとお望みのようです」


「はっきりとした成果ですか?」とレイが聞く。


「ええ、このまま帝都に戻っても草原の民を味方につけたという話を信じてもらえないのではないかとお考えのようです。特に元老たちへは目に見えるものが必要だと」


「目に見えるものですか……伯爵は何かおっしゃっていましたか?」


「特に考えはないようです」


 その言葉にレイは「そうですか」と僅かに落胆する。そして、アシュレイたちの意見を聞こうとした時、セオが「僕に考えがあります」と伝える。


 レイが「どのようなことですか」と話を振ると、セオは真剣な表情で話し始めた。


「殿下が帝都に凱旋する時、人馬(ケンタウルス)族の一部を率いてもらうんです。中部域以外で人馬族を見た人は少ないでしょうから、インパクトがあると思います。当然話題にもなりますし、貴族を含め帝都の人たちは殿下が草原の民を掌握したと思うことは間違いありません。この条件なら殿下は喜ばれるはずです」


「しかし、それではレオポルド皇子が後継者争いでリードしてしまうんじゃないですか」


 レイの疑問にセオは小声で説明を始める。


「その通りですが、人馬族に予め言い含めておけばいいんです」


「言い含める、ですか?」


「ええ、帝都に着けば陛下か宰相閣下から呼び出しがあります。殿下に従うのかと問われた場合には、“自分たちの指導者にしか従わない”と正直に答えてもらうようにお願いしておくんです。実際、殿下に協力すると約束されたのはレイさんですから、人馬族が嘘を言っていることにはなりません。その話が広まれば、レオポルド殿下が草原の民を掌握したという噂を否定できます」


 レイはセオの案を吟味していく。


(確かに有効な手段だと思う。レオポルド皇子が軍団を率いて帝都に戻れば、聖王国に侵攻する軍がラークヒルからいなくなる。それで時間は稼げるし、後継者争いで優位に立ったことにはならない。懸念は皇子がそのことを恨んで人馬族に手を出すことか……)


 レイがその懸念を口にすると、セオはにこりと笑い、


「帝国政府としては草原の民と揉めたくありませんから、宰相閣下が手を打ってくれるはずです。レオポルド殿下や殿下を推す元老たちが駆け引きで宰相閣下に勝てるとは思えません。ですから問題はないと思いますよ」


「レオポルド皇子が手柄を求めて、聖王国に攻め込もうとすることは考えられませんか?」


 その問いに対してもセオはきっぱりと否定する。


「殿下は皇子という身分ですが、軍にあっては一軍団長に過ぎません。つまり帝国軍の軍権を握っているわけではないのです。聖王国に仕掛けるにしても元老院での承認と皇帝陛下の裁可が必要です」


「確かにそうですね」とレイは頷く。


「帝都にいる限り、独断で軍団を動かすことはできません。帝都から出陣するにしても正当な開戦理由が必要です。仮に出兵が決まったとしても、次は殿下の第三軍団ではないでしょう。僕の予想では皇太子殿下の第二軍団が出陣するはずです。そうしなければ不公平だと皇太子派の元老たちが騒ぐでしょうから」


 宰相であるエザリントン公は聖王国からの侵略には対応するものの、軍を積極的に動かすことには反対の立場を貫いている。

 そのため、大義名分がない出兵を認めることはありえず、更に正当な理由があったとしてもジギスムント皇太子率いる第二軍団に出兵の命令が下されるはずだとセオは説明した。


「問題があるとすれば、どなたをレオポルド殿下と一緒に帝都に向かわせるかです。下手な人選では帝国軍と揉めるかもしれませんから」


「セオさんが一緒にいってくれると思っていたのですが?」


「僕は永遠の闇(クウァエダムテネブレ)に行きますよ。何と言ってもルナがいるんですから、僕たちが一緒に行かないわけにはいきません」


 そこでニコリと笑い、


「それにこんな楽しい話に乗らないわけにいきませんよ。クウァエダムテネブレに行くなんて経験は滅多にできないんですから。それに帝都に行っても僕の苦手な政治の話ばかりになるのは目に見えていますからね」


 その言葉にセラフィーヌが「そうよ。クウァエダムテネブレに行けば戦ったことがない魔物と戦えるんだから」と楽しげに話す。


 レイはその言葉に苦笑するが、すぐに真剣な表情に変える。


「だとすると、今回もリーヴァさんにお願いするしかありませんね」


 セオは首を横に振り、


「今回は別の氏族に任せた方がいいでしょう。もし、ラークヒルで何か起きた場合にリーヴァさんがいないと動きが取れない可能性もありますから」


 レイは「セオさんの意見を聞かせてください」と頭を下げる。


「そんなにかしこまらなくてもいいですよ」とセオは笑った後、


「僕ならトーレス族を推しますね。ソレル族と肩を並べる一族ですし、僕が知る限りとても理性的な氏族です。今回の件ではリーヴァさんばかりが重用されているように見えていましたから、レイさんから直接頼まれたら任務遂行のために全力を尽くすと思います」


 トーレス族はソレル族に次ぐ規模を誇る氏族であり、ソレル族とはライバル関係にある。但し、彼らも自分たちが指導的な立場にあることを自覚しており、族長会議でも問題を起こしたことはなかった。


「分かりました。ラークヒルでの用事が済んだら話してみます」


 午後二時半頃、レオポルド皇子の副官が迎えにきた。


「アークライト殿とロックハートは私に付いてくるように」


 それだけ言うと返事も聞かずに歩き始める。

 アシュレイが何か言おうとしたところで、レイが「大丈夫。セオさんがいれば問題ないよ」と笑みを浮かべていって立ち上がった。

 そして、後ろに控えていたウノに向かって、小声で指示を出す。


「ウノさんも動かないでください。万が一、正体がばれるとややこしくなりますから」


 ウノはその言葉に「御意」といって頭を下げる。


 レイとセオは副官の後ろを歩いていく。すぐにラークヒル城に入り、そのまま皇子の部屋に案内される。


 皇子の部屋は城主用の執務室で、そこにはレオポルド皇子の他にレドナップ伯ら主だった者たちが待っていた。


 レオポルド皇子は「よくぞ参った」と言って笑顔でレイたちを迎え入れる。

 レイとセオはすぐに片膝を突いて頭を下げ、皇子に対して敬意を示した。


「此度のことで私が譲歩したことは理解しているな」


 レオポルド皇子は笑みを消して厳しい口調で告げた。


「もちろん理解しております」とレイが答えると、皇子は「ならば、そなたの誠意を見せよ」と鷹揚に言い放つ。


 予想していたよりも性急な展開だったが、レイは慌てることなくしっかりとした口調で話し始めた。


「殿下が帝都に凱旋される際に人馬族を同行させてはどうかと考えております。いかがでしょうか」


「人馬族を同行させるか……」と予想していなかった言葉に皇子は戸惑う。


「それにどのような意図があるのだ?」とレドナップ伯が質問すると、レイに代わってセオが発言する。


「人馬族が帝都を訪れたという記録は残されておりません。つまり、人馬族を率いて帝都に入るということは歴史に残る偉業と言えます。また、彼らは非常に目立ちますから、帝都の臣民たちの間で大きな噂になることは間違いないでしょう」


 そこでラークヒル代官のルーサー・ランズウィックが「確かに大きな話題になることは間違いない」と大きく頷く。


「人馬族を引き連れて凱旋か……」とレドナップ伯が意味ありげに呟く。


 レオポルド皇子はそれに応えることなく、セオの説明について考えていた。


(確かに人馬族がフォス河を越えたことはない。その人馬族を従えて帝都まで凱旋すれば、話題に飢えている帝都の民衆たちは熱狂するだろう。そうなれば元老はもとより陛下の耳にもそのことは伝わる。何もできぬ無能なジギスムントとの差を大いに見せつけることができるはずだ……)


 彼の脳裏では、凱旋する自分に対する民衆たちの歓声が聞こえていた。


「よかろう!」と大きな声で皇子は了承し、「そなたの誠意は確かに受け取った」と跪くレイに近づき、立ち上がらせる。


「そなたも我とともに帝都に来てもらいたい」と皇子が言うと、レイが口を開く前にセオが答える。


「アークライト殿は同行しない方がよろしいかと」


「なぜだ?」と訝しむ。


「今回アークライト殿は聖王国側に立って行動しております。その彼が同行すれば、皇太子殿下の派閥の方々から難癖を付けられるかもしれません。そうなった場合、殿下が聖王国と不当な取引をしたのではないかと糾弾される恐れがあります」


「うむ」といって皇子は唸る。


 更に畳み掛けるようにセオは説明を加えていく。


「更に大きな懸念はアークライト殿の安全を確保できないことです。こう言ってはなんですが、皇太子殿下は物事を深く考えるお方ではありません。万が一、アークライト殿が害された場合、草原の民は帝国に反旗を翻すでしょう。聖王国軍とは比較にならない軍が帝都内で暴れまわるのです。仮に千名程度としても帝都に大きな被害が出ることは間違いありません。そして、その責は人馬族を引き入れた殿下に帰すると言われることでしょう」


 レオポルド皇子はその言葉に表情を硬くする。


「確かにそうだが、宰相がそのようなことを許すとは思えんが」


「レドナップ閣下の前ではございますが、宰相閣下を信じても大丈夫なのでしょうか?」


 その言葉にレドナップ伯が「言葉が過ぎるぞ、セオフィラス!」と気色ばむ。


「大変失礼いたしました。今の発言は撤回いたします」とセオは即座に頭を下げる。


 しかし、皇子はその会話を聞きながら、宰相を信じていいのかと思い直す。


(確かにその通りだ。奴は私が至高の座につこうとするのをことごとく邪魔をしてきた。奴ならば、手柄を上げた私を排除しようと動いてもおかしくはない。しかし、アークライト抜きで人馬族を御せるのか? 万が一、人馬族が暴れたらロックハートの言う通り、私に非難が集中するだろう……)


 皇子が悩んでいると、レドナップ伯が発言する。


「私は反対です。我々は人馬族についてほとんど何も知りません。そのような者たちを帝都に引き連れていけば、いらぬトラブルを招くことになります。何卒、ご再考を」


 宰相エザリントン公の懐刀であるレドナップ伯が反対したことで、レオポルド皇子は逆に決心が付いた。宰相が政治的に不利になることを恐れて反対したのであれば、自分に有利になると考えたのだ。


「いや、その懸念はいらぬであろう。城外を見れば分かるが、数万の大軍がアークライトの指示に大人しく従っている。人馬族たちは見た目に反し、我ら帝国軍に匹敵する精兵と言える。上位者の命令に背くことは考えなくてもよかろう」


「しかし……」とレドナップ伯が更に反対しようとしたが、皇子はそれを遮り、


「責任は私が取る。如何に最強の騎兵と呼ばれておろうと千程度であれば、我が第三軍団で充分に対処できる」


 そこまで言われてはレドナップ伯も引き下がらざるを得ない。


「では、聖王国軍がアバドザックまで撤退したことを確認した後、第四軍団を残して我らは帝都に凱旋する。貴公には済まぬが、今しばらく我慢してほしい」


 そう言ってレドナップ伯に軽く頭を下げる。

 皇子はエザリントン公の腹心をラークヒルに留めておくことで、中立派の力を少しでも削ごうと考えたのだ。


「御意。聖王国が裏切らぬとも限りませんので妥当な処置かと」


 レドナップ伯には皇子の考えが読めていたが、この程度のことで主君が影響を受けることはないと確信していた。逆に帝国軍側が暴走することを防ぐために、どのような口実で残ろうかと考えていたため、渡りに船であったのだ。


 レイたちはレオポルド皇子との謁見を終えると、兵舎に戻っていった。皇子の側近がいなくなったところで、レイはセオに質問をぶつける。


「伯爵とは事前に打ち合わせてあったのですか?」


 そこでセオは「もちろんですよ」と笑う。


「レドナップ閣下も殿下には大人しく引き上げてほしいとお考えでしたので、すぐに乗ってくださいました。閣下は自分が反対すれば、仮に殿下が迷っていても必ず乗ってくるだろうともおっしゃっていましたよ」


「これで帝国軍側も何とかなりそうですね。あとはトーレス族を説得すれば大きな問題はなくなります」


 レイたちは兵舎に戻るとアシュレイたちにレオポルド皇子との謁見について報告した。


「つまり、魔族の地(クウァエダムテネブレ)に向かえるということだな。俺にはこういうややこしい話は性に合わん」


 ハミッシュがそういうと、マーカット傭兵団(レッドアームズ)の面々は大きく頷いていた。


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