第八十九話「決断」
九月四日。
レイとルナは目覚めると、仲間たちに夢の中に神々が現れたことを告げた。二人は虚無神が絶望の荒野に潜んでいること、そして、自分たちは対決することを望んでいるとも伝える。
アシュレイは絶望の荒野に行くことに反対しようとしたが、子供たちのためにという言葉で反論できなくなる。
(子供たちのため……レイはそこまで考えてくれていたのか……しかし、絶望の荒野の更に奥に行って生きて戻ってこられるとは思えぬ。例え、父上たちがいたとしても……)
考え込むアシュレイを横目に、ステラは強い口調で反対する。
「あの場所はただでさえ危険なところなんです! そこにヴァニタスがいるなら、もっと危険になります! 生きて帰ってくることなんてできません!」
彼女の叫びにも似た主張に、魔族の国出身のイオネも大きく頷く。
「レイ様たちが絶望の荒野を踏破できたことは奇跡なのです。今までソキウスの優秀な戦士や呪術師たちが何度も挑み、誰一人帰っていません。そのことを念頭に今一度考え直していただきたいと思います」
彼女も敬愛するルナを危険に晒すことに反対だった。
「確かに危険だと思うわ。でも、ハミッシュさんたちやソキウスのイーリス殿たちが手伝ってくれれば、分の悪い賭けではないと思う」
ルナは月魔族のイーリス・ノルティアら、優秀な魔術師を援軍に頼むつもりでいた。
「僕もルナの意見と同じだ。あの時、魔法が使えるのは僕だけだった。ハミッシュさんたちが手伝ってくれて、更にイーリス殿たちが来てくれたら、あの魔物たちに遅れを取ることはないと思う。それに今回は神の加護を受けているアッシュたちもいる」
様々な意見が飛び交う中、ハミッシュは沈黙を保っていた。そして議論が堂々巡りを始めたところで、落ち着いた口調で話し始めた。
「俺はレイの考えに賛成だ……」
その言葉にステラが「見ていないから言えるんです!」と口を挟む。
ハミッシュはそれに気を悪くすることなく、「確かにその通りだ」と答え、
「だが、レイが、俺たちの軍師が勝算ありと考えているなら、俺はそれを信じる。第一、敵の親玉を倒せる機会があるのだ。それを放っておくのは性に合わん……」
そこで僅かに口篭り、珍しくはにかんだような表情を浮かべる。
「世界がどうとかっていうのは正直分からん。だが、俺たちの子供や孫、更にその先の連中が苦労するなら、やれることはやっておきたい。俺に孫っていうのは想像もつかんがな」
レイはハミッシュに小さく頭を下げると、後ろに控えているウノに意見を求めた。
「ウノさんの意見を聞かせてください。前回は皆さんが一番苦労されたんですから」
ウノは「御意」と頭を下げると、
「我らはアークライト様に従うのみでございます」と言った後、しっかりとレイの瞳を見つめる。
「ですが、私個人の意見を言わせていただきますなら、あの場所は危険という言葉で片付けられるようなところではございません。獣人のみに影響を与える罠、気配を感じさせずに襲ってくる魔物、突然湧き出す瘴気……アークライト様の安全を考えるなら行かぬ方がよいと考えます」
手練であるウノの言葉に全員が黙り込む。
その沈黙をレイが破った。
「もし、マーカット傭兵団の精鋭に加え、ウノさんたち獣人部隊の方や優秀な妖魔族の魔術師が数十名ずつ加わったらどうでしょうか」
その問いに「難しい質問です」と答えた後、
「それだけの戦力があれば生存率は上がると考えます。もちろん、アークライト様の命令に確実に従う者だけという条件はつきますが」
「もし、それだけの戦力を集められたら賛成していただけますか」
「危険ではありますが、アークライト様のご意思であるなら、賛成せざるを得ません」
「ありがとうございます」とレイは頭を下げる。そして、全員に向かって宣言する。
「必要な戦力を揃えてヴァニタスのいる“絶望の荒野”に向かいます」
彼の強い意志に反対していたステラたちも賛成するしかなかった。
その後、聖王アウグスティーノ、聖王を補佐する軍官僚カルロ・パレンティ、副将ランジェス・フォルトゥナート、執行司教マッジョーニ・ガスタルディに夢で神に会ったことを話す。
「神から啓示を受けました。邪神と対決するため、魔族の地に向かえというものです。ですので、皆さんと一緒に聖都に向かうことはできなくなりました」
彼の言葉に聖王たちは「御意のままに」と素直に頷いた。
反対されると思っていたレイは肩透かしを食らった感じで戸惑う。
「反対されると思っていましたが?」
その問いに聖王が「我らにも神の啓示がございました」と答え、パレンティが話を引き取る。
「陛下を始め、我ら四人は夢の中で光の神の声を聞きました。神が仰せられるには、“我が御子の言葉は我が言葉。どのような選択であれ、彼に従え”というものでした……」
聖王たちはルキドゥスの言葉を受け、どのような命令であろうと従うことにしたと説明する。
「皆さんにも神が……それで……」
レイは神々の手回しのよさに驚くが、これで行動の自由を得られたと安堵する。
「邪神は闇の神ではありません。虚無神なのです。私はヴァニタスを封じるために仲間とともに戦います。皆さんも聖王国を正しい道に戻すよう行動してください」
邪神がノクティスではないという言葉に驚くものの、ルキドゥスがレイの言葉は自分の言葉と言っている以上、疑問を挟むことはなかった。
「ヴァニタスとの対決に勝利しましたら、必ず聖都に向かいます。どれほど先になるかは分かりませんが」
聖王は「御意のままに。我らは神の御子たるアークライト様をお待ちいたします」と言って頭を下げた。
レイは元獣人奴隷たちについて話をする。
「先ほどのヴァニタスとの戦いのために、奴隷だった獣人の方たちに協力いただきたいのですが、大丈夫でしょうか」
その問いにパレンティが答える。
「もちろんでございます。聖王府と教団の不正を暴くだけであれば、二百名もいれば充分です。陛下やガスタルディ殿の護衛を考えても半数以上はお連れいただいても問題ございません」
「では、こちらから声を掛けさせていただきます」
レイはすぐに後ろに控えるウノに指示を出す。
「先ほどの話の通り、志願者を募ってください。必要な人数は百名程度。人数が集まらなければ、集まっただけで結構です。但し、危険があることだけは必ず伝えてください」
ウノは「御意」と答えて頭を下げるとその場から消えた。
レイは聖王たちに向き直ると、
「では、帝国との交渉に向かいますが、万が一帝国が裏切った場合のことを考え、国境付近に獣人の方を監視につけてください。あとは草原の民に定期的に連絡を送るようにお願いします。もし、帝国軍が動けば、草原の民が対処してくれますから」
レイは帝国のレオポルド皇子や彼を皇帝の座に付けようとする者たちを信用していなかった。そのため、帝国軍が暴走しても対処できる体制を作り、それで皇子を牽制するつもりでいた。
「お任せください」
フォルトゥナートが大きく頭を下げる。
その後、ルークス聖王国軍は聖都に向けて出発した。
それを見届けた後、レイは千五百名の草原の民と、マーカット傭兵団に対し、帝国の前線基地であるラークヒルに向かうよう命じた。
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レイの命令を受けたウノは元獣人奴隷部隊の主要な部隊長を集めた。
その数は十名。部隊長は同族の獣人奴隷たちを統括する役職で族長代理でもあった。
種族は銀狼族、黒狼族、白虎族など様々だが、いずれもが身のこなしから手練であることが窺える。
「アークライト様の命令を伝える」
そう宣言すると、部隊長たちは一斉に片膝を突き、頭を下げた。ウノが上位者の代理であると認めたためだ。
「アークライト様はカエルム帝国との交渉を終えた後、アクィラ山脈の東、“永遠の闇”に向かわれる。更に“絶望の荒野”と呼ばれる危険地帯に入り、そこに潜む邪神と対決されることとなった。その護衛として精鋭をお求めである」
部隊長たちは邪神との対決という突拍子もない話に対しても、疑問を口にすることなく静かに聞いている。
「既に理解していると思うが、アークライト様は教団の最上位者である。その方をお守りすることは何よりも優先する。昨日、アークライト様が“安易に己の命を危険に晒すことを禁ずる”とお命じになられた。しかし、この任務に関してはそのお言葉は該当しない。あの方は我らにとっても希望である。私を含め、命を捨ててお守りせねばならん。つまり、それだけの技量と精神力を持った精鋭が求められている」
部隊長たちは静かに頭を下げる。
「……アークライト様は非常に危険な任務であることを認識した上で志願者を募るとおっしゃった……」
その言葉に部隊長たちは僅かに困惑する。自分たちは命令を受けるだけの立場であり、任務に志願することなどあり得なかったためだ。
その困惑をウノは無視して話を続けていく。
「あの方はお優しい方だ。しかし、我らのことを理解されているとは言い難い。そのため、アークライト様より私に与えられた権限によって部隊を招集する」
そこで部隊長たちは安堵の表情を浮かべて再び頭を下げる。
「各部族より精鋭十名を選抜し、私の指揮下に入ってもらう。装備を整え次第、我が隊に合流せよ」
部隊長たちが「「はっ!」」と言って了解すると、ウノはその場を立ち去った。
残された部隊長たちはウノと同じ黒狼族の部隊長に詰め寄る。
「あの者は何者なのだ? 我らとは異質な感じがするが」
その問いに黒狼族の部隊長が答える。
「我が氏族のアルドという者だ。ガスタルディ様付きとして魔族討伐隊に同行したが、ある方の直属となったと聞いただけで詳細は聞いておらぬ」
「よいではないか。総大司教猊下より上位の“光の神の現し身”様の直属なのだ。我らは上位者に従うのみ」
銀狼族の部隊長がそういうと、他の者たちも確かにその通りだというように頷いて解散した。
■■■
草原の民を率いるレイはラークヒルに向かっていた。移動速度は時速七、八キメルほどと、草原の民にしてはゆっくりとした速度だ。
それでも正午頃にはラークヒルの西の草原に到着する。
レイの姿を見た人馬族の代表、ソレル族の族長であるリーヴァ・ソレルが出迎える。彼の後ろでは七万人もの草原の民たちが口々に“白き王”の帰還を喜んでいた。
「無事なお姿を見て安堵いたしました」とリーヴァは笑みを見せる。
「リーヴァさんにはご心配とご面倒をお掛けしました。これだけの大軍の指揮を任せきりで申し訳ありませんでした」
そういって頭を下げると、リーヴァが慌てる。
「王のためであれば苦労などありません。それにここにいる者たちには王の命令を守れぬような愚か者はおりません」
そういって笑うが、実際にはレイに合流したくて暴走しそうになる者が続出し、その都度彼が対応していた。力によって押さえ付けるわけにもいかず、相当な苦労を強いられた。
「私はこのままラークヒルに入ります。夕方には戻れると思いますが、今日もここで野営することになります」
「では、明日には草原に向けて出発するということですか」
「ええ、そのつもりです。いろいろと話さないといけないことがありますが、それは草原に向かう移動中にできますので」
「では、護衛はどういたしますか。今の護衛をそのまま付けても構いませんが」
レイの周りには千五百名の草原の民の精鋭がいる。いずれも部族を代表する猛者たちで護衛としては充分すぎる戦力だ。
「さすがにこれだけの精鋭を連れていったら帝国軍が警戒します。それに街の中ですから、皆さんの苦手な場所でしょう。マーカット傭兵団がいれば充分ですよ」
レイはそういって笑う。
リーヴァは帝国軍を信用しきれていないため、「しかし」と言って更に言い募ろうとした。
「護衛についてはレイさんの言う通りですよ」とセオフィラス・ロックハートが話に加わった。
「しかしだ。王に何かあっては一大事。せめて百騎は連れていってもらわねば」
セオはリーヴァに近づき、小声で話し始めた。
「リーヴァさんの考えている通り、帝国軍は信用できません。ですが、ここで皆さんが睨みを利かせてくれる方がいいんです」
「どういうことだ? 我らでもあの城壁は越えられぬ。外にいては助けることもできんぞ」
同じように小声で返す。セオはそれに笑顔を返し、
「兄がいざという時のために策を準備しています。リーヴァさんたちは僕たちの合図を受けたらすぐに城門を突破できるよう、準備をお願いします。合図はレイさんの魔法か、城壁から旗を大きく振るかのどちらかです」
その説明にリーヴァは納得し、表情を緩める。
「分かった。合図とともに城門に向かうと約束しよう。ザックが準備しているのなら何も心配はいらんな」
「そういうことです」と言ってセオはリーヴァから離れていった。
レイはセオとリーヴァの会話の内容が気になり、「何を話していたんですか」と尋ねた。
「ザック兄様が策を準備しているから心配しないでくださいと言ったんです」
「ザックさんが!」と驚くが、セオは小さく首を横に振り、「嘘ですよ」と笑う。
レイが絶句していると、
「ああでも言わないと人馬族の精鋭を付けるといって譲らなかったでしょう。今回は話し合いだけですから、草原の民が一緒じゃない方がいいと思います。そうでしょう?」
「ええ、そうですけど……味方を騙すのは気が引けますね」
「レイさんは聞かなかったことにしてください。あなたは指導者なんですから、こういったことは他の者が考えればいいんです。これも兄の受け売りですけど」
「そういってもらえると助かります。でも、どこまでザックさんはセオさんに話していたんですか。今度時間がある時に聞かせてください」
レイは呆れながらもセオの気配りに感謝する。
レイは昼食を摂った後、レッドアームズの精鋭を率い、ラークヒルの城門に向かった。




