第八十七話「獣人たちの仕事」
レイはウエストローの丘の麓で、ルークス聖王国の精鋭、獣人奴隷たちを解放していく。
既に半数に当たる五百人ほどを解放したが、獣人たちはそれまでの生き方しかできず、レイの命令をただ待っている。
聖王ら重要人物の護衛以外に彼らの仕事が思いつかずに悩んでいると、聖王府から派遣された軍官僚カルロ・パレンティが「よい考えがございます」と真剣な表情で話し始めた。
「身内の恥を晒すようですが、今の教団及び聖王府では不正がまかり通っております。このままでは国自体が滅ぶというのに、彼らは自分たちのことしか考えておりません。そのような者たちをのさばらせておけば、今回のようなことを再び起こすことは必定。不正を暴き、綱紀の粛正を図ってはいかがでしょうか? 獣人たちならば証拠を入手することは容易いでしょう」
レイはその提案に賛成の声を上げようとしたが、横にいたマッジョーニ・ガスタルディ執行司教が即座に反対の声を上げる。
「不正を暴くことに自体に反対は致しませんが、このタイミングはいささかよろしくないのではありますまいか」
脛に傷を持つ彼としては自分の不正が暴かれることを恐れていた。そのため、パレンティの提案を回避しようと口を挟んだのだ。
「どういうことかな、ガスタルディ執行司教?」とパレンティが目を細めて威圧しながら確認する。
「総大司教猊下を始め、ほとんどの者がアークライト様のお言葉を聞いておりません。邪神に操られている上に、お言葉を聞くことなく不正を暴き処罰することは、自ら反省する機会を奪うことになりかねません。アークライト様のお言葉を聞かせた上で、自ら反省し不正を正す者もいることでしょう。無論、反省することなく居直るような者は容赦なく断罪すべきだと思いますが、先ほどの聖王陛下への対応を考えますと、アークライト様のお考えに反するのではないかと愚考いたします」
レイはその言葉に「そうですね」と答えるが、早口で語るガスタルディの姿を見て、彼が自らの不正を暴かれたくないだけではないかと勘繰る。
(この人はどうしても信用できない。パレンティ殿は国のためにという思いが強いから僕と考えが合わなくても信用できる部分はある。でも、この人は出世だけを考えているようにしか見えない……)
パレンティが突然、パンパンと手を打った。そして、大きな声で「素晴らしい!」とガスタルディを賞賛する。
パレンティは訝しげにガスタルディを見るレイを見て、この状況を利用できると考えたのだ。
「ガスタルディ執行司教の意見はまさにアークライト様のお考えに沿ったものだ。確かに不正を暴くだけではいかん。反省の機会を与えねばならんという貴公の考えは真に素晴らしい」
ガスタルディの考えはレイの言葉を聞いていない段階で不正を暴き処罰することに反対だったが、パレンティは不正を暴いた後にレイの言葉を聞かせ、反省の機会を与えればいいと故意に曲解した。
ガスタルディを褒めた上でレイに視線を向ける。
「ガスタルディ殿はアークライト様のお考えを完全に理解しておられます。私にその権限はございませんが、教団の不正を暴くためには一定の地位が必要です。彼を大司教に推挙されてはいかがでしょうか?」
ガスタルディはパレンティの唐突な提案に驚き、自らの言葉が否定されたことに気づくことはなかった。
そして、大司教という地位が提示されたことで思考が完全に停止する。
レイも唐突さに驚いたが、パレンティの目的を瞬時に理解した。
(パレンティさんは凄いことを考えるな。出世欲の強い執行司教に地位で釣って教団の不正を暴かせ、総大司教たちの憎悪を向けさせようとしている……いくら嫌いな人だからといって、そんなことをしていいのか……)
パレンティはレイの苦悩に気づいた。
「アークライト様はお優しいですな。ガスタルディ殿、貴公が総大司教猊下らに恨まれることを考え、その任を与えていいのかとお悩みなのだ」
この言葉にガスタルディは「私にお任せください」と即座に承諾する。
先ほどの自分の意見など忘れたかのようで、彼の心の中は大司教になれるという言葉だけが肥大化し、その高揚感が顔に出ている。
レイはその表情を見て、ガスタルディが信用に値しないと改めて思った。
(やっぱりこの人は信用できない。舌の根も乾かぬうちにという言葉はこの人のための言葉だな……)
しかし、レイは考え直した。
(この人なら地位と引き換えにどんなことでもするだろう。なら、僕の代わりに総大司教と対決するくらいは喜んでやるはずだ。まあ、命を落とさないように護衛をしっかり付けておくくらいのことはしてあげよう……それにしてもガスタルディ司教が執行司教に昇格していたって話を帝都で聞いた記憶があるな。すっかり忘れていたよ……)
レイはパレンティに意味ありげに頷くと、ガスタルディに笑みを向ける。
「執行司教になっておられるとは知りませんでした。以前の肩書でお呼びしたことを謝罪します」と言って頭を下げる。
「気にしておりませんので謝罪は不要でございます」と慌てて言うが、その顔には余裕があった。
レイは更に彼を持ち上げようと、
「今日の働きを見ても分かるように、ガスタルディ殿にはもっと重要な地位の方が相応しいのではないかと思います。今の私には教団の地位をどうこうすることはできませんが、改革を進めてくださるなら、私にできる範囲でその働きに報いたいと思います」
「ありがたきお言葉!」と言ってガスタルディは平伏する。
「パレンティ殿にお願いがあるのですが」
「どのようなことでしょうか?」
「ガスタルディ執行司教殿を守る必要があります。獣人の方たちを付けて万全の体制を取っていただけないでしょうか」
「承りました」と言って大きく頭を下げるが、パレンティは心の中で感心していた。
(清廉なだけの方ではないということか。さすがは“白き軍師”と呼ばれただけのことはある。“護衛”という言葉をあえて使わず、“万全の体制”とおっしゃった。私に“万全の態勢”でガスタルディを見張れとおっしゃっているのだ。彼が教団の改革に真剣に取り組めばそれでよし。総大司教たちに取り込まれるようなら、共に排除するということなのだろう。なかなかに強かな方だ……)
そこまで考えた時、このことは自らにも当てはまると気づく。
(……これは私にも言えること。私にも失敗は許されぬということか。それを気づかせるために私に命じたのだ。総大司教猊下とは違った意味で恐ろしい方だ……しかし、それはそれでよい。若き頃の夢が叶う唯一の機会なのだから……)
レイのことを伝聞でしか知らないため、彼のことを過大評価していた。確かにレイはガスタルディを利用するつもりでいたが、そこまで悪辣なことは考えていなかった。
「パレンティ殿にも改革を行うために相応しい地位が必要でしょうか」とレイが聞くと、パレンティは即座に答えた。
「私には聖王陛下という心強いお味方がおられます。陛下のお力を借りれば聖王府の改革は可能です。もちろん、成功した暁には働きに見合った評価はいただきたいですが、今は不要でございます」
パレンティは即座に断った。自分への踏み絵だと考えたためだ。
「では、聖王陛下には後ほどそのようにお伝えします」とレイは答えるが、パレンティを見直していた。
(この人は人を見る目がある。僕が何を嫌っているかをきちんと理解している。野心もあるんだろうけど、有能だし改革したいという思いは伝わってくる。差別意識が残っているのと、国のために弱い人たちが犠牲になってもいいと考えていることが気になるけど、この人に不正を暴かせる仕事は任せてもよさそうだな……)
そんな会話の後、遅い昼食を摂り、残りの獣人奴隷を解放していった。
午後五時頃、最後の一人の首輪を外した。
まだ十数名残っているが、遠方に派遣しているらしく、明日の朝にならないと到着しないため、実質全数が終わったと言える。
レイは獣人たちを前に演説を行った。
「皆さんにお願いがあります。それはルークス聖王国を正しい方向に進ませるために協力していただきたいということです。この先、聖都に戻った後に聖王陛下とガスタルディ執行司教殿が、腐敗した人たちを一掃するための行動を開始されます。皆さんにはその手伝いをお願いしたいのです」
レイの言葉に獣人たちは「「御意のままに」」と頭を下げる。命令を唯々諾々と聞く姿に、これではいけないと思いつつも、今は仕方がないと表情に出さずに演説を続けていく。
「ありがとうございます。具体的には聖王陛下とガスタルディ執行司教殿の指揮下に入り、その命令に従って行動していただきますが、私からお願いがあります。それはお二方や上位の方の命令であっても証拠を捏造したり、拷問を行って証言を強要したりしないでほしいということです。また、それらの行為を見た場合は直ちにそれを是正してください。これは私の命令、最も強い命令と考えていただいて結構です」
獣人たちの顔に困惑の表情が浮かぶ。レイの命令には具体性がなく、どのケースが不正に当たるかが明確でないためだ。
「判断に迷った場合はパレンティ殿か、フォルトゥナート卿に相談してください。そしてもう一つお願いがあります。それは自身の命を粗末にしないで下さいということです。命懸けで行う任務もあるでしょう。ですが、安易に命を捨てることはやめてください。私は皆さんに、普通の生活に戻ってほしいと思っています。そのためには時間が必要なことも分かっていますが、必ずや普通の生活に戻っていただきます。ですから、お願いします。どうか命を大切にして下さい……」
そう言って大きく頭を下げた。
獣人たちは今まで以上に混乱していた。それまでの上位者は自分たちを道具としてしか見ておらず、自らもそれが当たり前だと思っていたからだ。
その様子を見ていたウノは同胞たちが混乱している理由を完全に理解していた。
(後で主要な者たちにアークライト様のお考えを伝えなければならぬな……)
獣人たちの解放は終わったが、まだ大きな問題が残っていた。それは解放した獣人たちの首輪の処分方法だ。
隷属の首輪は闇属性を使った魔道具だが、人の自由を奪う危険なものだ。本来なら国か、それに準ずる組織が責任をもって再利用なり、処分なりをするのだが、レイは聖王国の人間を信用していない。
「この首輪はどうしたらいいかな」とアシュレイたちに聞くが、彼女もどうしていいのか即座に答えは出ない。
たまたま近くにいたセオフィラスがその話を聞いていた。
「不正を行った者に使ったらいいのでは? いきなり処刑しそうな人もいるから、容疑者を拘束するために使って、裁判できちんと白黒つけてから外すなり、そのまま犯罪奴隷とするなりしたらいいと思いますよ」
セオの視線の先にはガスタルディの姿があった。
「そうですね。パレンティ殿にそのやり方でお願いしてみます」
そして、レイはセオに笑みを向け、「セオさんがいてくれて本当に助かります」と頭を下げる。
パレンティにそのことを告げると、とりあえず聖王国軍の本隊に合流してから責任をもって管理すると約束した。
ラークヒルに出していた伝令も戻り、帝国軍が動いていないこと、草原の民の軍もリーヴァが掌握していることを報告する。
「それでは聖王陛下と合流します。草原の民の方々、出発してください!」
レイの命令に草原の民、千五百名が「オオ!」と応え、走り出す。
騎乗が苦手なガスタルディは馬車で移動するしかなく、その速度についていけない。しかし馬車の周りには二百名の獣人たちが付き従っており、安全は確保されていた。
彼は馬車の中で先ほどのレイの演説について考えていた。
(アークライト様は不当な命令には従うなと獣人たちに言っていたが、奴らには理解できないだろう。だが、後で問題になったら大変だ。アークライト様は潔癖な方だ。もし下手を打ってそれが耳に入ったら、私の出世の道は完全に閉ざされてしまう。それだけは絶対に避けねばならん。面倒なことだが、正攻法で行くしかない……)
レイはガスタルディのことを完全に失念して演説を行ったが、結果として彼の暴走を防ぐことに成功した。
レイたちは十km先の聖王国軍の野営地に到着した。
馬車を使うガスタルディは遅れているが、軍官僚であるパレンティは比較的短距離だったことから騎乗で移動し、何とか遅れずに済んでいる。
パレンティは痛む腰と尻を気にしながら、レイとともに聖王アウグスティーノのところに向かった。聖王に獣人奴隷たちの解放がほぼ終わったことを報告し、今後獣人たちが聖王府と教団の改革のために働くことを伝える。
「それは素晴らしい」と聖王は手放しで褒め、
「神の名に懸けて、必ずや成功させてみます」と力強く宣言した。
レイはこれで聖王国軍については問題がなくなったと安堵する。
聖王の下から離れ、アシュレイらと今後について相談を始めた。
レイ自身は聖王国の状況が気になるため、聖都まで行くべきだと考えているが、ハミッシュたちを巻き添えにすることを避けたいとも思っている。また、人馬族を始めとする草原の民たちをこのまま聖王国内に連れていけないことも気にしていた。
「……というわけでどうしたらいいか相談したいのですが」とレイが切り出すと、ハミッシュが憮然とした表情で話し始める。
「俺たちは最後まで付き合うぞ。そのためにフォンスからやってきたんだからな」
「そうだよ。君と一緒の方が絶対に面白いことが起きるんだから、今更帰れなんて言わないでほしいよ」
アルベリックのやや的外れな発言にレイだけでなく、そこにいる全員が苦笑する。
「分かりました。ハミッシュさんたちには最後までお付き合いいただきます」
そう言って軽く頭を下げるが、すぐにセオの方に視線を向ける。
「草原の民のことなんですが、どうすべきだと思いますか」
「そうですね。難しい問題だと思います」と言って僅かに沈黙する。そして、ゆっくりと全員を見回してから話し始めた。
「聖王国内に七万の軍勢を連れていくことはできません。ですから、一度草原に戻る必要がありますね。その際、レイさんが指揮を執らないと彼らは納得しないでしょう……」
「やっぱりそうですか……」とレイは呟くが、セオは更に話を続けていた。
「……レオポルド殿下のことは考えておくべきです。このまま聖都に行けば、レオポルド殿下はレイさんに不信感を持ちますよ。そうなったら、手柄を焦って帝国軍を動かすかもしれません」
「そうですね。あまりにいろいろあったからレオポルド皇子のことをすっかり忘れていました」
レイは一度ラークヒルに戻り、レオポルド皇子と話をすることにした。
その話を聖王ら聖王国関係者に告げる。
「……というわけで、帝国軍が聖王国に攻め込まないように手を打ってきます。一度、草原まで戻る必要がありますから、同行することはできません」
聖王はその言葉に落胆の表情を見せる。
「皆さんだけでも充分に対応できると思いますが」とレイが言うと、聖王に代わってパレンティが理由を説明する。
「アークライト様が聖都に赴かねば、我が国は混乱に陥るでしょう。未だに教団の権威は衰えていませんし、総大司教猊下を支持する者たちが我々の行動を是とするとは思えませんから」
「獣人の方たちが不正を暴くことで解決できないのでしょうか」
「その場合、多くの血が流されると思います。実戦部隊と獣人たちのほとんどがこちらに付くとはいえ、聖都には多くの兵が残されています。それに民たちを人質に取られた場合、我々に採れる選択はほとんどありません」
レイはどうすればよいのか苦悩する。
(確かにパレンティさんの言っていることは分からないでもない。でも、僕の体は一つしかないんだ。草原に戻ればどんなに急いでも一ヶ月以上掛かる。僕が聖王国に入ろうとすれば、帝国が邪魔をするかもしれない。ハミッシュさんたちがいるとはいえ、帝国軍が本気を出したら戻ることは難しい……)
結論が出ないまま、時間だけが過ぎていく。
夜も深まってきたため、明日の朝にもう一度、主要な者を集めて話し合いをすることになった。




