第八十四話「満ちる光」
九月二日の午前十時頃。
レイは聖王との対話のため、アシュレイ、ステラ、ハミッシュ、アルベリック、ガレスの五人を従え、ラークヒルの西、ウエストローの丘に来ていた。
丘の頂上には武装した聖騎士が百名以上待ち構え、聖王は不敵な表情で彼らを迎えた。そして、神託を受けたと言い放ち、聖騎士たちに光の矢の魔法を放つように命じる。
レイは自らの油断が招いた事態に責任を取るべく、彼の鎧、雪の衣の防御力に期待して、ただ一人聖騎士たちに立ち向かった。
絶体絶命の状況だった。いかに鎧の防御力が高くとも、百人の聖騎士からの攻撃を跳ね返せる可能性は極めて低かった。
しかし、そこで奇跡が起きた。
聖騎士たちは力の根源たる精霊の力を集めることができず、魔法を発動させることができなかったのだ。
これは神々の干渉というより、光の精霊たちが自主的に行ったことだ。
ルナがソキウスで闇の精霊の支援を受けていたように、レイも光の精霊の支援を受けている。光の精霊たちは自分たちが支援するレイを害する気はなく、魔法の行使を認めなかったのだ。
この状況で光神教の執行司教マッジョーニ・ガスタルディは、「神の奇跡である!」と大声で宣言し、聖騎士たちの動揺を誘った。
ガスタルディはその言葉に茫然としている聖騎士たちを更に混乱させようと、言葉を続ける。
「これこそがアークライト様が光の魔法を司る光の神の現し身であらせられる何よりの証拠!」
そして止めを刺すかのように、聖王アウグスティーノ一世を指差し弾劾を始めた。
「アウグスティーノは総大司教猊下の神託を信じず、邪神の言葉に惑わされた! 聖騎士たちよ! 神に弓引いたアウグスティーノを討て! これは神の代理たる総大司教、ベルナルディーノ・ロルフォ猊下の名代として命じるものである!」
その言葉に聖騎士たちはどうすべきか迷った。
確かに誰一人魔法が発動しなかったが、それをもって聖王が邪神に惑わされたと判断していいのかと困惑する。
しかし、ガスタルディはルークス聖王国の最高権力者である総大司教の権威を持ち出した。もし本当に聖王が邪神に惑わされたのであれば、彼に従うことは致命的だ。
「何をしておる! 早く奴を撃ち殺さぬか!」
聖王は目を血走らせながら叫ぶ。
「今ならまだ間に合う! 神に慈悲を乞うのだ! これ以上、邪神の手先に従えば、永久に魔法が使えなくなるかもしれぬ! そうなれば、栄えある聖騎士の地位を永久に失うことになるであろう!」
ガスタルディの言葉に聖騎士たちはうろたえた。
彼らが権力をほしいままにできたのは聖騎士という地位のおかげだ。教団と聖王府の両方に対して影響力を持つ聖騎士は他の聖職者より特権が多い。
しかし、聖騎士になるには二つの条件が必要だった。
一つは聖騎士の家系に生まれること。そして、最も重要な条件は光属性魔法が使えることだ。
光属性魔法が使えなければ、長男であっても当主にはなれない。逆に言えば、当主であっても聖騎士である証、光属性魔法が使えなくなれば、その地位を剥奪される可能性は充分にあるのだ。
レイはその様子を見ながら、戸惑っていた。
(何が起きているんだ……聖騎士たちの魔法が使えなくなったのは分かるけど、ガスタルディ司教は何で聖騎士たちを脅しているんだろう……)
彼は聖王国の権力構造や聖騎士たちがどのような存在かを正確に理解しているわけではない。また、状況の変化が速すぎて頭がついていかない。
しかし、彼は頭を切り替えた。
この状況は聖王国軍を掌握する千載一遇のチャンスではないかと考えたのだ。
(ここでガスタルディ司教の言葉に乗れば、聖王国軍を掌握できるかもしれない。それにここから逃げ出そうとすれば、聖騎士たちが我に返る可能性がある。そうなったら聖王の命令で聖王国軍全体が襲い掛かってくることもありえる。なら、ここは賭けに出るべきだ!)
レイは決意を新たに、更に前に出ていく。
(聖騎士たちは混乱しているんだ。なら、その混乱を更に大きくしてやればいい。ガスタルディ司教は僕がルキドゥスの現し身だと宣言している。この状況で僕に攻撃できるのはごく一部だけだろう。魔法を撃たせてそれをこの鎧で受け切れば、聖騎士たちは司教の言葉を信じるしかなくなる……)
彼は無理やり余裕の笑みを浮かべた。
それを見た聖騎士たちはじりじりと下がっていく。それにより、自然と聖王と距離を取ることになる。
聖王の周りには側近である聖騎士数名が残っているだけとなった。
「何をしておる! 奴を殺せ! 余の命令が聞けぬのか!」と叫ぶものの、側近たちですら魔法が使えなかった衝撃から立ち直っておらず、その距離は十mほどに縮まった。
「私は光の神の命に従う者。まだ魔法が使えるなら撃ってみてもいい。さあ、撃て!」
レイはそう叫ぶと、大きく両手を広げた。
側近の一人が自暴自棄になったのか、魔法を放とうと呪文を唱えていく。しかし、それは普段使う光の矢ではなく、炎の矢だった。
「ひ、火を司りし火の神よ……おん、御身の眷属、精霊の猛き炎の矢を我は求む。わ、我は御身に我が命の力を捧げん。我が敵を焦がせ! 炎の矢!」
緊張のあまり何度もつかえながらも炎の矢を作ることに成功する。そして、その炎の矢をレイに向けて放った。
距離は近いものの、矢というには遅く、彼の身体能力なら充分に回避可能だった。しかし、回避することなく、炎の矢を胸甲で受け止めるように微動だにしなかった。
「レイ!」、「レイ様!」というアシュレイとステラの叫びが響く。
赤く燃える炎の矢がレイの胸に直撃する。
炎の矢は彼の鎧、雪の衣を焦がすことなく、一瞬にして消滅した。
その光景にアシュレイたちから安堵のため息が漏れる。
この時、レイはアシュレイたちほど焦ってはいなかった。聖騎士たちの魔術師としての技量は低く、更に得意の光属性が封じられているため、単発の魔法であれば耐魔法性能の高いニクスウェスティスで充分に防げると確信していたのだ。
ガスタルディは即座に跪き、天を仰ぐようにして両手を広げる。
「見よ! 神の現し身が降臨された! ルキドゥスよ! 我らに光を!」
彼の芝居染みた仕草にレイは苦笑しそうになるが真剣な表情を崩すことなく、聖王に近づいていく。
聖騎士たちは今まで経験したことのない情景にガスタルディの言葉を受け入れ、次々と跪いていく。
その光景を聖王は唖然とした表情で見つめ、更にはわなわなと震え始めた。
「神に反逆した邪神の手先、アウグスティーノを討て!」というガスタルディの声が響くが、それでも聖騎士は反応できない。
そんな中、レイの後ろにいたランジェス・フォルトゥナートが動いた。彼はガスタルディの言葉に従うかのように聖王に近づいていく。
「神への反逆であることは明らか。背教者として拘束させていただきます」
フォルトゥナートは低い声でそう宣言すると、ゆっくりと聖王の腕を掴んだ。
その大胆な行動に対し、聖王は「無礼者!」と声を荒げるが、側近たちは自らを犠牲にしてまでそれを止めようとする者はいなかった。彼らは聖王の側近であるものの、総大司教の傀儡に過ぎない聖王に忠誠を誓っているわけではなかったのだ。
聖王は誰一人味方にならないと気づくと、渾身の力で暴れ始める。本来なら現役の騎士であるフォルトゥナートに敵うはずはないのだが、フォルトゥナートも聖王を傷つける気はなく、抑えきれない。
「アウグスティーノに味方する者、否、ここで動かぬ者はすべて彼の者と同罪! 背教者として処断する!」
その一言で聖騎士たちは一斉に動いた。フォルトゥナートを押し退けてまで聖王に迫るものまで出てきたほどだった。さすがにガスタルディの言うことを聞いて剣を抜く者はいなかったが、それでも力づくで押さえつけている。
その光景をレイは見ていることしかできなかった。
(聖騎士が腐っているのは分かっていたけど、これほど酷いとは……仮にも主君として忠誠を誓った相手をこうも簡単に裏切れるものなんだろうか……)
自分が仕向けたとはいえ、聖騎士の醜さに辟易としていた。
聖王と側近たちは聖騎士によって拘束された。
「無礼者!」というアウグスティーノの声が響くが、その声に恐れおののく者は誰一人いなかった。
聖騎士たちはレイに向かって片膝を突いて頭を下げる。
その光景は主君に対するかのようだった。
後方で見ていた司教や司祭といった聖職者たちは、傲慢な聖騎士を改心させたレイに対し、ガスタルディが言うように神の現し身であるという認識を新たにする。
「見たであろう! ここにおられるアークライト様は地上に舞い降りたルキドゥスである! その証拠が精霊たちの行い! 百を超える数の魔法を完全に無効にできるのは神以外にあり得ぬ! このことを心に刻み、信者たちに伝えよ!」
この時ガスタルディは自らの幸運に舞い上がり、いつも以上に大仰な仕草で煽っていた。
(アークライト様が神の現し身と認められれば、今回の件の功績によって大司教に引き上げてくださるはずだ。更に功績を上げれば、総大司教の座すら夢ではない。そのためには役に立つと思っていただかねばならん。この方は何を求めておられるのか……)
レイはガスタルディが声を上げることで聖王国軍を掌握できたことに感謝していた。
(この人自体はあまり好きじゃないけど助かったことは事実だ。フォルトゥナートさんのように心から改心してくれたらいいのだけど……それよりこの先どうするかだ。誰かに相談したいけど、そういう雰囲気でもない。今は僕が頑張らないと……)
心の中で気合を入れ直すと、ガスタルディに向かって微笑む。
「おかげで助かりました。このことは忘れません」とガスタルディに礼を言った後、残っている聖騎士、聖職者、そして聖王府の役人たちに対し、可能な限り誠実に見えるよう注意しながら力強い口調で話し始めた。
「今回の戦争は神の意志ではありません! 先ほどの聖王陛下のように邪神に心を操られた人が起こしたものなのです。ですが、その方たちも被害者に過ぎません……」
その声は本来陣幕の中にいる者にしか聞こえないはずだが、周囲にいる聖王国軍の兵士や更に遠くにいる草原の民たちにも聞こえていた。これは闇の精霊たちが神々の意志に従って、心に直接届けているためだ。
レイは邪神という言葉を使ったものの、虚無神という名は使わなかった。なぜなら、光神教の教義の中で邪神とは闇の神のことであり、ここでヴァニタスの名を出せば、混乱すると考えたためだ。
レイはここで一気に掌握すべきだと考え、彼の記憶にある宗教指導者や聖者といった者を思い浮かべながら、演説を続けていく。
「……この世界を滅ぼそうとしている存在がいます。ですが、その存在は圧倒的な強さを持ち、人間ではどれほどの英雄を集めても太刀打ちできないのです……」
そこで力強く「しかし、私たちにも勝機はあります!」と言い放った。
「すべての人が争うことなく、信じる神に祈りを捧げるのです! 神は我々の祈りを必ず聞き届けてくださいます! 争いは何も生みません。いえ、争いは憎しみを生み、それが邪神の力となるのです! 今すべきことは帝国と戦うことではありません! 武器ではなく、愛する人の手を取るのです! それこそが神の望まれることだと断言します!」
彼自身、自分の言葉はきれいごとだと思っていた。
しかし、曖昧な言葉は付け入る隙を与えてしまうと考え、戦いをやめ、故郷に戻ることこそが神の望みだと断言したのだ。
レイの言葉に誰も反応できなかった。
闇の精霊たちが彼の想いを直接心に伝え、彼を利用しようとしているガスタルディ、更には先ほどレイの命を狙った聖王ですら、その実直な想いに心を打たれていたのだ。
聖王国軍のすべての兵士が跪き、頭を垂れて「光の神よ」と呟きながら滂沱の涙を流して祈っている。
草原の民たちも自らの守護神たる地の神に祈りを捧げていた。彼らの目にも涙が浮かび、自分たちの王が偉大なる神の遣いであることを改めて認識した。
マーカット傭兵団の傭兵たちも自らの信じる神に祈りを捧げていた。若い傭兵の中には密かに涙を流している者がいた。
そんな中、ルナは何が起きたか分からなかった。
彼女にもレイの声は聞こえていたが、彼と同じように神の加護を受けているためか、他の者たちのように感動で涙を流すということはなかった。それでも危機が去ったことは感じ取っていた。
(聖君が奇跡を起こしたのね。それにしても凄いわ。私もラスモア村に戻ってしまいたいと思ったほどだもの……)
その間にもレイの演説は続いていた。
「……光の神は善人も悪人にも関係なく、光を与えてくれます。我々も同じようにすべての人たちに光を与えようではありませんか!」
そう言って愛槍、白い角を高々と掲げ、光源の魔法を発動させる。
その光は春の日の光のような優しさを含んだ黄金色だった。
この時、レイは一種のトランス状態に陥っていた。しかし、それは神々の干渉というより、自らの言葉による自己暗示に近い。
レイに続き、脇に控えていたフォルトゥナートも剣を掲げ、ライトの魔法を発動させる。
聖騎士や聖職者たちも同じように次々と光を放っていく。数百にも及ぶ光の魔法が丘を照らしていった。
その光景に兵士たちは更なる感動を覚え、手にしていた槍を捨て平伏していった。




