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トリニータス・ムンドゥス~聖騎士レイの物語~  作者: 愛山 雄町
第五章「始まりの国:神々の島」

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第八十二話「聖王国軍転進」

 カエルム帝国軍がラークヒルに引き上げ始めたものの、ルークス聖王国軍では人馬族たちの出現に始まった混乱が未だに続いていた。


 マッジョーニ・ガスタルディ執行司教とランジェス・フォルトゥナート中隊長の二人が司令部に戻り、聖王アウグスティーノに対し、全軍の引き上げを進言したものの、勝利を目前にしていると思い込んでいる聖王は彼らの言葉に納得しなかった。


「あの方は真に光の神(ルキドゥス)の現し身なのか? ここで何もせずに引き上げるということは無駄に戦費を浪費したことになるだけではないか!」


 その怒りに対し、ガスタルディは「ごもっともなれど、すべては神のご意思にございます」と神の名を使って説得することしかできない。


「真に神の遣いであるなら、余の前でそれを証明するのだ! そうでなければ、余も、そして我が将兵たちも納得できん!」


 聖王はこのまま引き下がれば、自らの権威が地に落ちるという不安に苛まれていた。

 彼は聖王国の最高権力者、ベルナルディーノ・ロルフォ総大司教とともに神の言葉に従って帝国に攻め込むと宣言し、二十万という大軍を率いてここまでやってきた。


“ルキドゥスの御遣い”と称する者が現れたところまでは言葉通りであったものの、その神の遣いに自分の行動を否定され、二十万人もの臣下の前で顔を潰された。

 面目を失ったこと自体にも思うところはあるが、それ以上に聖王の権威を揺るがすような失敗を総大司教が許すとも思えなかったことが不安の原因だった。


「陛下のおっしゃる通り! 真の御遣いであるならば、我らも喜んで従おう!」


 周りにいる聖騎士たちも聖王の言葉に乗った。

 特権意識の塊である聖騎士たちは、いくら草原の民という絶大な力を持っていようと、二十歳にもなっていない若造であるレイの指示など聞くつもりはなかった。

 同じような理由で世俗騎士上がりのフォルトゥナートの言葉も軽んじている。


 ガスタルディはその勢いに徐々に押されていき、返す言葉を失い沈黙する。


 フォルトゥナートはその様子を見ながら、どうすべきか考えていた。


(アークライト様の願いは農民兵を無事に故郷に連れ戻すこと。そのためには陛下に納得いただかねばならない……しかし、私と執行司教以外、あの方の真の力を見ておらぬ。陛下に力の一端だけでも示していただければ説得できるのだが、そうは言っても戦うわけにはいかない……)


 草原の民という強大な戦力を有しているものの、レイはいずれの陣営にも高圧的な態度は取っていないため、聖王たちはその力が実感できずにいる。

 フォルトゥナートはそのことに気づいているものの、なかなか打つ手が思いつかない。


(今私が使えるのは執行司教とその部下たちだけだ。彼らを上手く使う方法はないものか……)


 以前なら強硬派と呼ばれる狂信的な聖職者が従軍することが多かった。しかし、今回に限って言えば狂信的な者は一人もいなかった。


 総大司教はルキドゥスの現し身が現れるという神託を受けたため、何をやるか分からない狂信者を外し、自らの思惑通りに動くガスタルディとその部下のみを派遣したのだ。


 聖職者は司令部以外にも治癒師として配置されており、その数は千人近くに及ぶ。兵士たちは教会で馴染みのある司教や司祭たちに従順に従うことから、それを使えないかとフォルトゥナートは考えた。


(聖職者たちに兵士たちの考えを誘導させれば、聖騎士たちが何を言おうと撤退の流れを作れる。あとは最初の一歩をどうするかだ……やはり少し強く出るしかないのか……)


 フォルトゥナートは覚悟を決めた。

 そして、聖王の前に進み出ると、「陛下に申し上げます」と言って頭を下げる。


「何だ?」と突然出てきたフォルトゥナートに聖王は不機嫌さを隠そうともしない。


 フォルトゥナートはそのことに気づくものの、怖気づくことなく話し始めた。


「ルキドゥスの現し身たるアークライト様は二万の人馬族と五万の遊牧民という強大な力をお持ちです。陛下もご存じと思いますが、草原の民は騎兵として優秀なだけでなく、敵に対して容赦しないことで有名です。三百年前のラークヒルの戦いの話を思い出してください。あの時、人馬族は数十万もの我が国の兵士を皆殺しにしたのです」


 帝国側では“ラークヒル防衛戦”と呼ばれる戦いで、独立を果たし勢いに乗る聖王国軍がラークヒルを攻撃し、あと一歩で帝国軍を壊滅させられるという時、突如現れた人馬族によって聖王国軍は壊滅的なダメージを受け、敗北した。

 人馬族に対する恐怖を聖王国に植え付けた一戦として、今でも語り継がれている。


「何が言いたい……」と聖王は言うものの、フォルトゥナートが言おうとしていることが何となく分かっていた。


「もし、アークライト様が神の啓示に従わぬ者を討伐するとお考えになった場合、その人馬族が我が軍に襲い掛かってきます。彼らの機動力は先ほど見た通りで、このように広がった陣形では中央の司令部といえども安全とは言い難いと思われます。この点につきましては、司令部の他の聖騎士も小職の意見と同じであると愚考します」


 そう言って聖王を取り巻く聖騎士たちを見ていく。

 聖騎士たちは世襲で今の地位を得たものばかりであり、軍事的な知識に乏しい。そのため軍事の専門家であり、ペリクリトル攻防戦の英雄であるフォルトゥナートに下手に反論して論破されることを恐れ、沈黙を守っている。


「御覧の通り、私と同じ意見のようでございます。現在我々はアークライト様の忍耐を試しています。いえ、アークライト様は聡明な方であり少々遅れても問題にはされないでしょう。しかし、草原の民は未開の部族です。彼らがアークライト様のご命令を聞かずに暴走することは充分に考えられます」


「そ、そのようなことがあり得るのか……」


 聖王は声を震わせながらフォルトゥナートを問い質す。


「ないとは言えません。彼らは誰にも束縛されることなく、自由に生きてきた者たちであり、命令に従うことに慣れておりません」


 聖王は草原の民に目を向ける。

 その姿は整然としていながらも絶えず動いているように見え、それが苛立っているように見え始めた。そして、一度そう見えてしまうと、人馬族たちの特異な姿が今まで以上に恐ろしく見える。


「少なくとも後退の動きを見せるべきです。それに反対される方がいるなら、その方たちに前線に出ていただき、彼らが暴走した時の盾となってもらうべきでしょう」


 聖騎士たちは人馬族を相手に前線に出ることなど考えておらず、その言葉に驚きの表情を浮かべる。


「では、どなたが陛下の盾となって前に出ていただけるのか」


 特に声を張り上げることはなかったが、聖騎士たちは僅かに後ずさってしまう。


「どなたも反対の方はいないようです」と言ってから聖王に向き直る。


「陛下、これでも神の現し身のお言葉をお疑いになられますか」


 聖王はフォルトゥナートの気迫に負け、「いや、神の遣いたる方の言葉を疑うようなことはせぬ」ということしかできなかった。


 そこでフォルトゥナートはガスタルディに視線を送り、


「執行司教様にお願いがございます」


「何かな、フォルトゥナート卿」


 一連のやり取りを見て、ガスタルディはフォルトゥナートを見直していた。そして、自分の狙い通りになったことから余裕を取り戻している。


「聖職者の方々を通じ、アークライト様のご意思を兵たちに伝えてはいかがでしょうか。突然のことで動揺していると思われますので」


 ガスタルディはすぐにフォルトゥナートの意図を見抜いた。


「それはよい。その間に引き上げの準備をさせてくれたまえ」


 聖王を無視する形だが、彼らは人馬族たちが気になり、それどころではなかった。


「承りました」とガスタルディに頭を下げると、聖王に向かって一礼し、


「万が一を考え、陛下にはまず身の安全を確保していただくべきかと愚考いたします」


「そ、そうだな」


「陛下とその守り手たる聖騎士団には全軍に先行し、昨日の野営地ウエストローの丘まで進んでいただきたいと存じます……」


 そこで彼は賭けに出た。


「そのためには残った者たちの指揮を執るものが必要となります。殿(しんがり)はこのフォルトゥナートが務めますので、一時的に全軍への指揮権を委譲していただきたく伏してお願い申し上げます」


 そう言って大きく頭を下げる。

 フォルトゥナートの言葉は指揮権の譲渡という大胆なものだったが、彼の堂々とした態度に聖王を始め、聖騎士たちは咎めることはなかった。


「うむ。卿に任せる。では、聖騎士たちよ。我を先導せよ」


 聖王はそれだけ言うと、小姓が連れてきた美しい白馬に跨った。

 聖騎士たちは聖王に遅れないよう慌てて行動を開始する。


 司令部は聖王の行動によって混乱したが、


「陛下より一時兵権をお預かりした! 伝令たちは各部隊に後退の指示を待つよう伝えよ!」


 フォルトゥナートは二十万という大軍の指揮権を得たものの、彼自身中隊長に過ぎず、どうやって後退させればよいか困惑する。


(アークライト様のお意思に従うためとはいえ、もう少し考えればよかった……これだけの軍を動かすことなど私にはできぬ……)


 とりあえず伝令によって混乱は避けたものの、次の命令を発することができない。


「我らがお手伝いいたしましょう」


 そんな彼に救いの手が現れた。

 そこにいたのは聖王府の軍官僚でもある参謀たちだった。彼らは聖王の直属として、経験の少ない聖王や聖騎士たちに代わり、実際にこの大軍を動かしていたのだ。


「かたじけない。パレンティ閣下」と参謀の取りまとめ役であるカルロ・パレンティに対し、フォルトゥナートは頭を下げる。


「一時的とはいえ、卿は全軍の指揮を執っておられるのだ。我らに頭を下げる必要はない」


 パレンティたち参謀はこの無謀な作戦に反対していた。今回の戦いを回避できないと決まってからは、いかに損害を減らすかを考えており、機会を見て撤退を進言しようと考えていたのだ。

 そのため、フォルトゥナートの行動に感謝し、協力を惜しまないという姿勢を見せた。


 優秀な参謀たちの支援によって聖王国軍は後退を開始した。


 一方、ガスタルディもすぐに行動を開始した。


「私マッジョーニ・ガスタルディは断言する。あそこにおられる方こそ、総大司教猊下のおっしゃられた、“神の御遣い”であらせられると! つまり草原の民は我らの味方である!」


 その言葉が聞こえていた者たち間に歓声が沸き上がる。しかし、聖王たちが後退していく姿が理解できない。

 その疑問にガスタルディは答えていく。


「聖王陛下は気の荒い草原の民との無用な争いを避けるため、あえて軍を後退させるとお命じになったのだ! 勝利は目の前である! 神の御遣いを信じ、今は粛々と行動せよ!」


 彼の言葉は司教や司祭たちが広めていき、兵士たちの動揺は徐々に小さくなっていった。


 動揺は収まったものの、二十万という大軍が動くには時間が掛かる。

 フォルトゥナートは参謀たちに後退の指示を任せると、この後の行動について確認するため、草原の民のところに戻ったレイの下に向かった。



 レイは聖王国軍が後退し始めた姿に安堵の息を吐き出した。そして、傍らに立つアシュレイに話しかけた。


「これで戦いは何とか回避できそうだね。あとは聖王国軍に完全に撤退してもらうだけだ」


 その言葉にアシュレイは「それが一番問題なのではないか」と表情を緩めることなく答えた。


「私もそう思います」と後ろに立っていたステラも賛同する。


「確かにそうだけど……」と言ったところで、聖王国軍からフォルトゥナートが向かってくるのが見えた。


 フォルトゥナートはレイの前で馬を降りると、すぐに片膝を突いて報告を開始した。


「御覧の通り、ルークス聖王国軍は後退を開始しました。しかしながら大軍である故、移動には時間を要します。恐らく最後の部隊が動き始めるのは夕刻頃、暗闇の中の行軍は思わぬ事態を招く恐れがあります。アークライト様のご指示を受けたく参上いたしました」


 フォルトゥナートの指摘の通り、夜間の行軍は訓練の行き届いていない聖王国軍にとって危険な状況だった。灯りの魔道具や松明などがあったとしても、暗闇の中で恐怖を感じた兵士が味方を敵や魔物と誤認し同士討ちを始める可能性は否定できない。


「獣人奴隷部隊が多く同行していると聞いています。彼らに周囲を警戒させてはどうでしょうか」


 獣人たちは夜目が利き、更に訓練も行き届いている。その彼らが周囲を警戒していると知れば農民兵でも安心するだろうと考えたのだ。


「なるほど。では、そのように取り計らいます。もう一点確認したい儀がございます」


「何ですか?」


「聖王陛下には草原の民が暴走する恐れがあるため、一時後退することを上申いたしました。昨夜の野営地であるウエストローの丘まで下がることは認めていただけましたが、それ以上はどうしてよいのかと」


 アシュレイたちの懸念通りであり、レイも即答できない。

 しかし、完全撤退させるためには聖王と直接交渉する必要があると腹を括る。


「明日、聖王陛下に話をしにいきます」


「そうしていただけると助かります」とフォルトゥナートは安堵の表情を浮かべるが、聖王はともかく聖騎士たちが暴走しないか心配になる。


「護衛はいかがなさいますか? 陛下はともかく、聖騎士たちは特権意識の塊です。アークライト様を軽んじる可能性がありますが」


 そこでアシュレイが話に割り込んだ。


「護衛は草原の民の全軍だ」


「アシュレイ様のおっしゃる通りです」とすかさずステラも援護する。


 二人の気迫にフォルトゥナートも「承りました」と答えるしかなかった。


「護衛の話はともかく、今は聖王国軍が暴走しないよう、しっかりと手綱を握っておいてください」


「御意」と答えると、ひらりと馬に跨り、聖王国軍に戻っていった。


 フォルトゥナートが去った後、レイは「ここで野営します」とその場での野営を命じた。

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