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トリニータス・ムンドゥス~聖騎士レイの物語~  作者: 愛山 雄町
第五章「始まりの国:神々の島」

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第八十一話「セオの交渉」

 九月一日。

 カエルム帝国の西の要衝ラークヒル近郊では帝国軍三万、ルークス聖王国軍二十万が対峙し、更にその間にはレイが率いる草原の民七万が陣取っている。


 レイは聖王国の使者であるマッジョーニ・ガスタルディ執行司教と以前共に戦ったランジェス・フォルトゥナート中隊長と交渉を行い、総大将である聖王アウグスティーノ一世の説得を依頼した。


 一方の帝国軍に対しても、総司令官であるレオポルド皇子と直接交渉を行ったが、皇子は自らの功績を立てるために聖王国が危険であると主張し、レイに手を引かせようと画策する。

 レイは皇子を半ば脅す形で自らの力を誇示するが、それが皇子の逆鱗に触れた。


 皇子は同行しているセオフィラス・ロックハートに草原の民が騙されていると言い、セオ自身がどう考えるのかと問う。


「セオフィラスよ。今の話を聞いたな。貴様が世話になった人馬族はこの野心家に騙されている。帝国貴族たる貴様はどうするつもりだ」


 セオは突然の問いに困惑する。


(ザック兄様ならどう答えるのだろう……こういう時は相手が何を望んでいるかを考えろっておっしゃっていたはず……殿下は“帝国貴族”という言葉を使われた。つまり、帝国貴族であるロックハート家として、皇家に従えということだ。でも、レイさんは直接脅したわけじゃないし、帝国のために何が一番いいかを考えて答えないと……)


 セオは(こうべ)を垂れて自らの考えを主張していく。


「もし、人馬族が帝国に仇なすのであれば、私は、いえ、ロックハート家は全力をもって敵と戦います。それが友人であろうと、恩人であろうと関係ありません。ですが、アークライト殿は帝国に弓を引くとは一言も言っておりません」


 皇子はセオを動揺させてレイが帝国の敵であると言わせようとした。しかし、セオは誰であろうと迷うことなく戦うと宣言することで、一般論にすり替えることに成功し、更に皇子が詭弁を弄していると暗に指摘した。


「確かに帝国に弓を引くとは言っておらぬな。だが、その能力を持っていることは明らか。それにこの者が聖王国と結託すれば、大量の歩兵と優秀な騎兵の軍ができる。聖王国の軍を無傷で引かせるのはそれが理由ではないのか?」


 皇子の懸念はレイが草原の民の力を背景に聖王国を征服し、その力をもって帝国に侵略してくるのではないかというものだった。

 セオはその問いにも冷静に答えていく。


「もし、アークライト殿が聖王国を掌握し、帝国に侵略するつもりなら、なぜこの機会を利用しなかったのでしょうか? ここにいる帝国軍三万を倒し、その勢いをもって侵略すれば中部域までは容易く手に入れられたはずです。更に言えば、私たちをラークヒルに向かわせる必要などありませんでした。自らの存在を隠し、奇襲を仕掛けた方がよほど有利に戦えるのですから」


「そ、それは……」


 セオの言葉に皇子が口篭る。元々政治的な分野は苦手であり、戦略的に正しいことを言われ、切り返すことができなくなってしまった。


「セオフィラスさんの言う通りです。私が野心家ならこのような面倒なことはしません」


「ならば、なぜ奴らを逃がさねばならんのだ。その理由が民たちの命というのでは納得できぬ」


 レオポルド皇子はレイが言った理由が偽りのものであり、他に理由があると思い込んでいた。


「他に理由はございません。私はペリクリトルの戦いの時、ルークスの農民兵を指揮しました。そしてその半数を失い、多くの者を傷つけることになったのです。その時に思ったことは、彼らは無理やり故郷から連れ出され、意味のない戦いに参加させられている被害者だということです。ですので、彼らを救いたいという気持ちに偽りはありません」


 レイは真摯な表情でそう告げるが、皇子に納得した様子は見られない。

 セオはこのままでは妥協点を見出すことはできないと考え、レオポルド皇子に耳打ちした。


「殿下、少しお話があります」


「何だ?」


「ここでは何ですので」といい、レイに向かって「殿下にお話したいことがあります。少しだけ時間をいただきたい」と言ってレオポルド皇子と共にレイたちから離れていく。


 十m(メルト)ほど離れたところで立ち止まると、


「アークライト殿は一般的には策士と思われておりますが、義理堅い面もございます」


「それがどうしたのだ」と怪訝な顔をする。


「この場で彼に譲歩することで、殿下は実利を得られてはどうかと愚考致します」


「実利……詳しく話せ」


 皇子はセオの言葉にどう反応していいのか迷うものの先を促す。

 セオは小さく頭を下げると、


「もし戦端を開けば帝国軍は壊滅します。ですので、戦うという選択肢はよいものとは言えません……」


 セオは大胆にも総司令官である皇子に戦えば敗北すると言い切った。その大胆さに皇子は目を細めるものの、その先の話の方が気になり咎めることはしなかった。


「……しかし、アークライト殿の言う通り、聖王国軍の撤退を認めた場合、帝国軍に損害はなく、更に彼に恩を売ることができます。先ほども申し上げた通り、彼は義理堅い面があります。恩を感じている相手に敵対することはありませんし、その恩を返そうとするはずです」


「そこまでは分からぬでもない。だが、具体的にどのような実利が得られるのかが分からぬ」


 皇子の言葉にセオは小さく頷き、話を続けていく。


「具体的な提案でございますが、その恩を盾に取り、草原の民の力を殿下が借りられるようにしてはいかがでしょうか」


 皇子は一瞬その提案を魅力的と感じたが、実利になるか微妙であると反論する。


「確かに強大な力を借りられるが、彼らの力を得たところで何の利がある? 聖王国との戦いでは軍団だけで充分なのだ。彼らの力を使うところなどないのだぞ」


 そこでセオは議論の切り口を変えた。


「この地で起きたことは帝都に伝わります。それもすべてが伝わるわけではなく、人々が知りたいと思うことがより強く」


「何が言いたいのだ?」


 突然話題が変わったことに皇子は困惑する。しかし、セオはその困惑に笑みをもって返し、更に言葉を続けていった。


「皇帝陛下ですら要請の形でしか参戦させられない草原の民を、殿下の要請で参戦させたとなれば、帝都の人々はどう思うでしょうか。殿下が草原の民と懇意であると考えるのが普通の反応でしょう。そうなれば帝国軍の兵士たちの支持は今よりも更に強くなり、また軍に関係ない貴族たちの殿下に対する見方も大きく変えざるを得ないでしょう」


 そこまで聞き、皇子もセオの言いたいことが理解できた。


「つまり、アークライトに恩を売り、草原の民と懇意であるという話に乗れと交渉するのだな。そうなれば、帝都の者たちも私の力をより強く意識すると」


「左様でございます。その交渉を私にお命じください。必ずや成功させてみせます」


 レオポルド皇子は一瞬だけ考えるが、すぐに笑みを浮かべ、「よかろう。卿に一任する」と即断した。


 この時、セオは兄ザカライアスが帝国の重鎮たちと渡り合った時のことを思い出していた。


(あの時、ザック兄様は、人は見たいようにしか物事を見ないとおっしゃっていた。それに真実より信じたいと思うことを事実だと思いたがるとも……殿下も同じだ。ここで大きな戦果が上げられなくても、それ以上の力を得たと思えれば、無理に戦端を開くことはないはず。戦端を開けば自滅することは分かっているのだし、草原の民の力を得たと宣伝できる方がより利益があるように思うはずだから……)


 話し合いを終え、レイたちのところに戻る。

 そして、セオが話を切り出した。


「殿下は貴公の提案に全面的に賛同してくださった。だが、本来大勝利に終わる戦いを不完全な形で終わらせたことに対し、貴公から何らかの見返りがあってしかるべきだと私は考える」


 セオはあえて堅い口調でレイに話しかけた。


「見返りですか?」とレイは困惑の表情を浮かべる。


「その通り。見返りといっても金や物ではない。草原の民を率いる貴公が殿下に対して敬意を持っていることを示してくれればよい」


「敬意ですか……」


 そこで皇子には聞こえない程度の小声で付け加える。


「殿下の慈悲に感謝し、何かあれば殿下のために駆け付けると宣言してくれればいいんです。そうすることで殿下は草原の民に一定以上の影響力を持つように見えるから。ここで大事なことは見えるということ……」


 そこまで早口で話した後、ぱちりと片目を瞑る。

 レイはその仕草で何となくセオの言いたいことを理解した。即座に片膝を突くと、大きく頭を下げる。


「レオポルド殿下は敵国の農民にすら情けを掛けてくださる慈悲深い方です。殿下が哀れな農民たちに情けを掛けてくださる間は、私は殿下の味方であり続けます。不当なものは別ですが、殿下から要請があれば、私自らが草原の民を指揮し、必ずや駆け付けることでしょう」


 その言葉に皇子は満足げに頷く。


「では、そのことを我が軍の者たちにも伝えてくれんか。卿の口からの方が信じやすかろう」


 皇子の言葉に従い、レイは立ち上がると、大声で話し始めた。


「私レイ・アークライトはレオポルド殿下のお人柄に感服しました! 不当なものはともかく、殿下のご要請があれば、私は草原の民と共に殿下の下に駆け参じるでしょう!」


 この言葉に帝国軍から驚きの声が上がる。

 草原の民が皇帝以外の要請を受けるというのは長い歴史でもほとんどなかったためだ。


 レオポルド皇子は「では、聖王国が再び攻めてきた場合は草原の民の力を期待するぞ」と言って、帝国軍の陣に戻っていった。


 セオは去り際に「聖王国が下手に動いたら全面戦争になることだけは覚えておいて」と伝え、皇子を追い掛けていく。


 レイはその後姿を見ながら、政治は面倒だと考えていた。


(セオさんが助けてくれたからよかったけど、僕だけだったら皇子を説得できなかった。それにしてもロックハート家の人って戦いだけじゃなく交渉ごとにも強いんだな……)


 そんなことをチラリと考えたが、すぐにアシュレイたちに向き直り、


「聖王国軍が撤退するのを見張らないとね」


 それだけ言ってハミッシュたちのところに向かった。



 レオポルド皇子が本陣に戻ると、カエルム帝国軍はルークス聖王国軍を睨みながらもラークヒルに向かって整然と移動し始めた。

 これは総大将である皇子が撤収を命じたからだが、この命令には多くの反対の声が上がっている。


「少なくとも敵が完全に引き上げてから城に入るべきではありませんか」


 それに対し皇子は余裕の笑みを浮かべて「心配無用」と言い放ち、


「もし戦端を開く気ならば、アークライトと草原の民が始末してくれる。彼らは我が盟友でもあるのだからな」


 その言葉に反対した者たちも納得し、すぐに引き下がる。

 そして、兵士たちの間に皇子が草原の民を完全に掌握したという話が広がっていた。それはセオフィラスらによって意図的に拡散されたもので、レオポルド皇子はその結果に満足する。


 第四軍団長のアドルフ・レドナップ伯爵はこの状況に困惑していた。

 彼の主君アレクシス・エザリントン公爵はレオポルド皇子が次期皇帝に相応しくないと考えており、いかにして排除するかを考えていたためだ。


(セオフィラスを付けたのは失敗であったか……いや、これもザカライアスの差し金だとすれば、まだ何らかの手を打っているはず……)


 レドナップ伯はザカライアスが裏で手を引いていると思い込んだ。

 その理由だが、セオフィラスは剣の腕こそ一流であるものの、政治的なことに関心があるように見えず、あれほど見事に場を収めるとは思えなかったためだ。


 懸念はあるものの現状では打つ手はなく、とりあえず皇子のことは放置することに決めた。

 そして、それよりも喫緊の課題である聖王国軍が撤退した後の始末をどうつけるかを模索し始める。


(聖王国軍が撤退したとして、アークライトと草原の民に完全に期待してよいものか迷うところだな。アークライトと直接言葉は交わしておらぬが、ロックハート家が絡んでいるなら帝国に仇なすことはないはずだ。しかし、信用もし切れぬ……)


 そう考えるものの、打つ手は見つからない。


(殿下の思惑通りになるのは癪だが、これ以上無意味な戦争を長引かせることの方がよくない。ならばここはアークライトを信じてみるか……)


 レドナップ伯は聖王国軍の動きを確認しながら、自らの軍団の撤退の指揮を執り始めた。



 ラークヒルに引き上げる軍の中で、セオは今回の交渉が正しかったのか悩んでいた。


(ザック兄様はレオポルド殿下のことを信用していなかったはず。僕が今回やったことは帝国のお家騒動に大きな影響が出るんじゃないだろうか……ザック兄様かシャロン姉様も今回のようなことは想定していなかったからな……そうでもないか。もしかしたら、あれは今回の布石だったのかも……一度レイさんとじっくり話をした方がよさそうだ……)


 セオはすぐにレドナップ伯に面会を求めた。

 撤退の指揮を執っていた伯爵だったが、セオが何か行動を起こすと気づき、すぐに会うことにした。


 面会が叶うと、セオは単刀直入に用件を話し始めた。


「草原の民に合流したいと思います。その許可をいただけないでしょうか」


「アークライトと行動を共にするということか? その理由は何だ?」


「公には彼らの行動を監視するという名目ですが、兄ザカライアスから聞いております現在の帝国の状況を、アークライト殿にきちんと理解してもらい、その上で適切に行動してもらうよう依頼するつもりです」


「“適切に”か……具体的には……いや、それは聞かないでおこう。卿も言いにくいだろうからな」


 セオ自身にその意図はなかったが、伯爵はその名が出たことで、彼がザカライアスの指示で動いていると思い込んだ。


「ありがとうございます。今はまだ聖王国軍の目がございますので、夜陰に紛れて合流します」


「くれぐれも頼んだぞ。あの者が帝国を含む全世界の行く末を握っていると言っても過言ではないのだからな」


 伯爵の言葉にセオは「心得ております」と答え、仲間たちのところに戻っていった。


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