第七十六話「事前準備」
エイプリルフールですが、真面目な話です。
八月二十日の早朝。
人馬族一万五千、遊牧民三万の軍勢が草原を埋め尽くしていた。
氏族ごとに固まっているため、整列という感じではないが、その数と馬たちの嘶き、そして、自分がその一員であるという思いに、集まった戦士たちは皆、身震いしていた。
見送る家族たちもその壮観さに大きな歓声を上げて、戦士たちを激励している。
昨夜のうちに族長や戦士長たちと今後の計画について話し合っており、移動だけなら問題にならないというところまで、すり合わせは終わっている。しかし、ラークヒルに到着した後に戦闘になる可能性は否定できず、レイは情報伝達手段に不安を覚えていた。
(移動中は氏族ごとに動けばいい。幸い、食料もほぼ自前で済むらしいし、水場も豊富らしいから分散すれば問題ない。あとやるべきことは、ラークヒルに到着する前に戦場での動きをどうするかのすり合わせか。しかし、これだけの大軍だと声じゃ無理だし、旗か太鼓を使わないと難しいかな……そう言えば、ルナは魔族の都で大勢の人に声を届けていたな。魔法みたいだったけど、どうやってやっていたんだろう。あれが使えれば戦場での問題も一気に解決するんだけどな……)
この世界にも“拡声”の魔法は存在する。
しかし、その存在は明らかにされていなかった。それは光神教や月魔族の神官たちなど、宗教に密接に関わっているためで、秘術として隠匿されている。
学術都市ドクトゥスの研究者たちの中にはその存在に気づいている者もいたが、多くの術者が介在する必要があり原理までは解明されていない。
ちなみにルナの演説の際に使われていた“拡声”の魔法も闇の神殿の神官たちが行使していたものだ。単に声を送るだけではなく、精霊の力を使って民衆たちの心に直接言葉を届けてもいる。
(どちらにしてもここにルナはいない。試してみるけど、僕に使えるかは分からないから、他の方法を考えておくべきだな……)
レイは馬に揺られながら現実的な情報伝達方法を考えていた。
人馬族と遊牧民を合わせると氏族の数は三十にもなる。合同で行動することがないため、氏族ごとに部隊を編成して命令を伝えるつもりだが、最終的には七万にもなる騎兵集団であり、密集させたとしても最低二km四方になる。
また、人馬族にしても遊牧民にしても頭の高さは二・五m程度あり、それより高い場所で合図を送らなければならない。更に遠距離では相当大きなものを用意しなければ、全員が見ることは難しい。
(櫓を組むわけにもいかないし、旗は難しいかな。そうなると、花火の魔法を使うことになるんだけど、あれってあまり使うなって言われているしな……でも、今回は使わないと指示が届かないし……)
花火の魔法を使うことについて、ハミッシュやヴァレリアらに相談する。
説明を受けたハミッシュは即座にそれを認めた。
「今回は使うべきだ。もし、命令が伝わらずにどこかの氏族が暴走すれば、戦争を止めるどころか誘発してしまう。ならば、積極的に使う方法を模索すべきだろう」
「私も賛成よ。あの時とは状況が違うわ」
二人が賛成したことで安堵するが、アシュレイが疑問を口にする。
「しかし、どうやって情報を伝えるのだ? 回数で伝えるにしてもお前一人で連発するには時間が掛かりすぎるだろう」
花火の魔法は十秒に一発程度放てるが、それでも間延びすることは否定できない。
「形を変えるつもりだよ。丸く開くもの、縦長に伸びるもの、平たく板状に開くものなんかを考えれば何とかなる」
「そんなことができるのか? 前の魔法は丸く開く感じだったが?」
「やってみないと分からないけど、多分できると思う。あとは草原の民がどこまで僕の言う通りに動いてくれるかだ」
レイは日本で見た花火大会をイメージすれば形は自由に変えられると考えていた。
その日の移動は五十キメルほど進んだ。万を超える軍の移動速度としては異常すぎるほどだ。
今回もレイたちがいなければ更に距離を延ばせており、以前、リーヴァが言った人馬族だけなら一日百キメルという言葉が誇張ではないと感じている。
長時間の騎乗で疲れているが、愛馬と共に草の海をいく感覚を楽しんでもいた。
(これが戦場に向かうのでなければ、もっと楽しいんだけどな……)
そう考えながら「お疲れ様」と言って愛馬の首を軽く叩く。
翌日の早朝、出発前に花火の魔法を披露する。
草原の民たちはその大きな音に驚くが、よく訓練された馬は耳を落ち着かない感じで動かすものの、暴れるものは皆無だった。
その様子を見てレイは安堵していた。
(音でパニックになったらどうしようかと思ったけど大丈夫だったな。トラベラーもそうだけど、ここの馬はみんな賢いから助かるよ……)
数パターンの花火の魔法を見せ、それぞれの意味を伝えていく。
「丸いものは全軍進め。平たく広がるものは全軍停止。細長く伸びていくものはその方向に進め。パンパンパンとたくさん弾ける感じのものは戦闘中止です。細かい指示は伝令を使って伝えますが、今はこんな感じという程度でいいので覚えておいてください。進軍中に何度か練習しますので、よろしくお願いします」
簡単すぎる合図だが、寄せ集めにすぎない軍隊で複雑な指示を決めてもまともに使えないと諦めている。
その後も順調に進軍し、出発して八日目の八月二十八日にはラークヒルまで残り百キメルの位置まで進むことができた。
既に先行していたカラエフ族とも合流しており、人馬族二万、遊牧民五万の大軍に膨れ上がっている。
中部域の草原地帯を抜け、西部域に入っているが、西部域はルークスとの戦争の影響から開発が遅れており、手付かずの原野が広がっている。
西方街道は緩やかな丘陵地帯の間に作られているが、レイが率いる草原の民の軍勢は街道ではなく、原野を進んでいた。これは街道沿いにある町や村でトラブルになることを恐れたためだ。また、草原の民たちが舗装された道を嫌ったこともある。
翌日、ラークヒルを出発したルナたちと合流する。
「本当に街道を使わないなんて……危うくすれ違うところだった」
ルナは街道沿いにある村で待つつもりでいたが、セオフィラスから草原の民は街道を嫌うと聞き、見晴らしのいい原野の丘で待ち構えていたのだ。それでもルートから外れており、レイが帝国軍とのトラブルを警戒して斥候隊を出したことにより、辛くも合流できたという状況だった。
「何で戻ってきたの?」というレイの問いに、ラークヒルでのレドナップ伯との面談の結果を説明する。
「つまりレドナップ伯は戦争を止めることに反対じゃないけど、レオポルド皇子が強引に戦端を開くかもしれないということでいいかな」
「その認識でいいわ。帝国にとっては侵略戦争に対する防衛戦という位置付けなの。有利な状況で敵をそのまま逃がすというのは、禍根を残すだけと考える可能性が高いということ」
「言わんとすることは分かるが、レイにできることがあるのか?」とアシュレイが聞く。
「正直なところ確信はありません。ですが、私やセオ君では説得できる気がしません。レイなら何とかできるのではないかと……」
「確かにこいつは相手が大物になるほど弁舌が冴える。悪い考えではないな」とハミッシュが納得し、更にアルベリックも珍しく真面目な表情で頷いている。
「本当にそうだよ。それに皇子とか伯爵より神様の方が格は上だから大丈夫なんじゃないかな」
言い切った後にニヤリと笑う。
アシュレイがアルベリックに釣られて笑う。
「アル兄の言う通りだ。神に正面切って意見する大胆さは誰にも真似できぬからな。フフフ……」
「褒められている気は全くしないけど……とにかく、レオポルド皇子を説得する方法を考えておくよ」
「そのレオポルド殿下のことなんだけど……」とルナが愁いを帯びた表情で話し始めた。
「四日前に第三軍団の先遣隊一万と一緒にラークヒルに入られたわ。私は会っていないのだけど、セオ君が呼ばれて草原の民の動向について聞かれたの」
「それで皇子は何と?」とアシュレイが聞く。
「数万の草原の民が介入すると聞いて驚かれたそうです。その後、セオ君にリーヴァさんを説得するよう命じられたみたいです。でも、セオ君が“皇帝陛下ですら要請という形しか取れない相手に自分では何もできない”っていって断りました」
「皇子の命令を断ったのか!」とアシュレイが驚く。
「はい。ただ、そのままでは皇子に何をされるか分からないので、私が使者となってリーヴァさんにお願いをするという話にしたようです……」
言いづらいことなのか語尾が小さくなる。
それに気づいたアルベリックがいつもの笑みを消して辛辣な言葉を吐く。
「人馬族が味方しなければ、ロックハート家に責任を問うとでも言われたのかい。皇帝の座を狙う皇子ならそれくらいのことは言いそうだけど」
「はい。その件に関してはレドナップ伯爵様が取り成してくださったようなのですが、レオポルド殿下は焦っているようだと伯爵様はおっしゃっていました……」
レドナップ伯の取り成しもあり、セオたちは拘束されていない。しかし、皇子の逆鱗に触れたことから取り巻きたちにネチネチと嫌味を言われていた。幸いレドナップ伯に与えられた宿舎にいることから実害はない。
「セラさんが切れそうだね」とレイがいうと、「私もそのことが心配なの」とルナが真剣な表情で頷く。
「そうなると、レイが皇子を説得するという話も相当難しいと考えた方がよいな」とアシュレイが思案顔で言った。
「現在の皇太子殿下、ジギスムント殿下の廃嫡の話は昔から言われ続けています。昔はレオポルド殿下が立太子されるのは時間の問題と言われていました。ですが、今は少し事情が違います」
「事情が違う? 皇太子が更正したとか?」とレイが聞く。
「いいえ。二人以外の候補が現れたの。それも二人も」
「他の皇子に皇帝の目があるということか?」とアシュレイが呟く。
「はい。ジギスムント殿下と同じく第一皇妃様を母に持つジュリアス殿下が候補として名が上がるようになったそうです。他にも第二皇妃様を母に持つパーシバル殿下の名も出ているらしいんです。詳しくは聞いていないのですが、伯爵様の副官リュシアン・エザリントン様からその話を少しだけ聞きました」
「エザリントン? 宰相のエザリントン公の縁者か?」とハミッシュが尋ねる。
「はい。宰相閣下アレクシス・エザリントン公爵様のご次男です」
「ならば情報の確度も高いということか。焦っているというのも間違いではないな」
そこでレイが「二人の皇子の情報がほしいな」と呟く。
「その皇子たちと手を結ぶように見せるつもりか? 危険すぎるが」とハミッシュが聞くと、
「そこまでは考えていません。二人の皇子がどの程度力を持っているかで、レオポルド皇子の立ち位置が変わると思うんです。例えば、ジュリアス皇子が帝国軍に近いとか、パーシバル皇子がレオポルド派の大貴族の息女と結婚しているとかなら、支持基盤が揺らぐと考えて博打に出るかもしれません」
「私が調べてくるわ」とルナがいうと、
「頼みたいけど、君だと多分間に合わない。街に入ってセオさんたちに話をして、それから情報を得て戻ってくることを考えると三日は掛かるから」
「あなたの言う通りね」とルナが肩を落とす。
レイの後ろに控えていた獣人奴隷のウノが「よろしいでしょうか」と言って発言を求めた。
「私がロックハート家の方々に接触して情報を得てまいります」
「ウノさんたちなら入れそうだけど……でも、見つかったらその後の交渉が難しくなりますね……」
レイはウノたちの能力ならセオに接触することは可能だと考えていた。しかし、ルークスとの戦闘を控えたラークヒルはいつも以上に警戒を強めていることは容易に想像できる。
そのため、万が一発見された場合にレオポルド皇子がそのことをもって話を聞かないというリスクがあった。
「隷属の首輪を外して堂々と入ればよいのではありませんか? 聖王国の獣人奴隷とは考えられないと思います」
ウノたちの首輪は外せるため、奴隷には見えない。そのため、手練の獣人傭兵としてラークヒルに入り、セオたちに接触すればいいと提案したのだ。
「それなら大丈夫そうですね。では、ウノさんにお願いしますが、他にも周辺の情報なども仕入れてもらえると助かります。いずれにしても安全を最優先してください」
「御意。私とセイスがラークヒルに向かいます」と言って頭を下げ、すぐにその場を離れる。
その話を終えると、ルナとイオネを捕まえて闇属性魔法について話を聞く。
「以前、ルナが演説した時なんだけど、闇の精霊の力を使っていたよね。あれってどうやってやっているのか教えてほしいんだけど」
「魔法なんて使っていないわよ。多分だけど……」
「多分?」と首を傾げる。
「ええ、あの頃、演説の時に気分が高揚してあまり覚えていないことが多かったの。もしかしたら、闇の神が私の身体を使っていたのかもしれないわ。だから、闇の精霊が力を貸してくれたのかも……」
ルナの説明にイオネが大きく頷く。
「確かにそうかもしれません。ルナ様の演説を聞いた時、神を身近に感じました。クレアトール神殿で感じた闇の神によく似ていた気がします」
その言葉でレイが少し肩を落とす。
「そうなんだ。じゃあ、戦場では使えないね」
「諦めるのは早いかもしれません」と珍しくイオネが積極的に発言する。
「でも、神を降臨させるなんてできないし……」
「いいえ。直接神を降臨させなくとも、神々の言葉を両軍の兵士に伝えるのであれば、ルナ様、レイ様に神々も力を貸してくださるのではないでしょうか」
「預言者っていう感じか……」とレイは呟く。
(確かに神の言葉を伝える預言者的な位置付けなら、神々も力を貸しやすい。リスクは神々の介入ということで、虚無神に力を与えてしまう可能性くらいか……)
現在、ヴァニタスはこの世界に介入しすぎたため、力を制限されて直接的な影響力を行使できない。しかし、神々の介入が強くなれば、その制限は解除される。そのことをレイは懸念した。
「その時の流れに任せるしかないか。ところで、ルナはこの後どうするんだい? 情報収集の話は断ったけど、セオさんたちのところに戻ることもできるよ?」
「あなたと一緒にいようと思っているわ。ラークヒルにいても役に立てないけど、私がここにいれば帝国軍との交渉の時に少しは役に立つから」
「そうだね。僕としてもその方が助かるよ」
こうしてルナは再びレイと行動を共にすることとなった。




