第七十三話「前線からの情報」
八月十六日の夕方。
ソレル族の野営地には多くの人馬族が集まっていた。彼らはソレル族から“白き王”降臨の情報を受け、駆けつけてきた者たちだった。
駆けつけた人馬族たちも二千年前の神託が現実のものとなったことに興奮気味だが、それでも信じることができず、最初は胡乱気な表情を浮かべているものが多かった。
しかし、レイの純白の装備とソレル族の族長リーヴァが掲げる“不折の槍”を見て、すぐに前脚を折って忠誠を誓っていく。
最初からいたソレル族だけでも二千人を超えていたが、集まってきた人馬族や遊牧民たちで一万人を超える規模にまで膨れ上がった。野営地は祭の時のように賑やかになっている。
そんな中、中部域の主要都市ネザートンに情報収集に行っていたルナが戻ってきた。
レイはハミッシュらの激しい訓練とその後の人馬族たちの出迎えでへとへとになっていたが、笑顔で彼女を出迎える。
「お疲れ様。何か情報はあった?」
「ええ、でもお疲れ様っていう言葉はあなたにふさわしい気がするわ。ウフフ……」と疲れた様子のレイをみて、思わず笑みが零れる。
ルナが戻ったと聞いたハミッシュやセオフィラスたちも集まってくる。
主だった者たちが集まったことを確認したルナはネザートンで収集した情報を説明していく。
「思った以上に深刻です」と真面目な表情で告げた後、全員を見回す。
「第四軍団の伝令の情報では敵の状況は一切分からないそうです」
「状況が分からないのに深刻ってどういうことなの?」とアルベリックが尋ねる。
「送り出した斥候が誰一人戻ってこないそうなのです。最後には一個中隊を送り込んだのですが、その中隊すら消息不明となっているそうなんです」
帝国軍の一個中隊は百名の兵士からなる。単なる斥候狩りなら中隊規模の軍隊に手を出すことはないが、それが未帰還ということで帝国軍は対応に苦慮していた。
「中隊規模の偵察まで……聖王国の事情は分かっておらんが、いつもそこまで徹底しているものなのか?」
ハミッシュの疑問にルナが首を横に振る。
「私も詳しいわけではないのですが、話を聞く限り、今回は異常だそうです。第四軍団では獣人奴隷部隊を総動員しているのではないかと考えているということでした」
「獣人奴隷部隊を総動員! 聖王国も本気ですね」とセオが驚く。
レイは後ろに控えるウノに小声で話しかける。
「ウノさんたちのような人たちはどのくらいいるんですか?」
質問を受けたウノだが、やや表情を曇らせながらゆっくりと首を横に振る。
「お答えしたいのですが、我々末端の者に全貌は明かされておりません。ただ言えることは、里は五十近くあるのではないかということだけです……」
里とは獣人奴隷部隊を養成する機関のことで、毎年数名程度、実戦部隊に配属される。大体四十歳くらいで引退すること、損耗率が高いことから、一つの里から二十名程度が部隊にいると予想されると話す。
「そうすると千人くらいはいるということですか……」
レイはこめかみを押さえたくなった。
ウノたちは三級から四級傭兵に匹敵する。レッドアームズで言えば隊長クラスに当たる。それだけでも充分に脅威だが、森の中などの得意な場所ではレベル七十以上の猛者でも遅れを取る可能性が高い。
それが千人規模でいるということは百人程度の中隊なら簡単に殲滅され、五百人規模の大隊でも対抗できない可能性が高い。
場の雰囲気が沈む。ルナが「話を戻します」といって話を続ける。
「聖王国軍の状況ですが、先ほど説明したとおり、直接確認はできていません。ですが、ラークヒルの帝国軍首脳は他の情報からある程度想定はしているようです」
「どの程度の規模とか、いつ来るかとかがある程度予想できているということか?」とハミッシュが呟く。
「その通りです。聖王国軍の総数は二十万から二十五万、到着する時期は九月に初旬と予想しています」
「二十五万!」とアシュレイが驚きの声を上げる。
「最大の数字だそうです。今までの想定を超えているので、第四軍団長のレドナップ伯からネザートンの代官に対して、人馬族や遊牧民に援軍を要請できないかという話が来ているそうです」
「ラークヒルにはまだ第四軍団しかいないんだよね。二十五万と聞いたら援軍を頼みたくなるのは分かるよ」
アルベリックがそういうと、ルナは小さく首を横に振る。
「人数よりも斥候が戻らないことの方を気にされているそうです。今までとは違うので、聖王国が何をしてくるのか読めないからと。今のところ篭城する方向で考えているという話でした」
「しかし、よくそこまでの情報が手に入ったね。ロックハート家の威光って凄いんだ」とレイが感心する。
「今回はロックハート家というより、セオ君たちがいたから。ソレル族と親しいから、援軍を頼めないかって言われたわ」
「なるほどね。僕たちが行かなくて正解だったんだ」とセオが納得した表情で頷く。
「それはどういうことなのだ?」とハミッシュが聞くと、
「本来、人馬族に出兵を要請できるのは皇帝陛下だけなんです。ネザートンの代官にその権限はありませんし、陛下以外が出兵を依頼することすら協定違反になります」
セオの説明にレイは「そうなんですか? 帝国内に住んでいるのに?」と首を傾げる。事情に疎いハミッシュたちも同じ疑問を感じていた。
「草原の民は帝国に恭順していますが、完全な自治権を持っています。ほとんど知られていませんが、皇帝陛下ですら草原の民に命令はできないのです……」
そこでセオたち以外が息を飲む。
「この帝国において皇帝が遠慮していると言うことか」とハミッシュが呻くようにいうと、セオは「その通りです」と大きく頷き、話を続けていく。
「二千年ほど前、帝国はこの草原を手に入れようと軍を進めました。当時、優秀な歩兵と強力な魔術師を擁する帝国軍は最強の名をほしいままにしていたそうです。しかし、草原では一度も勝つことなく、逆に草原の民に攻め込まれそうになりました。その名残がフォスデールの城であり、エザリントンなのです……」
フォスデールは帝国様式と呼ばれる城塞都市とは一線を画す強固な城壁と天然の要害フォス河を利用した堅固な城塞都市だ。
エザリントンも同様に川の中州を利用した要害で帝都を守る最後の砦と言われている。
「……“白き王”の伝承とも関係あるようなのですが、二千年前に各氏族の族長に神託が降りた際、帝国と和解するように神々から言われたそうです。これは草原の民だけでなく、当時の皇帝にも同じように神託が降りたそうで、それでこのような完全な自治権を有し、軍として動かすなら皇帝自らが依頼しなければならないようになったそうです」
「皇帝も神託だから守っていると……二千年もの間、わがままな皇帝たちがよく守ったものだな」
アシュレイの呟きにセオが「そうでもないんですが」と笑い、
「実際には反故にしようとした皇帝は何人もいたようです。ただ、そのような人物は突然病死したり、事故死したりと、明らかに不審な死を遂げているのです。それから草原の民に関することは禁忌とされているらしいです。もっともこの話が本当かは分かりませんけど」
そこでルナが話を引き取る。
「帝国政府が正式に依頼しなくても、草原の民が自発的に動く分には問題ありません。ですから、代官は人馬族と仲のいいセオ君にリーヴァさん個人へお願いしてほしいと考えたようです」
そこでハミッシュが「話は分かった」といい、
「帝国は草原の民が自発的に出陣することを期待している。それが無理なら篭城するということだな」
その言葉にルナは首を横に振る。
「必ずしもそうとは限らないようです」
「どういうこと?」とレイが首を傾げる。
「レオポルド皇子殿下が到着されたら、相手がどれほど大軍でも野戦に打って出るのではないかと言っていたわ」
「つまり、皇子は聖王国軍がどれほどいても帝国軍の相手にならないと侮るかもしれないってこと?」
「ええ、代官から聞いた話では少なくともレドナップ伯爵様の考えはそうらしいわ」
「船で移動している第三軍団の半分の情報はあったかい?」とセオが聞く。
「ええ、天候がいいから、あと十日ほどでラークヒルに到着するらしいわ」
「レドナップ伯爵閣下の懸念が現実のものになりそうだね。レイさん、戦争を止めるため、草原の民と一緒に介入するという方針に変更はありませんよね」
セオがレイに確認する。
「そのつもりですけど……それが何か?」
「僕たちだけでも先行した方がいいかなと思ったんです。レオポルド殿下はともかく、レドナップ伯なら会うことはできますし、先に伝えておけば混乱が少なくて済みますから」
セオの提案にレイはどうすべきか考え始めた。
(確かに聖王国軍の方は何とかできるけど、帝国軍が引かない可能性は考えていなかった。もし帝国軍と草原の民が戦うようなことになったら混乱が大きくなる。対応を間違ったら虚無神に新たな介入をされるかもしれない……)
レイはセオに頭を下げた後、手を取る。
「帝国軍の方の対応をお願いします。僕にできることがあれば何で言ってください」
セオは「大袈裟ですよ」と笑うが、
「僕も無益な戦争は望みませんし、兄の頼みでもあるんですから、頭を下げなくても協力しますよ」
そう言った後、ルナの姿を見て話を変える。
「お願いが一つだけあります」
「何でしょうか?」
「明日にでもラークヒルに向けて出発しようと思っているんですが、ルナたちの馬では強行軍に耐えられません。それにレッドアームズの皆さんの馬も必要です。ですから、カエルム馬を借りられるようにリーヴァさんに頼んでほしいんです」
レイはなぜ自分で頼まないのかと疑問に思った。彼の方がリーヴァとは懇意であるためだ。そのことが顔に出たのか、セオが説明を付け加える。
「草原の民にとって馬は特別な存在なんです。幸い、僕たちは譲ってもらうことができましたが、本来は特別な事情がない限り馬を譲ることはありません。ルナたちの分だけなら、買うこともできますが、レッドアームズの皆さんの分となると政治的なこともありますので……」
戦馬として有名なカエルム馬は戦略物資でもあり、帝国の下級貴族でも入手は難しく、傭兵や他国の兵が保有することはほぼ不可能だ。
レイの愛馬トラベラーも本来なら帝国に入った時点で問題になるのだが、ロックハート家のルナの護衛ということで問題になっていない。
レイは即座に了承した。
そして、今後の方針について確認する。
「では、ルナたちはセオさんたちと一緒に明日ラークヒルに向けて出発する。僕たちは草原の民の軍を編成してから出発する。但し、開戦時期が早まる可能性があるから、遅くとも四日後の八月二十日にはここを出発する。これでいいですね」
ルナを始め、セオやハミッシュらが大きく頷く。
ただ一人、セラだけが反対する。
「それじゃ、ハミッシュさんに稽古を付けてもらえないじゃない!」
「終わってから稽古を付けてやる」と苦笑気味のハミッシュに言われて納得した。
レイはその方針をリーヴァたちに伝える。
出発を早める可能性があること、そのために軍の編成を早急に詰める必要があること、補給の方法を含め、行軍計画を決める必要があることなどを伝えた後、馬を貸してほしいと頼む。
リーヴァは即座に頷き、
「馬が認めるなら喜んでお譲りします」と言った後、
「我らにはただ命じてくださるだけでよいのです。何といっても神によって定められた王なのですから」
その言葉にレイは小さく首を横に振り反論する。
「確かに神々に言われてここに来ましたが、私は間違いを犯す人間に過ぎません。ですので、間違っていることがあればそのことを言ってほしいのです。それに私は皆さんのことを仲間だと思っています。世界を守る仲間だと」
「何と!……もったいないお言葉!」と言って平伏するが、すぐに顔を上げ、
「分かりました。王のお言葉を皆に伝えましょう」
晴れ晴れとした表情でそう言うと、リーヴァは馬を見繕うよう部下に命じた。
レッドアームズの傭兵たちは八級の若者も含め、全員が見事な軍馬を貸し与えられ、驚きを隠しきれない。
特に騎乗戦闘を主とする四番隊は今までの馬とは比べ物にならない機動力に興奮していた。
隊長のエリアス・ニファーは譲ってほしいと頼み込みに行こうとしたほどで、ハミッシュが慌てて止めている。
ルナ、ライアン、イオネの三人も見事な馬を与えられたが、彼らは所有権も譲られている。これはルナがロックハート家の養女であり、ライアンとイオネはその従者という位置付けとされたためだ。
ルナは見事な黒馬を優しく撫でながら、リーヴァに質問した。
「この子は以前、ザックさんが乗っていた馬と関係があるのですか?」
「ああ、同じ血筋に当たるな。なかなか人に懐かぬのだが、お前のことは気に入ったようだな」
リーヴァはそう言って微笑んでいた。
翌日、セオたち五人とルナたち三人がラークヒルに向けて出発した。




