第七十一話「王となる決意」
八月十五日の夜。
レイは人馬族のソレル族からの歓待を受けた。祭のような宴席であったが、彼の心は晴れない。
(僕が王様というか、指導者って……“白き軍師”とか呼ばれていろいろやったけど、ハミッシュさんやランダルさんが責任を取ってくれるからできたんだよな……何十万人もの生活に責任を持つなんて僕には無理だ……)
彼自身、軍を率いたことなどなく、ミリース谷ではハミッシュ・マーカットが、ペリクリトル攻防戦ではランダル・オグバーンが指揮を執っていた。献策はするものの、二人の英雄が責任を取ってくれるという状況だったのだ。
その様子を見たアシュレイは彼が何を悩んでいるのか気づいていた。
「言っては悪いが、お前に“王”は務まらぬ。断ることも考えておいた方がよいのではないか」
言葉はきついが気遣うような仕草が垣間見え、レイは微笑む。
「そうだね。でも断れば帝国と聖王国の戦争を止めることができなくなるんだ」
「他の方法は思いつかぬのか? お前なら何か考え付きそうなのだが」
その問いにレイは「全然」と言って小さく首を横に振る。
それまで静かに聞いていたステラが話に加わる。
「白き王が何をするのか聞いた方がよいのではないでしょうか? 草原の民の考え方は普通の国の人と違う気がします」
「そうだね。でも、さっきのリーヴァさんの話だと、完全に普通の王様って感じだよ。それに草原に暮らす人たちの生活とかもしらないし、どんな考え方なのかも……そんな人たちの王様になるなんて僕には無理だよ」
深刻そうな顔の三人に気づいたのか、ハミッシュたちと話し込んでいたセオフィラスが話しかけてきた。
「悩んでいるみたいですね」
酒が入っているのか、先ほどより饒舌だとレイは感じた。その視線に気づいたのか、セオは持っていたジョッキを掲げ、
「もう少し冷えていた方がいいんですけど、美味しいビールですよ。といっても兄ほど酒に詳しいわけではないんですが」
「そうなのか? ロックハート家といえば武の名門としても有名だが、酒の方が更に有名なのだが」
アシュレイの問いにセオはニコリと笑う。
「ルナもそうですけど、うちでは二十歳を過ぎるまで飲んではいけないんです。身体の成長を妨げるからと兄が言うので。なので、僕も最近なんですよ、飲み始めたのは。まだ二十歳にはなっていないんですけどね」
「そうなのか……そう言えばルナも同じようなことをいっていたな」
そこでセオはレイに視線を向ける。
「人馬族の王になることをためらっていますか?」
「ええ、正直なところ、私には荷が重すぎます。多くの人の生活に責任を持つことなんて、無理ですよ」
レイの言葉にセオは大きく頷く。
「そうですよね。何十万人という草原の人々とは比較になりませんけど、僕も一応領主の息子ですから、少しだけですけど気持ちは分かります。正直なところ、三男でよかったと思っていますよ……」
セオが共感を示してくれたことで、レイは少しだけ気持ちが軽くなる。しかし、セオの話はまだ続いていた。
「……でもよく考えてください。あなたは既に何万人もの人々の人生に関わっているんです。ラクス王国でもそうですし、もっと直接的にはペリクリトルでも……それにあなたとルナが神々からこの世界を託されたのなら、このトリア大陸に住むすべての人々の未来に関わることになるんです……」
その言葉にレイは「確かにそうですが……」と呟くことしかできない。ジルソールで神々からの依頼を受けた際にはそこまで深く考えていなかったことに気づいたのだ。
「……この先、あなたにどんなことが待っているのか、僕には分かりません。ですが、神々が遣わした者であるなら、この世界に大きく関わっていくはずです。そうであるなら、力は必ず必要になります。力だけでなく、人とのつながりも。帝国や聖王国といった大国や商業ギルドのような大きな力を持った組織と渡り合うなら特に」
セオの指摘にレイは頷くことしかできなかった。
「それにしてもセオさんは立派ですね。そこまで考えているなんて……僕なんかよりよっぽど大人です」
レイの尊敬の眼差しに気づき、セオが慌てて、「僕は大人なんかじゃありませんよ」といい、大きく両手を振る。
「今言ったことは全部、兄ザカライアスから聞いた話なんです。レイさんがこの状況になったら悩むだろうからと……僕は剣を振って戦っている方が性に合っているんです」
「ザックさんが……本当に凄い人ですね。一度会ってみたいな……」
「ラスモア村に行けば会えると思いますよ。行けば、美味しいお酒を飲みながらいろいろ話してくれると思います」
レイは少しだけ気持ちが軽くなった。
(この先どうなるかは分からないけど、僕はいろんな人に助けてもらっている。アッシュやステラもそうだし、ハミッシュさんたちも僕のために故郷を離れてくれた……それに会ったことはないけど、ザックさんも……)
そこで決意を新たにする。
(僕はこの世界を虚無神から守ると約束した。失敗すれば世界が滅びるんだ。なら、覚悟を決めるべきだ……)
レイからそれまでの不安げな表情が消えていた。
ルナはレイたちとは少し離れた場所で、セラフィーヌたちと話し込んでいた。
「……というわけでアクィラの東、ソキウスに行ったのよ。それから帝国に戻っていろいろな人に会ったわ……」
ルナの話が終わると、セラが自分たちのことを話していく。
「私たちはフォルティスで修行を続けていたの。一年くらい前に私とセオのレベルが五十になったから、騎乗での戦い方を覚えたくて草原に来たのよ。ここで出会ったのは本当に偶然なの」
「レベル五十! 今はいくつなの?」
「私とセオが五十四で、ライルが剣術士レベル五十一だったかしら? ロビーナも同じくらいよね?」
一緒にいるライルと呼ばれた背が高い青年とロビーナと呼ばれた金髪の槍術士の女性に確認する。
「ええ、私もつい最近五十一になりました」とライルが答え、ロビーナも頷いている。
「ユニスも剣術と弓術が四十を超えていたわね?」
「はい。どちらも四十二ですよ」とスカイブルーの瞳が特徴的な軽戦士の女性が頷く。
「ライル君たちもがんばっているのね」
「そういうルナはどうなの?」
「弓術が三十二、魔法が一番得意な闇属性で二十八よ。少しは差を詰められたと思ったけどまだまだだわ」
ルナはそう言って苦笑する。
「昔のことを思ったら随分強くなったと思うわ。特に魔法が使えるのは羨ましいわね」
ライアンはその話を聞きながら、驚くより呆れていた。
(レイやアシュレイさんたちが別格だと思っていたが、ロックハート家はそれ以上か……俺と同い年の女の子がレベル五十を超えている……どんな修行をしたんだよ?)
そういう彼もレベル三十三になり、僅か半年でレベルを十も上げている。レベルアップは通常年に一か二程度であり、ロックハート家のように厳しい訓練を行い続けているところでも、年に五レベル以上上がることは稀だ。
これはアルベリックらに鍛えられたことに加え、神々の祝福を受けたことが大きい。
そのため、以前のように自分を卑下することなく、冷静に話を聞いていられた。
ルナは昔話に花を咲かせたものの、やはりこれからのことが気になっていた。
「明日からのことなんだけど、どうするのかしら?」
「セオが言っていたんだけど、人馬族や遊牧民が集まるには早くても五日くらい掛かるらしいわ。集まった後はレイさんのことで話し合って、それからラークヒルに向かうことになるらしいわ。もっとも私はハミッシュさんたちに稽古を付けてもらうだけだけどね」
「セラちゃんらしいわね」と言って笑うが、ラークヒルでのことが気になっていた。
「セオ君が言っていたけど、私たちは途中でレイたちと別れるのよね。その先どうするか聞いている?」
「さあ? ライルは知っている?」とセラはライルに話を振る。
ライルは「相変わらずですね」といって笑い、
「ラークヒルの手前で偵察隊と一緒に先行することになります。ルナさん、いえ、ルナ様もそれに同行していただき、偵察隊と別れてラークヒルに入ります」
ライルが言い換えたことに「昔どおり、敬語もいらないわよ。それに様付けじゃなくてもいいわ」と笑いながら言うが、「いえ、こういうことはきちんとしないといけませんから」と譲らない。
「昔からそう呼ばれていたんじゃないのか?」とライアンが聞くと、セラはそれまでとは異なり、真面目な表情で話し始める。
「ルナの生い立ちは知っているわね?」
「ああ」
「ルナは家族を失った後、随分落ち込んでいたの。だから母上が養女にするとおっしゃったのだけど、ザック兄様が“いきなりみんながルナ様と呼んだら、壁のようなものを感じてしまうから”って、私たちは呼び捨てで、ライルたちはさん付けで呼ぶようにって言われたのよ」
「そうなのか……というか、俺も敬語を使わないといけないのか?」
ルナは小さく首を横に振り、ライアンの手を取る。
「あなたはいいのよ。私の大事な仲間なんだから。それにセラちゃんたちも気にしないと思うわ」
その言葉にセラも笑顔で頷く。
「ええ、私も傭兵ギルドで訓練していたから、普通に話してくれる方が楽ね」
「話を戻してもいいかしら」とルナがいうと、「すまん」とライアンが謝る。
「いいえ、私が始めた話しだし、気にしないで」といった後、
「私たちはラークヒルに入るということだけど、その先は何をするのかしら? 第四軍団がいるから、レドナップ伯爵様と交渉をするのかしら?」
アドルフ・レドナップ伯爵は第四軍団の軍団長で、エザリントン公爵家に縁がある。その関係でロックハート家とは良好な関係で、ルナやセラとも面識があった。
「その辺りはセオがやってくれると思うわ。私じゃ駄目だからってザック兄様がセオにいろいろ話していたみたいだし」
「そうね。でも、このことはレイに話しておいた方がいいわ。何といっても“白き軍師”様なんだから」
その夜は平和に時が流れていった。
翌日の八月十六日。
早朝から慌しく人が動き、何騎もの馬蹄の音が響いていた。
レイがそのことに気づくと、指示を出していたリーヴァが恭しく頭を下げ、
「早朝よりお騒がせしております。各氏族に伝令を送りました。恐らく、明後日までにはすべての氏族に情報が届くはずです」
草原地帯は数百km四方と広大で、そこを自由に移動する人馬族や遊牧民たちを見つけられるのかと、レイは疑問に思った。
そのことが顔に出たのか、リーヴァが笑みを浮かべて説明する。
「“白き王”の噂は既に流れております。各氏族も百キメル以内にいるはずですから、情報は確実に伝わります」
百キメルと聞き、何もない草原で見つけられるのかと疑問を感じた。それが顔に出たのか、
「移動した跡が残っていますので、見つけることは難しくありません。また、各氏族がネザートン近くに来る場合は、決まったルートがございます」
レイはそんなものかと納得するが、すぐに真剣な表情に変え、
「後でこれからのことについて話がしたいのですが、お時間をいただけますか」
「もちろんです。朝食後に主だった者を集めてお伺いします」
朝食を終え、アシュレイ、ステラと共にリーヴァを待つ。二人以外にもハミッシュたちやルナたちが集まってくる。
すぐにリーヴァも前族長のピサーノ・ソレルや戦士長のギウス・サリナスらを引き連れて到着する。
天幕の前に車座になって座ると、レイが口火を切る。
「皆さんに集まっていただいたのは今後のことを相談するためです。最初に私は白き王と呼ばれる偉大な存在ではありません……」
そこでリーヴァが声を上げようと身じろぎする。レイはそれを目で抑えると、話を続けていった。
「……偉大な存在ではありませんが、人馬族の皆さんの期待に沿えるよう努力するつもりです。王という地位がふさわしいのか、他の氏族の方たちと話し合ってから決めますが、皆さんが私を指導者として望まれるのであれば、それに応えたいと思います……」
その言葉にソレル族に安堵の表情が浮かぶ。
「私には神々から与えられた使命があります……我々の共通の敵、虚無神の侵略から世界を守るという使命が」
そこでリーヴァたちの表情が期待に満ちたものに変わる。二千年前に下された地の神の神託が現実のものになるためだ。
一方、ハミッシュたちの表情が引き締まる。
分かっていたことだが、神々すら恐れる敵と正面切って戦うという宣言に、改めて気合を入れ直したのだ。
「各氏族の方たちが着いてからもう一度提案しますが、私はカエルム帝国とルークス聖王国の戦争を止めるつもりです。そのためには草原の民の皆さんの協力が必要です」
「我らに否はございません。何なりとお申し付けください」
リーヴァはそう言うと大きく頭を下げた。




