第七十話「白き王とは」
日が大きく傾き、草原は夕日で赤く染まっている。
レイはソレル族の族長、リーヴァ・ソレルとの一騎打ちに勝利した。
勝利の後、リーヴァから“白き王”と呼ばれ、更にすべての人馬族が跪き、忠誠を捧げると言われ呆然とする。
レイは愛馬トラベラーから降りると、首を軽く叩きながら「ありがとう」と言って感謝を伝えると、平伏しているリーヴァに声を掛ける。
「白き王とは僕のことなんですよね。どういうことなのか教えていただけませんか」
リーヴァは戦う前の口調とは異なり、敬意を持って話し始めた。
「白き王とは我ら人馬族を導くために地の神より遣わされた方のことを指します……」
「地の神ですか……」
「はい。この草原に住む人馬族と遊牧民にはある伝承が伝え続けられております。二千年前、すべての氏族の族長に対し、一斉に神託が下りたことに始まります。その神託とは次のようなものと伝わっております……」
そこで僅かに背筋を伸ばし、厳かな口調で語り始める。
「“これより後、世界に終焉をもたらす者が顕現せり。世界を救いしは草原の民……我が子たる草原の者たちよ。そなたらは“我が槍”。来るべき時に備えよ……我が槍を率いし者、それは白き鎧を纏いし一人の戦士。白き戦士は我の授けし槍を折り、白き王となる……王は十一の神の名代にして、すべての生きとし生けるものの希望。我が民たちよ。王に従い、久遠の平安を世にもたらせ”……というものです。そして、十の氏族の族長に“不折の槍”と呼ばれる神槍が授けられたのです」
レイは伝承に出てきた“白き王”という存在を意識せざるを得なかった。
「一つ確認したいのですが……」
「は、何なりと」
「……私が皆さんの王になるということは、人馬族には、いえ、この草原には王様というか、指導者はいないということでしょうか?」
「族長たちの合議により様々なことを決めておりますが、我らに“王”と呼ばれる存在はおりません。伝承では“王”を自称した族長もいたようですが、王を名乗った後、神罰により命を落としたそうです。何度かそれを繰り返し、王を自称することは神々の怒りを買う行為であると禁忌となりました」
「神罰で命を落とした……」とレイは呟く。
「その通りです。我らは人族よりも神々の存在を身近に感じております。神々の言葉は絶対です。それに逆らう者はこの草原にはおりません」
「つまり、神託によって選ばれた者には無条件に従うということですか?」
その言葉にリーヴァは大きく頷く。
「どのような理不尽な命令でも我らに否はありません。仮にこれより帝都に赴き、皇帝の首を取ってこいとおっしゃられれば、我らはいかなる犠牲を払っても必ずや成し遂げるでしょう」
その言葉にレイはブルりと震え、すぐに「そんなことは言いません」と否定する。
リーヴァはそれに恭しく頷くが、彼なりにレイの人柄を見ようと試しているようだった。
ルナは僅か数時間の間に起きた、この劇的な展開に付いていけない。
(聖君が人馬族の王様? リーヴァさんの態度を見れば冗談でも何でもないことは分かるわ。これがザックさんが用意した“道”なのね……)
ジルソール島のクレアトール神殿で神々から聞いた話を思い出す。
(……だとしたら、虚無神の策略、帝国と聖王国の戦争を止めて、何十万という人の命を救うことができるわ。でも、それだけの責任を聖君だけに負わせるわけにはいかない! 私にもできることがあるはず……)
ルナは自分にできることを模索し始めた。
アシュレイもこの展開に付いていけない一人だった。
自分のパートナーが突然、最強の戦闘民族の王となった。そして、その力で世界を救うことになる。
もちろん、神々との邂逅でこのような事態になることは想像していた。しかし、現実のものになると、どうしても頭が付いていかなかった。
(私の頭ではついていけぬ。私はどうすべきなのだ? レイと共にあってもよいのだろうか……)
そんなことを考えていると、隣にいたステラが彼女の手を握る。
「レイ様は何があっても変わられません。私たちはあの方のためにできることをするだけです」
「そうだな。私にできることは何かを考えねば……お前がいてくれてよかった。私ではパニックを起こしていただろう」
ハミッシュ・マーカットら傭兵たちもこの展開に困惑していた。そのため、誰一人しゃべることなく、レイたちの話を聞いていた。
そんな中、比較的冷静な者たちがいた。
それはセオフィラス・ロックハートとセラフィーヌ・ロックハート、そして三人の仲間だ。
彼らはザカライアスからある程度話を聞いており、レイが人馬族の指導者になる可能性があることを知っていた。そして、それがどのような意味を持つかも聞いていたのだ。
「レイさん」とセオが話しかける。
「何でしょうか?」と振り返ると、
「そろそろ日が落ちます。野営をするにしてもここでは難しいですし、ネザートンに入るならすぐに動いた方がいいですよ」
その言葉にレイは空を見上げた。
先ほどまで赤く染まっていた空は徐々に群青色になり、起伏のある草原では暗闇が支配し始めていた。
「そうですね」と答えるものの、この状況でネザートンの町に入るとは言いづらい。
そこで再びセオが助け船を出す。
「皆さん馬での移動ですから、ソレル族の野営地に向かってはどうでしょうか。ここから一kmくらいしかありませんから、ネザートンより早く着きます。それでいいですよね、リーヴァさん」
「それでよい。いや、それがよい。王を迎えることができることは我らの誉れだからな」
「では決まりですね。ハミッシュさん、それでいいですよね」
ハミッシュも頷くほか無かった。
「そうだな。ではすぐに出発の準備をさせる……隊ごとに整列! ソレル族の後に続くぞ! 足元が不安な者は灯りの魔道具を使え!」
人馬族たちもリーヴァの命令により隊列を組み、マーカット傭兵団が迷わないよう、左右を挟むように並んでいった。
「では、出発しましょう。王よ。出発の合図を」
リーヴァに促され、レイは仕方なく、「しゅ、出発!」と叫ぶ。
ゆっくりとした歩調で人馬族とレッドアームズの騎馬が草原を進んでいく。
二十分ほどでソレル族の野営地が見えてきた。
子供たちの元気な声や家畜たちの鳴き声も聞こえてくる。
「族長たちが帰って来たぞ!」という声が聞こえてきた。
大きな焚き火に照らされる中、人馬族たちの影が慌ただしく動く。
野営地に近づくと、肉の焼ける匂いや煮込み料理らしきスパイスの香りが漂い、レイは空腹を感じ、一瞬匂いに意識が向く。
「白き王が降臨された! 皆の者! 王をお迎えせよ!」
そう言うと大人たちが一斉に前脚を折って平伏する。それに釣られるように子供たちも頭を垂れる。
その様子にレイは困惑するが、近くにいたセオが「ここは好きなようにさせてあげた方がいいです」と小声で助言する。
騎乗のままでいていいのかと思い、愛馬から降りようとしたが、セオに止められる。
「今のままの方が頭の位置が高いですから、ソレル族の人たちも話しやすいと思いますよ」
確かに次々とやってくる人馬族たちが前脚を折って平伏すると、レイが見下ろす形になる。この状況の方がいいと言われて困惑するが、“頭が高い”という言葉を思い出し、無理やり納得した。
長老らしき年嵩の人馬族がレイの前で歓迎の言葉を述べていく。中には感激のために滂沱の涙を流している者もおり、レイはどう言葉を掛けていいのか分からず、黙って頷くことしかできなかった。
レイが挨拶を受けている間に、セオがハミッシュたちを別の場所に移動させていた。その姿を見ながら、彼がいてくれたことに感謝していた。
(二千年も待った王様が現れたんだから、感激させてあげろということかな? 分からないでもないけど、勘弁してほしいな……それにしてもセオさんがいてくれてよかった。これもザックさんのおかげなんだろうか……)
一通りの挨拶を受け、ようやくレイも解放される。
その頃にはハミッシュたちも紹介されており、戦士長に勝利した最強の傭兵ということで熱烈な歓迎を受けていた。
レイは愛馬から降りると、そのまま座りこみそうになるほど疲労を感じた。
(疲れた……身体よりも精神的に……この後のことも考えないといけないんだけど、今は考えられないな……)
愛馬を馬場にしている場所に連れていこうとすると、「我らがやっておきます」と言ってソレル族の戦士に轡を奪われてしまう。
「よい馬だ」と言いながら若い戦士はトラベラーを放牧場になっているエリアに連れていった。
レイは大きな焚き火の傍に案内され、アシュレイたちと合流する。
目の前には大きな肉の塊が焼かれており、更にビールが入った小型の樽が置かれていた。
レイの前にはすぐに大量の料理が並び、更に大ぶりのジョッキが手渡される。
リーヴァたちは「王を迎えられたことを神に感謝いたします」と言ってジョッキを上げている。
「王よ。乾杯の音頭をお願いします」
突然言われ、レイは困惑するが、周囲の視線が自分に集中していることに気づき、腹を括る。
「では、皆さんとの出会いに。乾杯!」
「「乾杯!」」という声が唱和する。
その後は堅苦しい挨拶などなく、宴会が進んでいく。
ある程度飲み食いしたところで、頃合いと見たのかリーヴァが立ち上がる。
「皆の者聞いてくれ! 本日、我らに白き王が降臨された! このことはすべての草原の民に伝えねばならん! 明朝、各氏族に伝令を出す! 直ちに王に拝謁せよと伝えるのだ!」
すべての草原の民といったところで、レイは「何人来るんだろう」と呟く。
その呟きに近くにいたセオがニコリと笑って答える。
「多分、ほとんどの氏族が一族総出で来ると思いますよ」
「ということは何十万人も集まるということですよね……それにしても、どうしてセオさんはそんなに楽しそうなんですか?」
レイは今まで思っていた疑問をぶつけてみた。
「人馬族と遊牧民が帝国軍と聖王国軍の戦争を止めに行くんですよ。どうなるかはレイさん次第ですけど、数万の人馬族が行軍するのなんて滅多に見られるものじゃありません。こんな機会に巡り合えたんですから楽しいに決まっています」
レイはその言葉に小さく頭を振る。
(この人は戦闘狂のセラさんとは違うと思っていたけど、やっぱり双子なんだな。僕には楽しむなんてできないよ……)
レイはセオの次の言葉に驚く。
「といっても、僕たちは最後まで付き合えないんですけどね」
「どうしてですか! あなたがいてくれないと僕が困るんですが……」
「僕たちは帝国の貴族、ロックハート子爵家の者なんですよ。帝国軍に加わるならともかく、止めにいくなんてできません。そんなことをしたら、実家に迷惑が掛かってしまいますから」
その言葉にレイは更に落ち込む。
そんな姿を見て同情したのか、
「ご一緒はできませんけど、最後まで手伝いますよ。多分、ルナも同じことを考えているはずですから。そうだよね、ルナ?」
突然話を振られ、ルナは「えっ? 私!」と驚くが、
「ええ、セオ君の言う通りよ。私にできることがないか考えているわ。私の力では何もできないけど、ロックハートの名を使えば何か役に立つはず。特に第四軍団が主力だから何かできることがあると思うの」
第四軍団はエザリントン公爵家と関係が深い。軍団長アドルフ・レドナップ伯爵は現宰相アレクシス・エザリントン公爵の義理の兄でもあり、エザリントン公とロックハート家は良好な関係にあることから、ルナはレドナップ伯を動かすことができるのではないかと考えていた。
そんな話をしている中、セラはハミッシュやアルベリック、ガレスらマーカット傭兵団の猛者たちにしきりに話しかけていた。
「明日は私に稽古を付けてくださいね。できれば全員にお願いしたいんですけど、一日では無理なのは分かっていますから、明後日もその次もお願いします……」
そんな様子を五番隊のハル・ランクルは呆れ顔で見ていた。そして、横にいるドゥーガル・ゲシンに話しかけた。
「俺はもうコリゴリですよ。団長やアルベリックさんの扱きは……あの子はまだ知らないから言えるんですかね。まあロックハート家の訓練好きの噂は今回の旅で何度も聞いてますけど」
「“即死以外なんでもあり”という家で生まれたんだからな。それにフォルティスの剣聖ギデオン殿の弟子でもあるんだ。普通の感覚じゃないことだけは確かだろうな」
そんな話をしていると、周りでは人馬族の若い男女が大きな焚き火の周りで踊り始めていた。その楽しげな様子にレッドアームズの面々も自然と顔がほころんでいく。
ただ一人、レイだけは明日以降のことを考え、楽しむことはできなかった。




