第六十九話「試しの儀式」
八月十五日の夕方。
レイはネザートン近くの草原で人馬族のリーヴァ・ソレルと相対していた。
既に日は大きく傾き、夏空はオレンジ色に染まりつつある。
ソレル族の族長であるリーヴァは鋼製の兜をかぶり、上半身には鋼の板で補強されたの革鎧を、馬の胴体部分には飴色の革鎧を着けている。また、左腕には直径五十cmほどの丸盾を装備し、右手には漆黒の柄の槍を無造作に握る。
槍の長さは三mほどで、穂先は鏡のように磨かれており、オレンジ色の日の光を受け、炎を纏っているように見える。
一方のレイは目立たぬように装備していた黒い革鎧を脱ぎ、純白の鎧と兜に替えていた。そして、銀色に輝く芦毛の軍馬に跨り、右脇に純白の十字槍を抱えている。
その姿には英雄の趣があった。
ソレル族の戦士たちはレイが儀式を受けるにふさわしい人物であると思い始めていた。しかし、その視線に好意的なものは少なく、皆厳しい目つきで彼のことを見ている。
「馬に乗って戦う気か」とリーヴァが険しい目つきで問うと、レイは「はい」とだけ答える。
「我らに騎馬で挑むとは身の程知らずだな」
その言葉には険があった。
最も優れた騎兵である人馬族に対し、騎馬で挑む。プライドの高い人馬族たちが侮辱と受け取ってもおかしくはない。
リーヴァだけでなく戦士たちの表情が厳しかったのはこのためだ。
「あなたに挑む時点で既に身の程知らずです。ですが、私も負けるわけにはいきません」
自然体でそう答えると、ゆっくりと槍を構える。
二人の距離は十メルトほど。その間には誰もいない。
最初はハミッシュ・マーカットが審判役を務めると提案したのだが、リーヴァが断っていた。
「審判など不要だ。失敗すれば死。それしかないのだからな」
その言葉にハミッシュはそれ以上何も言えなかった。
彼は審判役となって戦いの場に身を置き、レイが不利になったらすぐにでも介入しようと思っていたのだ。しかし、それは完全に見透かされていた。
レイが槍を構えると、リーヴァも立てていた槍を下げ、穂先を前に向ける。
両者の距離は離れているが、レイはその圧倒的な存在感に、輝く穂先が目の前にあるような錯覚に陥った。
「いつでもいいぞ」とリーヴァが声を掛ける。
レイは感じた圧力を無理やり意識から外し、愛槍白い角に魔法を纏わせ、高々と上げる。
アルブムコルヌの穂先は眩いオレンジ色の光を放ち、周囲を照らしていく。
その姿にその場にいる全員の視線が釘付けになった。その直後、レイは愛馬トラベラーを全力で駆けさせる。
一瞬にして距離が縮まった。
その見事な馬捌きにソレル族から驚嘆の声が上がる。
しかし、リーヴァは特に声を上げることなく、その場でレイを迎え撃つ。
アルブムコルヌの放つ光が残像となり、リーヴァの胴に吸い込まれていく。
リーヴァは落ち着いて真横に飛び、更にその姿勢から槍を繰り出した。
二本の槍が交錯する。
次の瞬間、金属同士がぶつかる激しい音が草原に響く。リーヴァの槍がレイの胸甲に当たって発した音だった。
次の瞬間、レイはその衝撃で背中から落馬した。
「ウッ」というレイの呻き声が僅かに漏れる。
リーヴァは特に追撃を掛けるわけでもなく、その姿を見つめていた。
「レイ!」とアシュレイが叫ぶ。ステラも「レイ様!」と声を張り上げ、二人は同時に走り出そうとした。
しかし、ハミッシュとアルベリックが二人を止める。
「今は動くな。奴はまだ戦える」とハミッシュが言うと、アルベリックもステラを抱えながら、
「ハミッシュの言う通りだよ。この程度であのレイ君がやられるはずはないんだから」
アシュレイとステラは大人しく引き下がるが、その顔には焦りがあった。
その間にレイはアルブムコルヌを杖に立ち上がろうとしていた。
「早く立て! これでは試しにならん」
冷え冷えとしたリーヴァの声に応えることなく立ち上がると、駆け寄ってきたトラベラーに素早く騎乗する。
「まだ、馬で戦うつもりか……よかろう。それがお前の望みなら、馬上で死んでもらうだけだ」
リーヴァはそれだけ言うと、レイに向かってゆっくりと歩を進めた。
レイは再びアルブムコルヌに魔法を纏わせ、高々と上げた。
「魔法を纏わせても当たらねば意味がないぞ」
リーヴァの挑発にレイは応えず、再び愛馬を駆けさせる。
二度目の交錯も結果は同じだった。
レイの攻撃が届く前にリーヴァの槍が当たり、馬から叩き落とされてしまう。
最初よりダメージが大きかったのか、何とか立ち上がったものの足元はおぼつかず、駆け寄ってきた愛馬によじ登るようにしてまたがる。手綱は握ったものの腕に力が入らず、愛馬を操ることすらできない。
「無駄だと言っておる。それとも死を望んでいるのか?」
レイはその言葉に反応することなく、震える手で愛槍を構える。リーヴァはその場で迎え撃つべく、同じように槍を持ち上げた。
その時、レイは無詠唱で“雷”の魔法を用意していた。そして、槍から左手を離し、リーヴァに向ける。
リーヴァには魔法の才がなく、レイが何をしているのか全く理解できなかった。
しかし、戦士としての本能が危険なものを感じ、考えることなく駆け出した。それも直線的に向かうのではなく、サイドステップのように一度大きく横に飛んでから走り出していた。
動いた直後、リーヴァのいた場所にバリバリという激しい音を立てて稲妻が走る。その音と光に一瞬怯むものの、レイに向けて槍を突き出しながら突撃していく。
レイはその槍を何とか弾くものの、リーヴァとトラベラーがぶつかってしまう。
馬体としてはほぼ互角だが、その衝撃にトラベラーはよろめき、レイは三度落馬する。
「怪しげな魔法を使いおって……」とリーヴァは吐き捨てるように言うが、
「白き軍師が魔術師でもあることは聞いている。それも力の一つであるなら、存分に使うがいい。だが、魔法では俺には勝てぬ。あのザカライアスであってもな」
レイにはその言葉は聞こえていなかった。
落馬の衝撃により軽い脳震盪を起こしていたためだ。
我に返ると、すぐに頭に治癒魔法を掛け、槍を杖にして立ち上がろうとした。
「やっぱり当たりませんでしたね。奇襲なら少しは効くと思ったのですが……」
そう言いつつ彼は時間を稼いでいた。三度の落馬の衝撃により、意識がまだはっきりしないためだ。
(不味いな……二回同じことをやって三回目に無詠唱魔法で奇襲を掛けるって作戦だったんだけど……さすがはハミッシュさんが認める戦士だな……とはいってもこれじゃ埒があかない。試練っていうのが何かを探りにいった方が早いかもしれないな……)
レイは周囲が想っているより遥かに楽観的だった。
それはこの“試練”が単に強さを確認するというものではなく、別のことを見るものではないかと思っていたためだ。
(……リーヴァさんは“成功”か“死”かとしか言っていない。武術の優劣なら“勝利”か“死”かという言葉になるはず。でも、何をもって成功とするかが分からない……)
成功の条件が分からないまま、槍を持ち上げるとゆっくりと愛馬を進めていく。
(分からないなら、分かるまで挑戦するだけだ。三回とも急所は外しているから、僕を殺すつもりはなさそうだ。なら、この機会に騎乗戦闘の訓練をさせてもらう……)
ペリクリトルの戦いで聖騎士隊と共に騎馬突撃を敢行し、その後の郊外の戦いでも騎乗で戦闘を行っている。しかし、その後は騎乗戦闘の機会どころか、愛馬を全力で駆けさせることもなく、当時よりも腕は鈍っていた。
更に彼自身は気づいていないが、“レイ・アークライト”という人物の能力を完全にものにしていたわけでもなかった。
レイはこの短い応酬の間に、僅かだが馬での戦闘の技術が上がっていることを感じていた。そのため、リーヴァに胸を借りるつもりで立ち向かっていく。
対するリーヴァだが、レイが考えているほど手加減しているつもりはなかった。
無論一撃で殺すつもりはなかったが、二度目の攻撃時にはしっかりと急所を狙っていた。更に三度目はレイの魔法に驚き、繰り出した槍の軌道が逸れ、激突するしかなかったのだ。
(この男は思った以上に腕が立つ……いや、徐々に腕が上がっている感じか。こんなことは初めてだ。やはり神の加護を受けているのか?……)
そう考えるものの、すぐに雑念を振り払う。
(例え神の加護を受けているとしても、この槍を折らねば試練を乗り越えたことにはならん。二千年間、傷一つ付かなかったこの槍を折れるとは思えんがな……)
リーヴァの持つ黒い槍はソレル族に代々伝わる神槍で、“不折の槍”と呼ばれている。
彼自身、この槍がどのような素材でできているか知らない。しかし、漆黒の柄は二千年間ソレル族の族長が使っていたにもかかわらず、傷一つなかった。
リーヴァも魔物との戦いで槍を振るっており、大型の魔物の攻撃を槍の柄で受けたことがあった。しかし、その時もかすり傷一つ付いていない。
(奴が何者であろうと、栄えあるソレル族の族長として神槍を折られるような下手は打たぬ。俺の戦士としての矜持に懸けて、こいつを倒す……)
リーヴァはレイに対し、容赦なく槍を振るっていった。
レイはその槍を愛槍で捌いていく。
技量差があることから完全には捌き切れず、何度も鎧に当たっていた。
それでも徐々に槍で受けられるようになり、落馬することなく、戦い続けている。
これは単純な槍術のスキルの比較であれば、レイとリーヴァに大きな差はないためだ。
本来の人馬族の戦い方は速度を生かした騎馬突撃だ。
通常の人族なら槍術に加えて乗馬スキルが高くないとできない高等な戦闘方法だが、人馬族は正に自らの身体を使っての攻撃であり、人族に比べて攻撃の精度は高い。
しかし、足を止めて戦う場合、馬の操作は必要であるものの、高速でぶつかる騎馬突撃に比べれば、それほど高いスキルは求められない。
つまり、今の状況はレイにとって有利な状況なのだ。
ソレル族の戦士はレイとリーヴァの戦い目の当たりにし、驚愕に目を見開いている。
最初は手も足も出なかった若い戦士が、それもただの人族が馬に乗って戦い続け、更に徐々にだがソレル族最高の戦士と渡り合い始めていたからだ。
アシュレイも驚きを隠せなかった。
レイが驚異的な速さで槍の腕を上げていったことは知っているが、今回はそれ以上の速度で騎乗戦闘を修得しているように見えたからだ。
(やはりレイは凄い。それとも元の身体の持ち主の才能のお陰なのか? それでもこの状況で技を修得していくとは……)
レイには周囲の状況は見えていないが、リーヴァにはしっかりと見えていた。傭兵たちだけでなく、同胞たちまでもがレイのことを評価していることを感じている。そして、それが自分への非難に変わりつつあるとの疑念を抱き始めていた。
(族長として示しがつかぬ。そろそろ終わらせねばならんな……)
リーヴァはそれまでのような真正面から受けて立つ姿勢から、戦士同士の戦いのような虚実を交えた攻撃に切り替える。
彼はフェイントを織り交ぜた突きを入れつつ、前後左右に機敏に動き始めた。
レイは突然変わった動きに一瞬戸惑った。そのため、フェイントに釣られて槍を伸ばし過ぎ、身体が開いた状態で動きを止めてしまう。
すぐにその状態が危険だと気付き、槍を引き戻そうとした。
その僅かな隙をリーヴァは逃さず、渾身の突きを放つ。
「終わりだ!」
その時、リーヴァは勝利を確信していた。
レイにその突きを受ける余裕はなく、馬上では避けることもできないためだ。
しかし、リーヴァの繰り出した槍は空を切った。
狙いは正確だった。そして、相手であるレイは動けない。本来であれば外れるはずはない攻撃だった。
レイの危機を救ったのは愛馬トラベラーだ。
主人の指示を待つことなく、自らの判断で横に移動していたのだ。
リーヴァは必殺の突きを思いもよらぬ方法で避けられ、大きく戸惑う。
そのため、今度は彼が隙を作ってしまった。
一撃で決めるつもりで、渾身の力を込めていたため、槍を持つ右手は伸び切り、レイに右肩を晒すような形で止まっていた。
レイもその隙を逃さなかった。
アルブムコルヌの十字部分を使い、鎌で草を薙ぐように振り抜く。
リーヴァはその攻撃を前脚の膝を折ることでかろうじて回避する。レイはそれを予想していたのか、完全に振り抜くことなく、手首を返すことで止め、槍を引き戻す。
そして、前脚を折り、機動力を失った敵に渾身の突きを放った。
リーヴァはその致命的な状況でも余裕があった。
二千年間一度も傷付かなかった神槍で受けるつもりだったためだ。彼はレイの攻撃を受け切った後に、反撃することまで考えていたのだ。
アルブムコルヌの白銀の穂先が漆黒の神槍の柄にぶつかる。
激しい金属音が響き、流星のような大きな火花が飛び散る。
誰もがリーヴァが攻撃を受け切ったと思った。
しかし、リーヴァは反撃に移らなかった。レイも追撃を行うことなく、動きを止めている。
夕日に染まる草原は沈黙に支配された。
静寂の中、リーヴァの手から二つに断ち切られた神槍が落ちる。
彼の顔には驚愕の表情が貼り付き、何が起きたのか理解できないと書いてあった。
一瞬の間を置き、傭兵たちから勝利の雄叫びが上がる。
「レイの勝ちだ!」
「さすがは白き軍師だ! 見事な勝ちだぜ!」
その雄叫びとは別にリーヴァが天に向かって涙を流して叫ぶ。
「白き王よ!」
それは敗北の慟哭ではなく、喜びの叫びだった。
そして、前脚を折った状態から更に身体を曲げて右手を地面に付ける。
レイが茫然としていると、リーヴァは涙を拭こうともせず、同族たちに向けて叫ぶ。
「遂に我らの悲願が、遂に神託が叶ったのだ!……白き王が遂に我らの下に降臨されたのだ!」
その声に人馬族戦士たちは次々に前脚を折って平伏していく。戦士たちの目にも涙が浮かび、嗚咽を漏らす者までいた。
その光景に歓喜の声を上げていたハミッシュたちの動きが止まる。
「白き王だと……神託が叶っただと……どういうことだ……」
その問いに答える者はなかった。
レイは勝利したことに安堵したものの、その後の展開に付いていけない。
(白き王って……これが試練の結果ということなのか……)
リーヴァが声を掛ける。
「王よ。我が非礼をお許しください」
自分に対して話しかけていることは理解できるものの、王と呼ばれたことに戸惑い、言葉が出てこない。
「我らソレル族、いえ、すべての人馬族は御身に忠誠を捧げます。我らをお導きください」
「えっと……僕が王ってどういうことですか? これが試練の結果で、皆さんが僕に従ってくれるということなんでしょうか?」
「その通りです。地の神の神託では、神々より遣わされた“白き王”が現れるとあります。十の氏族に伝わる神槍を折ることができた者こそが白き王であるとも……我らは王に従い、神兵となって世界を救うと伝えられております……」
レイはその言葉を聞きながら、馬から降りることを忘れ、平伏する人馬族を呆然と見ていた。




