第六十六話「人馬族」
レイたちは大草原を貫く中央街道を北上していた。
最初は見渡す限りの草原ということで、レイだけでなく、マーカット傭兵団の面々も興奮気味だった。
しかし、三日もすると単調なだけの風景に飽きてくる。
そして、早く中部域の主要都市ネザートンに到着するよう祈るようになった。
八月十五日。
その日の正午頃、あと二時間ほどでネザートンに到着するというところで、「飯にするぞ!」というハミッシュ・マーカットの命令が下り、一行は街道脇の広場に入っていく。
中央街道の草原地帯には数kmごとに休憩が行える広場が整備されている。これはルークスに向かう軍団の休憩や野営に使うことを想定しているためだ。そのため、広場には大抵小さな川が流れており、馬たちに水をやることができるようになっている。
広場に入ると、各隊の隊長が見張りや馬の世話などの役割を隊員たちに割り振る。
レイたちはハミッシュ直属という扱いになっており、副官であるアルベリック・オージェから命令を受けていた。
「レイ君とライアンは馬の世話をして。アッシュとステラちゃんは見張りね。ルナちゃんとイオネちゃんは五番隊からお昼ごはんをもらってきて……」
当初、ルナとイオネは護衛対象ということで仕事を割り振られることはなかったが、ルナがハミッシュに直訴して仕事をもらうようになった。
「私たちも何かさせてください。名目上は護衛対象でも、実際には一緒に戦う仲間なのですから」
「そうだな……」とハミッシュは考えるが、
「よかろう。レイたちと一緒にアルの指揮下に入ってくれ。アル、悪いが面倒を見てやってくれ」
「いいけど、団員じゃないからどういう扱いにするか考えておいて」
マーカット傭兵団には独特の厳しい規範があり、団員はそのルールに従わなければならない。
レイ、アシュレイ、ステラ、そしてライアンはレッドアームズの一員でもあるため問題はないが、ルナとイオネは団員ではない。その点をアルベリックは気にしたのだ。
結局、ルナとイオネは戦闘以外では団員に準ずるということになり、二人はアシュレイたちに教えてもらいながらマーカット傭兵団の作法を覚えていった。
レッドアームズの傭兵たちが食事を摂り終わる頃、獣人奴隷のウノがレイの下に走り込んできた。
「人馬族が接近してきます。見える範囲で五百以上。いかがされますか」
草の上に座り、のんびりと水筒から水を飲んでいたレイは慌てて立ち上がる。
「人馬族ですか! どこに!」
ウノは西の方を指さし、
「あちらです」というと、すぐに独特のシルエットの人馬族が百mほど先にある丘の上に姿を現していく。
その手には三メルトほどの槍が握られており、レッドアームズの傭兵たちは慌てて武器を手に取る。
しかし、その突然の出現に傭兵たちは浮足立っていた。
「落ち着け!」とハミッシュが一喝すると、傭兵たちの動揺はすぐに収まる。
「アル、レイ、一緒に来い。ガレス、皆を集めておけ」と言ってハミッシュは人馬族たちの方に向かって歩き出す。
レイは慌てて二人の後ろにつき、更にウノとセイスがレイの背後を守るように付き従う。
人馬族まで三十メルトほどまで近づいたところで、ハミッシュが戦場で鍛えた大音声で人馬族に目的を尋ねた。
「我々は鍛冶師ギルドに雇われた傭兵だ! 貴公らと敵対する者ではない!」
ハミッシュの言葉に一人の人馬族戦士がゆっくりと前に出てくる。
「俺はソレル族の族長、リーヴァ・ソレル! 貴公がマーカット傭兵団のハミッシュ・マーカット殿で間違いないな」
突然名指しされたことにハミッシュは驚く。
「いかにも。俺がハミッシュ・マーカットだが、何か用か?」
リーヴァはその問いに答えず、更に尋ねる。
「では、そちらに“白き軍師”なる人物はいるか。いればその者と話がしたい」
今度はレイが驚く。
どう答えようかと逡巡しているうちに、慌てて追いかけてきたルナがリーヴァに声を掛ける。
「私はルナ・ロックハートです。覚えていらっしゃらないかもしれませんが、七年前に父や兄たちと一緒にお会いしたことがあります」
リーヴァはルナの顔をまじまじと見つめ、
「その黒髪に覚えがある。ロックハート家の戦士ではない少女だったな」
「その通りです。お祭にも呼んでいただいています」
リーヴァは「うむ」と頷くが、
「お前にも関係がある。そこで話を聞いておるのだ」と有無を言わさぬ感じで言い、再びハミッシュにもう一度、白き軍師と話をしたいと伝える。
ハミッシュはどうしたものかと考えるが、その間にレイが一歩前に出る。
「私が白き軍師と呼ばれたことがある者ですが」
その時のレイの姿は擬装用の黒い革鎧と茶色いマントであり、更に二十歳前後と若いため、リーヴァを含めソレル族の戦士たちは本当にそうなのかという視線を送る。
「まあよい。では、貴公と手合わせをお願いしたい。それも手加減抜きの真剣勝負を」
突然の申し出にレイは困惑する。
「真剣勝負をしなければならん理由がない。レイ、皆のところに戻るぞ」
ハミッシュはリーヴァの戦士としての力を直感で理解していた。今のレイの実力では魔法を用いたとしても勝負にならず、最悪命を落とすと考えた。そのため、レイが何か言う前に拒否した。
「ならば、この先には進めぬぞ。俺と手合わせせねば、ここを通さぬ」
リーヴァの挑発的な言葉にハミッシュがギロリと睨む。
「ならば、力ずくで通してもらうだけだ。マーカット傭兵団を舐めるなよ」
その言葉は後方にいる団員たちには聞こえていないが、一触即発という雰囲気は伝わっており、武器を手に表情を引き締めている。
その時、二騎の騎馬が猛烈な勢いで丘を駆け下りてきた。それは人馬族ではなく、人の乗る馬だった。
武骨な革鎧と金属製の兜、背中にはバスタードソードが括られ、馬はカエルム馬と呼ばれる見事な軍馬だった。
その軍馬を巧みに操り、剣を抜いていれば騎馬突撃と見えないこともないほどの走りを見せる。
ハミッシュがその勢いに剣を抜こうとすると、若い女性の明るい声が響く。
「リーヴァさん! 私たちを置いていくなんて酷いです!」
「待って! セラ!」という若い男性の声も聞こえてくる。
ハミッシュたちの前で馬を止めると、すぐに馬から飛び降りる。
武骨な革鎧を着けているが、金色の髪の美しい女性だった。その後ろに従う若い男は彼女によく似た雰囲気で、柔らかい表情の美男子だった。
「はじめまして! 赤腕のハミッシュ・マーカットさんですよね!」
その陽気な声にリーヴァを含め、全員が毒気を抜かれる。
「私はセラ。セラフィーヌ・ロックハートと言います! 師匠からお話は聞いています! 本物のマーカット傭兵団に会えるなんて信じられない!……」
セラがハイテンションで話しているが、ハミッシュたちはその突然の状況の変化についていけない。
彼らの後ろから更に三騎の騎馬が駆け寄ってくる。若い男女で、セオたちと同年代に見えるが、いずれも見事な騎乗技術を見せていた。
「セラちゃん……セオ君も……」とルナが前に出る。
それに気づいたセラがルナに抱き付く。
「ルナ! あなたも一緒だったの! ザック兄様が近々来るはずだとおっしゃっていたけど、レッドアームズと一緒にくるとは思わなかったわ!」
その後ろでは男の方がリーヴァとハミッシュに交互に頭を下げて謝罪する。
「妹がお騒がせをして申し訳ございません。私はセオフィラス・ロックハートと申します。セオとお呼びください。ハミッシュ殿の噂は師であるギデオン・ダイアーより伺っております」
そこでハミッシュも少し状況が呑み込めたのか、表情が緩む。
「ロドリック殿とザカライアス殿の弟君で、ギデオン殿の弟子であったか。申し遅れたが、ハミッシュ・マーカットだ。ここにいるのは俺の副官アルベリック・オージェと俺の後継者レイ・アークライトだ」
そう言ってアルベリックとレイを紹介する。
リーヴァはその状況に苦笑するしかなかった。
何となく、場の雰囲気が緩んだが、ハミッシュは警戒を緩めてはいなかった。
「先ほどの話だが、うちのレイと真剣勝負はさせられぬ」
そこでセオがリーヴァに呆れたような表情を向ける。
「何の話なんですか? もしかしたらいきなり“試し”の話をしたんじゃないでしょうね」
リーヴァは平然とした表情で「当然だ。我らの悲願なのだからな」と答える。
「それじゃ駄目ですよ。きちんと話をしないと……」
そこで今度はハミッシュに向かい、大きく頭を下げる。
「すみません。リーヴァさんは説明が下手で誤解されたと思うんですが、殺し合いをしたいという話じゃないんです。僕が間に入りますから、一度落ち着いて話を聞いていただけませんか」
ハミッシュはリーヴァを見た後、「俺はそれで構わんが」と言って認めた。
セラはルナとの再会を喜んでいたが、セオたちの話に割り込んできた。
「ハミッシュさん! 私に稽古を付けてください! お願いします!」
再び場の雰囲気がガラリと変わった。
セオは苦笑しながらセラに注意する。
「もう少し空気を読めよ。今はリーヴァさんたちの話が先だろ」
「えぇ! 今すぐにでも稽古を付けてもらいたいのに……話は後でもできると思うのだけど……」
「セラちゃんは変わらないわね。フフフ……」とルナが笑う。
「では、マーカット傭兵団の皆さんと合流しましょう。リーヴァさん、一緒に行く人を選んでおいてください。全員で行くと揉めることになりますから」
セオの有無を言わさぬ仕切りにリーヴァも頷くしかなかった。
「うむ。三人ほど連れていく。もちろん、お前たちも一緒に来てくれるな。俺だけより話が早く済みそうだからな」
この状況にレイは付いていけない。
(セオとセラいう人はルナの義理の兄と姉に当たるのかな。それにしてもロックハート家の人がこんなところにいるなんて……さっき、ザックさんの名前が出たから、きっとこれも神々が言った“道を作る”っていうことなんだろうな……でも、“試し”っていったい何のことなんだろう……)
彼には何が起きるのか分かっていないが、それでも自分に関係する大きな話になることだけは分かっていた。
「でも、あの二人っていい腕だね。ステラちゃんより強そうだよ。もしかしたらヴァレリアと同じくらいかも」
アルベリックがそう呟くと、レイは驚きの表情を見せる。
「僕と同じくらいの歳にしか見えないんですけど」
「傭兵なら間違いなく四級になっているね。うちだと副隊長クラスしか相手にならないと思うよ」
四級傭兵はレベル五十以上が条件であり、それに達しているのは精鋭マーカット傭兵団といえども隊長か副隊長のみだ。
「それにエリアスのところより、騎乗戦闘も上手そうだね。さっきの襲歩なんて、ハミッシュが思わず剣を抜きそうになるほどだったからね」
そう言って笑う。
エリアス・ニファー率いる四番隊は傭兵にしては珍しい騎乗戦闘に特化した部隊だ。
チュロック砦やペリクリトルの戦いでもその真価を発揮している精鋭部隊だが、それよりも若い二人の騎乗技術は上だと言ったのだ。
「凄いですね……」とレイは絶句する。
「まあ、ロックハートの名を持つ者ならおかしくないと思うよ。有名なザカライアス卿もそうだけど、嫡男のロドリック卿も十代で巨人殺しと呼ばれた猛者だから。一度会ったことがあるけど、ハミッシュが感心するほどの腕の持ち主だったから、その弟や妹が同じくらい強くてもおかしくはないんじゃないの」
「そうなんですか」というだけで、レイはそれ以上何も言えなくなった。
レッドアームズの傭兵たちと合流すると、「ここでは他の旅人に迷惑が掛かります」と言って、広場の先にある丘を指差し、「あの向こうに行きましょう」と言って先導する。
緩やかな丘を越えたところで「この辺りなら迷惑にならないでしょう」と言ってセオは馬を下りる。
ハミッシュたちが移動を終えると、「それでは少しお時間をいただきます」と言って話を始めた。




