第六十五話「聖王国軍出陣」
八月五日の午後三時頃。
エザリントンを出発してから半月が経過した。
当初は順調に進めていたが、街道に帝国軍の輜重隊が溢れ、思うように進めなかった。それでも軽装の騎馬であり、一日当たり三十kmほど進み、中間の町フォスデールに到着した。
この間、大きなトラブルはなく、ロックハート家の名を使うような事態は起きていない。
フォスデールは城塞都市だが、帝国様式と呼ばれる標準的な城塞都市とは異なっている。
標準的な城塞都市は一辺が一キメル、高さ十mの城壁に囲まれ、堀は作られていないが、フォスデールは一辺が三キメルの城壁と幅十メルトほどの堀に囲まれた大規模な城塞である。城壁にはいくつもの塔がそびえており、戦闘用の城という印象が強い作りになっている。
フォスデールがこれほど堅固な城塞都市であるのは歴史的な理由のためだ。
ここは中部域との境界に当たり、町の西にあるフォス河を越えると、広大な草原地帯になる。そのため、帝国拡大期に騎馬民族である遊牧民や人馬族と死闘を繰り返した土地であった。
帝国が最も軍事力を誇った拡大期であったにも関わらず、帝国軍は草原地帯に入った途端、騎馬民族たちに押され続けた。そのため、天然の要害を利用した堅固な城塞を作り、ここを拠点に騎馬民族の攻勢を凌いだのだ。
現在では遊牧民も人馬族も帝国に恭順しており、城塞としての機能は求められていない。また、常備軍も千人程度のフォスデール連隊しかおらず、周辺地域の治安維持に当たっているだけの平和な土地となっている。
レイたちはフォスデールの巨大な城門をくぐった。
そこには帝国様式の町並みが広がっていたが、暮らす人々の姿は帝国南部とは大きく異なっており、その姿にルナ以外は興味津々といった感じで視線を彷徨わせている。
「着ているものからして全く違うのだな」
アシュレイの視線の先にはターバンのように頭に布を巻き、青や赤のカラフルな大きめの服にベストという出で立ちという騎馬民族の装束を着た若い男の姿があった。
「凄いね。帝国とは思えないよ」
レイの感想に「そうですね」とステラが答えるが、彼女も彼と同じように周囲を興味深く見まわしている。
奴隷時代に様々な土地を旅した彼女ですら、帝国中部域は初めてだったのだ。
「なんか変わった匂いがするね」
帝都辺りとは明らかに違う香辛料の香りが漂っていた。それは道に張り出している屋台から発せられ、それも異国情緒を掻きたてていた。
「あとで町を見にいこうか」とレイがアシュレイとステラを誘う。
「明日から野宿になるから、今日はゆっくりと休んだ方がいいわよ」
ルナが笑顔で注意を促すが、自分も初めてここに来た時に興奮していたことを思い出し、強くは言わなかった。
宿に到着すると、ハミッシュ・マーカットが全員に指示を出す。
「明日からは野営になる! 馬の確認、食料の調達、この先の情報収集を手分けして行ってくれ! それが終わった後は自由時間だ! 羽根を伸ばしてもいいが、あまり羽目は外すなよ」
北方のラクス王国で育った傭兵たちは異国情緒溢れるフォスデールの街に出られると聞き、歓声を上げる。
レイたちは馬の世話を終えると、街に繰り出していった。
■■■
レイたちがフォスデールに到着した頃、帝国軍の第四軍団は帝国西部の要衝ラークヒルに到着した。
軍団長はエザリントン公爵家の家宰でもあるアドルフ・レドナップ伯爵で、六年前にアレクシス・エザリントン公爵が宰相に就任した際に軍団長の地位を引き継いでいる。
彼の後ろには主家の次男リュシアン・エザリントンが付き従っていた。リュシアンは二十歳になったばかりの若者で、軍団長の副官の地位にある。
「軍団長閣下、聖王国軍はどの辺りにいると思われますか?」
ラークヒル城内を歩きながらリュシアンが質問する。
「恐らくですが、パクスルーメンを出た頃ではないかと。敵は歩兵が主体ですが、軽装な分、移動速度は思ったより速いと覚えておいてください」
アドルフはリュシアンの教育を兼ねて預かっている。
「では、今月中にはこの辺りにまで来ると考えておいた方がよいということですか」
「そうですな。そうなると第三軍団、第七軍団が間に合わぬ可能性もあります。そのことを考慮の上、今後の方針を決めねばなりません」
「ラークヒル連隊と第四軍団だけで二十万とも言われる聖王国軍を食い止めねばならないと言うことですか!」
「そうなりますな。第三軍団だけでも先行してくれれば助かるのですが、ギリギリというところでしょう」
ラークヒル連隊はここラークヒルの守備隊で、二千人規模でしかない。第四軍団二万と合わせても二万二千しかならず、十倍近い兵力差となる。
その事実にリュシアンは顔を引きつらせていた。
「ルークスの農民兵が主力ですから心配には及びません。唯一の懸念は我が軍団の副軍団長の経験が少なすぎるという点でしょうな。副軍団長がしっかりとしていれば、私が騎兵を率いて蹴散らすこともできるのですが」
第四軍団の副軍団長はレドナップ伯の次男カルヴィンだ。今年二十八になる軍人で、アドルフが言うほど経験がないわけではないが、軍団を指揮しての戦闘という点では今回が初めてとなる。
アドルフの言ったことは大言壮語ではない。ルークスの農民兵は粗末な槍とボロボロの革鎧をつけただけの雑兵に過ぎず、訓練が行き届いた帝国の正規軍団の兵士と比較にならない。また、聖王国軍の指揮官の質は低く、防衛戦ならともかく、侵攻作戦を行えるほどの能力を持っていない。
アドルフは口にしていないが、僅かに不安を感じていた。
(この時期にこれだけの大兵力を送り込んできた。“光の神の血”なる薬物を使うにしても不気味すぎる。何か策があるのかもしれん……まあ、神の奇跡などは起きぬだろうが……)
ルキドゥスの血とは向精神薬の一種で、服用することで恐怖をなくし、一時的に強力な兵士に変える薬物だ。数時間で効果は切れ、使用後に強い虚脱感があるため、使いどころが難しい。
彼は光神教の聖職者たちが流している“神の奇跡”という噂を知っていたが、実際に奇跡が起きるとは思っておらず、何らかの策略のカモフラージュだと考えていた。
ラークヒル城で防衛方針を確認すると、アドルフはルークスに斥候を放った。
しかし、斥候たちはルークスの切り札である獣人奴隷部隊に狩られ、多くが戻ってこなかった。
その事実にアドルフは戦慄に似た感情が湧きあがる。
敵国深くの戦場においては奴隷部隊による斥候狩りが行われたことはあるが、国境付近で行われたことがなかったからだ。
(今までとは違う。何が起きるのだ……)
アドルフは不安を感じながらも防御施設の強化を命じ、万全の体制を構築することに腐心する。
■■■
時は少し遡る。
八月一日。
ルークス聖王国の聖都パクスルーメンでは大々的な出陣式が行われていた。
パクスルーメンには十五万人にも及ぶ兵士が集まっていた。更に聖都の市民がいるため、聖都内で行える場所がなく、郊外の草原に兵士たちは集められていた。
高さ五mほどの台に総大司教ベルナルディーノ・ロルフォと煌びやかな鎧に身を固めた聖王アウグスティーノが立っていた。
「兵士諸君!」
ロルフォの声が平原に響く。
彼の後ろには二十人ほどの光神教の聖職者がおり、祈るように膝をついて呪文を唱えていた。彼らは集団魔法の一つ、拡声の魔法を使っていたのだ。
「時は来た! 遂に我らの神、光の神が邪悪なる者たちを滅ぼすために神託を下されたのだ!」
そこで「「神よ!!」」という声が上がる。これは聖職者たちが仕込んだもので、すぐに声は収まった。
「神託に従い、カエルム帝国と称する異教徒どもを駆逐せよ! 神の御使いが現れ、敬虔なる信徒に力を与えてくれるだろう!」
「「オオ!!」」という歓声が上がる。
それを両腕を開くことで抑えると、再び演説を続ける。
「此度は二十万もの敬虔な神の子が聖戦に赴く。これは聖王国の建国当時に匹敵するものである。つまり、我らが異教徒どもを追い出した戦いを再現することになるのだ!」
そこで声のボルテージを上げる。
「神を讃えよ! 唯一絶対の神、ルキドゥスを信仰せぬ者たちを駆除するのだ! もう一度言おう! これは聖戦である! 神の御心に従うのだ!」
ロルフォの演説が終わると、平原に「「異教徒を殺せ!」」という連呼が響き渡った。
それは三分以上続き、兵士たちの興奮は最高潮に達していた。
そこで聖王アウグスティーノが一歩前に出る。そして、両腕を上げて興奮している兵士たちを鎮める。
「余は此度の聖戦の先頭に立つことを決めた! 諸君らと同じく神の子として!」
「「聖王陛下、万歳!!」」という歓声が上がる。
再びそれを鎮めると、
「余は楽観しておる。総大司教猊下に神託が降りたのだ。不安に思うことなど何もない! この戦いは勝利を約束されたものである! 我に続け! 神の世界を作るために! 我に続け! 世界に平和をもたらすために!」
兵士たちは総大司教と聖王の言葉に熱狂する。しかし、二人のカリスマ性がそうさせたわけではなかった。
拡声の魔法を使っている者たちの他に、別の魔法を使う集団があった。それは巧妙に配置されており、兵士たちはおろか、聖職者たちからも見えない場所にいた。
その者たちはこの国では異端とされる闇属性魔法の使い手たちだった。
闇属性魔法は魔族の使う邪な魔法と言われ、本来ルークス聖王国で使われることはない。しかし、隷属の首輪に代表されるように、ルークスでは闇属性魔法の有用性を捨てていなかった。
そのため、総大司教直属の極秘部隊として表に出ることはなく、また今までは密室で使われるだけで、このような大規模なイベントで使われることはなかった。
今回彼らが使われたのは神託にあったためだ。
ロルフォの夢枕に立ったルキドゥスは勝利のために闇属性魔法を使うことを許可するだけでなく、積極的に使うよう示唆した。ロルフォは神の言葉を疑うことなく、闇属性魔法の魔術師を使用した。
しかし、すべての聖王国関係者が熱狂していたわけではなかった。
行政府である聖王府の役人たちはこの光景を遠目に見ながら、忸怩たる思いをしていた。
現実主義者でもある役人たちはカエルム帝国との国力差を実感しており、いかに神託が降りようとも帝国に勝利することはできないと思っていた。
そのため、表立っては反対しなかったものの、様々な方法でサボタージュを行い、開戦を遅らせようと画策する。
しかし、聖王府の長である聖王が積極的に賛成し、更に心ある役人たちが七年前の政変で追放されていたことから、帝国への侵攻という暴挙を止めることは叶わなかった。
聖王の演説が終わると、聖王国軍は進軍を開始した。
歩兵である農民兵が主体であり、更にこれだけ大規模な軍を運用するための物資は膨大な量となることから多くの荷馬車が同行する。
それでも一日当たりの移動距離は二十五kmと歩兵としては充分に速い速度で北上を続けた。
そのため、八月十五日は北部の都市アバドザックに到着した。
途中で新たに兵士が加わったため、その数は二十万を超えていた。
聖王府の役人たちは開戦が不可避となったところで、勝利に向けて可能な限りの策を講じた。その一つが獣人奴隷部隊の大量投入だった。
七年前の戦いで多くの獣人奴隷を失っており、未だに完全には回復していなかったが、まだ修行中の若い奴隷まで動員し、国境付近の斥候狩りを徹底させた。その結果、帝国軍は聖王国の状況を知ることができなかった。
二十万もの大軍が帝国領に近づいていた。




