第六十三話「レイの決意」
七月十八日。
レイたちは帝国中部の大都市エザリントンでマーカット傭兵団と合流した。
その日は鍛冶師ギルドと縁があるルナがいたことから、当然のごとくドワーフたちとの宴会になだれ込むことになったが、そこにハミッシュ・マーカットらレッドアームズの傭兵たちも招待されていた。
エザリントンの人々は鍛冶師ギルドに傭兵が招かれていることに驚くが、鍛冶師ギルドがロックハート家の令嬢のために雇ったという噂を知っている者がおり、知らなかった者もそれを聞いて納得する。
実際にはルナの護衛として雇われたわけではないが、故意に噂が流されていたのだ。そしてアルスの鍛冶師ギルド総本部からの提案を受け、ハミッシュたちもそれを否定しないでいる。
その理由だが、少し複雑な事情が絡んでいた。
レッドアームズは十数年前まで帝国と戦争をしていたラクス王国で活動している傭兵団である。本来であれば完全な中立組織である傭兵ギルドに属しているということで問題にはならないのだが、対帝国戦で活躍し、そのことをラクス王国が宣伝に使ったため、入国に際して問題になる可能性があったのだ。
城門での検問で一々嫌がらせを受ける程度ならよいが、最悪の場合、帝国内で拘束される可能性があった。特に東部域の貴族にはレオポルド皇子派が多く、ラクス王国との戦争に参加している者いる。そのため、鍛冶師ギルドが雇ったという噂を流したのだ。
帝国政府としてもロックハート家絡みで鍛冶師ギルドとトラブルになることは絶対に避けたい。特にルークス聖王国との戦争が近い時期に、鍛冶師たちと揉めたという噂が流れるだけでも、敵国の士気を上げる可能性がある。
また、アルスでハミッシュとザカライアス・ロックハートが会談したという噂も流れており、帝国政府も辺境の雄であり、ドワーフの友と呼ばれるロックハート家に配慮し、宰相の名でレッドアームズの入国を問題にしないよう通達が出されていた。これは鍛冶師ギルドと同じく、短慮な貴族が暴走することを恐れたためだ。
その結果、東方街道から入ったレッドアームズに嫌がらせを行うような貴族は一人も現れていない。
鍛冶師ギルドの宴会は最初から大いに盛り上がった。
ドワーフたちはルナが無事に戻ったことで満面の笑みを浮かべてジョッキを傾ける。
レイ、アシュレイ、ステラの三人は懐かしいレッドアームズの面々と楽しく飲んで笑い合い、ルナはライアンとイオネとともに支部長のイヴァン・ケンプらと話していた。
「そういえば、ザックのことは聞いておるな」とイヴァンがルナに話しかける。
ルナは少し間を置いた後、小さく頷く。
「帝都で聞きました。中部域からアルスを経由してラスモア村に戻ったと聞いています」
「儂も何をしに行ったのかは聞いておらんが、アルスでハミッシュ殿と会っておるそうじゃ。明日にでも聞いてはどうじゃ」
「ハミッシュさんとですか……分かりました。聞いてみます」
ルナは頷き、楽しげに話しているレイたちの方を見る。
(レイは昔と全く違うわ。高校時代のことはあまり覚えていないけど、凄く変わった気がする。以前はもっと内向的な感じだった。でも、自分の力であんなにたくさんの人たちと信頼関係を築いている。凄いわ……)
そこで自分のことに思いを巡らす。
(私は助けられてばかり。ドワーフの皆さんが私を助けてくれるのもザックさんのお陰だし……私もレイを見習わないといけない。たくさんの人の将来が掛かっているのだから……)
心の中で決意を固めると、イヴァンらに「私もレッドアームズの皆さんにあいさつをしてきますね」と言って彼らの輪に向かった。
アシュレイがルナたちの姿を見つけ、紹介する。
「彼女がルナ、ルナ・ロックハート。後ろにいる女性が治癒師のイオナで、ルナの護衛兼付き人です」
ハミッシュは「ハミッシュ・マーカットだ」と言って右手を差し出す。
ルナはその手を取り、「ルナ・ロックハートです。アシュレイさんにお世話になっています」といって頭を下げる。
イオネともあいさつをした後、ハミッシュは「よかったな」と言ってライアンの肩を両手で挟むようにバシンと叩く。
ライアンはペリクリトル攻防戦後にレッドアームズの一員となった。それだけではなく、魔族討伐隊としてトーア砦に入った後、厳しいことで有名なアルベリックの修行に耐えながら、ルナを待ち続けた。
そして、そのルナと無事再会できたことから、その努力と結果を称えたのだ。
「ありがとうございます」とライアンははにかみながら頭を下げる。
「積もる話もあるじゃろうが、まずは飲め」といっていつの間にか後ろにいたイヴァンが酒を勧める。
「明日には出発したいと思っていますから、あまり深酒は……」とレイがやんわりと断ろうとすると、
「そんなに急いでどこに行くつもりなんじゃ?」
「中部域に行くつもりです。ですから、帝国軍が出発する前に街道に出ておきたいんです」
「中部域じゃと……ザックと何か関係があるのか?」と困惑の表情を浮かべる。
ルナがイヴァンたちに簡単に説明を始めた。
「詳しくは言えないのですが、私たちはネザートンに向かわなければなりません。ザックさんが私たちのために準備してくれたのですから」
その言葉にイヴァンは「うむ」と頷く。
「ザックが絡んでおるなら仕方あるまい」
その言葉にレイはこれで潰されることはなくなると、心の中で安堵の息を吐き出す。しかし、イヴァンはその希望を打ち砕く。
「帝国軍を気にしておるだけなら、それほど急ぐ必要はない。第三軍団の第一陣の出発は三日後と聞いておる。明後日でも問題はあるまい」
帝国軍が出発を遅らせているのは補給の問題だった。
二個軍団四万人の兵士のうち、半分の二万人が騎兵であるため、飼葉だけでも膨大な量が必要となる。既に十日以上前から輜重隊を先行させているが、天候の不順などで予定より遅れているという連絡が入っていた。
そのため、出征する兵士たちは補給が容易な大都市であり、兵舎などの施設が整ったエザリントンで待機していた。
「そうじゃ。今日は無事に戻ってきた祝い。明日は壮行会じゃ。宴会を一日で済ませることはできんのじゃ」
その言葉にレイはがっくりと肩を落とすが、ルナは「ありがとうございます」と笑顔で頭を下げた。
(ルナって宴会が好きだよな。もちろん僕も楽しいんだけど、次の日のことを考えると憂鬱になる……)
レイと同じようにライアンも肩を落としていた。
「辛気臭い顔をしておるんじゃ。まあ飲め」
二人はドワーフたちにジョッキを渡され、「ジーク・スコッチ!」という掛け声と共に乾杯をさせられた。
「無理強いはいけませんよ。お酒は楽しく飲むものですから」とルナは笑うが、アシュレイは「無理強いなどされておらぬだろう」と首を傾げる。
ドワーフ並に酒に強く、体育会系の宴会に慣れているアシュレイには普通のことに見えていたのだ。
そんな感じで宴会は進み、いつも通りレイが潰れたため、ハミッシュたちに詳しい話をするのは翌日になった。
翌朝、レイたちがハミッシュ、ヴァレリア、アルベリックに事情を説明する。
レイはまだ軽い頭痛が残るが、姿勢を正して話し始めた。
「最初にご心配をお掛けしたことを謝罪します」といって大きく頭を下げる。それに合わせるようにアシュレイとステラも同じように頭を下げた。
レイはすぐに顔を上げ、話を続ける。
「本来でしたら、永遠の闇から戻り次第、ラクス王国の王都に報告に行かなくてはいけませんでした。ですが、その時間がないと判断し、ジルソールに向かいました。明確な理由はなかったのですが、結果としてはよかったと思っています」
「それについては気にしておらん。アルに手紙を渡してくれたからな」
ハミッシュはそう言うが、ヴァレリアは「でも、あの手紙がなかったらやきもきしたと思うわ。アル兄の説明では全然分からなかったでしょうから」と真剣な表情で付け加える。
「それはないよ」とアルベリックが抗議するが、それで場の空気が和む。
「今日は明日以降の準備をせねばならんから、手紙で伝えられなかったことと、ジルソールでのことを話してくれればよい」
ハミッシュの言葉にレイは頷き、説明を始めた。
「まずここにいるルナのことから話させてもらいます。彼女は僕と同郷、つまり別の世界から来ました。僕とは違い、この世界に生まれ変わったのですが、間違いありません。そして、彼女はこの世界を虚無神の破壊の手から守るための重要な役目を神々から与えられています……」
ハミッシュたちは驚きの表情を浮かべるが、静かに話を聞いている。いつもなら混ぜっ返すアルベリックですら、話の腰を折るようなことはしなかった。
「……彼女は永遠の闇と呼ばれているアクィラ山脈の東の地、魔族の国であるソキウスで“月の御子”、“闇の神の使い”として崇められる存在です。いろいろとありましたが、今ではソキウスの指導的な地位にある月魔族と鬼人族を掌握し、指導的な地位に就くことになっています……」
そこでルナに視線が集中する。一流の傭兵の視線を受け、一瞬たじろぐが、すぐに笑みを取り戻す。
「……そして僕たちのことですが、ジルソールの創造神神殿で神々と会いました……」
「神様と会ったの!」とアルベリックが驚きの声を上げる。その声にハミッシュが「黙って聞け」と言い、レイに話を続けるよう小さく頷く。
「僕とルナだけではなく、アッシュたちも会っています。そこでいろいろなことを聞きました。ヴァニタスが何をしようとしているのか、その企てが成功すると世界がどうなるのか……今すぐにどうという話ではないそうです。でもこのままにしておくと数百年後には世界は滅びに向かうそうです」
ハミッシュは大きな話に実感が湧かないものの、これまでのレイのことを考えれば大きなことが起きると直感する。
「で、神々はどうしろと?」とハミッシュが聞く。
「神々からはヴァニタスの侵攻を止めてほしいと頼まれました。具体的には近々起きる帝国とルークス聖王国の戦争を止めてほしいと。だから、中部域に向かい、更にルークスとの国境に向かう必要があるんです」
「いくらあなたでも大国同士の戦争を止めることはできないわ」とヴァレリアが言うと、
「ザックさんが、ザカライアス卿が何か準備をしてくれているようなんです。僕たちも具体的に何が待っているのかは聞いていませんが」
「ザカライアス殿が……彼ならば分からぬでもないが、何も言っていなかったな」
ハミッシュはそう呟くが、レイは更に話を続けていく。
「この先どうなるかは分かりません。少なくとも帝国とルークスの戦争を止めにいくことが危険であることは分かります……」
そこで言葉を探すように口篭る。そして、決意を固めたのかハミッシュの目をしっかりと見て再び口を開いた。
「とても危険なことに巻き込むことになります。本当なら僕たちだけでがんばりますといいたい。でも……世界のためにとは言いません。アッシュのために力を貸してください。僕だけでは力が足りません。お願いします」
そう言って大きく頭を下げた。
沈黙が彼らを包む。
その沈黙を破ったのはハミッシュだった。
「水臭いことを言うな。俺はお前たちの手助けをするために帝国くんだりまで来たんだ。ここで帰れと言われても俺を含めて誰も帰らんぞ」
そう言ってレイの肩に手を置いた。
「ありがとうございます」とレイは涙ぐみながらもう一度感謝の言葉を口にする。
アシュレイとステラも同じように目を潤ませているが、その様子を見ていたルナはレイたちの絆の強さに感動していた。
(本当にレイは凄いわ。私なら自分ひとりでって言うと思う。でも、ハミッシュさんたちを信頼しているから、家族だと思っているから頼れるんだと思う……)
レイは涙を拭くと、詳細を語り始めた。
「今のルークスの話は噂で聞いていると思います……」というとハミッシュたちは小さく頷く。
「……ルークスでは光の神が降臨し、勝利をもたらすと宣伝しています。その中には“光の神の現し身”が現れるというものがあります。そして、“白き軍師”である僕がその現し身だと言っているようなんです」
「そうなんだ」とアルベリックが暢気に言うと、ヴァレリアが「アル兄はどれだけ重大なことか分かっているのかしら」とこめかみを押さえる。
「そうなんです。戦争のきっかけは僕なんです。それもヴァニタスの策略のひとつらしくて、総大司教や枢機卿の夢に現れたという話も出ているそうです」
「だとすると、戦争を止めることは難しいんじゃないの? あの国は教会のお偉いさんが言ったことを変えられないと思うんだけど」
「そうですね。それに帝国側も思惑があるみたいで難しいみたいです」
「それでも行くのだな」とハミッシュが確認する。
「もちろんです。僕がしなければならないことですから」とレイはしっかりとした口調で答えた。
「ならばよい」とハミッシュはいいながら、レイが強くなったと感じていた。
(フォンスに来た頃に比べたら随分強くなった。あの時は困難に立ち向かう時に心が折れそうになっていたが、今は違う……)
そして愛娘アシュレイを見る。
(アッシュも強くなった。レイが無茶をしようとすれば必ず反対したのだが、今では奴を信じて自分ができることを全力でやろうとしている。完全に親離れしたということか……)
一抹の寂しさを感じながらも娘の成長を心の中で喜んでいた。
それでは皆さま、よいお年を!




