第五十八話「レッドアームズ出発」
少し前の話になります。
時は二ヶ月ほど遡る。
五月一日、マーカット傭兵団の副官、アルベリック・オージェは傭兵団本部のあるラクス王国の王都フォンスに戻ってきた。
傭兵団本部に入ったところで、「おかえりなさい、アルさん!」や「ご無事で何よりです」などという声が掛かる。
アルベリックはそれに「ただいま~」といつもの軽い調子で答えながら、団長であるハミッシュ・マーカットの下に報告に向かった。
団長室ではハミッシュの他に彼の妻であり五番隊の隊長ヴァレリアと一番隊の隊長ガレス・エイリングが待っていた。
「よく戻った」とハミッシュが出迎えるが、すぐに彼が一人であることに気づき、不安げな顔をする。
「アッシュたちはどうした?」と確認する。
アルベリックがカウム王国の要衝トーア砦に残ったのは永遠の闇と呼ばれる魔族の地に向かった愛娘アシュレイたちを出迎えるためだったためだ。
そのため、アシュレイやレイに何かあったのではないかと考えたのだ。
「あの子たちは無事だよ」といつもの飄々とした表情で答えるが、ハミッシュは「どうして一緒じゃないんだ」と眉間にしわを寄せながら詰め寄る。
「まずはアル兄に話を聞きましょう」とヴァレリアが取り成すが、彼女自身、妹のようにかわいがっていたアシュレイのことが気になっている。
「じゃあ、僕がレイ君やアッシュから聞いた話をするよ」
そこでガレスが「待ってください」と止める。ハミッシュとヴァレリアが怪訝な顔をすると、
「レイから手紙か報告書をもらっていませんか? 奴なら何かを準備していると思うのですが」
そこでハミッシュたちもアルベリックの性格を思い出す。彼の性格なら面白おかしく話そうとして、事実が伝わらない可能性があることに気づいたのだ。
「ああ、もらっているよ。でも、僕が話した方が分かると思うよ。その方が僕も面白いし……」
そこで三人は一斉に「「「手紙を見せてくれ(ください)」」」と口にした。
「つまらないな」と言いながら、アルベリックはレイから預かった手紙をハミッシュに渡す。
「無くすといけないから個人名とか種族名は書いていないって言っていたよ。だから僕が話さないといけないんだけど」
アルベリックの言葉に誰も反応せず、レイの手紙を読んでいく。
その手紙は万一の紛失を考え、ルナの名は書かれておらず、更に魔族を掌握した者のことを単に“指導者”という書き方をしていた。
五分ほどで読み切ると、ヴァレリアが代表して質問する。
「その指導者が“月の御子”ということ? 確かルナという名前だったかしら、レイ君が追いかけた人のことよね」
「そうだよ。その子も無事にこっちに戻ってきたよ」
「邪神がこの世界を滅ぼそうとしているっていう話だけど、虚無神のことよね。そのルナって娘とレイ君はヴァニタスと戦うつもりなの? 相手は神なんでしょう? 本気なの?」
「本気みたいだよ。だからジルソールに向かったみたいだし、僕も付いて行きたかったんだけど、さすがに一回ここに戻らないとハミッシュに怒られるから仕方なく戻ってきたんだ」
「当たり前だ」とハミッシュが憮然とした表情で言った。
「ジルソールに何があるのかしら? 手紙には啓示があったと書いてあるんだけど、そのことは聞いている?」
「それはレイ君にもルナちゃんにも分からないみたいだったね。始まりの神殿に行けば何かが分かるって言う話だけみたいだよ」
「つまりだ。ジルソールの始まりの神殿に急いで行かなければならん状況だったということだな。だからアッシュたちは戻ってこなかった」
ハミッシュの問いにアルベリックが肩を竦めながら答えた。
「そういうこと。僕も一度フォンスに戻ったらと言ったんだけど、そんなに時間がないっていう感じらしいよ」
「ジルソールでヴァニタスと戦うのか……」
「さあ、それはどうなんだろう? 何かが分かるだけみたいな言い方だったけど」
「だとすれば、その先で戦うことになるのか? 帝国とルークスの間で大きな戦争が起きると聞いている。もしかしたらそれに巻き込まれるのかもしれん……」
ハミッシュの呟きにガレスが頷く。
「神様絡みの話だと、光神教の連中が神の奇跡がどうのと言ってましたね。相変わらず、訳の分からんことをいうと思っていましたが、案外レイたちの動きに連動しているのかもしれませんね」
ここフォンスでも光神教の聖職者たちが「神の奇跡が起きる」とか、「神が顕現される」という話を広めている。
ハミッシュもその話は知っていたが、ルークス聖王国が帝国と戦うためにラクス王国を焚きつけようとしているだけだと思っていた。
「いずれにせよ、アッシュたちは勝算の薄い戦いを挑もうとしているということは分かった」
ハミッシュはそう言うと苦虫を噛み潰したような表情で腕を組んで考え込む。
「あの子たちを助けに行きましょう」とヴァレリアが提案する。
「いや……」と言ってハミッシュは否定しようとするが、
「本当はアクィラを越えてクウァエダムテネブレまで行きたかったんでしょ。でも、団のみんなのことがあるから諦めた……」
そう言ってハミッシュの目をしっかりと見つめる。
「……今度は私たちが家族として助けにいく。それなら問題はないわ」
レイがルナを追ってアクィラを越えた時、ハミッシュは魔族追撃隊の隊長として傭兵たちを率いており、同行することが叶わなかった。愛娘を危険な土地に送り込んだにも関わらず、待つしかできない自分が歯痒かった。
間近で見ていたヴァレリアはそのことが痛いほど分かっており、今回は手助けに行くことを提案したのだ。
「団のことは隊長たちに任せたらいいわ。もちろん、私はあなたについていくわ。五番隊はドゥーガルに任せるから」
「俺もご一緒させてください。一番隊も誰かに任せますから」とガレスも同行を希望する。
「まだ行くとは言っておらん。それに契約のこともある。軽々しく言うべきことではない」
「契約のことならギルドマスターに任せればいいわ! それよりあの子が命懸けの戦いに挑むのよ! そんなことであの子を失ったらどうするの!」
ヴァレリアの剣幕にハミッシュもたじろぐ。
「ヴァレリアの言う通りだよ。クウァエダムテネブレから戻ってきたのだって奇跡なんだ。ペリクリトルやミリース谷のことを考えたら僕は行くべきだと思うね」
珍しいことに、アルベリックはいつもの軽い口調ではなく、真剣な眼差しと真摯な口調でハミッシュを説得しようとしていた。
「こいつは団長の負けですぜ。それと俺だけじゃなく、二番隊長や三番隊長も一緒に行くっていうのは目に見えてます。団のみんなに話をした方がいいと思いますね」
ガレスの言葉にヴァレリアとアルベリックが大きく頷く。
ハミッシュは表情を更に険しくするが、
「分かった。ここにいる者たちを集めてくれ。俺から話をする」
その夜、ハミッシュはレッドアームズの傭兵たちを集め、レイたちの手助けに向かうと告げた。さすがに邪神との戦いという話は壮大すぎてしていないが、強力な敵と戦う可能性があることは話している。
「レイから詳しい話は聞けておらんが、とてつもなく大きな話に巻き込まれているようだ。俺が行っても手助けになるかは分からん。だが、俺は家族を助けるために行きたいと思っている」
そこで傭兵たちが次々と立ち上がり、「俺も連れていってください!」という声が上がる。
ハミッシュは両手を上げてそれを鎮めると、
「全員を連れていくことはできん。それに金にならんし、いつ戻るか分からん。いや、戻ってこれぬ可能性の方が高い。家族がいる奴は女房や子供のことを考えてやれ……」
その言葉にがっくりと肩を落とす傭兵が数人いた。マーカット傭兵団は独身者がほとんどだが、少なからず妻帯者がいた。
「出払っている二番隊、三番隊が戻り次第、希望者を募る。出発は半月後、五月十六日を考えている……」
そこで全員を見回し、気迫の篭った声音で覚悟を問うた。
「もう一度言うぞ! 今度の敵は今まで以上に強力だ。ミリース谷、ペリクリトル、アクィラの比ではないはずだ。それを手弁当でやるんだ。その覚悟がある者だけ連れていく。出発の前日に希望者を募る。それまではじっくりと考えてくれ」
二番隊、三番隊が戻った後、ハミッシュは同じように話をした。
二番隊の隊長、熊獣人のゼンガ・オルミガは「おらぁを置いていくのは勘弁だぁ」といつもの間延びする話し方で同行を希望する。
三番隊の隊長、元冒険者のラザレス・ダウェルも「南に行くなら俺がいっしょに行くべきですね」と笑いながら言った。ラクス王国からほとんど出たことがないマーカット傭兵団の団員にしては珍しく、冒険者時代に帝国領内にいたことがあったためだ。
傭兵ギルドのフォンス支部長デューク・セルザムはハミッシュから話を聞き、顔をしかめる。
ハミッシュが王国から出ていけば、レッドアームズの傭兵たちはほとんど残らないことは確定的だ。ラクス王国一の傭兵団が解散するか大幅に縮小されることになるため、ギルドとしてはその穴埋めに苦労することは目に見えている。
「お前が決めたのなら仕方がないが……」というものの、すぐに笑顔を見せ、
「後のことは任せろ。アッシュとレイを助けてやれ」といってハミッシュの肩をバシンと叩いた。
「すまん」とハミッシュが謝ると、
「だが、戻って来い。お前らがおらんと詰まらんからな」
そう言って豪快に笑う。ハミッシュは親友の心遣いに感謝しつつ、ギルドを後にした。
その後、護泉騎士団の団長ヴィクター・ロックレッター伯爵を訪ね、王国を出ることを告げた。
ロックレッターはその話に驚くが、ハミッシュの決意が固いことを知ると、快く送り出すことにした。
「真に残念ですが、ご息女とレイを助けるためなら仕方ありませんな。できれば私もご一緒したいところですが……」
そこでハミッシュの手を取り、
「王国の力が必要となるなら何なりと言ってください! ハミッシュ殿だけでなく、レイには大きな借りがあります。私だけでなく、ブレイブバーン公、キルガーロッホ公にもお力添えをいただければ、王国を動かすこともできないことはありませんので」
ハミッシュはロックレッターの言葉に感極まり、「ありがとうございます……」と言って頭を下げることしかできなかった。
五月十五日。
ハミッシュは傭兵だけでなく、馬丁や料理人などを含め、マーカット傭兵団に所属する者全員を集めた。
「既に言っているが、俺はこの団を離れる。ついては俺についてきたい者がいればあとで俺の部屋に来てほしい……残る者にはこの本部を任せるつもりだ。後のことはデュークに任せてあるから何も心配はいらない……」
簡単な説明を行い、団長室に向かった。
団長室にはヴァレリアとアルベリックが待っていた。
「どのくらい来ると思う?」とアルベリックがヴァレリアに聞く。
「半分くらい、六十人くらいじゃないかしら? ここが故郷って子も多いから」
「僕は百人くらいは来ると思うね。ここには物好きが多いから」
「それをアル兄が言う? 物好きの筆頭はアル兄じゃない」
「そうかな? 僕よりハミッシュと結婚したヴァレリアの方が物好きだと思うけど」
そんな話を聞きながらハミッシュは真剣な表情を崩していない。
待っているとガレス・エイリングら四人の隊長がやってきた。
「俺たちは団長についていきます。ご一緒させてください」
ガレスが代表してそう言うと、ハミッシュはこめかみを押さえ、
「お前らが全員来たら誰がここを引き継ぐんだ?」
「デュークの親父さんが当面は見てくれるそうです。残る連中の面倒もきっちり頼んであります」
「デュークが? 支部長が直接面倒を見るだと……」
「残るのは三十人です。一人一人来させると時間が掛かるので、ここにリストを作っておきました」
その人数にハミッシュは「三十人……」と絶句する。
「あら、それだと私たちを含めて百二人になるのね。アル兄の言った通りだわ」
ヴァレリアがそう言って悔しがるが、ハミッシュはそれを無視してガレスに「無理強いはしていないんだろうな」と語気を強めて聞く。
「もちろんですよ。残るように説得する方が大変だったんですから」とラザレスが笑いながらそれに答える。
「手弁当と言ったはずだ。お前らはともかく、七級や八級の若造どもはどうやって食っていくつもりだ……」
「その件については俺たちが何とかしますよ。去年の魔族討伐から結構な額の金が入っていますから」
四番隊のエリアス・ニファーがそう言うと、
「街道沿いを行くんです。護衛の依頼はあるでしょう。レッドアームズが安く請け負うといえば商人たちも喜んで依頼してくるはずです」
ガレスがそう付け加える。
「諦めなよ、ハミッシュ。みんな一緒に行きたいんだから」
アルベリックの言葉にハミッシュは言い返そうとしたが、すぐに「馬鹿ばかりだ」と笑った。




