第五十六話「解放」
六月十四日。
レイたちは十一柱の神々に会うため、再び創造神神殿の地下神殿を訪れていた。その場所は神域と呼ばれ、虚無神の影響を受けない場所だった。
そこでレイは神々の代表である天の神に相対していた。
カエルムは大きな翼を持つ美丈夫で、彼の後ろに立つ神々も二十代半ばくらいの美しい人間の姿をしている。
カエルムはレイが回答する前に彼が受諾することを知っており、レイが考えた条件についても応えるといった。
レイが提示する予定の質問は、“自分を操った理由”、“今後の神々の関与の仕方”、“獣人奴隷用の隷属の首輪の外し方”だ。
「一つ目の質問についてだが、我らがそなたの記憶に手を加えたことは事実だ」
その言葉にレイが反論する。
「記憶に手を加えたとおっしゃいましたが、精神を操ったのではないですか?」
「否。段階的に記憶を開放すること、記憶の中に危機感を植えつけることは行っているが、精神そのものを操ることはしておらぬ。なぜなら、直接精神を操作することは世界への強い干渉となるからだ」
カエルムは明確にそれを否定した。
「二つ目の質問にも関係するのですが、僕の仮説は正しいと言うことでしょうか」
レイの仮説とは、神々とヴァニタスはこの世界に対し、相手と同程度の干渉しかできないというものだ。
カエルムは「然り」といって大きく頷く。
「これはこの世界の理。我らも、そしてヴァニタスも守らねばならぬ世界の法」
「では、二つ目の質問ですが、今後は僕たちへの干渉は最小限に留めると考えていいということですね。例え不利になるとしても」
その問いにカエルムは沈黙をもって応えた。
「明確に言えないということですか? でしたら、僕はあなた方に協力しません」
レイは可能な限り冷静に聞こえるよう声を抑えてそう告げる。
「我らとしてもそなたらに干渉するつもりはない。だが、敵が強く干渉してきた場合には対抗措置をとらざるを得ないのだ。その手段の中にそなたらに干渉する方法を採るかもしれぬ」
カエルムは生真面目な性格であり、完全に否定しなかった。
レイはカエルムを静かに見つめていた。神から漏れる力に意思を曲げそうになるが、それでも気合を入れて視線を逸らさなかった。
二人の間の沈黙を破ったのは豪奢な金色の髪の白皙の美丈夫だった。
「我は光の神。我が力を受けし者に提案がある」
その言葉にカエルムが場所を譲る。
「敵が干渉を強めた場合でも我らはそなたに手は加えぬ。もちろん、そなたに関与する者も含めて」
「僕とここにいる人たちということでしょうか?」と冷静に聞き返す。ここにいない者にも干渉してほしくないためだ。
「否。ここにおらぬ者も含めてという意味だ」とルキドゥスは自信を持って答えた。
「では、どうされるつもりなんでしょうか?」
レイはルキドゥスの意図が読めず、警戒気味に質問した。
「我らは啓示を与えるのみ。そうであれば、そなたも納得するのではないか」
生真面目なカエルムは“啓示”も干渉と捉えたが、ルキドゥスはレイが嫌う“干渉”が精神を操作することだと気づき、提案を行ったのだ。
ルキドゥスの提案にレイは戸惑う。
(啓示を与えるだけなら、今までと大して変わらないはず。ヴァニタスが大きく干渉してきたら、その程度では対応できないんじゃないか?)
ルキドゥスは小さく頷くが、レイが言葉にするまで沈黙を守っていた。
「それではヴァニタスに対抗できないのではありませんか? それで世界が滅びに向かってもいいということですか?」
その言葉にルキドゥスに代わり、カエルムが答える。
「否。伝えておらぬことがある。ヴァニタスは既に大きく世界に干渉し、その結果、我らはそなたらと直接言葉を交わせるようになったのだ」
「つまり、ヴァニタスが強く干渉したため、この会見が行えたと」
「然り。そして重要なことは、彼の者の干渉は理で許容される限界であった。次に大きな干渉を行えるのは千年後。つまり、そなたらが生きている間に彼の者が世界に干渉することはできぬ」
そこでルキドゥスが言葉を引き取る。
「よって、我らはそなたらに大きく手を加える必要はないということなのだ」
その言葉でレイは納得するものの、ヴァニタスを信用することができずにいた。
(ルールがあるのは分かったけど、それに強制力があるのか? ヴァニタスなら守らない気がするんだけど、誰が止めるんだろう?)
その考えに対し、再びカエルムが答えた。
「理を決めた者は世界そのもの。もしくは我らより高位の存在。我らも誰がとはしかとは分かっておらぬ。だが、我らも、そして、ヴァニタスも、更に言えばクレアトールもその理から逃れることはできぬ」
「分かりました。では、少なくとも僕が生きている間は精神を操作するような干渉は行われないということですね」
「然り」とカエルムは明言した。
「では、三つ目の獣人奴隷の首輪についてですが、これは外せるものでしょうか」
「然り。人の神と闇の神の力を利用したものゆえ、解除は容易である」
そこで柔らかな雰囲気の金色の髪の美女と物静かな印象の黒髪の美女が前に出る。
「それではあなたに解除の方法を伝えましょう」と金髪の美女、ウィータが突然レイの額に口付けをした。その突然の行為にレイは慌てるが、金縛りにあったように動くことはできなかった。更にノクティスも同じように口づけをする。
あわあわという感じで動揺する姿がおかしかったのか、ウィータが「先ほどまでとは別人のようですね」と言って笑う。
ノクティスは真面目な表情を崩さなかった。
「これで解除はできるはずです。アルド、こちらに」
「アルド?」とレイが首を傾げると、ウノが前に歩いてくる。その姿はいつもの油断のないものではなく、無意識のうちに歩いてきたという感じだった。
「この者の真名です」とノクティスがいうと、その言葉に初めてウノは我に返った。
「遥か昔に親から付けられた名です。“ウノ”は教団より与えられた名でございます」
ルークスの獣人奴隷は訓練が終わり、部隊に配属されると名を捨てる。これは個を捨てて、組織に尽くすことを誓わせる行為の一環だが、ステラの例でも分かるように十五歳までは普通に名を使っている。
レイはウノ、すなわち“一”という意味の言葉であることに気づいておらず、そのような名だと思い込んでいたのだ。
「今まで気づかず、すみません」といって頭を下げる。
「それは構いません。十五年以上、使っておらぬ名ですので」
「では、アルド。そなたの首輪を外しますが、よろしいですか?」
ウノはノクティスに答えることなく、レイの前に跪いた。そして、「アークライト様の御心のままに」と頭を垂れる。
レイは突然のことに戸惑った。
ノクティスは解除できるはずだと断言したが、その方法が分からない。ウィータとノクティスを交互に見ると、突然頭に解除方法が浮かんだ。
それは思い出せない記憶が思い出せたような感じで、ごく自然に自分の知識として受け入れられた。
「呪文はいらないのですね。なるほど……では、ウノさん……いえ、アルドさん。首輪を外します」
そう言うとウノの首輪の魔晶石に左手を当てる。そして、目を瞑り魔力を込めていく。
カチッという音と共に魔晶石が光り、首輪の止め具が外れる。
全員が注目する中、首輪がゆっくりと滑り落ちていく。ウノの様子に変わりはなく、光神教の司教ガスタルディが言ったような死が訪れることはなかった。
首輪が床に落ちると、ウノがゆっくりと頭を上げた。その目は僅かに潤み、首に手を当てる。
「これがなくなる日が来るとは思っておりませんでした……」
ウノはそう呟いた後、レイの目をしっかりと見つめる。
「ありがとうございます。これで心よりお仕えすることができます」
「今までも充分でしたけど」とレイが聞くと、少し悲しげな表情で首を横に振る。
「いいえ。首輪がある状態では総大司教猊下の命令があれば、アークライト様に刃を向けるか、死を望むほどの苦痛に耐えるしかありませんでした。その首輪を付けている限り、自ら死を選ぶことも叶いませんので……ですが、今は私のすべてを捧げてお仕えすることができます」
今まで見たことがない清々しい表情にレイも言葉を発することができない。
「これからも身命を賭してお仕えいたします。では、他の者たちもよろしくお願いします」
「ウノさん……」としかレイは言えなかった。
セイス、オチョ、ヌエベ、ディエスの四人の首輪を外していく。その都度、ウノと同じような言葉をレイに掛けていった。
「あなたの力を受けた者は素晴らしいですわね」
ウィータがルキドゥスに話しかける。
「うむ。我の予想を遥かに超えておる。これならばヴァニタスの侵攻を防ぐことができるだろう」
二人の会話はレイの耳には入っていなかった。
「これからは本名で呼ばせてもらいます。ウノさんは、アルドさんですけど、セイスさんたちはどう呼べばいいですか」
レイの問いにセイスではなく、ウノが答える。
「我らの呼び方は今まで通りでお願いします」
その答えに「どういうことですか?」とレイは驚く。
「教団に見つかれば、アークライト様を排除しようとする可能性がございます。我らもこの首輪を再度取り付け、アークライト様の奴隷としていただき、偽装すべきと考えます」
光神教の幹部は獣人奴隷の反乱を恐れており、隷属の首輪が絶対に外せない処置を施していた。それがレイによって外せることが分かれば、光神教団はレイを排除しようと動くとウノは指摘する。
「総大司教猊下の配下には“暗部”と呼ばれる暗殺者がおります。暗部の者たちの技量は我らとほぼ互角。ですが、彼らは毒や暗器と呼ばれる暗殺用の武器の達人。お恥ずかしい話ですが、確実にお守りできると断言することはできません」
「その話なら聞いたことがある」とアシュレイが話し始める。
「光神教の総大司教の直属には暗殺者がいることは間違いない。数年前、今のロルフォ総大司教が聖王との権力争いの時に暗殺者を使ったという噂はラクス王国にも聞こえてきたほど有名な話だ……」
七年前の三〇一九年六月に聖王シルヴァーノは突如として崩御した。その直前にロルフォを糾弾しており、暗殺されたという噂は全世界を駆け巡った。
レイは再び隷属の首輪を付けることにためらいを覚えたが、再度ウノが促すと仕方なく、首輪を手に取る。
「首輪は付けますが、何の拘束もないようにしますし、いつでも外せるようにしておきます」
そう言って首輪を付けていった。
ウノたちに首輪を付け終えると、カエルムが「よいかな」といって話し始める。
「では、そなたには西の王国が暴走せぬように頼みたい」
レイは「分かりました」と答えるものの、
「具体的にはどうしたらいいのでしょうか? ルークスと帝国の戦争を止めると言っても、僕には全く方法が思いつきません」
「そなたに具体的な話をしてもよいが、この神域を出た後にヴァニタスがそなたの記憶を覗く可能性がある。そうなると彼の者が先回りし、妨害される恐れがある」
「その懸念は分かりますが……」とレイが言うと、
「“草の海”を目指せ。さすればノクティスの娘の縁者がそなたを導いてくれるだろう」
「草の海……草原ですか?」とレイはいぶかしむが、すぐに「分かりました」といって頭を下げたものの、何かを思い出し、「もう一つだけ教えてください」と言った。
「僕のこの身体の持ち主は誰なんでしょうか? レイ・アークライトという名前は分かるのですが……」
その問いにカエルムが答える。
「その者は未来の、そう失敗した未来の若者の身体だ」
「失敗した未来? 平行世界のようなものですか?」
レイのイメージは分岐する世界のイメージだった。
「その認識でよい。その若者はヴァニタスとの戦いで魂を奪われた。その時、偶然転移魔法陣の上に身体があった。我らは魔法陣を操作し、この世界に送り込んだのだ」
「ということは既に亡くなっていたんですね……」
「然り」
レイは気になっていたことが解消し、「ありがとうございました」といって頭を下げた。
「私にも質問させてください。私がこの世界に来てあの人にあったのはあなた方の導きだったのでしょうか」
ルナの問いにノクティスが答える。
「その通りです。あの者はあなたを導く者。私たちがそれを依頼し、彼は快く受けてくれました」
「では、ザックさんは私が“月の御子”だと知っていたのですか」
「いいえ。私たちが呼ぶ者ということだけです。具体的には何も伝えていません」
「では、教えてください。私があの人のことを好きになったのもあなたたちの導きなのでしょうか」
「それは違います。あなたにも彼にもそうなるように仕向けたことは一度もありません」
「そうですか……」
「あなたが疑問に思っていることに答えましょう。両親のことを気にしているのではありませんか」
「はい」と頷く。
「あなたの父親マティアス・ヴァロ。月魔族の呪術師でした。母親は人族のディアナ。二人の間に生まれた子があなたなのです。ソキウスで月魔族と人族が添い遂げることはとても難しいことです。そのため、二人は西の地を目指して駆け落ちしました……」
ルナの両親が険しいアクィラの山を越え、ティセク村近くにたどり着いた。その時、疲労しきっていたマティアスは病に冒されていた。魔力が充分にあれば自らに治癒魔法を掛けて対処できたが、そのタイミングで魔物の群れに襲われた。身重のディアナを逃がすことに成功したものの、彼は命を落とした。
「ティセク村が襲われたのは全くの偶然です。いえ、正確にいえばヴァニタスはあなたの存在に気付き、月魔族に示唆して調査させました。しかし、それは失敗し、その後ヴァニタスが操った中鬼族の若者が暴走し、偶然村を襲ったのです」
「でもそれだと私が原因では……」
「ヴァニタスもあなたを自らの“寄り代”にするつもりでしたから、殺すつもりはありませんでした」
「ヴァニタスが失敗したということですか?」
「彼の者も不完全な干渉だけでは事態を完璧に制御することはできません。ですから、我々の戦いとは全く異なる次元で起こった悲劇なのです」
ルナはその場で考え込むが、「分かりました」といって頭を下げた。
「もう一つ教えてください。ヴァニタスは私に何かしたのでしょうか? ヴァニタスが私の中に入ってこようとした時、昏い存在を感じました。今思えば随分昔から私の中にいた気がするのです」
その問いにもノクティスが答えた。
「ヴァニタスはあなたという存在を知ってから、常にあなたに干渉していました。あなたの精神の成長を妨げ、自分の都合のよい考えに導こうとしていました」
「私の精神の成長を妨げる……ですか?」
突然のことにルナは困惑する。
「自分でも感じていたのではないですか? 元の世界にいる時より、自分が幼く感じていることを」
ルナはその言葉に何も言えなかった。実際、その通りなのだが、単に自分がそのような性格だと思っていたためだ。
「それだけではありません。あなたが“昏い存在”というものを植え付け、あなたの導き手の妨害をしていたのです」
「私がザックさんと別れたのはヴァニタスのせいだったのですか!」
「その通りです。あの時、あなたの心はヴァニタスの虚無の力に支配されかかっていました。幸いなことにあなたの導き手は最善の対処をしてくれました。もし、あの時……これ以上は言わない方がよいでしょう」
「私のせいじゃなかった……」と涙を流す。
ルナは自分がザカライアスを傷つけたことに強い後悔の念を感じており、それがヴァニタスに操られた結果と知り、少しだけ気持ちが軽くなった。
カエルムが頃合いと見たのか、「では、これでよいか」と言うと、ルナは大きく頷いた。
しかし、そこで「待ってください」という声が上がる。声の主はキトリーだった。
「私にも話をさせてください。あなた方のことを知りたいのです……」
普段の飄々とした感じとは異なり、真摯な表情で頭を垂れた。
「うむ」とカエルムは言うが、
「他の者たちには聞かせぬ方がよいだろう。そなたとクレアトールの神官だけが残るがよい」
その言葉にキトリーとレーアは喜びを隠せず、「「ありがとうございます」」と叫んでいた。
「そなたらは戻るがよい」とカエルムがいうと、ルキドゥスとノクティスが一歩前に出る。
「そなたらの助けになるよう、我らの祝福を与えよう」
神々はアシュレイたちの前に立った。
これで神々との邂逅の話は終わりです。
説明回が長く続きましたが、これからは一気にエンディングに向けて突っ走ります!
……といいつつ、寄り道したらごめんなさい。先に謝っておきます(笑)。




