第五十二話「神官長」
六月十三日。
レイたちは始まりの神殿、クレアトール神殿に来ていた。
三日前に初めて訪れた後も神殿を何度か訪れていた。その際、神官であるアトロ・カヤンに虚無神の本格的な侵攻が始まっていることを訴えた。
アトロはレイたちの言葉に共感し、自らが持つ知識を伝えていく。
「……創造神はすべてを生み出す神です。そのため、非常に強い力を持っておられます。ですので、ヴァニタスといえどもこの神殿に影響を及ぼすことは難しいでしょう……」
アトロはクレアトールとヴァニタスの関係についても語っていく。
「クレアトールとヴァニタスは対となる神と考えられています。創造と破壊、誕生と終焉というように。そして、三主神、すなわち天の神、地の神、人の神は世界の根幹を形作り、八属性神は世界の調和を保っています。つまり、十一柱の神々は世界を存続させる存在といえるのです。ただ、三主神といえども一柱ではヴァニタスに対抗できません。十一柱の神々が一つになって初めてヴァニタスと同等といえるのです……」
アトロの説明では創造神クレアトール、十一神、虚無神ヴァニタスはそれぞれ同等の関係であるが、クレアトールは世界の存続に興味はないと説明する。
「つまり、クレアトールに祈っても、ヴァニタスに対抗することに手を貸してくれないということでしょうか」
レイの問いにアトロは「そうなりますね」と答えるが、
「ただ、クレアトールも破壊を認めておられるわけではないと思います。この辺りは私では何とも言い難いのですが、神官長なら明確なお答えをしてくださるのではないかと思います」
アトロはクレアトールについては饒舌に語ったが、神殿の成り立ちや歴史については言葉を濁すことが多かった。
ルナが「この神殿はいつからあるのでしょうか」と質問すると、
「私にお答えできるのは有史以前、つまり三千年以上前からあるということだけです」
彼自身、不死の種族、神人として五千年以上生きており、クレアトール神殿はそれ以前より存在していることを知っている。
しかし、この事実は研究者であるキトリー・エルバインにも告げておらず、あいまいな答えしかできなかったのだ。
それでもレイたちはアトロの答えに疑問は持たなかった。特にレイとルナは“古い神社ならありえること”という認識だったのだ。
そして今日、長い瞑想を終えて地上に現れる神官長レーア・ガイネスと面会する。
面会は午後からと決まり、レイたちはどのように話を持っていくか相談していた。
「何度か神殿に行ったけど、やっぱり地下神殿に入らないと啓示は得られないんだよね」
レイがそう問うと、ルナは「ええ」と頷く。
「じゃあ、一番の目的は地下神殿に入れてもらうこと。キトリーさんが入れてもらえているから大丈夫だと思うけど、それを最優先ということで」
「そうね。私の他にも部外者が入ったことがあるから問題ないと思うわ。ただ、神官長が認めるかという点が心配ね」
キトリーの言葉にレイが首を傾げる。
「何か特別な条件とかあるのでしょうか? それとも気難しい人とか?」
「気難しいということはないわ。どちらかといえば優しい感じなのだけど……前回はほとんどザック君が交渉してくれたんだけど、それでも一ヶ月くらい掛かったの」
「ザックさんはどうやって説得したのでしょうか?」
「神官長に何かを言ったようなのだけど、それは教えてくれなかったわ」
レイは「それでは当たってみるしかないですね」と言うものの一抹の不安を感じていた。
正午頃に神殿に行き、神官長を待った。一時間ほどでローブのような白い神官服をまとった三十代半ばくらいの女性が現れる。
銀色の髪を無造作に後ろでまとめているが、白皙の肌に翡翠色の瞳で優しい感じの美女だった。
「お待たせしました。私が神官長を務めております、レーア・ガイネスです」
メゾソプラノの美しい声で名を告げるとゆっくりと頭を下げる。
ルナはその仕草に今まで見た宮廷作法と違うという印象を受けた。
(カエルム帝国でもカウム王国でも見なかった作法ね。どこでも同じだと思っていたのだけど……)
しかし、すぐにその疑問は消え、あいさつを交わしていく。
一通りあいさつを終えると、ルナが今回の目的を説明し始めた。
「アトロさんから既にお聞きかもしれませんが、簡単に事情を説明させていただきます。その前に私自身について説明したいと思います。私は半年前にここを訪問したザカライアス・ロックハートの妹です。といっても血の繋がりはなく、偶然助けられただけなのですが……」
そこでレーアの表情を窺うが、特に変化はなかった。
「……そして、今はアクィラ山脈の東、永遠の闇と呼ばれる地にある魔族の国、ソキウスで“月の御子”と呼ばれております。私自身それほど自覚はないのですが、彼らは私のことを闇の神の御使いと思っているようです。そのノクティスからこの神殿に行くよう啓示を受けました。ただ、ここに来たら何があるのか、何をすればよいのかについては一切分かりません。ただ、始まりの神殿、クレアトール神殿に行くよう啓示を受けたのです」
話を終えるとレーアは笑みを浮かべたまま、僅かな間だが口を開かなかった。そのため、部屋は沈黙に包まれる。
「そうですか……神殿への立ち入りが目的ということですね」
「はい」
「分かりました。全員は無理ですが、あなたとレイさんだけなら許可いたします」
ステラは胸騒ぎを覚え、護衛を付けさせてほしいと言おうと僅かに身じろぎしたが、隣に座っていたアシュレイに手で制される。
「不躾な話で申し訳ないのだが」とアシュレイが話し始める。
「我らの仲間がこの神殿に来ると監視されると言っている。敵意はないようなのだが、このことについて神官長殿は何かご存じないだろうか」
その言葉にレーアは一度目を見開くと、クスッと言う感じで笑い、
「それは神々の視線ですわ。あなた方に興味を示されたのでしょう。これはとても珍しいことですけど」
「神々が? 真なのだろうか」とアシュレイが呟く。
「ええ。ここは神域に最も近い場所です。そして、ルナさんとレイさんは世捨て人と言われる私ですら気になる方たちですもの。神々が興味をもたれてもおかしくはないと思いますよ」
「私とレイが気になる……ですか……」
「ええ、とても気になりますわ。世界の存続に影響を与える方たちですから」
「ルナが世界の存続に影響を与えるということは分かります。魔族の指導者である“月の御子”なのですから。ですが、僕が世界の存続に影響を与えるというのはどういうことなのでしょう?」
レイは警戒しながら問い掛けた。
「あなたも“光の神”の加護を受けた方では?」
「僕は彼女と違って神からの啓示を受けたことはありません。どうしてそうおっしゃるのでしょうか?」
「自覚はないのね。なら、神殿に入って、神に直接聞かれた方がよいでしょう」
その意味深な言葉に警戒を強めるが、神殿に入れば分かるということでそれ以上追及しなかった。
「では、参りましょうか。それとも時間を置いた方がよかったかしら?」
レイはアシュレイとステラに目で行くと告げると、ルナに向かって、
「僕はいつでもいいけど」
「私もいつでも構わないわ」
二人が同時に立ち上がると、レーアもゆっくりと立ち上がった。そして、アシュレイたちに向かって、
「それほど時間は掛からないと思います。アトロ、お相手をお願いしますわ」
「せめてもう一人同行を許可していただけないでしょうか」とステラが訴えるが、レーアが答える前にレイが「大丈夫だから」といってそれを断った。
ステラは納得いかないものの、その要求を取り下げた。
レイたちが出ていった後、ステラは胸騒ぎが収まらないことに不安を覚えていた。
(とても不安だわ。どうしてなのかしら……神官長に不審な点はないし、具体的に何がということは分からないのだけど……)
アシュレイも同じような不安を感じていた。
(この胸騒ぎは何なのだろう。以前にも感じたことがある気がするのだが……)
二人はレイが出ていった扉を見つめ、黙っていた。
「心配はありませんよ」とアトロがいい、更にイオネもにこやかに二人に話しかけた。
「この神殿の“気”というのでしょうか、それに邪なところは感じません。それにルナ様もレイ様も神々のご加護を受けた方たちですから」
「そうだな」とアシュレイは答えるものの、それ以上何も言わなかった。
レーアと共にレイとルナは神殿の奥に進んでいく。
といっても狭い建物であり、すぐに地下への入口となる扉の前に到着した。扉はどこにでもあるような木できたもので、神聖さは感じない。
「この先が本当のクレアトール神殿です。入る時に少しだけ違和感があるかもしれませんが、無害なものです。結界の類だと思ってください」
そう言ってから扉を開いた。
扉が開いた瞬間、レイは思わず驚きの声を上げた。
「これは!……」
彼は強い意志のようなものを物理的な力として感じ、数歩よろめいた。ルナも同じようによろめき、レイが支えることで転倒を免れた。
「ごめんなさい。これほど神々が興味を持たれると思っていなかったので、注意するのを忘れてしまいました」
「神々の興味……ですか?」
「ええ、この神殿にはクレアトールだけでなく、十一柱の神々もよく顕現されました。それでもこれほどまでの力を感じたのは私も初めてです」
レイたちが感じた力はゆっくりと弱まり、扉の先が見えるようになった。
地下へ続く階段は足元から照らす間接照明のようになっており、どこも続いているような錯覚を覚えるほど長く続いている。
「それでは参りましょう。見た目より短いのでご安心を」
レーアはそういい、地下へ続く階段を下りていく。
レイは覚悟を決めるかのように「僕たちも行こうか」とルナにいい、彼女の手を取って先導する。ルナが不安を感じていたためだが、彼自身も圧倒的な力に感じた不安を紛らわしたいと思ったのだ。
扉を通り過ぎる時、僅かに抵抗のようなものを感じた。それは薄く柔らかい膜のようなもので、表現しがたい感触だったが、すぐになくなった。
階段は石造りのごく普通なものだった。先行するレーアの革のサンダルが出すペタペタという音に、レイとルナの革のブーツが出すコツコツという音が被さって響く。
永遠に続くかと思われた階段だが、レーアの言う通り一分ほどで突然途切れた。それは映像が切り替わるように唐突で、瞬きしている間に別の場所に飛ばされたようだとレイは思った。
「ここがクレアトール神殿の最深部、聖域です」
レーアのメゾソプラノの声が反響し、エコーのような効果を持って聞こえた。
「何か感じる」とレイがルナに尋ねながら振り返る。
しかし、ルナは応えなかった。レイが見た彼女の表情は何かに圧倒されているように大きく目が見開かれ、僅かに口を開けていた。
「大丈夫……」と問いかけようとした時、レイは頭の中に強い思念が送り込まれるのを感じ、言葉を失った。
その思念は爆発的な力を持ち、歓喜に近いものであることは分かったものの、それ以上のことは認識できないほと強いものだった。
「頭が……」と呟くと、その思念は急速に力を弱めていく。
『……済まなかった。人の子には強すぎるものであった』という謝罪の念が届く。
横を見るとルナも脂汗は浮かんでいるものの、先ほどまでのような切迫した表情は消えていた。
「何が起きたの……」と呟く。
「神様なんじゃないかな。あまり自信はないけど……」
彼らの前ではレーアが跪き、頭を垂れて祈りを捧げていた。
その様子を見たレイとルナは先ほどの存在が神であると理解した。
『御子たちよ。よくぞ参った……』
レイとルナは神々と邂逅した。




