第五十話「クレアトール神殿」
六月九日。
レイたちはクレアトール神殿に向けて出発した。王都ジルソール市を出ると、すぐに森に入っていく。
その森もアクィラ山脈の麓のような濃密なものではなく、疎らに生える広葉樹と下生えの低木が目立つ雑木林のような森だった。
そのためなのか、道は比較的はっきりしており、荷馬車が通った轍の跡も残っている。
「この先に農村があるから十kmくらいはこんな感じよ。もう少し先に行くとほとんど道はなくなるけどね」
神殿に行ったことがあるキトリー・エルバインがそう説明する。
彼女の言葉通り、いくつかの農村を通り過ぎた後、すぐに雑木林は赤土の荒地に変わり、乾燥した地面とゴロゴロと転がる岩だらけの大地に変わっていった。
道も何となく人が通った形跡があるくらいで、通ったことがあるキトリーがいなければ迷いそうなほどだ。
しかし、北部のレネクレートからの移動と同様に危険を感じることはなく、快晴の空の下、順調に馬を進めていった。
翌日も朝から天候に恵まれ、順調に進んでいく。ただ、上り坂がダラダラと続き、少しずつ標高が上がっていく。
右手を見ると遥か彼方にアウストレリア海の青い海面が煌いていた。
「随分上がってきましたね」とレイがキトリーに話しかける。
「そうね。でも、ここからもずっと上り坂よ。馬を酷使しないように注意してね」
最後の警告は全員に向けてだった。
その後、勾配は徐々にきつくなり、更に南国特有の強い日差しに悩まされ始める。正午を過ぎた辺りからレイの愛馬以外は大きく喘ぎ始めた。
「馬を下りた方がよさそうだな」というアシュレイの言葉で、レイを含め全員が馬を下りた。
「あとどれくらいですか?」とルナがキトリーに聞くと、
「あと十キメルほどだと思うわ。だいたい、四時間くらいね」
再び雑木林のような森に入り、日射は和らぐが、今までより歩きにくくなり、レイたちの体力は奪われていった。
二時間ほど歩くと雑木林は深い森に変わっていく。
木々は楢か樫のような大木になり、辺りは薄暗くなる。但し、道はそれ以前よりはっきりとしていた。今までは踏み固めただけの獣道であったが、僅かだがコンクリートのようなもので舗装されていたのだ。
森の中には小さな川がいくつもあったが、石造りの橋が架けられており、通行に支障はなかった。
「帝国の道みたいですね」とルナがいうと、
「そうね。これは土属性魔法で舗装されたものよ」とキトリーが答える。
帝国の主要街道は土属性魔法によって舗装されており、定期的にメンテナンスが行われている。しかし、この道はメンテナンスが不充分なのか、ひび割れから草が伸びていた。
「私は土属性が使えないからよく分からないのだけど、ザック君の話だと帝国の道とは作り方が違うらしいわ。こちらの方が古い感じがすると言っていたわね」
「帝国の道より古いというと、二千年以上前ということですか?」
「そうらしいわ。帝国の道だとメンテナンスのための魔法陣が埋め込まれているのだけど、ここにはないそうなの。それにここの道は単純な石作成の魔法で作られているだけで、帝国のように表面に硬化の魔法が掛けられていないと言っていたわ」
「凄いですね、ザックさんって。そんなことも知っているんですね」とレイが感心する。
「そうなの。冒険者にしておくには惜しい人材だって、ラスペード先生がいつもおっしゃるほどなのよ。もちろん、私も同じことを考えているけど」
そんな話をしながら森の中を歩いていく。
レイは歩きながら、この森について考えていた。
(何だろう、この感じは……鎮守の森っていうんだっけ、神社の森に入ったみたいに雰囲気が変わった。神域っていうのに入った感じなのかな……それに気候といっていいのか分からないけど、全く違う土地になったみたいだ。荒地にいる時はメキシコとかテキサスみたいな感じだったのに、ここはもっと豊かな感じがする。水が豊富だからそう思うのかもしれないけど……)
感じたことをアシュレイとステラに話す。
「そうだな。この辺りの雰囲気はラクスの森に通ずる何かがある。何がとは言えぬが」
アシュレイの言葉にステラも頷き、
「私も同じことを考えました。ですが、私の場合は生まれた里の近く、モエニア山脈の森に近い感じがしました」
ルナやライアン、イオネも故郷の森のことを考えていた。
「不思議なのよ、この森は。私も生まれ故郷のサルトゥースを思い出したもの。実害は全くないからいいのだけど、本当に不思議なところなのよ、ここは」
キトリーがそう言うとレイが「このことについてザックさんは何か言っていなかったんですか」と質問する。
「そうね。彼の奥さんのリディアーヌは精霊が見えるのだけど、闇の精霊が何かをしている感じもないって言っていたわ。それを聞いたザック君は何か思いついたみたいだけど、何も言わなかったわね」
そんな話をしていると、森から数人の男性が出てきた。年齢はバラバラで十代後半から四十代半ばで大きな篭を背負っていた。
「ナタリス村の人よ。薪を拾いにきたのだと思うわ」
男たちはキトリーにあいさつをした後、年嵩の男が「また、こちらで研究ですかな」とにこやかに対応する。
「ええ、少し調べたいことがあって。といっても、今回は私より彼女が主役なんですけど」
そう言ってルナを指差す。
「お若いのに研究をされているのですかな。では、我らはこれにて」といって再び森に入っていった。
「閉鎖的な感じはなかったよね」とレイがルナに話しかける。
「ええ、感じのいい人たちね」
「村の人はああいった純朴な人ばかりよ。でも、神官たちはもう少し閉鎖的というか、信仰一筋って感じだから」
男たちのあとを追うように道を進む。日は大きく傾き、深い森の中は急速に暗くなっていった。
二十分ほど歩くと突然森が開けた。
麦畑が広がり、更にその向こうには二、三十軒の家があった。それぞれの家の煙突から白い煙が上がり、夕焼けの紅色と相まって長閑な農村という印象を強く受ける。
「少し遅れたみたいね。家を借りるにしても早くいった方がいいわ」
キトリーはそう言うと馬に乗って歩みを速める。
レイたちもそれに倣い、馬に乗り、彼女の後をついていった。
キトリーは一軒の家の前で馬を止めると、
「ここが村長の家だから、あいさつしてくるわ」といって手綱を近くにいたレイに預ける。
五分ほどでキトリーは出てきたが、五十代半ばくらいの壮年の男性が一緒だった。
「村長のコナリーさんよ」と言って紹介する。
コナリーはよく日に焼けた顔に深い皺がある、いかにも農夫という感じで、穏やかな表情でレイたちに軽く頭を下げる。
レイたちが自己紹介していく。自己紹介が終わると、にこやかな表情のまま、歓迎の言葉を口にした。
「エルバイン教授のお連れさんなら歓迎するよ。皆さんの泊まる家はこの先だ。分からんことがあったら、私か妻に聞いてくれればいい」
「また、よろしくお願いしますわ」とキトリーがいい、コナリーが指差した方に向かって歩き始めた。
キトリーが一軒の家の前で止まり、「ここよ」と言った。
空き家とは聞いていたが、思った以上に大きな家で、部屋が五つもあるとのことだった。
「前にも借りた家よ。住んでいた人たちが一昨年の冬に流行り病で亡くなったそうなの。秋には新婚さんが住むことになるそうなのだけどね」
裏には比較的大きな家畜小屋もあり、馬たちを連れていく。
「飼葉はお隣からもらえることになったから、誰か手伝ってくれないかしら」
「俺が手伝います」とライアンが手を挙げ、キトリーとともに隣の家に向かった。
レイたちは馬から荷物を降ろし、家の中に入っていく。中は真っ暗だったが、灯りの魔道具が用意されていた。
「もっと小さな小屋みたいなところだと思っていたよ。最悪、野宿よりマシ程度でもいいと思っていたからうれしい誤算だね」とレイが笑う。
「そうですね。ここでしたらゆっくりできそうです」とステラが答える。
夕食を終えると、疲れていた彼らはそのまま眠りについた。
翌朝、夜明けと共に活動を開始する。
顔を洗うため井戸に向かうと、ナタリス村の主婦たちがいた。既にコナリーから話がいっているのか、レイたちを見ても笑顔で迎え入れる。
「キトリーさんのお連れさんね。今度も若い人ばかりね」と中年の女性が話しかけてくる。
「お世話になります」とレイたちが頭を下げると、
「そんなに堅苦しくしなくてもいいわよ。暇があったら、外の話を聞かせてくださいな」
そんな感じで全く敵意がなく、逆に拍子抜けしてしまった。
(不思議なほど警戒心がない……普通なら閉鎖されたコミュニティほど外から来る人に警戒すると思うんだけどな……単に素朴という話なんだろうか?)
そんなことを考えながら顔を洗い、家に戻っていく。
朝食を済ませると、キトリーが今日の予定を確認する。
「今から神殿にいくけど、全員でいいかしら? それともルナだけかしら?」
レイが代表して「全員で行こうと思います。拒否されるようなら考え直しますけど」と答える。
「そうね。一度神殿を見ておいた方がいいから、全員で行きましょう」
神殿は村から五百mほど北に行ったところということで、徒歩で向かう。
村を出るとすぐに森に入る。
村に入る道と同じような土属性魔法で作った道が森の中を蛇行しながら延びている。
レイたちは昨日も感じた神聖な雰囲気が更に強くなっていくことを感じていた。
樫や楢だけでなく、杉のような針葉樹の大木も多く、ルナが「伊勢神宮の森みたい」と呟く。
「伊勢神宮に行ったことがあるの?」とキトリーに聞こえないほどの声でレイが聞く。
「家族と一緒に旅行に行ったことがあるの。といっても小学生の頃だから、水族館の方が楽しくて神宮の方はあまり覚えていないのだけど」
十分ほどで森が切れ、その先には石造りの建物があった。
「あれが神殿なんですか?」とレイが疑問を口にする。
その建物は幅が十m、奥行きが二十mほどの二階建てで、装飾の類はなく、灰色の石で覆われた地味なものだったのだ。
「ええそうよ。私も最初に見たときには驚いたけど」とキトリーが真剣な表情で言った。しかし、すぐにニヤッという感じで笑い、
「あの建物は神官たちが住んでいるところなの。実際の神殿は地下にあるんだけど、そこは凄いわよ」
レイは「そうなんですか……」ということしかできなかった。
神殿の中に入ると五m四方ほどの小さな部屋があり、その奥には祭壇のようなものがあった。
「ここで待っていて、神官を呼んでくるから」というとキトリーは右側にある扉を開け、中に入っていった。
レイたちはその場で手持ち無沙汰に待っていたが、ウノが彼に近づき、小声で話し始めた。
「監視されております。今のところ敵意は感じませんが、ご注意を」
その言葉にレイはギョッとして周囲を見回しそうになるが、何とかそれを堪えて平静を装う。
「ステラには分かるかい」とステラに小声で確認すると、
「何となく感じますが、はっきりとは……」と言葉を濁す。
(ウノさんクラスじゃないと分からないレベルってことは相当腕の立つ間者ってことか。でも、この神殿になぜ……)
レイは疑問を感じたが、それを確認する前にキトリーが戻ってきた。
「神官長には会えないけど、話は聞いてもらえることになったわ。でも、全員は難しいから、私を含めて四人くらいにしてほしいって」
ルナはレイに「どうする? 私とあなた、もう一人はアシュレイさんかな」と確認する。彼女は監視がいるという話が伝わっておらず、緊張感はない。
「そうだね。アッシュじゃなく、ウノさんにお願いしようと思う」といってアシュレイに意味ありげな視線を送る。
アシュレイは彼の意図までは分からなかったが、意味があることだと感じ、即座に頷いた。
「そうだな。私が行っても話に加われん。ならば、一番の手練であるウノ殿に任せる方がいいだろう」
「退屈な話を聞きたくないだけだろ、アッシュは」と笑いながら言い、監視者に警戒されないよう芝居を打つ。
「そういうことだ」とばつの悪そうな顔を作り、アシュレイもそれに乗った。
「それじゃ、私たちは奥に行くわ。といってもすぐそこの部屋だから心配はいらないわよ」
そう言ってキトリーがレイたちを先導していく。
四人がいなくなったところで、アシュレイは「ここにいても退屈だ。私は外で軽く汗を流すぞ。ステラ、すまないが相手をしてくれ」といって神殿を出ていった。
ステラもそれを追いかけ、周囲を確認する。アシュレイはステラが近づいてきたところで、小声で話しかける。
「何があった」
「ウノさんが監視者に気づきました。私には感じないほどの監視のようです。それでレイ様はウノさんを指名されました」
「監視者か……素直に入っていったということは、敵意はないということだな」
「はい。そのことはウノさんも断言していました」
「ならば、レイに任せるしかないな。さて、あまり話していては不自然だ。訓練を始めるぞ」
そう言って剣を振り始めた。




