第四十七話「ジルソール島」
六月三日の午前七時頃。
チェスロックの商人トバイアス・クロージャーの所有する中型船、西風号はその名の通り、西風を三角帆に受け、ジルソール島の港町レネクレートに向かっている。
夜が明け、もうすぐ入港だと伝えられたレイは朝食を摂り、下船の準備を始めた。
装備を付け、荷物を整理していると、バタバタと帆を畳む音が聞こえ、船が減速していく。
レイたちは荷物を片手に甲板に上がっていった。
甲板に出ると日は昇り、斜め正面に港町がはっきりと見えた。
「あそこがレネクレートかな。思ったより小さな町だね」
その感想にステラが答える。
「そうみたいですね。レイ様が寝ておられる間に聞いたのですが、レネクレートは千人ほどしかいない小さな町だそうです。といってもジルソール王国では二番目に大きな町だそうですけど」
ジルソール王国は総人口二万人ほどで、王都であるジルソールでも人口は五千人ほどしかいない。これは島のほとんどが急峻な山地で、更に火山灰が多い痩せた土壌は穀物の生産に向かず、多くの人口を抱えることができなかったのだ。
ジルソールの主要な産物はガラス製品とワイン、そしてオリーブの加工品だ。他にも漁業が盛んだが、帝国南部の沿岸部でも漁業は盛んであるため、輸出はしていない。
ゼファー号は滑るようにレネクレートの港に入っていく。そして港内に入った後、更に減速し、ゆっくりと繋留場所に向かった。
何隻か船はいるが、大型船の姿はなく、ほとんどがゼファー号クラスの中型船か、更に小型のものしかない。
繋船柱にロープが掛けられ、船の動揺が止まった。
「これでようやく地面に足が付けられる」とレイが呟いている。
「荷を下ろせ!」というトバイアスの野太い声が響く。
その命令を受けた船員たちが船倉のゲートを開き、荷を下ろし始めた。
レイたちも船倉から馬を連れ出していくが、一昼夜に及ぶ船旅に馬たちの機嫌は悪かった。アシュレイらはフィーロビッシャーで手に入れておいた黒糖などを与えて機嫌をとるが、レイの愛馬トラベラーだけは普段どおりで、レイの姿を見つけるとブルッと鳴いて顔を擦り寄せる。
馬を降ろし、出発の準備を整えたレイはトバイアスに「お世話になりました」といって頭を下げた。
「まあ、一応仕事だからな。何をするかはしらんが、気をつけろよ」と言って右手を差し出した。
レイたちは握手をした後、船を降りていった。
港を出て、町に入っていく。
レネクレートは港を囲むようなすり鉢状の地形となっており、白い壁とオレンジ色の瓦の屋根の家が坂に張り付くように連なっている。
その家々の間は狭く、荷馬車がギリギリ通れるほどしか道幅がない
「まだ揺れているみたいだ」と言いながら馬を引いて歩いていた。
青い空と白壁の家が美しく、リゾート地のような錯覚を起こすほど長閑な風景だった。既に朝食の時間は過ぎたのか、井戸で主婦たちが食器を洗いながら話に興じている。
雪の衣に身を固めたレイや黒鉄の鎧を着たアシュレイ、大きなハルバードを担ぐライアンはその町の雰囲気にそぐわなかった。
そんな長閑な風景を見ながら、レイは横を歩くアシュレイに話しかける。
「クレアトール神殿に向かうとして、まずは王都ジルソールに行かないといけないんだよね」
「そうだな。トバイアス殿から聞いた話ではレネクレートからの陸路はジルソール行きのものしかない。それに神殿は深い山の中にあるそうだから、それ相応の準備が必要だろう」
事前に調べた情報ではジルソール島の中にはまともな街道はなく、唯一ジルソールとレネクレートを結ぶ道だけが街道と呼べるものだ。
クレアトール神殿は島の中央部の山間部にあるが、元々参拝するものはほとんどおらず、人の往来がないため道があるかすらも分からないとのことだった。
「ここからジルソールまで百五十kmくらいよね。その間に小さな村はあると聞いているけど、もう少し情報を集めておいた方がよくないかしら」
レイたちの後ろにいるルナが話に加わった。
「そうだね。野宿するならその心積もりをしておいた方がいい。まあ準備の方は僕の収納魔法に必要なものは入っているから問題はないんだけど」
レイが言う通り、食料などは彼の収納魔法に入れられるだけ入れてあった。これはジルソール王国の村が貧しく、移動中に食料を補給できないことを懸念したためだ。
ルナの提案通り、レネクレートの町の中で情報を集めることにした。といっても小さな町であり、商店などもほとんど見当たらず、偶然見つけた食料と雑貨を売る店で情報を聞くしかなかった。
その店には年老いた男性が店番をしているだけで客はいなかった。また、商品も帝国内の都市とは比較にならないほど少なく、小麦などの穀物の他には特産品であるオリーブの加工品や干した魚が僅かに置いてある程度だった。
「保存食を買いたいのですが」とレイが話しかける。
「保存食などという気の利いた物はないが、干し魚や干しブドウならあるの」
「ではそれをください」といって銀貨一枚、十C(日本円で一万円)を置く。
「どれだけほしいんじゃ」と老人は目を丸くしながら、布袋に詰めていく。
ある程度入ったところで「それで結構です」とレイは止める。
「その量じゃ、五クローナにもならん」と首を振る。
「では、少しだけ話を聞かせてください」といって情報収集を始めた。
レイはジルソールまでの道の状況などを聞いていく。
老人から聞き取った情報ではジルソールまでの道は一応通れるが、途中に村が二箇所あるだけでその他は野宿になると教えられる。
更に危険性について聞くと、老人はニコリと笑い、
「……旅行者のようじゃから知らんかもしれんが、ジルソールには魔物はほとんどおらん。まあ、毒を持ったサソリや蛇はおるから、それらに注意するくらいじゃな」
老人の言う通り、ジルソール島に魔物はほとんどいない。飛行型の魔物が帝国南部から迷い込むか、海に棲む魔物が漁村を襲う程度で、内陸部に大型の生物はほとんどおらず危険は少ないという話だった。
更に町の外に向かう道を聞き、礼を言って店を後にした。
店を出た後、全員を集めて今後の方針を話し合った。
「集めた情報だと内陸部に危険はないみたいです。念のため、ウノさんたちに警戒してもらうとして、僕たちは馬でいけるところまで進むという感じで行こうと思います」
レイの意見にアシュレイが「私はそれでよいと思う」と賛同し、ステラも頷いている。
ライアンは「俺にはよく分からんが、それでいいと思う」と賛同した。
ルナだけは少し考え込んだ後、
「それでいいと思うのだけど、案内人は雇わなくても大丈夫かしら? 地図も大したものはないそうだし、道もはっきりしていないみたいなのだけど……」
「確かにそうだな。森は深くないというが、迷えばあの山の中に入り込む。馬を連れていくなら、案内がいた方が安全だろう」
アシュレイがそう発言する。
珍しいことに「恐れながら」と言ってウノが発言を求めた。
「我らが先行して道を確認いたします。人が通った痕跡があれば、道を辿ることは可能かと」
「そうだね。アクィラの山の中でもウノさんたちのお陰で迷わなかったから問題ないと思うよ」
ルナとアシュレイもウノが自信を持っているならと、案内人なしで出発することに決まった。
午前九時過ぎ。
レネクレートの町を出るため、坂を上っていく。徐々に家がなくなり、道も細くなっていく。
振り返ると町と港が一望でき、小さな漁船が海に浮かんでいるのが見えた。
町の境界には柵すらなく、そのまま雑木林に入っていく。土地が乾燥しているためか、地質が脆いためかは分からないが、馬たちが歩くと蹄で土が簡単に削れ、何度も脚を取られている。
町から離れるにつれ、林の木々は疎らとなり、岩と潅木が目立つ荒地に入っていく。
「これなら道がなくても迷うことはなさそうだね」とレイがアシュレイに話す。
「そうだな。しかし、これでは水の確保も難しそうだな。まあ、魔術師が三人もいるから問題はないのだが」
荒地に入ると乾燥が一気に進み、水が流れた跡はあるものの小川すら見かけなかった。
一日目は野宿となった。思った以上に平坦であったため、正確には分からないものの、四十キメル以上進んでいる。
雑木林に近い場所で野営することに決めた。
焚き火を囲んで簡単な料理を作りながら、レイが感慨深げにステラに話しかけた。
「絶望の荒野を思い出すね。もっともあっちの方はもっと寒かったし、危険も一杯だったけど」
「そうですね。あの時は馬もいなかったですから、もっと大変でしたね」
二人の話にルナが加わってきた。
「そう言えば、あなたたちはソキウスに入ってからほとんど野宿だったのよね。それも絶望の荒野なんて危険なところで」
ルナの言葉にイオネが顔を強張らせながら、ブルッと震える。
「未だに信じられません。あそこを踏破されたなんて……」
ソキウスの民にとって絶望の荒野は死を象徴する場所だ。入った者の中には高名な翼魔族の呪術師や英雄と呼ばれた大鬼族の戦士もいた。しかし、誰一人として帰って来た者はなかった。
そんなことを話しながら食事を摂り、早めに就寝する。念のため、ウノたち以外にも不寝番を置くこととしたが、ウノたちを含め誰も危険な兆候は感じていなかった。
何事もなく朝を迎え、再び荒野を進む。
心配された道についてだが、ウノたちが先行して人が通った痕跡を探すため、迷うことはなかった。また、深い森というほどの場所に入らないため、目印となる山もはっきり見え、それも安心材料となっていた。
その日は海岸線にある小さな漁村に到着し、そこで一泊することになった。
二十世帯ほどが住むだけの漁村ということで宿などはなく、納屋のような小屋を借りて一夜を過ごした。
情報収集を行うものの、大した情報は得られなかった。
その後は森というにはやや木々が疎らなところを進んでいくが、レネクレートの老人に注意されたサソリや蛇も現れなかった。
六月七日に王都ジルソールの町を見下ろす丘にたどり着く。
西に傾いた太陽の光を受け、赤みかかった色に染まるジルソールの町は王都というには小さく見えた。
「本当に小さな町だね。帝国の城塞都市の方が立派な感じがするよ」
レイがそう思ったのはジルソールにはレネクレートと同じように海に面した斜面に作られているものの、王宮らしい立派な建物が見当たらなかったためだ。帝国の城塞都市なら四階建ての城主の舘が必ずあるが、眼下にある町では一番大きな建物でも三階建ての舘しかなかった。
それでも白で統一された町は美しく、初めて入る町に期待を膨らませていた。
午後五時過ぎ。
レイたちはジルソールの町に入った。
上から見た感じでは町の中心は港から五百mほど北にあり、そこから放射状に石畳の道が延びている。とりあえずそこに向けて馬を進めていった。
目的地には噴水があり、その正面に王宮があった。
三階建ての白亜の建物だが、帝都辺りの中堅どころの商人の家の方が大きいと思われるほどで、扉を守る兵士が槍を構えていなければ、王宮と分からなかったほどだ。
その周りを馬を引きながら歩いてみるが、人通りも少なく、宿も見つからなかった。
「この辺りに宿はなさそうだ。港の方に行ってみるか?」とアシュレイがいい、更に坂を下っていく。
二百メルトほど進むと商業地区なのか、小さな看板が掲げられた建物が多くなる。その中に宿を見つけ、空きがあるか確認する。
ウノたちは既に町の中に消えており、レイ、アシュレイ、ステラ、ルナ、ライアン、イオネの六人になっていたが、宿自体が小さく一つの宿では部屋を確保できなかった。そのため、近くにある宿を教えてもらい、分散して宿泊することになった。
三人ずつに分かれる必要があり、念のため戦力を均等化しようとしたが、
「ウノさんたちが監視してくれるなら、パーティメンバーごとに分かれた方がよくないかしら?」
ルナがそう提案する。
これは彼女がアシュレイとステラに配慮したためだ。ソキウスを出てから三人だけの時間がほとんどなかったことを気にしていたのだ。
「じゃあ、ルナとイオネさん、それにライアンがそっちの宿で、僕とアッシュ、ステラがこっちでいいね」
アシュレイはその配慮を不要と考えたが、ステラが「ありがとうございます」といって賛成したため、その割り振りで宿に泊まることに決まった。
レイたちと別れたルナは馬を預けると、部屋に向かおうとした。しかし、そこで意外な人物と出会った。




