第四十六話「ジルソールへ」
六月一日の夕方。
チェスロック湾に居座っていた海蛇竜の討伐に成功し、港では船乗りたちが歓声を上げている。
彼らはシーサーペントのせいで船を出すことができず、欲求不満がたまっていた。しかし、遂にその原因が取り除かれ、明日からは再び海に出られると、喜びを全身で表している。
そんな中、今回の討伐の殊勲者レイは、船乗りたちから背中や腕をバシバシと叩かれるという海の男らしい手荒い歓迎を受けていた。
「僕だけの手柄じゃないです。皆さんが力を合わせたから倒せたんです」
彼の言葉を聞き、更に船乗りたちは大歓声を上げる。
「さすがは白き軍師殿だ! 祝勝会には出るんだろ!」
「はい。参加します! でもその前にやることがあるので……」
彼がそう言うと、スキンヘッドの巨漢が前に出てきた。
「俺に用があるということだな」とその男、トバイアス・クロージャーが声を掛ける。
彼も今回の討伐作戦に参加しており、レイたちが命懸けでシーサーペントに挑んだことを目の当たりにしていた。
「はい。これでジルソールまで船を出してくれますよね」とレイが言うと、トバイアスは大きく頷く。
「俺の西風号で送り届けてやる。安心しろ」
トバイアスとはシーサーペントが排除できたら船を出してもらうという約束をしていた。レイはその確認をしたのだ。
「ありがとうございます。では、明日の出発でも大丈夫ですか?」
「俺はそれで構わんぞ。ただ、ジルソールのどこの港に行くかだけは決めてくれ」
ジルソール島には北部のレネクレートと南部にある王都ジルソール市の二箇所に港がある。他にも小さな漁村はあるが、中型船であるゼファー号が入港できる港はその二つだけだ。
レネクレートはチェスロックから直線距離で約百km。風の状況にもよるが、最短一昼夜、通常なら一日半あれば到着できる。
一方のジルソールは島を迂回する必要があるため、約三百五十キメルになる。航海に掛かる時間は最速で三昼夜ほどだ。
レネクレートからジルソールまで陸路では百五十キメルで、順調にいっても馬で四日ほど掛かる。時間的には海路の方が有利だが、航海にどの程度のリスクがあるかがレイには分からない。
「どちらがいいでしょうか? 正直なところ、よく分かりません」
「レネクレートにした方がいいだろう」と即答する。
「理由は何ですか? ジルソールに行く航路が危険とか?」
レイの問いにトバイアスはニヤリと凄みのある笑みを浮かべる。
「お前たちはラクスのフォンスやペリクリトルから来ている。つまり船で海に出たことがないではないか? ならば間違いなく船酔いになる。それに馬も連れていくつもりなら、できるだけ短い航海にしておいた方がいいだろう」
「確かにそうですね」と答えながら、船酔いについて考えていた。
(そういえば船に乗ったのっていつ以来だろう……子供の頃に旅行でフェリーに乗ったくらいか。あの時はほとんど揺れなかったから船酔いにはならなかったな……)
レイはアシュレイやステラ、ルナたちに相談する。
「どう思う? 僕はトバイアスさんの提案に乗った方がいいと思うんだけど」
「そうだな。私も湖で小船に乗ったことがあるくらいだ。ここは専門家である船乗りの意見を尊重した方がいいだろう」
アシュレイがそう言うとステラも「私も賛成です」といい、
「海は思った以上に揺れます。私は大丈夫でしたが、前のご主人様と何度か船に乗りましたが、船酔いで苦しむ人をたくさん見ています。船に乗っている時間はできるだけ短い方がいいのではないでしょうか」
ルナも船に乗った経験がなく、「船酔いは辛いらしいから」といってレネクレート行きに賛成する。
「それじゃ決まりだね。一日、二日の遅れなら問題にはならないし、体調不良で動けなかったら同じことだしね」
全員がレイの意見に頷くと、トバイアスに目的地をレネクレートにすることを伝えた。
「分かった。あとは帰りのことだが、今のご時勢、レネクレートでお前たちが使えるような帝国行きの船を見つけることは無理だろう。どのくらいの期間ジルソールにいるつもりかは知らんが、ある程度予定が決まっているなら、それに合わせて迎えにいってやるぞ」
「今のところ予定は決まっていません。トバイアスさんのところの船は定期的にレネクレートに行くことはないのですか?」
「そうだな。定期的には出していないが、この時期なら月に一度はレネクレートに行く。月の頭にレネクレートにいくと決めても構わんし、何なら漁船を使って手紙でも送ってくれたら、迎えにいってやるぞ」
「ありがとうございます。でも、いいんですか? 商売だと商品が集まってから船を出した方がいいと思うんですけど」
レイがそう言うとトバイアスは彼の肩をバンと叩き、
「今回はお前さんのお陰で船を出せるようになったんだ。そのくらいのことは何でもねぇよ」
こうして明日六月二日にジルソール島のレネクレートに向けて出港し、何もなければ七月の上旬に迎えにいくことに決まった。また、それ以前に戻ることができる場合は、レネクレートで漁船か小型の交易船に手紙を託せば、迎えがいくことに決まった。
レイたちはジルソール島に渡る手段を確保し、安堵する。
「それじゃ、話は終わりだ! 今から祝いの宴会を始めるぞ!」
トバイアスの声に周囲にいた船乗りから「「オオ!!」」という声が上がった。
祝勝会は夜を徹して行われた。
レイたちは主役ということで日付が変わる頃まで飲んでいたが、翌朝出発するということで宿に戻った。
翌朝、やや風は強いものの、南国の澄み切った青空が広がっていた。
レイとライアンはいつも通り二日酔い気味だが、レイとイオネの解毒の魔法でそれほど酷い状態にはなっていない。
商船用の突堤にいくと、トバイアスらが出航の準備を行っていた。彼らは徹夜で飲んでいたはずだが、そんな疲れは一切見せることなく、元気に働いていた。
「おはようございます」とレイがトバイアスにいい、
「それにしても僕たちより後まで飲んでいたのに元気ですよね」
「鍛え方が違うからな。ガハハハ!」とトバイアスは笑う。
「この風が続けば明日の夜明け頃にはレネクレートにつける。その分、少し揺れそうだがな」
予定より少し早くなると聞き、レイたちも安堵する。
そして、帝都プリムスから案内してくれたロビンス商会のヴィタリ・ホワイトにルナが感謝を伝える。
「ここまで案内していただき、ありがとうございました。お陰で大きなトラブルもなく、ジルソールに渡ることができそうです」
「いえ、大恩あるロックハート家の方に少しでも恩返しができたのであれば、これに優ることはございません。ですが、シーサーペントは大きなトラブルだという気はしますが」
ヴィタリはそう言って笑う。
「確かにそうですね。フフフ……でもあれはヴィタリさんに責任はありませんし……それではバートさんによろしくお伝えください」
ヴィタリに続いて、見送りにきている砦の指揮官イジドア・リチャーズとガレー船の船長ハリー・モーランと言葉を交わす。
「君たちのお陰で港も正常化できた。改めて礼を言わせてもらうよ」
リチャーズの言葉に「僕たちにもメリットがありましたから」といってレイは謙遜するが、
「討伐の報奨金は一万Cしか出せなかったが、素材の買取りで配慮するように商業ギルドには強く要請している。君たちが帰りに通る頃には査定も終わっているだろうから、楽しみにしておいてくれ」
討伐の報奨金は二万C(日本円で約二千万円)だったが、漁師や商船の船乗りなど協力してくれた人たちにも分けてほしいというレイの言葉で、半分の一万Cが漁師たちの取り分となった。
また、シーサーペントの皮は一級相当の魔物の素材であるだけでなく、討伐しても海中に没してしまうことが多い。そのため滅多に入らない貴重なものであり、十万C以上になることは間違いなかった。
「ありがとうございます。ですが、大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫とは?」とリチャーズが聞き返す。
「大型弩弓が全滅したので、その修理費とかが必要になるのではと思ったのですが……」
レイの言葉にリチャーズとモーランが笑う。
「ハハハ! いや、済まぬ。傭兵が帝国軍の装備の修理にまで気を使ってくれるとは思わなかったのでな」
リチャーズがそう言うと、モーランも大きく相好を崩したまま、
「軍が経費で修理してくれるから心配しなくてもいい。それにバリスタはほとんど使っていなかった装備だからな。なくても仕事に支障はでないよ」
そんな話をしてから、彼らとも別れのあいさつを交わし、船に乗り込む準備をする。
その後、馬を船倉に連れていく。この船では家畜を運ぶことがあり、動物を載せるためのゲートが備えられていた。
馬たちは初めての船ということでなかなか言うことを聞かなかったが、レイの愛馬トラベラーだけは大人しく船に乗る。
「前に乗ったことがあるのかな?」とレイは首を傾げるが、アシュレイが「ありえることだな」と答える。
「どういうこと?」とレイが聞くと、
「カエルム馬は帝国の軍馬だ。帝国軍は帝都辺りからルークスに攻め込む時に船を使うことがある。馬を運ぶこともあったはずだから、慣れている可能性はあるということだ」
帝国軍は軍団単位で侵攻することが多く、大量に物資を運ぶ必要がある。そのため、大量輸送に適した海路を使うことが多い。馬は積載量の関係や馬の体調を考慮して陸路を使うことが多いが、それでも船で運ぶことは皆無ではない。
「まあ、それ以前にカエルム馬は頭がいいからな。乗らねばならぬと分かって素直に従っただけかもしれんが」
そんな話をしている間に出航の準備は整っていた。
「それじゃ、出港するぞ!」というトバイアスの声にレイたちは甲板に駆け上がった。
トバイアスの指揮するゼファー号は三角帆を大きく広げ、チェスロック港を滑るように出港した。
湾内を進む間は甲板が傾くだけで、大きな揺れはなく、レイは初めて乗る帆船に興奮気味だった。
「結構スピードが出るんだ」
「そうだな。人が走るより速い気がするが、どうなのだろうな」
そんな話をしていたが、チェスロック湾を出たところで揺れが大きくなる。最初は「揺れるね」と余裕で話していたレイだが、一時間もしないうちに顔色が悪くなり、船室で苦しみ始める。
(トバイアスさんがいう意味がよく分かった。こんな揺れが三日も続いたら体力が持たないよ……)
彼とアシュレイ、ライアン、イオネも同じように船酔いに苦しんでいた。
ステラを始め、獣人たちは特に船酔いになることなく、レイたちの看病に当たっている。彼らは厳しい訓練で鍛えていることに加え、何度も船に乗ったことがあり、耐性があったためだ。
そんな中、ルナは船酔いになることなく、船の揺れに身を任せていた。
「ルナは大丈夫なのか?」と苦しげな表情でライアンが尋ねる。
「ええ、揺れている感じはあるけど問題ないわ」と言い、
「子供の頃はバスによく酔ったのだけど、船に慣れているわけでもないのに不思議ね」と呟いていた。
ルナ自身は気づいていないが、闇の精霊たちが彼女の精神を安定させるよう働きかけていることで、船酔いの原因となる自律神経の乱れを抑えていたのだ。
レイはなかなか回復しなかった。彼は酷い頭痛と吐き気に苦しみながら、船酔いについて考えていた。
(船酔いの原因って三半規管がどうとかっていう話だったよな。平衡感覚が失われてそれで交感神経だか副交感神経だかが乱れて……だとすると、魔法でどうこうできるものでなさそうな気が……いや、精神を安定させる魔法を考えれば何とかなるかも……)
闇属性魔法である精神安定の魔法を掛けてみるが、あまり効果がない。その間にアシュレイたちは次々と船酔いを克服していき、食事が摂れるまで回復していた。
「鍛え方が足りぬのだ」とアシュレイに言われるものの、レイはそれに答えることなく、いろいろと魔法を試していく。そして、最後には寝てしまえばいいと自らに眠りの魔法を掛けて寝てしまった。
翌朝、船員の声で目を覚ます。
「そろそろレネクレートに着くぞ!」
寝たことでレイの船酔いも多少緩和し、船室から甲板に上がっていった。
甲板に上がると、東の空に太陽が昇ろうとしており、曙光が船を照らし、黒かった海面を群青色に染めていく。その神々しいまでの美しさにレイたちは息を飲んでいた。
明るさが増すと、黒い影に過ぎなかったジルソール島の輪郭がくっきりと現れる。
ジルソールには中央部から北東に掛けて高い山がある。その山に光が当たり、オレンジ色の光と黒い影が美しいコントラストを作り出し、更に群青色からマリンブルーに変わりつつある海が鮮やかさを強調する。
「きれいだね」とレイは思わず声に出していた。
「そうね。こんな風景は今まで見たことがないわ」
ルナも同じような感想を漏らしていた。
「あと一時間もせんうちにレネクレートに入港する。飯を食うなら今のうちだ。すぐに竈の火を落とすからな」
トバイアスの言葉を聞き、レイは急に空腹を感じた。
(そういえば昨日の朝から何も食べていなかった……)
そのことに気づいたのか、アシュレイが「下に行くぞ」と誘う。
船には食堂というものはなく、船室の横にある小さな厨房で深い器に入ったごった煮のようなスープと堅いパンを受け取った。更に木製のジョッキに入った白ワインを渡される。
「朝からワインか」とレイが胃の辺りをさすりながら呟くと、厨房の船員が笑いながら「船酔いはまだ完全に治っていないようだな」と言い、理由を説明する。
「水だとすぐに傷んじまうんだ。それに白ワインはジルソールの名産だから安く手に入るんだよ。まあ、今日なら昨日積んだ水もあるから、それでよければ代えてやるぞ」
レイは食中毒を気にして白ワインのままでいいと答える。
朝からしっかりとした食事を摂るが、思ったより味もよく、空腹だったレイには程よい量だった。また、空腹が収まったことと、ワインで軽く酔いが回ったため、船酔いの不快感も軽減されていた。
「意外に美味しかったね」とレイがいうと、「空腹は最高の調味料だそうだから」とルナが笑っていた。




