第四十三話「海蛇竜との対決:前篇」
六月一日の午前十時過ぎ。
チェスロック湾に居座る海蛇竜を討伐するため、レイは小型のボートに乗り、沖に向かっていた。
彼が囮となって浜辺に誘い込み、海に沈めてある魚網とロープで動きを止めた後、浜辺近くに引きずり上げて、四十基にも及ぶ大型弩弓によって倒す作戦だ。
透き通ったスカイブルーの空、遠くに浮かぶ白い雲とマリンブルーの海、カモメの鳴く声がどことなく南国のリゾート地を思わせる。
しかし、レイと共にボートに乗るウノはそんな風景に目を奪われることなく、一点を見つめていた。
「港の外からこちらを見ているようです」
レイはボートの推進器となるべく、船尾側に寝転び、左手から水流を発生させていた。
そのためボートの速度は時速十kmほどになっており、ボートの先が持ち上がっていることから、彼の位置からは前方は確認できない。
「どのくらいの距離ですか?」
「およそ七百mです」
「敵に動きがあったら教えてください」と言って、操船に専念する。
水深は徐々に深くなっていき、海底はほとんど見えない。漁師たちの話では、港の出入口付近は五十メルト以上の深さがあるらしい。
ゆっくりとした速度で近づいていくが、シーサーペントは港の中に入るのをためらうかのように、鎌首を上げてボートを見るだけで、一向に近づこうとしなかった。
シーサーペントとの距離が百メルトほどに近づく。全長五十メルトを超える魔物であり、五メルト以上の高さにもなる鎌首は視線が低いレイからもはっきり見えていた。
(大きい……一年前に戦った緑蛇竜と比べると倍どころじゃない……)
ウツボのようなギザギザの歯が日の光を受けてキラリと光る。
「どうされますか? これ以上近づくのは危険ですが」
「もう少し近づいてみます。急加速をするかもしれないので、しっかりと掴まっていてください」
更に速度を落とし、手漕ぎのボート並みの速度で近づいていく。但し、まっすぐ向かわず、ジグザグに方向を変えながら向かっている。これは真正面から襲い掛かられると、反転する際に百八十度の回頭が必要であり、それまでの速度を殺してしまうだけでなく、ボートが転覆する可能性がある。
ジグザグに方向を変えれば、旋回する時の角度は百八十度より小さく済むため、転覆の可能性は小さくなるし、その場で止まることなく、斜めに逃げることができる。
また、目の前をウロウロとした方が食いつきやすいのではないかと考えたことも理由の一つだ。
「あと五十メルト!」とウノが叫ぶと、シーサーペントが一気に頭を下げて海に潜る。
「まっすぐ向かってきます!」とウノが叫ぶ前に、レイはボートを急反転させ、一気に加速する。
加速と同時に冷たい海水がレイに降りかかる。そのため、前を向きながら目を開けることはできないが、後ろの確認は可能だった。
彼らのボートの後ろ、約三十メルトほどの位置にシーサーペントの背びれが見える。鮫のような三角形ではなく、魚の背びれのような刺々しいもので、距離は徐々に近づいてきていた。
「方向は合っていますか!」とレイがウノに確認する。今は後ろの敵から目を離すことができないため、方向がずれているか彼自身の目では確認できないのだ。
「僅かですが、軍港側に寄っております! 右に少し舵を」
ウノの指示通り右に舵を切る。
「針路はそのままで! これでまっすぐ浜に向かっております」
その間にもシーサーペントは徐々に近づいてくる。これはレイが意図的に速度を落としているためで、まだ速度には充分余裕があった。
三十秒ほどすると、突然シーサーペントの姿が消えた。
焦ったレイはウノにシーサーペントの位置を確認するよう指示を出す。
「シーサーペントが消えました! どこにいるか確認してください!」
ウノは「御意」と言って、周囲を見回し、
「潜って追いかけております! 距離は約三十メルト! 速い! 速度を上げてください!」
普段冷静なウノの声に焦りが混じる。
レイはそれに応えることなく、左手に魔力を込め、一気に加速する。
舳先が持ち上がり、波しぶきが強くなった。顔に叩きつけられる水滴に痛みを覚える。
「引き離せました。速度を緩めてください!」
「了解」と言って僅かに速度を緩める。
元の速度に戻すが、ウノがしきりに海面を見つめていることが気になる。
「どうしました? 見失いましたか?」
「いえ……深く潜ってはいるのですが、確認はできております。ただ……」
そこまで言ったところで口篭る。そして、状況が変わったのか、すぐに続きを話し始めた。
「止まりました……海中で動きを止めました。距離は三十メルトほど。水深は分かりかねますが、かなり深い場所でこちらを窺っている感じです。いかがいたしますか?」
レイは魔法を止め、ボートはゆっくりと速度を落としていく。ただ、急な発進に備え、左手は海につけたままだ。
「思った以上に用心深いですね。こんな小船に労力を使いたくないというのかもしれませんけど」
「確かにその可能性は……」と言ったところで、表情が変わる。
「シーサーペントが動き始めました! 沖に戻っていきます!」
シーサーペントはレイたちのボートを追うことを諦めたようで、レイにもゆっくりと身体を回すシーサーペントの姿が見えていた。
「作戦を練り直さないといけないかもしれませんね」
「はい。私もこの方法では同じことの繰り返しになるのではないかと思います」
「作戦を練り直すにしても、相手の動きをもう少し見る必要があります。もう一度試してみましょう」
その後、同じ方法で引き込もうとしたが、シーサーペントは港の外から二百メルト以上入り込むことはなかった。
レイは一旦、港に戻り、作戦を練り直すことにした。
軍港の突堤に戻り、帝国軍の司令イジドア・リチャーズとガレー船の船長ハリー・モートンが待つ浜辺に向かう。
歩きながらウノに意見を聞いた。
「ウノさんはどう思いますか?」
ウノはその問いに戸惑うが、
「シーサーペントは陸上に上がって人を襲うことがあったはずです。そのシーサーペントが浅瀬に行くことをためらうというのは信じられません。他に理由があると思うのですが、それ以上のことは分かりかねます」
「確かにそうですよね。動きが鈍くなるとはいえ、一級相当の魔物が浅瀬に行くことをためらうというのは僕も信じられません。魔物が嫌う何かがあるのかもしれないですね」
そんなことを話しながら浜辺に到着する。
リチャーズが「どうしたのだ?」と聞いた。
レイはシーサーペントがある場所をすぎると中に入ってこないことを説明し、
「この港に魔物避けのようなものがあるのではないでしょうか?」
その疑問にリチャーズは「そのような話は聞いたことがないな」と即座に答え、
「そのような便利なものがあれば、どの港にもあるはずだが、そのような話は聞いたことがない」
帝国海軍に長く籍を置くリチャーズが知らないことから、レイは魔物避けがある可能性は低いと考えた。
「この港と他の港で何か違いはありますか? 警戒しているというより、入るのを嫌っている感じなんです。匂いとか、音とか、光とか何か違いがあると思うのですが?」
「私だけでは思いつかぬな。ベテランの水兵や商船の船乗りなら何か思いつくかもしれん」
リチャーズは待機している兵士や商船の船乗りを集めた。
「……この港と他の港で違うと思うことがあれば、何でもいいから言ってほしい。特に魔物が感じる匂いや音、光などだ……」
そう言われても水兵や船乗りたちは顔を見合わせるだけだった。
「どんな些細なことでもいいんです。例えば、海の匂いが少し違うとか、定期的に音が聞こえるとか。そんな感じで思いつくことがあれば教えてください!」
レイがそう言うと、年嵩の漁師が発言を求めた。
「おうておるかは分からんのですが、ここらには変わった色のナマコのような生き物がたくさんおります。そいつらには魚も近寄らんですし、海から揚げると変な匂いがするんですが……」
漁師の話では、ナマコとウミウシの合いの子のような軟体動物が港の砂地には多くいるとのことで、網に掛かると酸味を感じる異臭があるとのことだった。
レイはそのナマコモドキが原因ではないかと考えた。
「その生き物について知っていることがあれば教えてください」
彼の質問に漁師たちは困惑する。自分たちにとって迷惑なだけの存在であり、習性について知ろうとしたことなどなかったためだ。
「どんな些細なことでもいいんです。夜になると網にかからなくなるとか、どの辺りで多く掛かるとか、そんな感じで知っていることがあれば教えてください」
先ほどの漁師が再び発言する。
「そういやぁ、昼過ぎになると網にかからんようになりますな。特にこんな天気のいい日は。お日様を嫌っておるのかもしれんですな」
その言葉を受け、他の漁師が「そういえば、漁港側で多く掛かりますよ。軍港の方じゃほとんど掛からんのですがね」と発言する。
更に水兵からも「今思いついたのですが」と手が上がり、
「潮の流れが変わるタイミングで、シーサーペントが軍港の方に近づくことがありました。それが関係あるのかは分かりませんが」
レイはそれらの情報を頭の中で必死にまとめていく。
(ナマコモドキの匂いを嫌う。日中は少なくなり、漁港側に多いか……軍港側から引き込めば何とかなるか……いや、それでも駄目だ。最終的には浜辺に近づかないといけないんだから……)
レイが悩んでいると、アシュレイが何か思いついたのか、手を上げて発言を求めた。
「緑蛇竜の時のことを思い出したのだが、あれを利用できないか」
「どういうこと?」
「奴は陸上に上がった後、なかなか付いてこなかった。自分が苦手な場所を嫌っていたからだ。その時、どうやって罠まで引き込んだか覚えているか?」
そこでレイも彼女の言いたいことが理解できた。
「そうか! 嫌がらせの攻撃をして追いかけさせたんだ。それと同じことをすれば、シーサーペントも我を忘れて追いかけてくる。そういうことだね」
「その通りだ。だが、一つだけ問題がある」
「問題?」とレイが首を傾げる。
「誰が攻撃を加えるかということだ。敵をあまり近づけさせるわけにはいかぬし、生半可な攻撃では怒りに我を忘れることはないだろう」
レイは「魔法で攻撃すれば……」と言いかけるが、自分が攻撃に参加できないことに気づく。
「その通りだが、それは無理だ。確かに魔法で攻撃するのが最良の手だが、お前はボートの操作で魔法を使えぬ」
その時、商船用の突堤に行っていたルナが現れた。
「なら、私がそれをやるわ。私なら弓と魔法が使える。もっとも攻撃魔法は大した威力のものを使えないけど」
そこでレイは「危険だ」と言って反対する。しかし、その先を言おうとした時、アシュレイが「いい考えかもしれん」と言って遮り、
「魔法でダメージを与える必要はないのだ。相手が嫌がればそれでいいだけだからな。どうだ、ルナ。嫌がらせの魔法をどのくらい使える?」
「そうですね。闇属性ではあまり効果はなさそうですから、炎の矢か、それに似た魔法を使おうと思います。それなら二十や三十は撃てますから」
アシュレイは満足げに頷くが、レイは反対する。
「ボートは思った以上に揺れるんだ。ウノさんでも何度も振り落とされそうになっているんだから、ルナだと落ちるかもしれない。落ちたらシーサーペントの餌になるだけだ」
「ロープで身体を固定したらどうかしら? そうすると弓は使えないけど、魔法なら問題はないわ」
レイは更に反対しようとしたが、
「あなたに頼ってばかりではいけないと思うの。私にもできることをさせて」
ルナの懇願にレイも言葉を返せない。
結局、ボートにルナも乗ることになった。
リチャーズは彼らのやり取りを聞き、驚きを隠せなかった。
(ロックハート家の者にしては剣を持っておらぬと思ったが、ただの弓術士ではなく、魔道弓術士だったのか……相変わらず驚かせてくれる家だな……それにしてもこの若者たちは何のためにジルソールに行くのだ? 最初はザカライアス卿の依頼で食材探しにでも行くのかと思ったが、それにしては必死すぎる。まあよい。上手く行けば懸案であるシーサーペントの問題が片付くのだから……真面目な話、褒賞については考えておかねばならんな……)
彼は既に冒険者ギルドに一級相当の魔物の討伐依頼を出しており、レイたちがそれを受けたことにしていた。その報酬は一級の依頼にふさわしい一万C、日本円で一千万円であったが、その他にも特別報酬として、二万Cを準備していた。
(チェスロックの司令官権限ではこれが精一杯だ。あとは商業ギルドに圧力を掛けて、素材の買取りで色を付けるよう、ねじ込むくらいだが……)
シーサーペント討伐作戦の再開は午後に入ってからと決まり、その間にルナが乗る部分の改造を行うこととなった。




