第四十二話「対決の朝」
六月一日。
朝から雲ひとつない晴天で、海蛇竜と対決するには最高の天気だった。
レイたちは早めに朝食を摂り、チェスロック軍港に向かった。
浜辺に近づくと、多くの兵士が大型弩弓を運び、固定する作業に勤しんでいる。
また、漁師らしき半裸の男たちが魚網やロープを浜辺に並べ、繋ぐ作業を行っていた。
これはレイが考えたシーサーペントを逃がさないための策で、一年前に緑蛇竜との戦いで使った手と似ている。
今回は予めシーサーペントを引き入れる海域にロープで補強した魚網を沈めておき、シーサーペントが通過したところで引張り、身体に絡めて動きを封じ、バリスタの集中砲火を浴びせる予定だ。
五十mを超える大物であるため、二百人にも及ぶ屈強な漁師や水兵がその作業に当たることになっていた。
レイは準備状況を見ながら、岬の先端にある砦に向かった。
砦には軍港の司令官イジドア・リチャーズとガレー船の指揮官ハリー・モートンが待っていた。二人ともほとんど眠っていないためか、表情に疲れが見える。
「準備は順調だ。君が乗るボートの手直しも終わっている」とモートンが説明すると、リチャーズも頷き、
「あとは君との最終調整だけだ。体調は大丈夫そうだな」
「はい。体調は問題ありません。一つだけ追加でお願いしたいことが……」と言って、見張りの話を切り出した。
リチャーズは「確かに必要だな」といった後、
「ならば、砦の見張り台とガレー船のマスト、漁港の先にある商船用の突堤の起重機のブームの上、浜辺の監視台がよいだろう。三方から見ることができるから見落とす可能性は少ないはずだ」
簡単な打ち合わせの後、砦の見張り台に向かう。一人の兵士が朝日を受けて煌く海面をまぶしそうに見ていた。
リチャーズの姿に気づいた兵士は海面から目を離し、敬礼して出迎える。
「奴はどこにいる?」というモートンの問い掛けに、兵士は「いつものところに」と言って港の出入口の先を指差す。その場所は五百メルトほど先だが、相手が大型の魔物であることから、見慣れた兵士には見分けが付くらしい。
「あれより先には滅多に入ってこないのだ。身動きができないほど狭いわけではないのだが、なぜか警戒しておる」
リチャーズは忌々しげにそう呟く。中に引き込めば、バリスタで狙い撃つこともできるからだ。
レイは見張り台の上に立ち、キラキラと光る海面を注視するが、シーサーペントの姿を見つけることはできなかった。
「思った以上に見づらいですね。オチョさん、ここからシーサーペントの姿は見えますか?」
後ろに控えていた獣人奴隷の一人、オチョに話しかける。彼はこの場所で見張りを担当することになっていた。
オチョは小さく頭を下げると、見張り台の上に立ち、慎重に海面を見ていく。
「あそこに」と言って指を差し、
「商船用の突堤先を三百メルトほど南西にいったところに……今、僅かに背中が見えました」
オチョの説明で、何とかレイにもシーサーペントの姿を捉えることができた。
「何とかなりそうですね。では、海岸に向かいましょうか」
そう言って見張り台を降りていく。
砦を出た後、ガレー船の繋留場所を見ながら、岬の付け根部分に戻っていく。既に漁師たちが魚網を海に入れて準備を行っていた。今回の作業は地引網漁法と同じ要領だ。
ただ違う点は本来なら漁船を出して網を張るのだが、出した漁船が襲われる可能性を考慮し、ガレー船の繋留してある突堤と対岸にある大型漁船・商船用の突堤から引っ張ることで網を広げる。網を広げた後、両方の突堤から西の浜辺にロープを運ぶ必要があった。
そのため、多くの漁師が掛け声を掛け合いながら作業に当たっている。
「こちらも問題なさそうです。あとはバリスタの設置ですね」
レイはペリクリトルでの戦いを思い出し、努めて明るい口調で順調さをアピールしていた。
(何となくこうした方がいいとは思うんだけど、どうしても慣れないな……でも、これでみんなが少しでも成功すると思ってくれるなら、演技のしがいはある……)
船大工たちのハンマーの音が響き、浜辺では四十基にも及ぶバリスタが海に向けて設置され始めていた。
本来、砦の土台に設置されるものであり、砂地の浜辺では不安定さが残る。そのため、軍船用の角材を利用し、十字型の仮設の土台を作っているのだ。
レイは完成した土台に手を掛け、満足げに頷く。
「これなら充分な強度がありますね。左右も上下もある程度は動かせそうですし」
砦のバリスタは支持用の太い柱の上に載せられており、柱の上で旋回させることが可能な設計だ。更に飛行型の魔物に対応するため、仰角も変えられる。ただ、砦に比べ土台が不安定であるため、大きく旋回させると転倒する可能性があるが、今回の目的は敵を誘い込む作戦であるため、微修正が行えれば問題ない。
「沖合にブイのようなものを浮かべて、そこを通るようにするつもりです。それなら予め照準もつけやすいですから」
そんなことを話している間に準備が完了した。
「これでこちらの準備はすべて終わった。ここからは君の出番だ」
リチャーズはそう言ってニヤリと笑う。彼は指揮官として成功の可能性が高いことをアピールするために余裕のある演技をしたのだ。
レイにもその思いが理解できたため、彼の演技に合わせるように「私の方はいつでもいけますよ」と微笑みながら答えた。
「では、三十分後に作戦を開始する! サーペント討伐の報酬は参加者全員に出すぞ! 気合を入れていけ!」
その声に「「オオ!」」という雄叫びが応える。
特に漁師はこの作戦が成功しなければ、再び漁に出られない日々が続くため、報奨金がなくともやる気だったが、褒美がもらえると聞き、やる気は更に大きくなる。
「総員、配置につけ! 各所の指揮官は最終確認が完了次第、合図を送れ!」
その命令で兵士たちがきびきびと走り出し、漁師たちは「よっしゃ、やるぞ!」と言って、持ち場である浜辺に向かう。
「じゃあ、僕も持ち場にいくよ」とアシュレイにいうと、「無理はするな」と言って彼を抱き締める。
「もちろん。それに今回の作戦が失敗してもまだやりようはあるから」
アシュレイはもう一度彼を抱き締めると、セイスを引き連れ、持ち場である浜辺の見張り台に向かった。
ステラはそんなアシュレイを羨ましく思いながらも、「ご武運を」というだけで、持ち場である砦の見張り台に向かう。
「では、僕たちも行きましょうか」とレイがウノに言うと、ウノは「御意」と言って頭を下げる。
レイとウノはガレー船用の突堤に繋留してあるボートに乗り込んだ。
そのボートは改造されており、身体を投げ出して魔法を使うレイのことを考え、足で踏ん張るための板と右手で掴まるための棒が固定されていた。
また、舳先側にもウノが立つための見張り台が取り付けられており、急激な方向転換でも振り落とされる可能性は軽減されていた。
「これはいいですね」とレイが呟くと、「こちらも見張りに専念できます」と珍しくウノが答えていた。彼もレイが無理をしていると感じており、積極的に話しかけることで少しでも心の負担を軽くしようとしていたのだ。以前のウノであれば考えられないことだが、今ではその考えが当たり前であるとすら思っていた。
午前十時頃、すべての準備が終わったとの合図が届くと、レイは昨日と同じく上半身の服を脱ぎ、突堤にいる兵士に渡す。更に目印用のブイを受け取ると、彼らの様子を見に来たモーランに笑顔で準備ができたことを伝える。
「では、僕たちの準備もできましたので、リチャーズ閣下に合図を」
「了解。合図を」と兵士に命じた後、
「浜の方のことは俺に任せてくれ」
「ええ、がんばってシーサーペントを引っ張っていきますよ」
それだけ言うと、左手を海につけ、ボートをゆっくりと走らせた。
海水の冷たさを感じながら、昨日覚えた操船の感覚を思い出すべく、何度か加速と減速、方向転換などを繰り返していく。
(昨日より操船が楽だな。身体が固定されているから、水流が安定するのかな……)
蛇行しながら港内を進み、シーサーペントを誘い込むポイントに向かう。
軍港内は二十メルト近い水深がある岩場だが、浜辺に向かうにつれ、徐々に黒々とした岩が減り、海底は白い砂地に変わっていく。
五月の眩しい日の光を受け、海は薄いブルーだ。テレビなどで見るリゾート地のようで、思わず気が緩みそうになる。
(のんびりとバカンスをしたい気分だな……いや、気を引き締めないといけない。相手は一級相当の魔物なんだから……)
気を引き締め直し、海底を確認しながらゆっくりと進んでいく。時折、ウノが見張り台からの情報を伝えてくれるが、シーサーペントは浜辺側にいるレイたちに興味がないらしく、港の入口付近をウロウロと泳ぐだけで中に入ってこようとしていない。
昨日モーランが言った通り、チェスロック湾の西側の海岸は急速に深くなっていた。海岸線から五十メルトほどまで近づいても水深は五メルトほどあり、巨大なシーサーペントでも問題なく泳げる深さがあった。
「この下に網とロープがあります」とウノが報告すると、レイは海底を覗き込む。
「上手く沈んでいますね。これなら通り過ぎる前に引っ掛かることはなさそうです」
今回の作戦の重要なポイントは、シーサーペントを誘い込むことと逃がさないことだ。誘い込む策はレイが囮になることだが、逃がさない策は魚網と頑丈なロープをサーペントの身体に巻きつかせて動きを止めることだ。
そのため、魚網には通常使うロープより丈夫な直径五cm以上のものが三本使われている。三本のロープに荷重を分散させることで切れにくくすることと、仮に一本が切れても他の二本で動きを止めることができる。
更にロープと魚網には浮き上げるための仕掛けがつけてある。仕掛けといっても大したものではなく、軍港の突堤と漁港の突堤にある起重機に接続した細めのロープで海面に持ち上げるだけだ。
長さがあるため、完全に水面までは上がらないだろうが、引っ張ればある程度浮き上がるため、僅かでも持ち上がれば充分な効果がある。こちらのロープはシーサーペントが引っ掛かったら、即座に切り離されることになっていた。
魚網とロープの罠から少し浜辺に入ったところで、レイが「この辺りでいいですね」と言った。
ウノはそれに小さく頷いてから、旗が付いた木製のブイを海に投げ入れる。
このブイはレイが向かう目印であると共に、浜辺にいる兵士や漁師がロープを引くタイミングを計ることにも使われる。もちろん、目視でシーサーペントの動きを確認しながらロープを引くタイミングを計るが、万が一、タイミングを外すことを恐れ、レイが提案したものだ。
その提案に対し、モーランは「うちの兵は船との距離を計るのは得意なんだが」と見張りの能力に問題はないと説明するが、
「目標が大きいと目測を誤ることがあるかもしれません。目印があれば、多少ずれても大丈夫ですし、ロープを引く人たちも心積もりができますから」
「確かにそうかもしれんな。シーサーペントなど間近で見たことはないからな」と納得していた。
ブイを投げ入れた後、レイはボートを浜辺に近づける。
海岸線から二十メルトほどの位置でも水深は一メルト以上あり、ボートは問題なく進めることを確認する。
「この辺りまで逃げ切れれば、シーサーペントも海底に引っ掛かるでしょうから速度は落ちるはずです。後は一気に加速して浜に乗り上げれば、大丈夫でしょう」
ウノにそう語るが、実際には自分に言い聞かせていた。ウノもそのことを分かっており、小さく頷く。
「針路の指示はお任せください。必ずここまで誘導してみます」
レイはそれに「よろしくお願いします」とだけいい、浜辺にいるリチャーズらに手を振った後、シーサーペントが待つ港の入口にボートを向けた。




