第四十一話「海蛇竜討伐準備」
チェスロック湾のイメージ図を付けてみました。
縮尺がいい加減なので、こんな感じという程度に見て頂ければと思います。
五月三十日の夕方。
レイはチェスロックの軍港である魔法を試そうとしていた。
彼は全長三mほどの小型のボートを借りた。軍船が並ぶ港の中をゆっくりとボートは進んでいく。
兵士たちも暇なのか、ガレー船の上から何が行われるのかと興味深げに眺めていた。
レイは海に落ちることを想定し、鎧をすべて外し、上半身は裸だ。槍や剣もアシュレイに預けており、見た目だけなら遊覧を楽しむようにしか見えない。彼の他には救助係兼護衛として獣人奴隷のウノが乗っていた。
「それでは実験を始めます」と言って、船尾から左手を出し、海につける。
「湧き出でる泉の守護者水の神よ。清き御身の尊き血を我に操らせ給え。我、我が命の力を代償として捧げん。出でよ、噴流」
呪文の完成と共にレイの左手付近の水面が盛り上がり、ボートは船首を上げるようにして加速する。その加速はモーターボートのようで見ている兵士の一人が驚きのあまり舷側から海に落ちるほどだった。
レイは左手に掛かる水圧を抑え込み、ボートをコントロールしようと苦戦する。
(スピードは大丈夫そうだけど、コントロールが難しいな。特に前が見えないのが致命的だな……)
彼のいる位置は船尾側一番後ろで本来なら舵取りが座るところだ。ただ、その位置に普通に座っていては水面に手が届かないため、身体を投げ出すように寝転がり、頭を上げて前を見ていた。しかし、速度が上がるにつれ船首が持ち上がっていくため、進行方向が全く見えない。
そこでレイは同乗しているウノを水先案内人にすることを思いつく。
「ウノさん! 前の様子を見て僕に指示を出してください!」
ウノはその意味を即座に理解し、「承りました」と言って、指示を出す。
「前方にガレー船です。右に舵をお切りください」
何度か方向転換をしながら、徐々にコツが掴んでいく。
「もう少し速度を上げます。危なそうだったら教えてください」
ウノの了解の声を確認すると、徐々に魔力を強めていく。
レイの顔に波しぶきが当たり、目が開けられなくなる。
(これは厳しいな。ゴーグルがないと目を開けていられない……)
彼の顔と水面の距離は三十cmほどしかなく、ボートが作る波しぶきが顔に掛かり続けていた。
「アークライト様! 左に舵を! 前方に船があります!」
ウノの緊迫した声にレイは思わず左手の向きを大きく変えてしまった。
「うわぁぁ!」
その急激な方向転換により、ボートは大きく傾く。
身体能力が高いウノは危なげなくバランスを取っているが、左手を海につけ、右手だけで身体を支えていたレイはボートから転げ落ちそうになる。
それでも何とか体勢を立て直し、ゆっくりと速度を落としていった。
突堤に向かいながら、ウノにどの程度上手く制御できていたかを確認する。
「どんな感じでしたか? スピードは結構出ていたと思うんですけど、旋回とか上手くいっていたのかよく分からないんですが」
それに対し、ウノはいつもの冷静な声で、
「速度は軍馬の襲歩と同じかそれ以上でしょう。方向転換は思った以上にスムーズに行えていたかと思います。ただ、急な旋回は船が横転する可能性が高いと思われます」
ギャロップ以上と聞き、思っていたより速いと胸を撫で下ろす。
突堤に着き、ボートから降りるが、上半身だけでなく下半身まで海水で濡れていた。
「凄まじい速度だった。どのような魔法なのだ?」と軍港の司令官イジドア・リチャーズが興奮気味に聞く。
レイはステラから受け取った手ぬぐいで身体を拭きながら、
「海の水に流れを付ける魔法です。その流れを使って推進力を得ています」
「魔法で水に流れを? 手から水を出しているのではないか……いずれにせよ、あれほどの速度ならシーサーペントからも逃れられる。あとはどの程度魔力を使うかだな。時間的にはどのくらい使えるものなのだ?」
その質問は想定しており、即座に答える。
「正確には分かりませんが、三十分以上は使えると思います」
「三十分か。思ったより長いな。それならば奴をおびき出すことができるかもしれん」
レイとリチャーズの会話にアシュレイが加わる。
「あの速度であれば奴の気を引いても逃げ切れるだろうが、どこにおびき出すのだ? あれほどの大物なら一度失敗したら同じ手は通用せぬ。大型弩弓を配備するのはいいが、連携できねば意味がないが」
「場所は今から船乗りに聞こうと思っているんだ。それにおびき出せたら逃がすつもりはないよ。そのための策も一応考えてあるしね」
二人の会話に帝国軍の船長ハリー・モーランが入ってきた。
「岸に近いところまである程度の水深がある方がいいのであれば、西側の方がよい。岬の関係で浜辺から二十メルトほどの場所から急に深くなっているからな」
慎重に進めるべきだと考えていたアシュレイもレイの魔法を見て何とかなると賛成に回る。
ステラは未だに反対の姿勢を崩さないが、成功率は低くないとも考えていた。
(恐らく大丈夫なのだけど、あの方はいつも無茶をされるから……今回は海の上だし、簡単には助けにいけない。それが心配でならないわ……)
その後、本格的に協議を行った。
リチャーズたちから得た情報から、シーサーペントの行動パターンはすぐに分かった。
午前中は港に近いところで出港しようとする船を待ち伏せるが、午後になると入港しようとする船を狙うためか、逆に沖合に出ているらしい。
レイが乗るボートに手を加えることと、バリスタを外して浜辺に運ぶことなどが決まり、更にレイが考えた作戦についても漁師や船乗りの協力を取り付けることまで帝国軍が責任を持ってやることが決まった。
リチャーズはそれまでの笑みを消し、真剣な表情を浮かべた。
「決行は明日の正午だ。午後になると船が来るかもしれぬからな。明日の朝までにはバリスタは浜辺に運んでおく。どこにどれだけ置くかは君の意見を聞きながら決めたい。うちの水兵を二百人ほど使えるようにしておく。漁師たちにも今日中に準備しておくように命じておこう……」
レイは「分かりました」と言って頷き、
「それでは私たちは宿に戻ります。何かあれば連絡をお願いします」
そう言って宿に向かった。
リチャーズはレイたちを見送りながら、モーランに向かって話し始めた。
「不思議なことがあるのだが……」
突然の言葉にモーランは驚くが、リチャーズはそのまま話を続けていく。
「……一時間ほど前は何の希望もなかった。だが、今は明日中には奴をしとめ、この状況を何とかできると思っている。あのような若者の言葉なのにだ。それが不思議でたまらぬのだ」
「私も同じ思いですよ、閣下。あの若いのはどこか人を落ち着かせるところがあるようです。ミリース谷とペリクリトルの英雄は伊達じゃないと思いました」
「吟遊詩人たちが話を盛っているのだと思っていたが、意外に本当のことだったのだな。あの詩ほどの絶望的な状況を見ておれば、この程度の困難など笑って対応できるのだろう」
そこまで言ったところで、周りにいる部下たちに大声で指示を出す。
「話を聞いていただろう! 今日中にバリスタを浜辺に運ばねばならん! 警備に当たっている者以外は全員砦に集合だ!」
その命令に「おお!」という大声が響く。兵士たちもこの状況を何とかできるという希望に、俄然やる気になっていたのだ。
リチャーズはそれに右手を上げて応えると、傍らにいるモーランに向かって、「君は工廠の連中にボートの改造を頼んできてくれ」と指示を出した。
宿に着いたレイたちは部屋に集まり、明日のことを相談する。
「僕とウノさんがボートに乗るのは決まっているんだけど、みんなにも手伝ってほしいことがあるんだ」
「我々もできることはやるつもりだが、海での戦いに我らが役に立てるのか?」
アシュレイが全員を代表して質問した。ステラやルナだけでなく、ライアンも大きく頷いている。
「目がいいセイスさんたちに何箇所かに分かれてもらって、海を見張ってもらうつもりなんだ。その情報を旗を使って僕たちや帝国軍の人たちに送ってほしい」
「旗を使って? 左右に振ったり、上下に振ったりする感じ?」とルナが聞く。
「そんな感じで。伝えてほしい情報はシーサーペントが僕をちゃんと追ってきているかどうか。多分、ボートの上からだと海の中は見えづらいから、ウノさんでも見分けられないと思うんだ。だから、ちゃんと追ってきているかどうか、距離が近すぎないかとかを教えてほしいんだ」
レイは水深の深いところに潜られたら見えなくなることを懸念した。今回の作戦の決め手はシーサーペントを確実に浜辺に誘い込むことだ。離れすぎて諦められても、逆に近づいたことに気づかずに襲われても困る。
そのため、砦の見張り台や繋留している船のマストの上から監視してもらい、旗を使って伝えることを考えた。幸い、チェスロックの海は透明度が高く、海が荒れていない限り、シーサーペントほどの大物の姿を見失う可能性は低い。
「近づきすぎている時は左右に大きく振る。逆にシーサーペントが離れていこうとしたら上下に振る。深いところに潜られて見失ったら、“8”の字を描くように振るという感じで。帝国軍の見張りの人に頼んでもいいんだけど、信頼できる仲間の方がいいから」
「では、私、ステラ、ライアン、ルナがセイス殿、オチョ殿、ヌエベ殿、ディエス殿とペアを組もう。イオネは治癒師として浜辺で待機だ。ヴィタリ殿は連絡役としてリチャーズ閣下の近くにいてくれ。こんな感じでよいか?」
アシュレイが割り振ると全員が大きく頷く。
「質問がなければ、明日は朝から忙しくなりそうだから、今日は早く休んだ方がよい。食事を終えたらさっさと寝るぞ」
アシュレイがそう宣言する。
早々に夕食を終え、各自の部屋に向かった。
レイはベッドに入ったものの、抜けていることがないかと考え、なかなか寝付けない。
(ボートの改造も頼んだし、バリスタの準備は帝国軍に任せておけばいい。シーサーペントを逃がさないように網やロープを準備するのも、漁師の方がよく知っているから任せたらいい……旗での連絡のことも明日の朝に司令官とモーランさんに説明すれば……)
そんなことを考え何度も寝返りを打つ。
「今は考えるより寝ることだ」と隣で寝ているアシュレイに言われてしまう。
「分かっているんだけどね……どうしても目が冴えてしまうんだ……」
「緊張しているのか?」
「緊張はしているよ。まあ、ペリクリトルの時に比べたら、掛かっている命の数が違うから多少はいいんだけど、それでも僕とウノさんの命が掛かっているし……それに上手くやらないと、ジルソールに渡れないんだ。そう考えるとどうしてもね……」
アシュレイはどのような言葉を掛けようか迷うが、これ以上話をしても彼の緊張が増すだけだと考え、
「ならば子守唄を歌ってやろうか」とおどけたような感じで囁く。
彼女の心遣いに気づいたのか、レイも「お願いするよ。よく眠れるように」と含み笑いをするような感じで答える。
アシュレイはそれに答えず、母親が歌ってくれた子守唄を歌い始めた。レイはそのやさしいメロディに身を委ね、寝息を立て始めた。
(やはり緊張していたのだな。今回は自分とウノ殿の命しかかかっていないと言っていたが、相手が相手だ。それに早くジルソールに行きたいと焦っている気もする。何かを感じ始めているのかもしれない……)
完全に眠っていることは分かっているが、アシュレイはしばらく子守唄を歌い続けた。




