第四十話「チェスロック軍港」
五月三十日の夕方。
チェスロックの町に到着し、クロージャー商会の商会長であり船乗りでもあるトバイアス・クロージャーと面談した。
ジルソールへの渡航については了承したものの、海蛇竜がチェスロック港の外に居座っており、それを排除しない限り船は出せないと言われてしまう。
レイはシーサーペントを排除すべく、港の施設と軍船を確認するため、チェスロック軍港に来ていた。
チェスロック湾はウェール半島の南端にあり、幅は五kmほどで、岬が左右に突き出た形だ。湾の東側にはチェスロック川が流れ込み、東側は遠浅の砂浜となっており、本来なら漁船で賑わう漁場であった。
チェスロック港はその湾の西側の岬にあり、L字型に曲がった岬がコの字型を作り、天然の良港を形成している。また、海流の影響で水深は深く、軍船や商船などの大型船が入港できる。
岬の先端には灯台と防御用の大型弩弓を並べた砦がそびえている。
軍港には全長三十mほどの単甲板のスマートなガレー船が十隻ほど係留されていた。ガレー船は一本マストで簡単な横帆と体当たり用の衝角が取り付けられている。港に来る途中で聞いた話では、沿岸に潜む海賊を取り締まるため、小回りが利くようにガレー船を採用しているということだった。
「あの船じゃシーサーペントと戦えないな」とレイが呟くと、ステラもそれに同意する。
「そうですね。シーサーペントに圧し掛かられたら簡単に折れてしまいそうです」
「それじゃ、軍港の方に行ってみようか」と言って歩き出した。
ステラはレイが何か思いついたと思い、何も言わずに付き従う。彼らの後ろには獣人奴隷部隊のウノが目立たないように歩いていた。
軍港に近づくと帝国海軍の船乗りらしい男たちが突堤に座って外海を眺めている。自分たちの出番はないと思っているのか緊張感は見られない。
それでも傭兵らしい姿のレイとステラが近づいてくることに気づくと、日に焼けた顔の二十代後半の士官らしい男が近づいてきた。
「何の用だ? 傭兵が来るようなところじゃないぞ」
レイは軽く会釈をしてから、
「私は五級傭兵のレイ・アークライトといいます。クロージャー商会からシーサーペントの討伐の依頼を受けたものです。それで少しお話を聞かせてほしいと思いまして」
ガレー船の船長であるハリー・モーランは若すぎるレイを胡散臭そうに見るが、暇を持て余していたこともあり、話をすることにした。
雑談を交わした後、本題に入っていく。
「ガレー船の最大速度でシーサーペントから逃げ切ることはできますか?」
「そりゃ無理だ。あいつは鮫と変わらんほどのスピードで泳ぐんだ。どんなにがんばってもすぐに追いつかれてしまう」
予想通りの回答だったためか、レイは笑顔で頷くだけで次の質問に移っていく。
「漁師の銛ではまったく歯が立たないと聞きましたけど、砦にあるバリスタならどうでしょう?」
「あれなら何となると思うが、シーサーペントに当てるのは無理だぞ。ゆっくり進む船に当たることだって難しいんだからな」
「そうですよね。弓で動いている敵に当てるのも難しいくらいですから」と相手の言葉を肯定する。その上で、少しおどけた感じで、
「数はどのくらいあるんでしょう? 数撃ちゃ当たるという言葉もあるくらいですから」
「配備しているのは確か三十くらいだったはずだが」
「予備もあるんですよね」
「ああ、十基ほどあったはずだが、あそこから撃っても当たるのは精々一本か二本だ。連射も効かんから倒すことはできん」
帝国軍でもおびき寄せてバリスタで仕留めるという検討をしていたらしく、すぐに否定の言葉が出てくる。
「そうですか……ありがとうございました。ちなみに砦の見学ってできますか?」
「できないこともないが、暇だし案内をしてやろうか」
モーランはチェスロックの出身であり、基本的には陽気な性格だった。
レイも話しやすいと思っていたので、「お願いします」と言って頭を下げる。
砦は軍港の外海側の入口にある。切り立った崖と土属性魔法で作られた城壁が一体化しており非常に堅固なものに見えた。
傭兵ギルドのオーブで身元を確認されるが、特に厳しい警備をしているわけでもなく、あっさりと入ることができた。
砦の中の階段を上がっていくと、海面から三十メルトほどの高さの銃眼胸壁になった屋上部分に周囲を睨むようにバリスタは設置されていた。
バリスタの大きさは幅三メルトほどで、近くに置いてある矢は長さ二メルトを超え、矢というより槍といえるほどだ。
「凄いですね。これなら普通の盾だと簡単に貫通してしまいますね」
「その通りだ。ただ、この港が襲われるようなことは今までなかったから、実績はないんだけどな」
チェスロック港は帝国軍の重要な軍港だが、西のルークスとも大きく離れていること、南のジルソールと軍事衝突が起きたことがないことから、軍同士の戦闘を経験したことはない。
また、ウェール半島の東側やジルソールにいる海賊たちも軍港であるチェスロックを襲うことはなかった。
レイはバリスタの基部を見ながら、「これなら外して運べるな」と呟く。
「このバリスタをシーサーペント退治に使うとしたら、ここの司令官の了解があれば大丈夫なのでしょうか」
突然の質問にモーランは戸惑うが、
「司令官の許可があれば使えるが……何をするつもりだ?」
レイはモーランが協力的だと感じ、自分の考えを説明することにした。
「浜辺に誘い込んでバリスタの集中砲火で仕留めようと考えています」
「どうやっておびき寄せるんだ? 奴は浜辺に近づかないぞ」
「僕が囮になります。魔法でボートを操作すればシーサーペントに追いつかれない速度が出せると思いますから」
その言葉にモーランは「魔術師だったのか」と驚くが、それ以上にステラが強く反応する。
「危険です! それに魔法でボートを操るといってもシーサーペントに追いつかれないという保証がありません!」
「確かにまだ見たことがないし、魔法も使っていないから何とも言えないんだけど、昔倒した緑蛇竜と同じくらいの速度なら、多分大丈夫だと思う」
レイは魔法を使って推進力を与えるつもりでいた。その方法は水属性魔法でジェット流のようなものを作り出す方法だった。
二人のやり取りにモーランは驚いていた。
(五級傭兵、それもレベル四十代の後半。それで魔術師か……俺より十は若いのに……それにこの獣人の娘もレベル五十に近い凄腕だったな。まあ、後ろの男はレベル六十を超えていたからおかしくはないのだが……魔法の話が本当なら奴を倒せるかもしれん……)
魔法については半信半疑だが、傭兵ギルドのオーブでレベルを確認していることから、二人が見た目以上の凄腕であることは分かっていた。
「……まだボートがどのくらいの速度を出せるか、僕の魔力がどのくらいもつかを確認しないといけないけど、浜辺にバリスタを四十基並べて待ち伏せることができれば、勝機はあるんだ……」
レイの作戦は非常に単純だった。
高速で走るボートに乗り、シーサーペントをおびき出し、そのまま浜辺に誘い込む。ボートは数十cmの水深でも進むことはできるが、体長五十メルトのシーサーペントの身体の太さは二メルト以上あるため、浅瀬に乗り上げることになる。浜辺で砂に身体を取られれば、シーサーペントの動きは一気に鈍り、そこをバリスタで狙い撃つというものだった。
「それならば何とかなりそうだな。まあ、魔法でボートを走らせることができるという前提だが……」
「そうですね。もし、よかったらここにあるボートを貸していただけませんか? 皆さんの前でどの程度動けるか見ていただければ、シーサーペントから逃げることができるか分かると思うのですが」
その提案にモーランの心が動く。彼も帝国軍人として魔物の脅威を放置しておくことに忸怩たる思いをしていた。特に出身地でもあることから、知り合いが困窮していることにも気づいており、レイが何とかできるなら手を貸したいと思っていたのだ。
「ボートは私の艦にもあるが……浅瀬に向かうなら小さい方がいいな。工廠の点検用のものを借りる方がいいだろう」
レイはその言葉に乗り気になるが、ステラは彼が無茶をするのではないかと反対の姿勢を崩さない。
「少なくともアシュレイ様に相談してから決めるべきです」
「そうだね。でもその前に本当にできるか確認するくらいのことはいいんじゃないかな」
ステラもその言葉に反論できず、答えに窮してしまった。
その間にレイとモーランの間で話が進み、今から魔法でのボート操作の実験をすることになった。
「少し待っていてくれ。司令官に話を通してくる」と言ってモーランは砦の中に入っていった。
ステラはその時間を利用し、同行しているウノに「アシュレイ様に連絡を」と依頼する。彼女は自分では止められないと思い、情報収集に当たっているアシュレイを呼び出すことにしたのだ。
ウノはステラの考えを理解し、即座に「了解しました」と言って消える。彼としては護衛がいなくなることに危惧を抱いたが、それよりもシーサーペントとの対決の方が危険であると判断したのだ。
三十分ほどすると、モーランが四十代半ばの軍人を連れて戻ってきた。
「チェスロック軍港の司令官、リチャーズ閣下だ。こちらが先ほどの案を考えた五級傭兵のレイ・アークライトです」
モーランはそう言って二人を紹介する。
イジドア・リチャーズはレイに目を合わせると、ニコリと微笑んだ。
「つかぬことを聞くが、マーカット傭兵団の“白き軍師”殿ではないのかな」
レイは黒い革鎧を着ており、その名が出てくるとは思っておらず、僅かに狼狽する。
「はい、確かにそう呼ばれたこともありますが……」
「レイ・アークライトという名と魔道槍術士の傭兵と聞けば、分かるものには分かる。まあ、その腕甲を見て確信したのだがね」
思った以上に情報に精通していることにレイは更に驚く。
レイの顔が面白かったのか、リチャーズは笑みを絶やすことなく「すまぬ」と言い、
「このような僻地でもミリース谷やペリクリトル攻防戦の話は伝わってくる。若き英雄、白き軍師のレイ・アークライトという名をたまたま聞いていたのだ……」
リチャーズの言葉にモーランも驚いていた。
「まさか……確かにヴァンプレイスは気になったが……その姿で白き軍師と言われても分かりませんよ」
リチャーズはそれに頷くが、
「白き軍師の鎧は聖騎士のようだと言われておる。トラブルを恐れて変えておるのだろう」
レイはリチャーズの洞察力に感心するが、帝国でも自分の名が思った以上に知られていることに驚いていた。
(帝都や他の街で気づかれなかったのはルナと一緒だったからかもしれないな。ロックハート家の名の方がインパクトがあるみたいだし。でも、やりやすくなったのか、やりにくくなったのか……)
“白き軍師”はラクス王国に本拠を置くマーカット傭兵団の一員として知れ渡っている。
帝国にとってラクス王国は休戦中であるものの敵国であり、レッドアームズは帝国相手に名を上げていることから、危惧を抱いたのだ。
「そのように警戒する必要はない。正規軍団の連中ならともかく、海軍はラクスと戦ったことはないのだ。それに君は傭兵なのだろう。ならば、堂々としておればよい」
大人然とした態度に「ありがとうございます」と答えることしかできなかった。
そんな話をしていると、アシュレイが到着した。走ってきたのか息が荒い。
しかし、帝国海軍の司令官らしき人物がおり、不用意に声を掛けることができずにいた。
レイは「彼女がアシュレイ・マーカットです」と紹介すると、リチャーズは「ほう」と声をあげ、
「“戦乙女”もおるのか」と笑う。
状況が理解できないアシュレイは返答に困り、レイを見る。
「リチャーズ閣下はミリース谷やペリクリトルのことをよくご存知みたいなんだ。僕を見て“白き軍師”っておっしゃるくらいに」
そこでアシュレイは合点がいったのか、
「アシュレイ・マーカットです」と言って頭を下げる。
そして、レイに向かって、
「魔法で小船を動かすという話だが、そんなことができるのか。できたとしても相手はシーサーペントだ。グリーンサーペントですら相当な速度で泳いでいた。まして荒波の海で育ったシーサーペントは更に速いと考えるべきだ」
「そうだと思うけど、僕の考えた魔法が上手くいけば馬が全速で走るくらいの速度が出るはずなんだ」
アシュレイとステラは「そうなのか」と頷くが、モーランやリチャーズは驚きを隠せなかった。
そんな話をしていると、ルナたちも到着する。
「それではあまり遅くなってもいけませんし、試してみましょうか」
レイはニコリと笑いながらモーランに話しかけた。




