第三十七話「潜入部隊との接触」
五月二十二日の午後。
午前中にデオダード商会、ロビンス商会での情報収集を終え、両社から全面的な協力を取り付けることに成功した。
デオダード商会はルークス聖王国と関係が疑われる商会に対し、獣人奴隷部隊が潜入していることと、潜入ルートがあるという噂を流すことになった。
ロビンス商会はチェスロックまでの道中に同行し、カモフラージュに協力するとともに、チェスロックでの船の手配などで協力することが決まっている。
ロビンス商会で情報収集を終えた後、ジェラートを味わったが、思いの外アシュレイを含め女性たちが気に入り、昼食時間になってしまった。
「これ以上は食べられないな」とアシュレイがいい、ステラとイオネも頷いている。
「ジェラートだけって……まあ、カロリー的には充分過ぎるけど……でも、僕たちは何か食べたいんだけど、ライアンもそうだろ」
「ああ、レイの言う通りだ。こんな甘いものばかりじゃ、食った気がしない」
二人の話にバート・ロビンスが加わる。
「サンドイッチとバーガーの店がございます。そちらなら満足いただけると思いますよ」
「そうね。私も久しぶりに美味しいサンドイッチが食べたいわ。アシュレイさんたちはどうしますか? 少しずつみんなで食べることもできますけど」
ルナの提案にそれならと一緒に行くことになった。
サンドイッチの店はロビンス商会本店のすぐ横にあった。ジェラートの店と同じくポップな感じの店構えで昼時ということで多くの客で溢れている。
「こちらへどうぞ」とバートは別の扉に案内する。
中は個室になっており、外の雰囲気とは異なった落ち着いた雰囲気だった。
「こちらは貴族の方々がお使いになる部屋です」
彼の話では貴族の奥方や令嬢が訪れることが多く、一般客用と分けたそうだ。
席に着くとすぐに明るい感じの制服を着た女性従業員がメニューを持って現れる。事前に連絡があったのか、商会長自らが案内していても緊張している様子は見られない。
「いらっしゃいませ。こちらら本日のお勧めとなっております。ハムはエザリントン産、野菜はプリムス近郊のものを使用しております……」
流れるような説明にアシュレイが目を丸くする。
説明が終わるが、ライアンは何を頼んでいいのか分からず、「レイ、お前に任せる。適当に頼んでくれ」と丸投げした。
「じゃあ、僕が適当に選ぶね。サンドイッチはハムサンドと玉子サンドで。バーガーは定番のロビンスバーガーとフィッシュバーガーを一つずつ。飲み物は……」
久しぶりに日本にいた頃の雰囲気を味わえ、レイは少し興奮していた。
(……ファストフードってほど安っぽくないけど、何となくファミレスを思い出すな……ザックさんもこういう雰囲気が味わいたくて提案したのかな……)
一通り頼み終えると、ウエイトレスはおじぎをして部屋を出ていった。
「レイ様は慣れておいでですね。帝都に来られたことがあるのですか?」
事情を知らないバートが質問する。レイはしまったと思うものの、
「もしかしたら来たことがあるのかもしれません。昔の記憶を無くしているので確かなことは言えないのですが」
「なるほど。それは失礼いたしました」
その会話を誤魔化すようにルナが話題を変える。
「随分メニューが増えましたね。何年か前にドワーフ・フェスティバルに出店された時も多かったですけど」
「はい。あれから別の土地の料理人を雇ったり、従業員にメニューを提案させたりといろいろやってみました。何かご意見があれば伺いたいのですが?」
その問いに対し、
「レイ、何か意見はないかしら?」とレイに話を振る。
突然のことに「えっ! 僕?」と驚くが、すぐに「僕には分からないよ」と肩を竦める。
「あら、白の軍師様なのに……」と笑い、バートに視線を向ける。
「何か思いついたら、ジルソールからの帰りにでもお伝えしますね」
「ぜひともお願いします。最近はライバル店が多く、すぐに真似されてしまうのです。ザカライアス様にお知恵をお借りしたかったのですが、長らくご不在のようですし……今回ルナ様のご訪問が天啓に思えたのです……」
そんな話をしていると、料理が届く。
アシュレイたちは初めて見る専門店のサンドイッチやバーガーに目を丸くしながら、食べ始めた。
「これはいける!」とアシュレイがハンバーガーを頬張り、いつの間にか頼んでいたビールで流し込む。
「いつの間にお酒を……」とレイが絶句していると、ライアンも「料理も美味いがビールも美味ぇ」と言って飲んでいた。
「今日も鍛冶師ギルドで宴会なのよ」とルナが呆れている。
「うちのビールはザカライアス様にご指導いただいたものですから、このハンバーガーには間違いなく合うはずです」
レイは「そうなんだ」と言って頷くが、壁にある張り紙をみて笑ってしまった。
そこには“あのザカライアス卿絶賛の幻のビール入荷! ぜひともご賞味あれ!”と書いてあったのだ。
レイの視線に気づいたルナも同じように笑っている。
昼食を摂りながら、ルナはバートと世間話をしていた。その中である女性の名前が出てきた。
「……そう言えばプリムローズ様がお会いしたいとおっしゃっておられました。帝都にいらっしゃることですし、ご希望でしたら調整いたしますが」
エザリントン公爵令嬢のプリムローズは甘味好きとして有名で、チョコレートの開発に携わり、更にジェラートの種類を増やしたルナのことを非常に気に入っていた。
「お会いしたいのですけど、今回は急ぎの用がございますので。それに今のプリムローズ様にお会いするには大変ではありませんか?」
「そうですね。子爵家のご令嬢であってもすぐには難しいかもしれません。今でも時々、当店にお越しいただいておりますので、その時にルナ様がお会いしたいとおっしゃっていたことを私から伝えておきましょう」
昼食を摂った後、ロビンス商会を後にする。
「ありがとうございました」と頭を下げる。
「ヴィタリさんには明日の朝、鍛冶師ギルドで合流するようお伝えください」
彼女たちに同行するロビンス商会の従業員ヴィタリ・ホワイトへの伝言を頼む。ヴィタリは明日の出発の準備のため、既に姿はなかったためだ。
午後は特に予定がないため、帝都見物をすることにした。
「帝都見物ってどこにいくんだ?」とライアンがルナに聞く。
「そうね。神殿を巡るのが一般的だそうよ。特に天の神の神殿は歴史もあって荘厳だったわ」
南地区にあるカエルム神殿を始め、プリムスには創世神クレアトール、三主神、八属性神の十二の神殿がある。いずれも帝都建設時からあるもので、二千五百年以上の歴史を誇っている。
「全部回ると大変だから、カエルム神殿とクレアトール神殿くらいにしておいた方がいいと思う。みんなもそれでいいでしょ」
「ああ、俺はそれで構わねぇ」とライアンが一番に賛同する。
「私もそれで構わん。ルナが一番詳しいのだからな」とアシュレイが同意することで話は決まった。
ルナは御者である鍛冶師ギルドの職員アラン・モールドに、カエルム神殿に向かうよう依頼した。
カエルム神殿は帝都の南地区の中心部にある。周りには他の十一の神殿もあり、帝都でも人気の観光スポットだ。
そのため、みやげ物を売る商店や茶屋などが並び、門前町のような様相を呈していた。
馬車で乗り付けるには人が多すぎるため、神殿から少し離れたところで馬車から降りる。
「ここからは歩きよ。アランさん、神殿を見たらそのまま歩いてギルドに向かいます。ですので、先に戻っていただいても大丈夫ですよ」
鍛冶師ギルドの帝都支部も同じ南地区にあり、神殿からは二kmほどしかない。そのため、馬車での移動を断ったのだ。
アランは恭しく頭を下げると、「本日の宴会は午後五時からとなっております」と伝え、馬車を操って西に向かった。
レイたち六人は人が溢れる南地区をのんびりと歩いていく。前方には高さ三十mほどで屋根の部分がコバルトブルーに塗られている尖塔が見えていた。
ルナはその尖塔を指差し、「あれがカエルム神殿よ」と説明する。
「本当にきれいだね。二千五百年以上前の建物って聞いたけど、できたばかりみたいだ」
レイが塔を見上げながら呟く。次の瞬間、彼に三十歳くらいの女性がぶつかりかける。
しかし、ぶつかる直前に突然現れたウノに、伸ばした腕を掴まれる。
女は何が起きたのか分からず振り返るが、すぐに我に返り「何するんだい!」と言って怒気を露わにした。
ウノはその怒気を気にすることなく、女の腕を捻りながら、
「スリのようです。いかがいたしましょうか?」
「離せ! 何もしてないだろ!」と言って女は暴れるが、明らかに懐に手を伸ばしており、言い逃れようとしていることは誰の目にも明らかだった。
「先に言っておけばよかったわ。この辺りはスリが多いのよ」
その間にも女は「離せ!」と叫び続けるが、帝都の警備隊が現れ、「またお前か!」と言って連行される。
「スリの常習犯なんだ。それにしても掏られる前によく捕まえられたな。あれ、捕まえた男はどこにいったんだ?」
その時、既にウノの姿はなく、若い警備隊の兵士はキョロキョロと周りを探す。
「どこに行ったんでしょうね? でも、助かりましたよ。初めて帝都に来たので右も左も分からなくて……」とはぐらかす。
兵士は首を傾げながらも、「気を付けるんだぞ」と言って去っていく。
「それにしてもビックリした。スリにあうなんて初めてだから。それにしてもウノさんたちはどこから見ているんだろう。僕には全然分からなかったよ」
「私も同じだ。ステラ、お前なら分かるのか?」とアシュレイが聞く。
「はい。近くにいる時なら何となく分かります」と答えるが、「スリに気づくことができず、すみませんでした」と謝った。
「気にしなくていいよ。それじゃ、仕切り直して神殿に向かおうか」
レイたちはカエルム神殿に向かって歩き始めた。
■■■
一連の騒動を見ていた者がいた。
ウノたちと同じ獣人奴隷で、偶然この場にいただけだが、突然現れた仲間に困惑する。
(どこの所属の者なのだ? 合流命令に気づいているはずだが……)
彼は即座にその場を離れ、商業地区に向かった。そして、裏通りにある一軒の建物に入っていく。
そこには“ギブソン貿易”という看板が掛かっていた。
建物の中は薄暗く、大小さまざまな木箱が積まれており、小規模な交易商のように見える。
獣人の男はそのまま二階に上がっていき、商会長室と書かれた扉の前に立つ。
「別働隊を発見しました。いかがいたしましょうか」
扉越しに報告すると、くぐもった感じの男の声が聞こえてくる。
「お前に気づいた様子は? 接触したか?」
「恐らく気づいているかと。部下は張り付けておりますが、接触はしておりません」
男は十秒ほど沈黙した後、
「念のため接触しておけ。邪魔をされても困るからな。こっちは大司教猊下の命令を受けた部隊と伝えろ。その上で私の指揮下に入るよう命じるのだ」
「ハッ!」と言って獣人の男は扉の前から消えた。
一時間後、その男はレイたちを護衛するセイスに接触した。
セイスは観光客に偽装しながらレイたちの十mほど後方を歩いていたが、別の部隊の存在に気付き、観光客が迷い込んだような感じで小さな路地に入る。
男はそこに自分の家があるかのように自然な感じで付いていった。
「道に迷ったのかい」と明るく声を掛けて近づく。そして、道を教えるような仕草をしながら、
「符丁は見ているはずだ。なぜ命令に従わぬ」と小さく鋭い口調で糾弾する。
セイスは「こっちが近道だと思ったんだが」と言って答え、同じように他の者には聞こえないギリギリの声量で「我らは総大司教猊下の直属」と短く伝えた。
獣人の男は内心では驚くものの表情を変えることなく、「こっちは民家ばかりだぜ。戻った方が賢明だ」と言って来た道を指差す。
そこで同じように声を潜め、
「我らは大司教猊下の命で帝国の情報を探っている。協力は可能か」と確認する。
「駄目だ。我々は教団の存続に関わる重要な任務を遂行中だ。これ以上、我々に接触することは本部の意向に背くことになる。最悪、そっちを潰す。そう指揮官に伝えてくれ」
それだけ言うと、「ありがとうよ。助かったぜ」と言って、セイスはその場を離れていった。
残された男は「気を付けてな」と手を上げながらも困惑していた。
(総大司教猊下直属だと……聞いたことがないが……)
すぐに指揮官の下に戻っていく。
「総大司教猊下直属とのことです。詳細は不明ですが、教団の存亡に関わる任務と言っていました。また、これ以上接触するなら、こちらの部隊を潰すと……いかがいたしましょうか」
指揮官であるギブソンは二十代後半で、少したるんだ体形でいつも眠そうな顔をしている男だった。しかし、その彼が教団の最高権力者直属と聞き、目を見開いて驚く。
「真にそう申したのだな。そのような話を聞いたことがない……いや、猊下直属なら私が知らなくともおかしくはない……」
彼は一瞬、疑ったものの、獣人奴隷が虚偽の報告をすることは考えられないと信じることにした。
「直ちに接触をやめさせろ。いいな」
翌日の夕方、ギブソンの下にデオダード商会のセオドール・フォレスターが現れた。
「ギブソン殿、面白い話を聞いたのだが、一杯やらないか? それとも忙しいかね」
セオドールは顔こそ笑っているように見せているが、目は笑っていない。その表情を見て、ギブソンは愛想笑いを浮かべる。
「もちろんですよ。デオダード商会の支店長殿とご一緒できるなら、仕事など放り出します」
二人は近くの居酒屋に入った。
「君にはルークスの聖王府に伝手があったと思うのだが、面白い情報を手に入れたから繋ぎをしてもらえないか」
「面白い情報ですか? それはどんな?」
「それをここで言ってしまったら、君が独り占めできてしまう。そんな引っ掛けには乗らんよ」
そう言って笑うが、すぐに真剣な表情に変える。
「帝都にルークスの獣人奴隷が入り込んだという噂がある。それも大規模な……これ以上の情報は聖王府に繋ぎをしてくれたら話すよ」
「獣人奴隷部隊ですか……この警戒が厳しい帝都に大規模な部隊は入り込めませんよ。フォレスターさんも冗談がきついな」
そう言って探るように視線を向ける。セオドールはその視線に気づかない振りをして、
「まあ普通はそう考えるだろうな。なら、こう伝えてくれ。“三番”、“橋”とね。それでも足りないなら、“西”、“三丁目”、“下水”と付け加えてくれたまえ。これで分かる者には分かるらしい」
ギブソンはその言葉に反応しそうになったが、自制心を総動員して耐える。
「何のことなんでしょうね。伝手を使ってもいいんですが、私の報酬はどうなります? ただ働きは嫌ですよ」
内心の焦りを誤魔化すように軽口を叩く。
「うちの商会との取引を回してやる。君のところにとっては大口の取引だ。それでどうだ?」
「そりゃ、いいですね」と大袈裟に喜ぶが、
「それにしても、そちらはルークスを嫌っていたのではありませんか? それがなぜ突然伝手をほしがるんです?」
「大旦那様が亡くなられて既に一年だ。そろそろ商売を元に戻してもいいだろう。というより、今がチャンスなんだよ。戦争が起これば物資は必ず高騰する。既に仕入れは終わっているのだ。今ある在庫を捌くだけで膨大な儲けが出る。そんな機会を逃すのは商人としておかしいと思わないかね」
ギブソンはその説明に頷き、納得する。
(なるほど。さすがはアウレラの商人ということか。確かに戦争が始まれば、食料を始め多くの物資が高騰する。特に我が国は多くの農民を駆り出すから、食料は喉から手が出るほどほしい……商業ギルドの支援をそのまま自分の懐に入れるとは。さすがは成り上がりの商会だ……)
セオドールに協力を約束し、店に戻る。戻ったところで表情を引き締めた。
(潜入ルートが漏れている……総大司教猊下の部隊に連絡すべきか……いや、これも策の一環かもしれん……私は命じられた通りにするだけでいい……)
数日後、ギブソンは自らの部隊とともに帝都から姿を消した。




