第三十五話「デオダード商会」
五月二十二日。
帝都に着いたレイたちは鍛冶師ギルドの馬車で商業地区に向かっていた。更なる情報収集とルークスの獣人奴隷部隊への対応が目的だ。
最初にルークスの獣人奴隷部隊が潜入しているという話を広めてもらうため、アウレラの大手貿易商デオダード商会のプリムス支店を目指している。
商業地区はプリムスの北部にあり、特に帝都の中心を貫く凱旋通と呼ばれる大通りには大手の商会が軒を連ね、自らの名を誇示するように看板を掲げていた。この通に面した場所に店舗を構えることが一種のステータスになっているのだ。
凱旋通にある商業ギルド帝都支部の建物近くで馬車は止まった。
「デオダード商会に到着いたしました」と鍛冶師ギルド職員のアラン・モールドが声を掛ける。
レイたちが馬車を降りると、周りの建物と遜色がない三階建ての立派な建物の前だった。
「凄いね。ここって一流どころの商会ばかりだって聞いたけど」とレイがルナに聞く。
「そうよ。この通にお店を出すことが一流の証だって聞いているわ。でも、さすがね。アウレラの貿易商って聞いていたけど、こんなにギルドに近い場所だなんて……」
商業ギルドに近い場所は帝都に本社をおく商会が多く、その多くが帝都支部長を輩出している指折りの老舗企業だ。そんな場所にアウレラに本拠を置く新興企業の支店があったことにルナは驚いていた。
「ここにいても仕方なかろう」とアシュレイがいい、レイもそれに頷く。
「じゃあ、行こうか」
そう言って店に入っていく。
店内は大手の貿易商らしく、様々な土地の物産が並び、多くの商人たちが商談スペースで話し合っていた。
レイたちが中に入ると、受付担当らしい若い男性がすぐに近づいてきた。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
今日のレイたちの出で立ちは商業地区に行くということで、いつもの傭兵スタイルではなかった。
帝都の市民たちが着るようなこざっぱりした平民の服を身にまとっているが、明らかに護衛と思われるライアンや付き人として後ろに控えるイオネがおり、若いレイたちがどのような身分の者か、男性従業員には判断がつかなかった。
「私はレイ・アークライトと申します。先代の商会長であるロリス・デオダード様とご縁があり、相続人の一人としていただきました」
ロリス・デオダードという名を聞き、従業員はとっさに「失礼いたしました」と言って大きく頭を下げる。
デオダード商会で働く者にとって、一代で巨大な商会を築き上げたロリスは伝説の人物であり、その相続人と聞いて最大限の敬意を示したのだ。
「応接室にご案内します。こちらに」と言って奥に案内する。
男性従業員は案内しながらもレイがロリスの縁者であるか疑問を感じていた。
年齢的には孫であることが最も考えられるが、デオダード姓を名乗っておらず、ロリスに娘はいなかったことも知っている。
しかし、着ている服は比較的上質なもので、レイの物腰も柔らかなことから、遠い縁者という可能性を考慮し、とりあえず支店長に判断を仰ごうと考えた。
応接室に案内され、座って待っていると、五分ほどでドアがノックされる。入ってきた人物は四十代半ばくらいに見え、銀色の髪にグレーの瞳の落ち着いた雰囲気の紳士だった。
「この支店を任されております、セオドール・フォレスターと申します」
そこでレイは再び自己紹介をし、アシュレイたちもそれに倣っていく。
アシュレイとルナのところでセオドールの表情がピクリと動くが、特に何も言わずに頭を下げていた。
自己紹介が終わったところでセオドールが話を切り出した。
「大旦那様の相続人のお一人とのことですが、当商会にどのようなご用でしょうか?」
物腰は柔らかなものの、レイの目をしっかりと見つめ、どのような嘘でも見抜くと宣言しているような印象を受けた。
レイはロリスから受け取った遺産相続の書類を見せ、
「相続人の一人ですが、デオダードさんと血縁関係はありません。少し長い話になりますが、聞いていただけますか」
セオドールは小さく頷き、「お聞かせください」と促した。
「私は傭兵として、ここにいるアシュレイ・マーカットと共にデオダードさんの護衛の仕事を請け負いました。場所はラクス王国の国境の町モルトン。目的地はアウレラでした……ここにいるステラは当時奴隷としてデオダードさんの護衛をしておりました……」
レイはデオダードとの出会いから別れ、そして葬儀に立ち会ったことなどを話していく。
「……旅の途中でお亡くなりになったことはご存知かと思いますが、その際、私とアシュレイがここにいるステラの所有権を譲り受けたのです……」
話し終えた後、応接室は凛とした空気が支配し、誰も口を開かなかった。
「大旦那様の相続人であり、恩人でもあると確認できました。実を言えば、ラクス王国北部の総支配人ダンスタン・モークリーから大旦那様のことを知らされておりました。そして、あなた方のことも。モークリーはお二人がもし我々の手助けを必要としたならば、可能な限りお貸しすべきであるとも伝えてきております。私も同じ気持ちです。大恩ある大旦那様に安らぎを与えてくださったのですから……」
レイはモークリーがデオダードを慕っていたことを思い出していた。
(モークリーさんか、懐かしいな……そう言えば、デオダードさんの命日は昨日だった。もう一年になるんだな……)
そのことを思い出し、改めて弔意を示した。セオドールはそれに応じた後、レイに真剣な視線を向ける。
「本日は別の用件で来られたのではありませんか? 我々にできることであれば可能な限りお手伝いさせていただきます」
そこでレイは話に夢中になり用件をいうことを忘れていたことに気づく。
「お願いがございますが、できればセオドールさんだけにお話したいので、人払いをお願いできないでしょうか」
レイの言葉に「分かりました」と言い、控えていた従業員に部屋を出るように命じた。
「ありがとうございます」と言って頭を下げると、「では、お話させていただきます」と言って居住まいを正す。
「偶然ですが、私たちはルークスの獣人奴隷部隊がここプリムスに潜入しようとしていることに気づきました」
その言葉にセオドールが思わず肩を動かした。しかし何も言わずに先を促すように頷く。
「帝国に何の義理もありません。ですが、光神教のやり方には反感を覚えます。デオダードさんの奥さんのこともそうですが、ステラのことも。それだけではなく、私とアシュレイは光神教の司教に殺されかけました……」
セオドールは小さく頷くが、何も言わずに話を促す。
「ですので、噂を流してほしいのです。ルークスの獣人奴隷が帝都に潜入しようとしていると。具体的には東の城壁の第三水道橋に仕掛けがあり、そこから自由に出入りしており、今も帝都の中に獣人奴隷が潜んでいるかもしれないと」
セオドールは「ご用件は理解いたしました」というものの、黙って考え始める。
十秒ほどの沈黙の後、
「当商会に話を持ってこられた理由をお聞かせいただけますか? そちらにおられるロックハート家のご令嬢が、鍛冶師ギルドを通じて噂を広めてもよかったのではないでしょうか」
想定外の質問にレイは答えに窮する。
(確かにイヴァンさんやギュンターさんにお願いしてもよかったかも……でも、あの時はルナがいなかった。僕の伝手はここしかなかったからだけど、そんな答えを望んでいるわけじゃない気がする……)
そこでセオドールをまっすぐ見つめる。
「理由はいくつかあります。まず一番大事なことは、デオダード商会は絶対にルークスと手を結んでいないと確信していることです」
「確かにこの支店は現在ルークスに与しておりませんし、私自身、ルークスに与するつもりは全くありません。ですが、それは私個人の思いであって商会全体の利益のためなら、拝金主義の光神教と手を結ぶこともやぶさかではないのですが」
レイはそれを強く否定する。
「いいえ。デオダードさんはとても誠実な方でした。そんな方が作り上げた商会が商売のためとはいえ、今の光神教と手を結ぶことは絶対にありえません」
断言されたことにセオドールは苦笑するが、「おっしゃる通りです。大旦那様のご意思に沿わぬことをしてまで儲けようという者は当商会には一人もおりません」と言って頭を下げる。
「二つ目の理由はルークスの情報を持っていると考えたからです。アウレラからの中継地としてルークスに立ち寄っているでしょうから、そこで必要な情報を必ず手に入れていると思ったのです」
「ええ、その通りです。さすがは白き軍師と呼ばれる方ですね。情報の重要性をよくご存知です」
自分の二つ名を知っていることに驚くが、情報を重視していることを考えれば不自然ではないと思い直す。
「それにルークスの出先機関や協力関係にある商会の情報もお持ちでしょう。そこにこの情報を重点的に流していただければ、効率よく相手に届くと思ったのです」
セオドールは何も言わずにレイを見つめた後、
「我々をお選びになった理由は分かりました。非常に合理的です。ですが、もう一つだけ教えていただけないでしょうか」
「どのようなことでしょう?」
「アークライト様たちがこの情報を流すメリットと言いますか、目的は何なのでしょうか? 単に光神教のやり方が気に入らないというだけで、手を出されるとは思えないのです」
レイはどう答えようか迷った。
正直に言えば、ウノたちの存在を明かさなければならない。しかし、彼らの存在を隠したままではセオドールが納得しないのではないかとも思っている。
(この人は商会を無意味に危険に晒すつもりはないみたいだな。だから、納得がいく理由を聞かない限りは心情的に協力したくてもできないと答えるはず……)
考えている間もセオドールはレイを見続けていた。その視線は厳しくはないものの、嘘を見抜くと言っているように見えた。
「一つはいろいろと助けてもらった鍛冶師ギルドからの依頼があったことです。帝国内でルークスの密偵や暗殺者が自由に動いていることに不快感を示されました。私も同じことを考えたため、それを了承したのです」
それでもセオドールは何も言わずに彼を見つめている。レイは腹を括ることにした。
「もう一つの理由は私たちの安全のためです。私たちの仲間にはここにはいませんが、獣人がいます。それも奴隷の……」
そこでセオドールの目が僅かに見開かれた。
「……私の護衛として一緒にいてくれる人たちですが、ルークスの部隊とは今は関係ありません。もし、潜入している部隊が要人の暗殺などを起こせば、私たちの行動が著しく制限されます。それを未然に防ぐためには、何となく噂を流してルークスの部隊が引き上げるのが一番だと考えたのです」
セオドールはそこで表情を緩めた。
「正直に言っていただき、ありがとうございます。今まで話しませんでしたが、アークライト様の下に獣人奴隷がいるという情報は掴んでおりました。私個人としましては、大旦那様の恩人であるあなた様に協力したいと思っております。しかし、アークライト様が光神教に取り込まれており、私が協力することで奴らの利益になるのであれば、私ははっきりと拒絶し、逆にあなたの情報を帝国政府に伝えたことでしょう。私どもの光神教に対する怒りはそれほどまでに強いのです」
温厚に見えたセオドールが顔を歪めている。レイは彼が、そしてデオダード商会が光神教に復讐しようとしていると感じた。
「……ですが、あなた様は正直に語ってくださいました。ルークスの獣人奴隷を連れていれば、彼の国との関わりを追及されると分かった上で……」
そこでセオドールは立ち上がり、レイの手を取る。
「さすがは大旦那様が見込まれた方です。私は、そしてデオダード商会プリムス支店は全面的にアークライト様に協力させていただきます。その上で今少し事情を話していただけないでしょうか」
思った以上に熱い人物であるとレイは思った。
「分かりました。私たちがこれからどうするつもりかを話させていただきます……」
レイは帝都を出た後、ウェール半島の南端チェスロックの町に行き、そこからジルソールに渡るつもりだと説明する。
「……明日には帝都を発つつもりですので、明日以降に情報を流していただけると助かります」
そこまで話を聞いたセオドールだが、即座に了承しなかった。
「アークライト様はこの先、帝都に戻られないのでしょうか?」
その質問にレイは虚を突かれた。
「えっ? まだ考えていませんが、恐らく戻ることもあると思いますけど……あっ!」
そこで自分が大きなミスをしていたことに気づく。
「もし戻られるのであれば、あまり大ごとにするのは得策ではないかと」
「そうよね」とルナも気づいたのか、大きく頷く。
「確かに盲点だった。ジルソールから南方街道で戻るとすれば、帝都の警備が厳しくなりすぎるのは我々にとってもよいことではない」
アシュレイも自分たちのミスに気づく。
セオドールはアシュレイに小さく頷くと、「提案がございます」と言い、
「ルークスの出先機関、もしくは協力関係にある貿易商がいくつかございます。そこに情報を買ってほしいと言って接触し、先ほどの水道橋の話をするのです。彼らはルークスの指揮官にその話を伝えるでしょう。そうなれば警戒して動けなくなるのではないでしょうか」
「それではあなたの身が危険ではありませんか? 暗殺者を送り込んでくる可能性が……」
レイの懸念を笑顔で否定する。
「噂を聞いたという感じで話を持っていけば、その噂の出所を探ろうとするはずです。今は私どもの店を警戒していないでしょうし、店の者にはあなた方のことは内密にするよう口止めします。誰から聞いたか分からなければ、私の口を封じても意味がありません。それにこの程度の危険で大旦那様、大奥様の無念が少しでも晴れるのであれば……仮に私の身に危険が生じたとしても本望です」
これほどまでにデオダードが敬愛されていたという事実に改めて驚く。
「私も死にたくはありませんから、不審な死を遂げたら大々的に公表されると言っておきますよ。相手は私が用心深いことも知っているはずです。この話でちょっとした利権を得たいと仄めかしたら、恐らく私を消そうとするより、取り込もうとするはずです」
レイはセオドールの考えが合理的であると思った。
(この人なら無用な危険は冒さないはずだけど……僕たちのために危険を冒すことになるのは申し訳ないけど、ここは甘えるしかない……)
レイは「よろしくお願いします」と言って大きく頭を下げた。
その後、セオドールからルークス国内の情報などを聞いていった。その情報ではすぐにでも出兵すべしという光神教本部と、準備が整っていないため消極的な聖王府が対立していると聞かされる。
「つまり、すぐに出兵は難しいということですか」とレイが言うとセオドールは大きく頷く。
「その通りです。ですが、彼の国は突然方針が変わるので油断すべきではないかと。教団本部が聖王府の役人を懐柔すればすぐにでも兵を進めるでしょう」
他にも帝国西部の情報を聞くが、防備を固め、補給物資の蓄積を行っているようだと教えられる。
「補給物資、特に食糧と飼葉があれば帝国の勝利は間違いないでしょう」
「それは帝国の主力が騎兵だからでしょうか?」
「それもございますが、更に強力な騎馬民族と人馬族という兵力があります。彼らが駆けつければ、ルークスから何十万の兵が攻めて来ようが帝国の勝利は揺らぎません。それほどまでに強力な戦力なのです」
その言葉にルナが頷いている。
この他にも帝国政府によってアウレラの船も半ば徴用されており、南部行きの船はほとんどないと教えられた。




