第三十三話「ルークスの影」
五月十七日。
レイたちはエザリントンを出発し、帝国南部域に入った。
鍛冶師ギルドのエザリントン支部長イヴァン・ケンプが乗る馬車が共にいる。その馬車には金槌と金床が描かれており、鍛冶師ギルドの関係者が乗っていることを示していた。
イヴァンが同行したのはルナの行動を助けるためだ。
こうすることで、レイたちはイヴァンの護衛の傭兵という立場となり、南に行く傭兵が少ない中でも堂々と、そして目立つことなく、帝都に向かうことができる。
その配慮が功を奏し、帝都に向かう道中は順調だった。
しかし、帝都にあと一時間ほどで到着するというところで問題が発生する。
獣人奴隷のウノがレイに静かに近づいていく。レイは何事かと思い、馬を止めた。
「我々の使う符丁がございました。潜入している部隊がいるようです」
「えっ! どういうことですか?」
ウノの声は小さく、アシュレイらには聞こえなかったが、急に止まったこととレイの驚きの声により、異常があったことに気づく。
「何があったのだ」とアシュレイがいうが、レイは人が往来する街道で話すことではないと思い、道の端に馬を寄せる。
中央街道は道幅が広く往来に支障は出ていないが、イヴァンが乗る馬車と六騎の騎馬が止まっているため、非常に目立つ。
レイは仲間たちにだけ簡単に「ルークスの獣人奴隷部隊がいるみたい。詳細は分からないけど」とだけ告げる。
アシュレイは目を見開いて驚き、ステラは警戒するように周囲を鋭く見回す。
「どうするつもり? あまり長く止まっているのは不自然だけど」とルナがいうと、
「僕とウノさんだけで話してみる。すぐに追いつくから」
そう言って出発を促した。
アシュレイは気になるものの周囲の目を気にしてすぐに了承し、「すまなかった。大したことはない。すぐに出発する」と言って馬を進める。
レイはそれを見送った後、「周囲に聞き耳を立てている人はいませんよね」と確認する。
「ございません」とはっきりと否定し、
「オチョとディエスが警戒しております。ご安心ください」
ウノの言葉に頷くと、「どういう状況か、教えてください」と説明を求めた。
「我々が使う符丁がございました。内容は後続部隊に合流を促すものです」
「合流ですか……つまり、もうウノさんたちみたいな人が潜入していると」
「御意にございます。符丁では指揮命令系統まで分かりませんので、どの部隊が何のためにということまでは分かりかねますが」
レイはそれに頷くと、この状況をどうすべきか考えていく。
(ルークスの獣人奴隷部隊が潜入していても、僕たちの行動に支障が出なければ無視しても構わない。帝国に義理はないのだから……でも、僕たちが動きにくくなるなら、何か手を打った方がいい。その前にウノさんたちがどう動くつもりか聞いておいた方がいいな……)
彼はウノに質問をした。
「こういった時は必ず合流しないといけないのでしょうか?」
「いいえ」と強く否定する。
「別の任務についている場合であれば無視しても構いません。今の我々の任務はアークライト様の護衛。また、指揮命令系統は総大司教猊下直轄扱いですので、符丁に従う義務はないとお考えください」
「分かりました。ではもう一つ。相手はウノさんたちがいることに気づいていると思いますか?」
ウノは僅かに考えた後、「申し訳ございません」と頭を下げ、
「相手の数、力量が分かりませんので、何とも言えないかと。言えることは帝都周辺で監視していることは間違い無いということだけです」
「監視ですか……つまり、近づけばウノさんたちに気づくかもしれないと……」
「御意にございます。特に城門を通らず潜入する場合は気づかれる可能性が高くなります……」
詳しく聞くと、獣人部隊では帝都への安全な潜入ルートは既に把握しており、そこに常時監視を置いて安全を確保しているということだった。
「つまり、一緒に門をくぐるなら問題ないということですね……分かりました。では、ウノさんたちも一緒に行きましょう」
その言葉にウノは珍しく逡巡する。
「それでは無用な疑いを受ける可能性がございます。よろしいのでしょうか?」
「イヴァンさんと一緒ならロックハート家の護衛ということで厳しい尋問は受けないはずです。もし、尋問を受けるようなら、その時は別の方法を考えましょう」
レイの言葉に「御意」と答えた。
レイは愛馬を走らせアシュレイたちに合流する。
馬を歩ませながら、ルナに話しかける。
「ウノさんたちはこのまま城門から入ってもらう。君とイオネはイヴァンさんの馬車に乗ってくれないか」
「構わないけど……」というが、ルナには理由が分からなかった。
「君たちの馬にウノさんともう一人が乗って、他の人は護衛として馬車に乗り込むって感じにしたいんだ」
「分かったわ。どこかで休憩を取る振りをしてイヴァンさんに説明してもらえるかしら」
十分ほど進んだところで、休憩に使える広場があり、そこに馬車を入れる。幸いなことに他の馬車はいなかった。
レイはイヴァンにウノが見つけた符丁について簡単に説明する。
「つまりじゃ、ルークスの手先が既に忍び込んでおるということか。厄介なことじゃな」
「ウノさんたちは僕の直属ですから、符丁に従う必要はないんですが、城門から入らないと厄介なことになりそうなんです。力を貸してください」
そう言って二人で頭を下げるが、「頭を下げる必要などないぞ」と言って笑う。
「そのつもりで来ておるんじゃ。だが、ルークスの連中のことをどうするかは考えておくんじゃ。このまま見て見ぬ振りというのも寝覚めが悪い。それに光神教の連中に好き放題させるのも気に入らんしな」
それだけ言うと、ルナとイオネに加え、いつの間にか現れたセイス、オチョ、ヌエベが馬車に乗り込む。元々六人乗りの馬車であり、スペース的には問題ない。
午後三時過ぎ、帝都プリムスの北門に到着した。
城門には二十輌ほどの馬車と数十騎の騎馬、百人近い徒歩の旅行者が並んでいる。
「随分並んでいるね」とレイがアシュレイに話しかける。
「そうだな。フォンスやペリクリトルでもこれほど並んでいるのは見たことがない。帝国の都というだけのことはある」
長い列に見えたが、行列は順調に進み、三十分ほどで彼らの番になった。
「次!」という兵士の指示に馬車がゆっくりと進み、イヴァンとルナが馬車から降りる。
兵士はギルドの紋章とドワーフであるイヴァンを見て、「鍛冶師ギルドか……」と呟き、「オーブを見せてもらうぞ」とルナのオーブを確認する。
「ロックハートだと!」と驚くが、すぐに相手が有名な貴族だと気づき、「失礼しました!」と頭を下げる。
兵士が驚いたのは貴族専用の門があるためで、ここで貴族令嬢のオーブを調べるとは思わなかったのだ。
「ケンプ支部長と帝都支部に用事がありましたので、こちらから入らせていただきました」
「そうじゃ。儂らとロックハートの仲は知っておろう。ちょうどよいから一緒に来たんじゃ」
その言葉に兵士は納得するが、すぐに職務を思い出す。
「では、オーブを確認させていただきます」
兵士が言うと、レイは素直に左腕を差し出す。その腕の防具は漆黒の物で、目立つ“雪の衣”から黒い革鎧に替えていたのだ。
「その若さで五級傭兵か。さすがはロックハートの護衛だな。問題なしだ。行ってよし」
問題なく確認が進み、ステラの番になる。
「獣人か。オーブを見せてくれ」
ステラは言われたとおりオーブを見せる。
「先ほどの男も若いが、君も若いな。まあ、ロックハート家の関係者なら驚くには値せんが」
ロックハート家の勇猛さは伝説となっていた。
農夫にすぎない自警団員が並の傭兵以上であることや十七歳の少女がレベル五十を超えていたことは有名な話だ。
本来なら十代半ばの少女がレベル四十を超えていれば驚愕されるはずだが、“ロックハート家”というフィルタが掛かると当たり前としか思われなくなる。
「次」という言葉でウノが前に出る。
マントを外さないようにオーブを見せると、「レベル六十四……俺が見た中で最高のレベルだ……さすがはロックハート……」と呟くと、尊敬の眼差しを込めて「問題なし!」と承認した。
その後、セイスたちのオーブが確認されるが、いずれも問題なく承認され、レイたちは無事にプリムスに入ることができた。
北門を抜け、凱旋通と呼ばれる広い道に出たところでレイは安堵の息を吐き出した。
「ドキドキしたけど何とかなったね」
隣にいるアシュレイも「そうだな。ロックハート家の勇名のお陰だ」と頷いている。
「この先はどうするんですか?」とレイは御者であるギルド職員に声を掛ける。
「南地区に向かいます。まだ、一時間ほど掛かります。はぐれないように馬車についてきてください」
鍛冶師ギルドの帝都支部はプリムスの南地区にあり、六kmほどの距離があった。
レイは凱旋通を物珍しそうに眺めながら、「大きな店ばかりだな。さすがは帝都だ」と言い、
「そう言えばデオダード商会って帝都に支店を出していなかったっけ?」
そうステラに尋ねた。
デオダード商会はステラの元主人、ロリス・デオダードが会長をしていた商会で商業都市アウレラでも大手の交易商だ。
「前のご主人様は帝都にも支部があるとおっしゃっていたと思います。どの程度の規模の支店なのかは聞いていませんが」
彼女が言う通り、アウレラの大手商会であるデオダード商会は支店を構えている。
「そうなんだ。まあ、知っている人もいないから行くことはないんだけど」
そんなことを話しながら帝都見物を兼ねて南に進んでいく。
午後五時前、ギルドの帝都支部前に到着した。
既にドワーフたちが支部の建物で宴会を行っているのか、開け放たれた窓から豪快な声が聞こえている。
「もう始めておるようじゃ。これは急いでギュンターにあいさつに行かねばならんな」
そう言ってスタスタと歩き出す。
レイはどうしようかとルナを見るが、彼女は首を横に振り、
「このまま行くしかないわ。少なくとも私は」と苦笑する。
「では、私もお供します」とイオネがルナの横に行く。
「じゃあ、レイたちは少し待っていて。職員の誰かに宿のことを聞いてくるから」
そう言ってイオネと共に建物の中に入っていった。
二人が入ると、受付のあるホールが一瞬静まり、バタバタという足音が響き始める。
「あれはルナを見て職員の人たちが動き出した音だよね」
レイがそう言うと、アシュレイが「そうだろうな。まあ、いつものことだな」と達観したような目で入口を見つめていた。
一分もしないうちに二十歳くらいの若い職員が現れ、
「宿にご案内します。こちらにどうぞ」と言って案内を始めた。
宿は二百mほどの距離にあった。
比較的大きな宿で職員の話では鍛冶師たちに依頼にくる騎士や傭兵たちが泊まるところだということだった。
宿に入ると、装備を外し、獣人奴隷部隊の符丁について話し合う。その場にはいつもはいないウノの姿もあった。
「お前はどうすべきだと考えるのだ?」
アシュレイの問いに「そうだね」と言った後、
「光神教は気に入らないけど、帝国に肩入れする理由もない。下手に口を出して足止めされるのも面倒だし……」
そこでステラが「いいでしょうか」と発言を求めた。レイが頷くと、
「帝国に教える必要はないと思いますが、このままにしておくのもよくないと思います。ですので、ウノさんに偽の情報を伝えてもらって引き上げさせたらどうでしょうか?」
「なるほど。それならば帝国に知られずに聖王国の利益にもならぬ。私はよい案だと思う」
アシュレイが賛成し、ライアンも「よく分からねぇが、俺もそれがいいと思う」と賛同する。
レイはウノを見ながら、
「帝国から引き上げさせることはできると思いますか?」
その問いに「難しいかと」と答え、
「どのような任務を受けているかで変わりますが、後続部隊がいることは間違いありません。ですので、大規模な作戦である可能性が高いと思います。部外者の私が偽の情報を流しても容易には引き上げないかと」
「なるほど……そうですよね。では、どういう状況なら引き上げると思いますか?」
レイの問いにウノは即座に言葉が出てこない。
「我々は命令に従うことしかできません。正式な引き上げ命令か、予め決められた条件以外では難しいかと」
そこでレイは考え込む。
(ルークスの聖都とここは随分離れている。命令のやり取りは簡単にはできないはず。それにここで獣人奴隷部隊が見つかれば、ルークスにとっては情報を得る手段を失うことになるから、大きな痛手だ……もしかしたら、命令する人物がいるのか……)
そのことが気になり聞いてみると、
「あり得ることかと」
「指揮する人がいるということですか……その人に偽の情報を流せれば……こういった場合、指揮官は商人に化けているのかな……」
ブツブツと呟きながら考えをまとめていく。
「僕たちは明日情報収集を行って、明後日には出発する。だから、その後に帝国が動いても支障は出ないと思う。それを前提に僕の考えを聞いてほしいんだ……」
レイは自分の考えを説明していった。




