第三十二話「鍛冶師ギルドの支援」
ルナたちがパストン商会で情報収集をしている頃、レイ、アシュレイ、ステラの三人も情報収集のため、エザリントンの商業地区にいた。
土地勘の無い彼らに目当ての場所はなく、ブラブラと店を覗きながら歩いている。
周辺の村を合わせれば二十万の人口を誇る大都市であり、交通の要衝ということで旅行者も多く、商業地区は祭のような賑わいを見せていた。
「三人で街を歩いているとブリッジェンドの夏至祭を思い出すね。まだ一年も経っていないんだ……」
レイはラクス王国東部の町ブリッジェンドのことを話し始めた。チュロック砦への補給の護衛を行った際、戻る途中で偶然夏至祭に当たった。
「あの時は最初ハルやレンツィさんがいたけど、途中から三人だけで町を巡ったんだよな」
レイの独り言にアシュレイが応える。
「そうだな。フォンスでも三人で街に繰り出したが、やはりブリッジェンドが印象深いな」
「そうですね。あの時は楽しかったです」とステラも昔を懐かしむように呟く。
「昔を思い出して懐かしむ歳でもないな」とアシュレイが笑い、「じゃあ、どこかに入ってみようか」とレイも笑っている。
(ルナさんの気遣いね。ペリクリトルを出てから三人だけってことがなかったから……もちろん、ウノさんたちはいるんだけど……)
ステラだけは気づいているが、ウノは部下のセイスと共に警護に当たっている。レイもアシュレイも警護されていることは分かっているが、場所までは分かっていない。
レイが「ここに入ってみる?」と一軒の店を指差した。
その店には生活雑貨の店らしく、皿やカップなどの陶磁器が置いてあった。
「そうだな。ここならジルソールのガラス製品を置いているだろう。入ってみるか」
そう言って店の中に入っていく。
その店は比較的小さな店だったが、奥には棚に並べたガラス製のワイングラスやタンブラーなどがきれいにディスプレイされていた。
「いらっしゃいませ」と言って三十代半ばくらいの女性店員が声を掛ける。
「何かお探しですか?」
「ああ、ジルソールのグラスがないかと思ってな」とアシュレイが言うと、
「ございますが、どのような用途のものが必要ですか?」
「エザリントンは白ワインの街でもあったな。白ワイン用のグラスというのはあるのだろうか?」
「ございますよ。でもそれでしたら、エザリントンで作られた物の方がよい物がございます」
そう言っていくつかのグラスを並べていく。
脚付きのやや細長いグラスで彼女たちが使っていたゴブレットより大きい。
「この形状の物がエザリントンワインに一番合うそうです。透明度も高いですから、ワインを注ぐと美しい色が楽しめますよ」
アシュレイはそれを手に取ると窓の外に向け、光に透かしてみる。
「確かに水晶のように透明だな。高価なものではないのか?」
「ええ。これは職人だけでなく、魔術師が仕上げていますので、一つで半金貨一枚、五十クローナとなります」
「五十! そんな高いグラスは使えないよ」とレイが驚くが、アシュレイは平然とした顔で、彼を見る。
「これほどの物なら安い方だぞ。フォンスで買えば二百は下るまい」
二人のやり取りを聞いていた店員はこの三人がラクス王国からの観光客だと思い込んだ。更にグラスの価値を見抜いたアシュレイがどんな人物なのかと疑問を持つ。
(出で立ちは傭兵のようなのだけど、この若さでグラスの価値が分かるなんて、ただの傭兵じゃなさそうね。どこかの大店の護衛兼愛人といったところかしら)
そう考えた彼女は積極的にアシュレイに売り込みを行う。
「他にもいろいろとあります。ワイングラスですと、それが一番ですけど、ブランデーグラスならこちらがよいのでは?」
そう言って丸みを帯びた脚の短いグラスを取り出す。アシュレイがそれを持ち上げると、思った以上に重く、その重さに驚きの表情を浮かべる。
「これは特殊なガラスで作られています」
「特殊なガラス?」
「はい。素材はザカライアス・ロックハート卿がお作りになられたクリスタルガラスと呼ばれるものです。それをエザリントンの魔術師がグラスに加工しているんですよ」
「ザカライアス卿……」とレイが呟く。
「ええ、このクリスタルガラスはここエザリントンと帝都プリムスでしか扱っていないんです。ですから、お土産にするなら絶対にお勧めですよ」
レイはザカライアスという人物に内心で呆れていた。
(どれだけ凄い人なんだ……お酒だけじゃなくてグラスまで……)
そう考えたが、ロックハート領で手に入るのではないかと質問をする。
「それってロックハート領でも手に入るんじゃないのかな」
レイの突っ込みに店員は大きく首を横に振る。
「ザカライアス卿のお作りになる物が販売されていると聞いたことはございません。お忙しい方という話ですので、ご実家の分とごく少数だけ贈り物用に作られると聞いております」
「確かに貴族が販売用のグラスを作るというのはおかしいか」とレイも納得する。
ステラは本来の目的であるジルソールの情報を入手しようと話に加わった。
「それもいいんですけど、ジルソールの物も見たいのですが」
「ありますが、今は少しだけ品薄なのです」
「品薄? 戦争の噂の影響ってことですか?」とレイが尋ねる。
「はい。ジルソールから来る船が本当に少なくなって……行く船も減っているので発注もできない状況なんです。本当に迷惑なことです……」
詳しく聞くと商業ギルドで聞いた話とほぼ同じで、南航路が麻痺している影響が出ているということだった。
「……帝都ならもう少し船はあるようなんですけど、ここは西に行く中継地点になっていますから、西航路の船が優先されて南からの船は港に入れないっていう話なんです」
話を聞き終え、店を出る。
「帝都なら南行きはあるかもってことか。一応、情報収集はできたね。ちょっと高い情報だったけど」
そう言って笑う。
アシュレイは結局、白ワイン用のグラスを四脚買っていた。移動中の破損を考え、レイの収納魔法にしまってある。
「確かに高い買い物だが、その価値はあると思うぞ。父上たちへの土産にもなるし」
その後、食料品店と工芸品を扱う小物屋に入ったが、同じような情報しか集まらなかった。
夕方になり、宿に戻ると、パストン商会と鍛冶師ギルドに行っていたルナたちが先に戻っていた。
「どう? 上手くいった?」とレイが聞くと、「ええ」と答え、
「やっぱりここから直接いくのは駄目みたいね。大手の商会でも難しいみたいだから。でも、チェスロックからの船は紹介してもらったわ。ロックハートの名前を出したから間違いはないと思うわ」
紹介状まで手に入れたことにアシュレイたちは驚く。
「さすがはロックハートということか。信用できない船に乗りたくはないと思っていたから助かる」
「そうですね。お金だけ取って海に放り出すような悪質な業者もいるみたいですから」
それに頷くと、アシュレイが得た情報を話していく。
「こっちの情報だが、南行きは壊滅的だということが分かった。後は帝都ならある程度船は出ているらしいということだな……」
「で、この先はどうするんだ?」とライアンが話に加わる。
それにレイが答える。
「とりあえず帝都に行くのがいいんじゃないかと思う。ラングトン街道は千km以上もあるから一ヶ月は掛かるし、その間に状況が変わる可能性があるから」
「でもよ、それじゃウノさんたちはどうするんだ? さすがに帝都には入れないだろう」
ライアンがそう言うと、突然ウノが現れる。
「御意を得ず話に加わることをお許しください」と言って頭を下げる。
「詳しいことは申し上げられませんが、我らであれば帝都であっても潜入は可能です」
その言葉にステラが「それは既に方法があるということですか?」と尋ねる。
「その通りでございます」とだけ答え、詳細は語らない。
「つまり、ルークスの獣人奴隷たちは既に帝都に潜入したことがあるということか……ウノ殿が自信をもって言い切るのであれば可能なのだろう」
アシュレイがそう言うと全員が頷く。
「じゃあ、エザリントンの先は中央街道を通って帝都に入る。でも、帝都では情報収集だけで船には乗らない。南方街道からチェスロックを目指す。ウノさんたちは無理せずに潜入できるなら帝都に入るって感じでどうかな」
レイの案にルナが質問する。
「帝都では情報収集だけってこと? 船があっても乗らないのはなぜかしら」
「帝都にはカウム王国の出先機関もあるだろうし、鍛冶師ギルドも情報をたくさん持っているはずだから、情報収集は行いたい。でも、船に関してはチェスロックに伝手があるなら無理に乗る必要はないと思うんだ」
「そうだな。私もレイの考えに賛成だ」とアシュレイが言うと、他の者も全員が同意を示した。
その後、昨夜同様鍛冶師ギルドでの宴会に参加する。
その場で支部長のイヴァン・ケンプからある提案がなされた。
「偶然なんじゃが、急遽帝都に行くことになった。どうじゃ、儂と一緒に行かんか?」
レイたちは偶然という言葉に疑問を持つが、イヴァンがルナの安全を考え、同行してくれるのだとすぐに理解する。
そして、レイたちはルナに決めさせるべきだと考え、彼女に視線を送る。
その視線を受けたルナは小さく頷き、
「ありがとうございます。ぜひご一緒させてください」と大きく頭を下げた。
「儂らはロックハートに借りがあるからの。この程度では全く返しておらぬ。マットからも頼まれておることじゃから気にせんでよい」
鍛冶師ギルドのエザリントン支部はエザリントン公爵領での蒸留酒生産に関して、ロックハート家の支援を受けた。そのため、彼らはロックハート家に対して恩を返したいため、できることはないかとマットこと当主マサイアス・ロックハートに確認した。
その際、マサイアスからロックハート家の縁者が助けを求めたら手を貸してほしいと頼まれている。
イヴァンはそのことを言ったのだ。
「いずれにせよ、帝都支部にも連絡は送っておる。向こうでもギュンターが情報を集めておるじゃろう」
カウム王国の王都アルスにある鍛冶師ギルド総本部から各支部長宛にルナの支援について連絡されているが、具体的にどのタイミングでルナが帝国の各都市に入るか分からなかった。
今回、エザリントン支部にはエアルドレッド支部から連絡が入っており、そのことが検問所にも伝えられている。
このようにカエルム帝国内の鍛冶師ギルドが総力を挙げてバックアップしていた。
今回のイヴァンの同行も鍛冶師ギルドの力を使うための策で、これはアルスの総本部から指示されている。そして、この策はカトリーナ王妃がウルリッヒ・ドレクスラー匠合長に示唆したものだった。
「本当にありがとうございます。これで帝都に入る時の不安がなくなりました」
ルナが言っていることは大袈裟なことではない。
傭兵が鍛冶師ギルドの支部長の護衛をするのはおかしなことではなく、このことにより南に向かっても目立つことがなくなった。
それだけではなく、鍛冶師ギルドと現宰相であるエザリントン公爵は良好な関係であり、そのお膝元の支部長に対して高圧的に出る役人は少ない。
宰相と対立する派閥の貴族ならありえなくもないが、宰相に嫌がらせをするだけのために鍛冶師ギルドを敵に回すことは普通の政治感覚を持った貴族ならありえないことだ。
ただ愚かな貴族がいないわけではないので、完全ではない。
その後、送別の宴会が深夜まで続いた。
翌朝、まだ酒が残るレイは解毒の魔法を掛けて出発の準備を行う。
酷い二日酔いにはなっていないものの、寝不足と身体の芯に残る酒で気だるさを感じていた。
(お酒は何とかなったけど、寝不足はきついな。まあ、今日からはのんびりとした旅行になるから大丈夫なんだけど……)
エザリントンから帝都プリムスまでは約百五十キメル。この行程を五日間で進むことになるが、よく整備された中央街道で一日当たり三十キメルの移動は大して苦になる距離ではない。
元々は一日四十キメル進み、四日でプリムスに行く予定だったが、馬車に乗るイヴァンのペースに合わせたため、余裕のある行程になった。
鍛冶師たちの見送りを受けて出発する。
エザリントン市の南の橋を渡ったところでレイはルナに話しかけた。
「君が言ったようにドワーフとの宴会が続くね。毎日宴会だったっていう話が大袈裟じゃないのがよく分かったよ」
「そうでしょ。こんな感じだったのよ、昔は……」
そう言って彼女は空を見上げた。




