第二十四話「ウルリッヒの依頼」
トリア歴三〇二六年四月二十三日の夕方。
レイたちは鍛冶師ギルド総本部の匠合長室に移っていた。
匠合長であるウルリッヒ・ドレクスラーがカウム王国の王妃カトリーナ・ブレントウッドに頼みがあると言い、彼らにも同席してほしいと言われ、アシュレイ、ステラ、ルナのと共に応接用のソファに座っている。
ウルリッヒがカトリーナに向かって、真剣な表情で話し始めた。
「ルナたちはこれから帝国に向かう。詳しくは言えんが、やらねばならんことがある。だが面倒なことがある。一つはレイの鎧のことじゃ」
「レイさんの鎧ですか……確かにそうですね」とすぐに彼の鎧がルークス聖王国の聖騎士のものに似ているという情報を思い出す。
「こいつの鎧に手を加えることは難しい。表面に別の外装を付けてもよいんじゃが、バランスは悪くなるし、万が一剥がれた場合に余計に揉める。そこで頼みがあるんじゃ」
そう言って彼女を見つめる。その視線は頼むというより、彼女を試すというような強い意思が窺えた。
「レイの身元を保証してやってくれんか。肩書きは何でもよいが、カウムの紋章を使えるようにしてやってほしいんじゃ」
「王国の紋章ですか……ウルリッヒさんのお考えは分かりました。仮にレイさんの装備がルークスの聖騎士の物に似ていても、光神教との関係を絶った我が国が保証しているなら、帝国内で問題にならないということですね」
ウルリッヒは大きく頷く。
「そうじゃ。光神教と仲が悪いのはカエルム帝国、カウム王国、そして我が鍛冶師ギルドじゃ。儂としても何らかの保証はするつもりじゃが、やはり国が保証してくれる方がよい。どうじゃ、協力してくれんか」
カトリーナは十秒ほど答えず、考えた。そして、徐に口を開く。
「どのような形になるかは相談してみなければ決められませんが、何らかの保証は行いましょう。何といっても魔族を倒した英雄、“白き軍師”殿なのですから、我が国も大きな恩を感じていますので」
そこでウルリッヒの眼光が緩む。
もしカトリーナが素直に受けず、何らかの条件を付けてきた場合、“ルナの安全”をカウム王国が交渉材料にしたと判断するつもりだった。
そうなれば鍛冶師ギルドの長として、厳しい態度で挑むつもりだったのだ。
カトリーナもそのことを理解しており、何も条件をつけずに了承した。
「さすがはカティじゃ。これでレイは大手を振ってあの鎧で行動できる」
ウルリッヒの言葉に「その方が安全ですものね」とカトリーナも大きく頷いている。
レイは王妃とギルドのトップが自分のことで話し合っていることに驚きを隠せないでいた。
(いくらルナがロックハート家の養女だとしても、これは異常すぎないか? 確かに僕は白き軍師と言われて魔族と戦ったけど、カウム王国の利益になることはしていない。まあ、大鬼族の部隊を倒したり、アクィラの抜け道を見つけたりはしているけど……)
彼の困惑に気付いたのか、カトリーナが優しい表情を浮かべて説明する。
「あなたはミリース谷、そしてペリクリトルの若き英雄なのですよ。話に聞くだけでも絶望するような状況から、民や国を救った勇者なのです。これはカウム王国でもカエルム帝国でも、そしてルークス聖王国でも同じ認識なのです……」
レイの顔に疑問が浮かぶが、それを無視して説明を続ける。
「……魔族は我々の共通の敵。その大規模な侵攻を食い止めたのは、あなたとマーカット傭兵団。もちろん、他の傭兵や冒険者もいらっしゃったのですけど、英雄として名が知られたのはあなたたちなのです。そんな方たちが王国に助けを求めたのに、何もしないということはありえません。今回のことはロックハート家とは関係ない話なのです」
「全世界の共通の敵と戦ったから、ということですか……分かる気はしますけど、自分のことじゃないみたいです」
そこでカトリーナはウルリッヒを見た。
「レイさんのこと以外にも何かありそうな感じでしたけど?」
「ああ、もう一つある。レイ、済まんがウノ殿たちを呼んでくれんか。見てもらった方が早いからな」
レイはそこで彼が何を考えているのか何となく分かった。
彼の鎧と同じく、ルークスの獣人奴隷部隊のウノたちにも何らかの手当てをしてほしいと頼むつもりなのだと。
レイは一度頭を下げてから、匠合長室を出ていき、廊下でウノを呼び出す。すぐに天井からウノが降りてきた。
「お呼びでしょうか」との問いに、レイは頷き、
「少しだけ中で話を聞いてください。今後の行動が楽になる策だと思いますから」
ウノは「御意」と頭を下げ、レイに続いて匠合長室に入っていく。
「この者はルークスの獣人奴隷じゃ。あの暗殺部隊の精鋭がなぜかレイの護衛になっておる」
それまで余裕の笑みを浮かべていたカトリーナだったが、さすがにその事実に驚きを隠せない。
彼女にもレイの周囲に優秀な獣人の剣術士がいるという話は伝わっていた。しかし、ペリクリトルに多い獣人の冒険者か傭兵だと考え、まさかルークスの獣人奴隷部隊だとは思っていなかった。
(そう言えば、白き軍師がルークスの聖騎士を率いて鬼人族の大軍に突撃したという話があったわね。そう考えれば、あの獣人部隊がいてもおかしくはないかも。でも、どれだけ驚かせてくださるのかしら、この白き軍師殿は……)
すぐに余裕を取り戻し、「この方たちもレイさんと同じですね」と頷く。
「そうじゃ。この者たちは鍛冶師ギルドの臨時職員として登録しようと思っておる。ただ、儂のところではオーブが作れん。だから、カティの方でアルス市民のオーブを作ってほしいんじゃ。どうじゃ?」
その頼みにカトリーナの表情が僅かにかげる。
「アルス市民としてオーブを作るには身元を保証する方が必要ですわ。私の名を出すわけにはいきませんし……」
「それならば、儂が保証する。これで問題はなかろう」
アシュレイは驚きの声を上げそうになった。
鍛冶師ギルドの臨時職員にするという話はまだ分からないでもないが、ほとんど面識がないウノたちを五大ギルドのトップが保証するという話は次元が違う。
もし、帝国内でルークスの獣人奴隷部隊の一員と明らかになったら、国際問題にもなりかねない。敵国の暗殺者を鍛冶師ギルドの匠合長自らが送り込んだように見えるからだ。
「それは問題ではありますまいか」と思わず声に出してしまう。
「そうですわね。もし、この方たちの素性が明らかになったら、ウルリッヒさん一人の責任ではすみませんわ。帝国の元老か、商業ギルド辺りが知ってしまったら、鍛冶師ギルドに何を言ってくるか分かりません。私にもよいこととは思えませんわ」
ウルリッヒは即座に否定する。
「問題ない。この者たちがばれるようなヘマをするはずはない。いざとなれば自らの命を絶ってでも証拠を消そうとするはずじゃ」
彼の言葉にウノは小さく頷いている。
「ですが、それほどのリスクを負ってまで、ウノさんたちのオーブを作る必要はないと思うんですけど。実際……」
そこで“この堅牢な城塞都市アルスにすら入り込めた”と言いそうになったが、この国の王妃がいることに気づき、慌てて口を噤む。
カトリーナはそんなレイをちらりと見てから微笑んだ。しかし、すぐにウルリッヒに難しい理由を伝える。
「その首輪をどうにかしなければアルス市民という話は難しいと思います。ご存知の通り、王国に奴隷制度はありません。カウムの国民に奴隷の証である首輪があること自体、疑念を招きかねませんわ」
「そうじゃな。それは考えておらなんだ……白き軍師は知恵者と聞く。レイ、お前に良い考えはないか?」
突然話を振られてレイは困惑するが、
「カウム王国の国民でなければいいんですよね……一旦、アルスの市民としてオーブを作って、傭兵ギルドに登録してはどうですか? 出身地がルークスっていうのは消せませんけど、オーブ自体は作れますし、傭兵なら奴隷がいてもおかしくありません。主人というか、責任者は僕ですから、ウルリッヒさんにも迷惑を掛けることはないと思います」
身分証明の魔道具であるオーブは生まれた土地で作る場合がほとんどだ。しかし、貧しい村では最低限の情報しか登録できない簡易版のオーブであることが多く、傭兵ギルドや冒険者ギルドに登録する場合に作り直すことが多い。そのため、傭兵ギルドのオーブだけを持っていても不審がられることはない。
ウノたちの場合、奴隷ということで隷属の首輪をしているだけで、オーブは持っていない。正確にはルークスのオーブも持っていたが、隷属の首輪を付けられた時に取り上げられている。
これは彼らの名前はいわゆるコードネームであり、万が一オーブを奪われた場合に、本名や出身地を知られないようにするためと言われている。
「それならば問題はないが、鍛冶師ギルドの関係者とは言えぬな。いや、長期契約の傭兵とすればよいか……カティ、それでよければ頼みたいんじゃが」
「私は構いませんわ。それでルナさんがより安全になるのなら、私にとっても喜ばしいことですから」
こうして保証人にレイがなり、ウノたち五人のオーブの作成が決まった。
更にレイたちは鍛冶師ギルドが雇った傭兵として、“ルナ・ロックハート”の護衛となることも決まる。
これは帝国貴族からの干渉を防ぐための措置で、鍛冶師ギルドが全面的にルナをバックアップしているというアピールに使え、レイたちの身分をギルドが保証している証にもなる。
「では、難しい話はこれくらいにして、宴に参りませんこと? ルナさんが何か作ってくださったようですし、とても楽しみなのですけど」
カトリーナの提案にウルリッヒが「そうじゃな」と即座にその話に乗った。
「では、集会室に向かうぞ! 今日は儂らの蒸留所、スレイ川沿いの最高のスコッチを用意したんじゃ! まだ、六年ほどしか経っておらん若い酒じゃが、職人たちが気合を入れて作った逸品じゃ!」
レイは昨日スコッチを飲みすぎて潰れたことを思い出し、内心で溜め息をつく。
(今日も飲みすぎるんだろうな……でも、ドワーフってどうしてこんなに飲めるんだろう。昨日も物凄く飲んでいたのに……)
いまいち乗り気ではないレイをアシュレイとルナが引っ張っていく。
「スレイ川沿いのスコッチはここでしか飲めん貴重な酒なのだ。折角の好意を無駄にすべきではないぞ」
「私の料理もあるんだから。それに解毒の魔法は使えるんでしょ。だったら、タイミングを見てかければいいだけじゃない。それにレイだって、昨日は楽しかったんでしょ」
「そうだけど……」
その様子をカトリーナは興味深く眺めていた。
(噂に聞く白き軍師のイメージではないわね。オークの死体を土塁代わりにし、街の四分の一を罠に使った大胆な策を思いつくから、あの人のような冷徹な方だと思っていたのだけど、思った以上に成熟していない感じね……足元を掬われなければよいのだけど……)
そんなことを考えながらも口では「スレイサイドのどのタイプを飲ませていただけますの」と楽しげにウルリッヒに話しかけていた。
集会室には今日も三百人近い鍛冶師が集まっていた。
特に今日はルナが料理を振る舞うと聞き、ラスモア村の料理を食べることができると期待している者が多かった。
二日続けての大宴会だが、ギルド職員たちに戸惑いも混乱も見られなかった。
ルナがアルスに到着したという情報を聞いた瞬間、ほとんどの職員がこうなることを予想していたからだ。
「今日はスコッチの試飲が先だ! つまみはその後で出すんだ!」
「ルナ様たちのテイスティンググラスの準備ができていないぞ! すぐに並べろ!」
それでもギルド職員たちの緊迫した声が響いている。
午後五時過ぎに準備が終わり、ウルリッヒがあいさつを行った。
「知っておる者もおるじゃろうが、レイの槍と鎧には八属性の魔法陣が描かれておる。それだけではない。そして、素材じゃが、儂とゲールノート、オイゲンの見立てではオリハルコンではないかと考えておる。明日以降もこの部屋で公開するから、手の空いておる者は見てくれ! では、難しい話はこれでしまいじゃ。今日はスレイ川沿いの六年物の試飲じゃ!」
「「オオ!!」」というどよめきが湧き、
「久しぶりじゃ! どれほどの味になったか楽しみにしておったんじゃ!」
という声がそこかしこで上がっている。
事情が掴めないレイだったが、宴会が始まる前にアシュレイからしっかりと教育を受けており、ドワーフたちが興奮している理由も分かっている。
(蒸留所ができて六年半くらいだから、一番古いお酒を飲むってことなんだ。アッシュは熟成がどうとか、この地の気候がどうとか言っていたけど、ほとんど分からなかったな……まあ、アッシュが飲みたいっていうことだけはよく分かったけど……)
彼自身、一年ほど前まではただの高校生であり、親戚が集まる席でビールを一口飲んだことがある程度だった。
レイはウイスキーの材料を知らず、ブランデーや焼酎と何が違うかすら分かっていなかった。
そのため、ウイスキーは強い酒というイメージしかなく、昨日飲んだ三年物の若いスコッチの強いアルコールに、見事にやられている。
「それでは一杯目の試飲じゃ! こいつはスコット殿が試運転の時に蒸留してくれたものじゃ!」
「「オオ!!」」
その時、レイの手元にはいつの間にか、琥珀色のウイスキーが入ったテイスティング用のグラスが置かれていた。
それに戸惑っていると、彼の周りでは一糸乱れぬ動きで、グラスを口につけている姿が目に入った。
隣にいるルナが「耳栓をした方がいいわよ」と小声で言ってきたので、慌てて耳栓を装着する。
その直後、ドワーフたちの怒号が集会室を支配した。
「「「オオ!!」」」
話には聞いていたが、レイは耳栓をした耳を両手で強く押さえ、蹲ってしまった。
(注意されていたけど、これほどだなんて聞いていない……飛行場よりうるさいんじゃないか? もうこれは音波兵器だよ……)
三十秒ほどで雄叫びが収まると、ドワーフたちは口々にスコッチの批評を行っていた。
「六年物にしては美味いと思うが、やはりまだまだザックコレクションの足元にも及ばんな」
「儂はもう少しピートを利かせるべきじゃと思う」
そんな会話にルナが混じっていた。
「確か、ジャックさんが監督された蒸留所ですよね……」
そういって集会場の中を駆け回る職員ジャック・ハーパーを見る。
「そうじゃ、奴はよくやってくれた。最近になってようやく軌道に乗ったから戻っておるが、それまではあの森の奥にずっと篭りっぱなしじゃったからな」
ウルリッヒがそう説明すると、ルナも「そうなんですか」と答え、楽しそうに笑っている。
レイは手元のスコッチを舐めてみるが、昨日と違い素面の状態で飲むストレートはきつすぎた。
「僕には強過ぎるね。ワインかビールの方がいいよ」
そういうとアシュレイが「これの味が分からぬのか」と首を小さく振ってぼやく。
ルナは「私も正直言うと、ワインかビールの方が好きだわ」と話に加わってきた。
ステラはその様子を見ながら、こんな平和な時がいつまでも続けばいいと考えていた。
(フォンスのマーカット傭兵団本部が一番安全だと思っていたけど、ここも同じくらい安全だわ。あと数日しかここにはいないけど、ゆっくり休んでいただきたい……)
そんなことを考えている彼女にも、ドワーフたちは「飲め、飲め」と酒を勧めてきた。




