第二十三話「王妃カトリーナ」
四月二十三日。
レイたちはその日も鍛冶師ギルド総本部にいた。
彼とルナの素性を説明し、その後、彼の愛槍“白い角”と鎧“雪の衣”の解析を手伝った。
その日の予定を終え、宴会の準備が始まった時、一人の中年女性が入ってきた。
その女性は四十代半ばの肥満気味の体形だが、表情は柔らかく、シンプルなアイボリーのワンピースと茶色いベストを着ていることから、商店の女将のようだとレイは思った。
しかし、その笑みにはドワーフの鍛冶師に見たような貫禄のようなものがあり、すぐにその印象は消える。
その女性の姿を見たルナは「お久しぶりです、カティさん!」と明るく声を掛けた。
それに反応したのはアシュレイだった。
「カティ……まさか“カティ・ソーク”なのか……」
そう呟いて、固まってしまった。
「カティさん? 誰のことなんだろう。アッシュは知っているの?」とレイが首を傾げている。
我に返ったアシュレイはその場で片膝を突き、「レイ! ステラ!」と小さいが鋭い声で同じようにするよう指示を出す。
二人はどうしていいのか迷うが、すぐに彼女に倣って片膝を突く。
カトリーナは三人の姿を見て、
「あら、ここではただのカティですから、かしこまらなくてもよろしくてよ」
それでもアシュレイは頭を下げ続けている。
「確かにここにいらっしゃるのはカトリーナ王妃殿下ですけど、この場ではただのカティさんなんです。だから、アシュレイさんも普通にしてください」
見かねたルナが助け船を出すかのように明るい声で立つように促した。
アシュレイは「そうは言ってもだな」と小声で抗議するが、周囲の様子を見て渋々立ち上がった。
横にいたレイは状況を飲み込めないでいたが、ルナの言葉に「王妃様……」と言葉を失っている。
(王妃様がどうしてここに? それよりルナは何であんなに普通に話しているんだ? ラクスの王様にあったこともあるけど、こんなに気楽に話していい相手じゃないと思うんだけど……)
レイはミリース谷の戦いの後、ラクス国王ライオネル十二世とあったことがあった。その際に近衛騎士とトラブルになり、王族に対してあまりいい印象は持っていない。
レイもアシュレイに続いて立ち上がると、ルナが互いを紹介する。
「こちらはカティさんです。この国の王妃様ですけど、お酒を飲む時はただの“カティさん”ですから」
カトリーナを紹介すると、
「カティよ。ルナさんのお友達かしら?」
微笑みながらスカートの端を持って軽く頭を下げる。
「こちらは私の友人、レイです。その隣がアシュレイさん、ステラさんです」
彼女の紹介にレイが緊張気味に「レイ・アークライトです」と言って頭を下げ、アシュレイも「あ、アシュレイ・マーカットです」とだけ言って同じように頭を下げた。
ステラは王妃という身分に警戒するものの、レイたちに危険が及ばないと判断し、「ステラです」と冷静な口調で頭を下げる。
「ルナさんのお友達だったのね、“白き軍師”殿は。それに有名なレッドアームズのご息女も一緒だなんて、今日は楽しい宴会になりそうね」
名前を名乗っただけで自分たちの正体に気づいたことに、レイとアシュレイは驚きを隠せない。
彼らの後ろに立つステラも同じように驚いているものの、警戒心が勝り僅かに目を細めた。
それに気づいたのか、「そんなに警戒しなくてもよくてよ」とカトリーナは陽気にいい、
「マーカット傭兵団がトーア砦にいたことと、白き軍師殿が僅かな仲間と共に永遠の闇に入り、戻ってきたことは報告されていますわ。それにそれらしき人物がバルベジーから南下したという情報も」
レイはカトリーナの情報収集能力に危惧を抱いた。
(僕たちはバルベジーに入る前に偽装していた。もちろん、隠していたわけではないけど、少なくとも目立つことがないようにしていた。それをこんなに簡単に知られてしまうなんて……もしかしたら、ルナがソキウスに拉致されたことも知っているのか?……)
そう考えるものの、直接聞くわけにもいかず、黙っているしかない。
彼の懸念はやや的を外していた。
カトリーナはバルベジーに入る情報を重視し、常に目を光らせている。特に傭兵ギルドや冒険者ギルドに関しては、協力者を作って情報の収集に努めていた。
バルベジーでレイたちはそれらのギルドに行き、自分の身分を明かして情報収集を行っている。そのことがカトリーナの情報に引っ掛かり、バルベジーに到着したことを知った。
後はカウム王国にとって重要なロックハート家の関係者ルナと一緒にいるという情報が入り、彼女はレイたちの行動に注視していたのだ。
「本当に警戒しなくてもいいのに……私はルナさんの味方よ。ねぇ、ルナさん」
そう言ってルナに笑い掛ける。
「カティさんは私たちを何度も助けてくださった方なの。ここに来ている時はドワーフの皆さんと同じだと思っていいわ」
ルナはそう言ってレイたちに説明する。
彼女もカトリーナ王妃が王国のことを第一に考える人物であり、安易に警戒を解いてはいけないと言われていた。しかし、鍛冶師ギルドにいる限りは“カティさん”としてドワーフと同じように信用できると思っていた。
これはロックハート家には敵対しないというカトリーナの方針を、何となく感じていたからだ。
レイもルナが断言することで必要以上に警戒しないことにした。
そして、「改めまして、レイ・アークライトです。レイと呼んでください、カティさん」と言って右手を差し出した。
カトリーナはニコリと笑い、その右手を取る。
その光景を見て、アシュレイも彼女を信用し、王妃としてではなく、鍛冶師ギルドに出入りするカティとして対応しようと思った。
しかし、ステラだけは表面上は軟化したものの、警戒を解かなかった。彼女はウノたちに符丁で連絡を行い、周囲に怪しい者がいないか警戒することを依頼した。
(前の旦那様がおっしゃっていたけど、王妃様は力のある貴族を追いだして、若くて優秀な人を重用していると。でも、そのやり方がとても急進的で危険だと……アシュレイ様がおっしゃった“カティ・ソーク”は“大酒飲み”という意味だけじゃなかったはず……)
彼女の知識にある通り、カトリーナ王妃の別名、“カティ・ソーク”は“大酒飲みのカティ”という意味の他に、“厳しく罰するカティ”という意味もある。また、一部の貴族からは“魔女カティ”とも呼ばれ、忌み嫌われていた。
実際、数年前に起きた密造酒事件ではそれに関わった貴族を厳しく罰し、更に大規模な犯罪組織も壊滅させている。その時の容赦の無さが、“カティ・ソーク”という名の由来だと言われているほどだ。
ステラの前の主人、ロリス・デオダードは優秀な商人だった。そして、自分をレイに託した彼の人を見る目に、ステラは全幅の信頼を置いている。
そのデオダードがカトリーナのことを優秀と評しながらも、その急進さと強引さに警戒していたことに危惧を抱いていた。
そんなステラの思いを知ってか知らずか、カトリーナはルナとの再会を喜び、楽しげに話しこんでいる。
レイは毒気を抜かれた感じでアシュレイを見るが、二人とも王族とは思えないカトリーナの姿とそれに物おじせずに話をするルナに半分呆れていた。
「凄いね、ルナは。アッシュでも無理だよね」
「そうだな。ブレイブバーン公であれば多少は話ができるが、それでもあれほど気楽には話せん。さすがはロックハートの名を持つ者と言ったところか」
その話にステラは加わらず、天井にいるオチョからの符丁を読んでいた。
(周囲に護衛らしき人物が五名……ただし、騎士が傭兵に扮しているだけ……怪しい人物はいないということね。でも油断はできないわ……)
オチョからの連絡で一度は安堵するものの、彼女に警戒を緩める気はなかった。
カトリーナは何気なく、今後の予定を聞いた。
「昨日からアルスに入ったそうですけど、この後はどうなさるおつもり? ラスモア村に戻るのかしら?」
ルナはどう答えようか一瞬悩むが、彼女に嘘の情報を流してもアルス街道を進む限り、帝国に向かうことは把握されると考え、「帝国に向かうつもりです」とだけ答える。
「あら、帝国に何かご用でも? あれだけ大きな戦いの後なのですから、一度ラスモア村に戻られた方がよいのでは?」
この時、カトリーナはルナの行動に疑問を持っていた。
彼女はルナが魔族に攫われたという情報を一部だけだが把握していた。
それは偶然に近い形で得られたもので、ペリクリトル攻防戦の動向次第で自国の戦略に影響が出るため、冒険者ギルドやペリクリトル市の情報に特に力を入れて集めていたためだ。
当初はロックハート家の縁者が攫われたという事実にカトリーナは驚愕したが、すぐにペリクリトル攻防戦の勝利の報が届いたことから、ルナが解放されたと思っていた。
実際、魔族軍は壊滅的な損害を受け、組織立って敗走しておらず、人質を連れて逃げているとは考えられなかったのだ。
戦いの殊勲者、白き軍師とマーカット傭兵団が魔族の追撃を強硬に主張したことに疑問を感じていたが、その際にはルナの情報を得ることはできなかった。
しかし、レイが魔族の地、“永遠の闇”から帰還し、更にバルベジーからの情報ではルナと行動を共にし更に街道を南下していると聞き、謎が深まった。
レイとアシュレイはラクス王国を拠点とするレッドアームズの傭兵であり、アルスに向かう理由がない。
また、ルナもペリクリトルが拠点であり、更に第二の故郷であるラスモア村もバルベジーの北にある。
いずれもアルスに向かう理由が思いつかなかったのだ。
「今は言えないのですけど、行かなければならないところがあります。そのためにまず帝国に入る必要があるのです」
ルナは毅然とした態度でそう答えた。
以前の彼女ならこのような態度は取らなかったのではとカトリーナは考えた。
(あら、随分雰囲気が変わったわ。前はもっと自信がないというか、守られているだけという印象だったのに……単に大人になったというより、何かあったという感じね。でも、それを聞く雰囲気でもないわ……)
カトリーナ自身、ルナの変化や帝国に行く目的は気になるものの、王国に影響が出ないのであれば、鍛冶師たちを敵に回してまで知りたいとは思っていない。
彼女は総本部に入る前に情報を集めるため、ウルリッヒの工房を訪れルナの話をしているが、その際に感じたことはウルリッヒが何らかの情報を知っているというものだった。
(ウルリッヒさんの態度を見る限り、何か知っていらっしゃる感じね。根が正直だから何となく分かるのだけど、話したくないという感じがありありだったから深くは聞けなかった。でも、あの人が私に注意を促さないということは王国に影響はないということは確か。なら、無理に聞き出すのはあまりいいことではないわね……)
彼女は自分とウルリッヒの間にある程度の信頼関係が築けていると思っている。もちろん、ロックハート家に対するような全幅の信頼には程遠いが、王国に影響が出るような場合に完全に口を噤むようなことはないと確信している。
「そうなのですか? でも、何か手伝えることがあるなら、何でもおっしゃってくださいね。私にできることなら力になりますから」
そう言ってルナの腕を取る。
そこに宴会に参加するため、やってきたウルリッヒが現れた。
「それならば頼みたいことがある。済まんが少しばかり時間をくれんか」
更にレイたちにも「話があるんじゃ。付き合ってくれ」と声を掛けた。




