第十八話「ドワーフの宴会」
四月二十二日の夜。
レイはカウム王国の王都アルスにある鍛冶師ギルド総本部の集会室にいた。
そこには二百人以上のドワーフの鍛冶師がひしめいていた。テーブルには揚物を中心とした料理が並び、壁際には大きな樽がいくつも並んでいる。
(大宴会なんだけど、いつの間に準備をしたんだ……)
彼は装備を外した後、アイテムボックスに入れてあった予備の服を着ている。アシュレイたちも鎧は外してから宿を出ており、違和感はないのだが、彼らの顔にも困惑の表情が浮かんでいた。
ルークスの獣人奴隷であるウノたちは匠合長室を出た瞬間に消えている。彼らは天井裏に潜み、不測の事態に備えているのだ。
そんな中、ルナだけは特に困惑することなく、知り合いの鍛冶師たちとあいさつを交わしていた。彼女のことを知っている鍛冶師は思いのほか多く、宴会が始まる前だというのに彼女の周りに人垣ができるほどだった。
「皆の者!」という匠合長ウルリッヒ・ドレクスラーの声が響く。
「我らの友、ロックハートからルナが来てくれた! 宴会を始めるから席についてくれ!」
その言葉にルナを囲んでいたドワーフたちが名残惜しそうな表情を浮かべながらも席に着く。
茫然としていたレイたちも、ギルド職員に促されて席に着く。
全員が席に着いたところで酒が準備されるが、その素早さにレイは目を丸くしていた。
(二十人くらいの職員の人があっという間にジョッキを配っていく。凄い……)
彼もこの世界に来てから何度も宴会に参加しているが、これほどの手際を見たのは初めてだった。
「噂には聞いていたが、凄いものだな」とアシュレイが呟いている。
レイがどういうことか聞こうとした時、ウルリッヒのドラ声が響いたため、聞くことを諦めた。
「我らが友、ロックハート家のルナとの再会に乾杯!」
レイは配られたジョッキを慌てて持ち、「か、乾杯!」と言って何とか間に合わせる。
安堵しながらジョッキに口を付けていると、周囲からゴクゴクという喉を鳴らす音が響き、一斉にジョッキが下ろされる。
「「「プハァー」」」
レイはその光景をジョッキを口につけたまま呆然と眺めていた。
呆けた顔のレイに隣に座るルナが話しかける。
「凄いでしょ、ドワーフの飲み方って。私も初めて見た時はあなたと同じ表情をしていたと思うわ。フフフ……」
「ほ、本当に凄いね……」
「でも、ここの飲み物は美味しいそうよ。今まで飲ませてもらえなかったから聞いた話だけど」
そう言われてレイは改めてジョッキを傾ける。
中に入っていたのは普段飲むビールよりやや濃い色のブラウンエールだが、彼自身、酒に関する知識がないため、どのような酒かは分かっていない。
それでもいつもより遥かに旨味があることは分かった。
「美味しいよ、本当に!」
「そうね。本当に美味しいわ」
ルナはそう呟くが僅かに寂しげな表情をしていた。
(一緒に飲みたかったなぁ。あの人は未成年だからって、味を見るくらいしか飲ませてくれなかったから。今どうしているんだろう……)
隣に座るレイは反対側にいるアシュレイに話しかけており、彼女の表情に気づいたものはいなかった。
二杯目が空になると、ウルリッヒが立ち上がった。
「客人たちの紹介をするぞ! ルナは皆知っておるからよいな……そこにおるでかいのはライアン。ルナの仲間のハルバード使いじゃ!」
突然始まった紹介にライアンはどうしていいのか分からず、ルナに小声で「どうしたらいいんだ」と聞く。
「立って頭を下げるだけでいいわ」
いつになく陽気な彼女に戸惑うものの、言われるまま立ち上がり、頭を下げる。
ドワーフたちはそれに拍手で応える。
「こっちのおるのが治癒師のイオネじゃ!」
イオネはライアンの真似をして頭を下げるが、この状況に困惑するものの、ルナが楽しげな表情を浮かべていることに満足していた。
(西側ではこんな風に宴会をするのかしら? いつもよりルナ様が楽しそうにしておられる。ソキウスでの宴でも楽しそうにはしておられたけど、今思うと気を使われていた感じがするわ。でも今は本当に心から楽しんでおられる……)
その間にステラが紹介される。
「この者はステラじゃ! 以前、デオダード殿の護衛をしておった。覚えておる者もおるのではないか」
その問いに何人かが頷いている。
「その横におる女人はアシュレイ、かの赤腕ハミッシュの娘じゃ!」
アシュレイはゆっくりと立ち上がり、「アシュレイ・マーカットです。お招きいただき、感謝します」と言って頭を下げる。
ドワーフたちの間から「あのレッドアームズの……」という声が聞こえてくる。
マーカット傭兵団は十九年前の魔族の侵攻時に活躍しており、カウム王国でも名を覚えている者が多かった。
「最後は驚くぞ。レイ・アークライトじゃ! 詩に聞く、“白き軍師”じゃ!」
集会室に「「オオ!」」という声が響く。
レイは気恥ずかしさで顔を赤くしながら頭を下げる。
「ルナからいくつか頼みがあると言われておる。一つはアシュレイとステラの剣の手入れじゃ。フォンスのバルテルの打った物でペリクリトル攻防戦から転戦しておったから見てほしいと言われておる」
「儂がやるぞ」という声が複数上がる。
「後で剣を見せてやるから、誰がやるか決めてくれ!」
アシュレイはその成り行きに唖然としていた。
(確かにアルスのドワーフに手入れを頼むつもりだったが、ここにいるのは明らかに名人と呼ばれる親方たちだ。手入れを侮る気はないが、たかが剣の手入れにこれほどの腕の職人に頼まなくともよいのではないか……)
アシュレイの思いとは別にウルリッヒの話は続いていた。
「ここにはおらんが、ルナの仲間の獣人に剣を打ってほしいそうじゃ。ステラと同じく軽戦士じゃが、腕はこいつよりよいという話じゃ。五振り必要なのじゃが、急ぎでできる者は手を上げてくれんか!」
そう言うと十人ほどのドワーフが太い腕を上げる。
「ジャック! 誰が手を上げたか書きとめておいてくれ」
「分かりました!」という声がレイの後ろから聞こえてきた。彼はいつの間にかレイたちの後ろで待機していた。
「最後の頼みじゃ」と言うが、ウルリッヒの表情がやや硬くなる。
ドワーフたちもそのことに気づき、「何があるんじゃ」と隣の者と話している。
「こいつは少しばかり厄介じゃ。レイの鎧と槍をここへ」
台に載せられたレイの鎧雪の衣と槍白い角が運ばれてくる。鎧がフルセットあるとはいえ、その台を運ぶのに四人掛かりだ。
不審に思ったウルリッヒが「どうしたのじゃ?」と近づくと、
「どちらも信じられないくらい重いんです。普通の倍どころじゃないですよ」
鍛冶師ギルドの職員は素材となる鉄や宴会で使う樽を取り扱うため、一般の人々より筋力はある。その彼らが一セットの鎧と一本の槍を運ぶのに苦労していることが、鍛冶師たちには信じられなかった。
ウルリッヒも同じ思いなのか、「それほど重いのか」と言いながら槍を手に取ろうとした。持てない重さではないが、通常の槍の数倍の重さに思わず目を見開いてしまう。
「これを振ることができるのか、お前は」
「はい。普通に使えます」とレイは答えるものの、左手の魔法陣のことを話していいものか判断できない。
「この人たちは信用できるわ」とルナが小声で告げる。
レイは更に悩むものの、見てもらうなら話す必要があると腹を括る。
「これはあまり広めてほしくないのですが」と前置きした後、
「僕の左手にある魔法陣と組み合わせると軽くなるようなんです。どういう原理なのかは僕も知りません」
それまでの喧騒が嘘のように集会室は静まり返る。
「左手の魔法陣と組みになっておるじゃと……聞いたことがない……」
誰かが呟いた独り言が聞こえるが、鍛冶師たちの思いは皆同じだった。
いち早く我に返ったウルリッヒが「このことはこの場限りじゃ」と口止めし、
「ルナの最後の頼みはこの鎧と槍がどこで作られた物かを調べてほしいということじゃ」
「どうしてなんじゃ? レイに聞けばよかろう」という疑問の声が上がる。
それに対し、ウルリッヒに代わってルナが答える。
「彼には一年以上前の記憶の一部が欠けています。自分の名は思い出せるものの、どこから来たのかが分からないのです……ルークスの紋章に似ている点も気になっています。彼自身、光神教を嫌っていますが、もしかしたら自分が光神教の関係者だったのではという疑念があるそうです。ですので、この鎧と槍がどこで作られたのかが分かれば、何かのヒントになるのではないかと考えたのです」
彼女の説明にライアンとイオネが疑問を思い出した。しかし、それを口にする雰囲気ではなく、心に留めておくだけにした。
「ルナからは十日ほど滞在すると聞いておる。その間にこの鎧と槍を調べるつもりじゃが、一人や二人で分かるような生半可なものではない。手の空いておる者はここに来て一緒に調べてくれんか」
ドワーフたちは一斉に頷く。未知の素材でできた武具が彼らの好奇心を刺激したためだ。
「手の空いておる者は装備の強化を手伝ってやってくれ。どこで何をするのかは聞いておらんが、ルナはこれから試練に立ち向かう。そうじゃな」
ここまで笑みを浮かべていたルナだったが、その言葉にどうして分かったのかと驚く。しかし、ここで隠しても仕方がないと話せる範囲で話すことに決めた。
「はい。詳細はお話できませんが、私たちはとても強大な敵と戦うことになると思います。勝てる見込みは正直ありません。敵を何とか抑えることができれば大成功といえるほど見込みが薄い戦いです」
「儂らも手を貸すぞ!」という声が上がる。
「ありがとうございます。ですが、これは私たちの、いえ、私の戦いです。神々が私に与えた試練とでも言ってもいいでしょう……」
ドワーフたちは静かに話を聞いた。
彼らが知っているルナはロックハート家と共にあったものの、強い人物ではなかった。しかし、目の前にいる彼女は自分一人で戦おうとする心の強い女性だった。
「……私は今まで守られていました。ですが、今回の戦いでは私が守る側になります。私を守り続けてくれた人に負けないように戦い続けるつもりです」
集会室は沈黙に支配される。
それをウルリッヒが破った。
「どのような戦いかは聞かぬ。じゃが、儂らはロックハートの、そして、お前の味方じゃ。助けが必要なら、いつでも腕を伸ばせ。儂らはロックハートの名を持つ者の腕をいつでも取る。特にザックがかわいがったお前は儂らにとっても特別じゃ。そう、奴からも頼まれておるしの」
ルナの頬を涙が流れる。
「ありがとうございます。私自身は皆さんに何もしておりません。そんな私にここまで……」
最後の方は言葉にならなかった。
レイはロックハート家が鍛冶師ギルドにとって、そして、ルナにとってどのような存在なのか気になった。
(僕の知らないルナの、月宮さんの過去があるんだなぁ……それはそうか。彼女は僕と違って十八年もこっちにいるんだから……)
そんなことを考えていると、いつの間にかライアンの装備を含めて更新されることが決まっていた。
「どうなっているんだ?」とアシュレイに聞くが、彼女も「よく分からん」と言い、
「腕に見合わぬ装備は宝の持ち腐れだ。ウノ殿たちはともかく、私は今の装備をこれ以上どうこうしようという気はない」
「確かにそうだね。でも、武器はともかく、防具はよくしてほしいと思っているよ。怪我をされるのはいやだから」
ルナの依頼事項について説明が終わると、本格的な宴会に突入した。
特にレイのところには代わる代わる鍛冶師たちが訪れ、装備や白き軍師の話で盛り上がっていた。
「オーガを十体瞬殺したというが凄いもんじゃ」
そういいながらも「まあ、飲め」と酒を勧めてくる。
「ありがとうございます」と言って新しい酒に手を伸ばすが、ステラはその様子を心配そうに見ていた。
(これでは二日酔いになってしまわれる。大丈夫なのかしら?)
その心の声が聞こえたのか、ルナが「早めに解毒の魔法を掛けた方がいいわよ」と助言する。
しかし、結局レイは途中で潰れてしまった。
ドワーフたちの歌う乾杯の歌で調子よく飲みすぎたことと、途中で出されたスコッチを飲み始めたことが原因だった。
同じようにライアンも潰されていた。彼も頻繁に酒を勧められて飲みすぎてしまったのだ。
その点、女性陣は慎重だった。
ルナは自分のところに多くの鍛冶師がやってくることが分かっており、ペースに巻き込まれないように注意していた。ただ注意していただけでなく、ある女性のアドバイスを忠実に実行していたのだ。
(できるだけ話をするようにして、ジョッキは持つだけにしておきなさいって言っていたはず。今なら分かるわ。これって結構難しいってことが。あの二人はいつもうまくやっていたのね……)
それでも少し飲みすぎ、途中でイオネに解毒の魔法を掛けてもらっている。イオネはイメージができなかったが、ルナの説明を聞き、何とか効果のある魔法にしている。
「血液の中にある酒精を毒だと思って浄化をするの。難しければ、血液にある異物を取り除くように水の精霊にお願いしてみて」
このアドバイスによりイオネは二日酔いを防ぐことができる治癒師となった。
彼女はルナに言われてレイに解毒の魔法を掛けているが、既に魔法で消せる限界を超えていたためか、潰れることを防げなかったのだ。
そのイオネは甲斐甲斐しくルナの世話をすることで、ドワーフたちの標的とはならなかった。
ステラはいつものように飲む振りしていたが、ドワーフたちに捕まり、いつも以上に飲まされた。しかし、彼女も体質的に飲めるのか、一度イオネに解毒の魔法を掛けてもらっただけで二日酔いになっていない。
アシュレイだが、彼女はドワーフたちと楽しげに飲みながらも、いつも通り潰れることはなかった。
翌朝、レイはいつも通り激しい頭痛と吐き気に悩まされながら目を覚ました。
そして、解毒の魔法を掛け、用意されていた冷たい水を飲む。
(またやってしまった。ドワーフと同じペースで飲んだら駄目だってルナに釘を刺されていたのに……でも、昨日は誰でも二日酔いになるはずだ……)
同じように青い顔をしたライアンを見て安心し、彼にも解毒の魔法を掛けておく。
「大丈夫? 多分一時間くらいで楽になると思うけど……」
「ああ……こんなに酷い二日酔いは生まれて初めてだ。酒は飲めるほうだと思っていたんだがなぁ」
「いや、人間じゃ無理だよ」とレイが言うと、ライアンも「そうだな」と同意する。
「二日酔いか?」と言ってアシュレイがリビングに現れた。既に朝の鍛錬も終えたのか、手ぬぐいで汗を拭いている。
更にその後ろにはステラとルナ、イオネがいた。全員が朝の鍛錬を行っていたようで、その事実に男二人は唖然として言葉が出てこなかった。
「お酒は考えて飲みなさい。自分の適量を知ることも大事なことよ」
ルナにそういわれ、二人は返す言葉もなくうなだれる。
「これを飲んだらいいわ。ウコンと砂糖を溶かしたものだから、二日酔いにいいはずよ」
二人はそれぞれ礼を言ってカップを受け取り、黄色い液体を飲み干す。その甘さと独特の香りに顔を顰める。
(やっぱり女の人の方がお酒は強いんだろうか? 月宮さんの方が飲めるとは思っていなかった……ロックハート家にいたからなんだろうな……)
レイはそんなことを考えながら痛む頭を押さえていた。




