第十七話「鍛冶師ギルド総本部」
四月二十二日の夕方。
ルナと鍛冶師ギルド職員ジャック・ハーパーに率いられたレイたちは金床亭からギルド総本部に向かっていた。
既に日は西にあるポルタ山地に落ち、辺りは薄暗くなっている。
出発前、レイは厩舎に向かう振りをして獣人奴隷のウノたちを呼び出した。
「これから鍛冶師ギルドの総本部に向かいます。ルナからの指示で一緒に行ってほしいのですが、大丈夫でしょうか」
それに対し、ウノは「御意」と答え、
「皆様が出発した後、別の宿に泊まっているということにして合流いたします。セイスとオチョが本日潜入することになっておりますので、私、ヌエベ、ディエスの三名のみとなりますが」
ウノたちはルークス聖王国のオーブしか持っておらず、更に隷属の首輪をしていることから、正規のルートで王都に入ることは難しかった。そのため、アルスの背後にある険しいケルサス山脈の崖を降りて潜入している。
身体能力が高い彼らならではの潜入方法だが、さすがに昼間に堂々と降りるわけにはいかないため、二班に分かれて潜入していた。そのため、昨夜先行して潜入したウノら三名だけしかいない。
「それでも構いません。でも、大丈夫なんでしょうか」
「恐らく問題はないかと。ルナ殿がロックハートの名を持つのであれば、鍛冶師ギルドが我らのことを気にすることはありません」
ウノは優秀な間者であり、各国の情報に通じていた。特に今回の任務はラクス王国が目的地ではあったが、ペリクリトルやカウム王国に向かう可能性があり、ロックハート家のことも基本情報として頭に入っている。
レイは僅かに不安を覚えるが、何事にも慎重なウノが断言したことから了承した。
ウノたちが合流し、九名になっていた一行は、五分ほどで鍛冶師ギルドの総本部に到着した。
総本部は重厚な建物で、正門にはギルドの紋章である“金槌と金床”が描かれている。
レイは総本部の建物を見ながら、行きかうドワーフの鍛冶師の多さに感心していた。
(こんなにたくさんのドワーフを見たのは初めてだ……ざっと見ただけでも五十人は見ている。ペリクリトルでもいっぺんに見たのは十人くらいだったよな。さすがは鍛冶師の総元締めってところなのかな……)
彼は勘違いしているが、夕方のこの時間にドワーフの鍛冶師たちが総本部を訪れることは少ない。
ルナ以外は気づいていないようで、アシュレイですら「さすがはドワーフの街と呼ばれているだけのことはある」とレイに話しかけているほどだ。
ルナはそのことに気づいていたが、説明する時間もなかったことと、すぐに事情が分かると思い、特に説明しなかった。ただ、その顔には苦笑にも似た表情が浮かんでいた。
「まずは匠合長室に向かいます」とジャックが言うと、アシュレイが「いきなりなのか……」と呟いている。
彼女もドワーフの鍛冶師と付き合いがあり、形式ばったことを嫌うことは知っているが、さすがに匠合長ほどの大物にいきなり会うとは思っていなかった。
総本部に入ると、すぐにロビーがあり、そこは百人近いドワーフたちで溢れ返っていた。
一人のドワーフがルナの姿を見つけ、「おお! 久しぶりじゃな!」と声を掛けながら近づいてきた。
「お久しぶりです、オイゲンさん」
そう言って身体を屈めて抱き締める。
その後ろではライアンが「オイゲンって……神槍のオイゲンなのか」と絶句していた。
「こいつらが新しい仲間なのか?」
「ええ。後で紹介するつもりですが……」とそこでルナはあることに気づく。
「オイゲンさんも一緒に来てくださいますか。彼の槍を見ていただきたいので」
そう言ってレイを指差す。
ジロリという感じでレイを見るが、すぐにその表情が驚愕に変わっていく。
「こ、こいつの槍は何じゃ!」
その言葉でドワーフたちが一斉にレイを凝視する。
「遠目では分からんが、ミスリルではないぞ。何でできておるんじゃ?」
「それよりもあの輝きじゃ! オイゲンの槍を超えるのではないか!」
ドワーフたちはみな目を見開き、口々に驚きの声を上げる。その声がロビーに響き渡り、耐え難いほどの騒音となる。
「何事じゃ! 鎮まれ!」という割れ鐘のような声が響き、鍛冶師たちの声が一瞬にして鎮まる。
レイは声の主に視線を向けるが、そこにいたのは年配のドワーフだった。ただ、そのかもし出す雰囲気は他のドワーフとは異なり、威厳のようなものがにじみ出ている。
「ご無沙汰しています! ウルリッヒさん!」
ルナの声が先ほどより弾む。
ルナを見たウルリッヒは表情を緩ませる。
「おお! 久しぶりじゃな! すぐに儂の部屋に来い! 話はそれからじゃ」
「儂らにもその槍を見せてくれ、ウルリッヒ!」という声が上がる。
「少し待っておれ! 儂が話を聞いたら集会室で宴会じゃから、すぐに見られる!」
「おう! 分かったぞ!」という声が返ってくる。
ステラはその状況に戸惑っていた。
(匠合長との面会の後に鍛冶師と宴会? どういうことかしら? こんなことは初めて……)
彼女は以前の主人ロリス・デオダードとアルスを訪れたことがあり、有名な鍛冶師にも会っている。その時の印象では気難しい職人というものだった。
(確かに、前のご主人様とお酒を飲んでいる時は楽しそうにしていた気がするけど、全然違う気がするわ。これがロックハート、“ドワーフの友”ということなのかしら?)
彼女だけでなく、ルナ以外は戸惑っていたが、場の雰囲気に飲まれてそのまま匠合長室に連れていかれる。
匠合長室の重厚な作りの扉を開けると、そこにはウルリッヒの他にもう一人待っていた。
「元気そうじゃな」
髭に覆われた顔で表情は判別しがたいが、その声は孫を迎える祖父のような響きがあった。
「ご無沙汰しております、ゲールノートさん」
そう言ってハグをしてあいさつを交わす。
ルナは本当の家族に見せるような無防備な表情で笑い合っている。
レイは彼女の意外な一面を見た気がした。
(こんな表情のルナは初めて見る。こんな表情をする人だったんだ、月宮さんは……日本にいた頃にも見たことがないな……)
他の面々も同じように考えていたが、ライアンだけは自分の知らない彼女の姿に戸惑いを隠せないでいた。
(いつもはちょっと引いている感じがするのに、今は全然違う。ペリクリトルにいる時でもこんな表情を見たことはなかった……)
ウルリッヒ、ゲールノート、オイゲンとあいさつを交わした後、ルナがレイたちを紹介する。
「私の新しい仲間です。彼がライアン。この中では一番古くからの仲間です。その隣がイオネで一番新しい仲間です……」
ウルリッヒたちは目礼のような感じで頷いている。
「この方はアシュレイさんです。マーカット傭兵団のハミッシュ・マーカットさんの娘さんです」
「ほう、あの赤腕ハミッシュのご息女か。なるほど、さすがに良い腕じゃな」
ウルリッヒはアシュレイを見て納得したような表情になる。
「その横がステラさんです。ゲールノートさんはもしかしたら覚えていらっしゃるかもしれません」
ゲールノートは「うむ。覚えておるぞ。若いながらもよい腕の剣術士じゃ」と言って相好を崩す。
「後ろにいる方たちはちょっと言いづらいのですけど……」
ウルリッヒたちの表情が鋭くなる。
「ルークスの者たちじゃな。お前がルークスの獣人たちとなぜ一緒におるのか気にはなっておる」
「やっぱり分かってしまいますね」とルナは笑うが、すぐに真剣な表情に変える。
「この方たちは私たちの、いえ、彼の護衛なのです。話がややこしくなるので先に彼を紹介します」
そう言ってレイを示し、
「彼はレイ。レイ・アークライトです。今では“白き軍師”という名の方が有名かもしれません」
ウルリッヒたちの表情が驚きに変わる。
「白き軍師じゃと! ミリース谷で三千のオークを退け、ペリクリトルで魔族の大軍勢を壊滅させた男……若いと聞いておったが、これほどとは……」
「レイ、マントを脱いでもらえるかしら」
ルナに促されてレイはマントを外す。純白の鎧、雪の衣が現れる。
「まさしく白き軍師じゃな……何じゃ、この鎧は!」
ゲールノートが慌てて立ち上がり、レイに飛びつくようにして鎧を見始める。
「落ち着け、ゲールノート!」とウルリッヒが一喝するが、ゲールノートも負けないほどの声で言い返す。
「落ち着いてなどおられるか! この鎧の素材は全く知らん物じゃ! それに見るだけでも分かる。こいつの防御力は……」
「いいから今は落ち着け! ルナの話を聞いてからじゃ!」
ゲールノートも自分が興奮していたことに気づき、渋々席に戻る。
「皆さんにごあいさつに来たのですが、彼の鎧と槍を見ていただきたかったこともあります。私は武具については素人ですけど、彼の物は皆さんが作られる物と根本的に違うことは分かります」
ウルリッヒは「うむ」と頷くが、目で先を促した。
「彼は一年ほど前にラクスとサルトゥースの国境近くに現れました。それ以前の記憶がなく、その手掛かりを探しているのです。ウルリッヒさんたちなら、彼の武具から何か分かるのではないかと思ったのですが……」
ライアンとイオネはその話に一瞬首を傾げた。彼らが知っている話では、レイとルナは同郷であり、昔馴染みということだったからだ。しかし、目の前にいる大物のドワーフたちに気圧され、すぐにそのことは頭から抜け落ちていった。
「詳しく見せてもらえれば何か分かるかもしれんが、今見る限りでは何を使っておるかも分からん。そうじゃな、ゲールノート、オイゲン」
二人の名工に確認すると、二人は大きく頷く。
「素材も気になるが、その紋章も気になる。獣人部隊の者と合わせて考えると、ルークスの聖騎士かと思ったが微妙に異なる。ここ十年ほど奴らの物は見ておらんが、これほどの物を作れるとは到底思えん」
「ええ、彼は光神教とは全く関係ありません。それどころかラクスでは光神教の狂信者に殺されそうになったそうです。そうよね?」
そこでレイに話を振った。彼は小さく頷くと話を引き継いでいく。
「彼女が言った通りです。私は光神教の司教に殺されそうになりましたし、あの人たちのように人を人と思わないような人たちが嫌いです。光神教にもいい方はいらっしゃるのですが……」
「儂らは貴公が光神教関係者とは思っておらぬよ。あの者どもには煮え湯を飲まされておるからの。あの俗物どもに白き軍師の活躍はできぬ。第一、ルナが信頼しておることはよく分かる。ならば、儂らも貴公を信じる」
「では、ここにいるウノさんたちのことを説明します。光神教のある司教が私のことを光の神の現し身と勘違いし、護衛として派遣されています。なぜ、そのような勘違いをしたのかは分かりませんが」
「その装備と貴公の活躍を聞けば、光神教の者どもなら利用しようと考えてもおかしくはない。この話は長くなりそうじゃな。明日以降に詳しく聞かせてくれんか」
レイが頷くと再びルナが話し始める。
「他にもお願いがあるのです」
「何じゃ? 儂らにできることか?」
「はい。アシュレイさんとステラさんの装備の手入れをどなたかに頼んでいただけないかと。フォンスのバルテルさんという鍛冶師の方の剣なのですが、田舎では手入れもままならなくて」
「バルテルの物か。宴会の時に頼めばやる奴はいくらでも出てくるぞ」
「もうひとつあるのですが、ウノさんたちの剣をもう少しいい物にしたいんです。私たちの安全に関わってきますので」
「確かに腕に見合ったものではなさそうじゃな。しかし、安全に関わるとはどういうことじゃ? ロックハートの者ほどでないにしても、そこのレイ殿たちの腕はなかなかのものじゃろう。それほど危険なところに行くつもりなのか?」
「ええ……」
話を続けようとしたが、外が騒がしくなってきたことから、そこで話を打ち切ることにした。
「この話は長くなりそうですので、明日でいいでしょうか? 鍛冶師の皆さんが集会室でお待ちのようですので」
「そうじゃな。宴会を待たせると何をするか分からんからの。さすがはよく分かっておる。ガハハハ!」
それまでの真剣な表情が消え、豪快な笑い声を上げる。しかし、すぐにレイに向かって、
「済まぬが、その鎧と槍を集会室で儂らに見せてくれんか。魔法陣も気になるし、奴らも興味を持っておろうからの。よいかな、レイ殿」
「もちろんです。それから、僕のことはレイと呼んでください。白き軍師なんて呼ばれていますけど、ただの若い傭兵にすぎません。ですから敬語もいりません」
それにアシュレイとステラも同調する。
「うむ。そう言ってくれると助かる。では、レイ。済まんが、それを貸してくれんか。恐らく一日二日で分かるほどの物ではなさそうじゃ」
「十日くらいはここにいるつもりですので、その間なら大丈夫だと思います。そうよね、レイ?」
ルナの問いに頷くが、武具を預けるということに若干の不安を覚え、ちらりとアシュレイを見る。彼の武具は計り切れない価値があるため、安易に預けていいのかという問いだった。
彼女は小さく頷いた。彼もそれに頷き返し、
「お貸しすることは構いません。ですが、安全な街の中とはいえ、槍がなくなるのは不安です。鎧は予備があるのでいいんですが、予備の槍を貸していただけるとありがたいんですが」
彼の頼みにオイゲンが即座に答える。
「儂のところにある槍を貸してやろう。この槍ほどの業物ではないが、そこそこの物がある」
ライアンは「神槍のオイゲンの槍だと……」と絶句している。
目で合図を送ったアシュレイも表情こそ変えていないものの、内心では呆れるほど驚いていた。
(神槍のオイゲンの槍……そこそこということは一品物の名槍だろう。それを惜しげもなく貸すとは……)
そんな彼らのことに構わず、ウルリッヒが立ち上がる。
「話は終わりじゃ! では宴会に行くぞ!」
ルナだけは「はい!」と元気よく言って立ち上がるが、レイたちは未だになぜ宴会なのか理解できずにいた。
一応、出発前にルナから「宴会になるから」と言われていたが、知り合いの鍛冶師と旧交を温めるくらいだと思っていたのだ。
それが百人以上のドワーフと宴会を行うことになっている。
(さっきいた人たちが全員いるんだよな。だとしたら、百人じゃきかない。二百人くらいの大宴会ってこと? どうしてこうなったんだろう……)
そんなことを考えている彼にウルリッヒが「もたもたするな、レイ! 鎧を外したらすぐにこい!」と急かしてから部屋を出ていった。




