第十二話「トーア出発」
四月十二日の朝。
レイたちは装備を整え、トーア砦を出発する。
レイ、アシュレイ、ステラの三人と獣人奴隷のセイスとヌエベに加え、マーカット傭兵団のアルベリックとライアンが同行する。
拷問を受けたステラだが、レイの治癒魔法と休養によって完全に回復しており、いつも通り元気な様子で馬に乗っている。
ただ一人元気がない者がいた。
それはライアンだった。
彼は昨日ルナの無事を聞いた時の歓喜に震えていた表情とは異なり、目が落ち窪み表情は冴えない。
昨日、アルベリックが宣言したとおり、傍目には人生に絶望し、憔悴している男にしか見えなかった。
その様子にレイがライアンに何があったのか尋ねると、隣にいるアルベリックが嬉々とした表情で説明を始めた。
「愛する女性を失ったライアンはその寂しさを紛らせるため、僕にいつも以上に厳しい特訓をしてくれと志願してきたんだ。僕も同じレッドアームズの仲間として彼に同情していたから、付き合ってあげたんだよ。昨日はあれから十五時間くらい付き合ったかな。多分日付が変わっていたと思うよ」
「そ、そうなんですか……」とレイは言いながらライアンに同情していた。
(これが憔悴しきった表情を作る作戦だったのか……あのアルベリックさんの特訓を十五時間も受けたら、憔悴どころじゃないよな。それにしてもアルベリックさんはどうしてあんなに元気なんだろう……)
アシュレイはライアンに「運が悪かったな」と言って、彼の腕をポンと叩く。
アルベリックは更に楽しげに話を続けていた。
「途中で砦の兵士が気にしている様子だったから、理由を教えてあげたんだよ。そうしたら、みんなも彼に同情してくれて、僕の代わりに相手を務めてくれたんだ。最後の方は十人がかりだったから、壮観だったよ……」
その言葉にアシュレイが頭を振りながら、「やっぱりアル兄だ……」と呟いていた。
レイはそれ以上聞くと更におかしな話を聞かされると思い、アルベリックの軽口を聞き流す。そして、ライアンに「出発できそうかい」と確認した。
顔を上げるのも億劫そうだったが、ライアンは「大丈夫だ。それよりも一刻も早くルナに会いたい」と答えた。
レイは愛馬トラベラーに跨ると、門にいる兵士たちに手を振って挨拶をする。
その愛馬だが、昨日彼が厩舎にいった時には放っておかれたことに拗ねていたが、レイがブラシを掛けたり、飼葉を与えたりと、甲斐甲斐しく世話をすることで完全に機嫌は戻っている。
そして、今は大好きな主人と一緒に旅ができることで落ち着かない様子で首を振っていた。
「じゃあ、出発しようか」
「そうだな。だが、油断はするな。アクィラの山中や永遠の闇ほどではないが、トーア街道も危険なところだからな」
アシュレイが真剣な表情でいい、ステラも表情を引き締める。
トーア砦周辺は標高が高く、四月も半ばになっているにも関わらず、冷たい風が吹き抜けている。
レイはマントを体に巻きつけるようにしてから、愛馬に進むよう命じた。
レイの装備は今までの白一色から黒主体に変わっていた。そのため、見た目には白き軍師という異名を思い浮かべることはなく、どこにでもいる若い傭兵か冒険者に見える。
さすがに見事な槍である白い角は見る者が見れば、ただの傭兵が持つ物ではないと分かるが、聖騎士に似ていると思われるリスクは完全に無くなっていた。
「新しい鎧はどうだ? 動きに問題があるようなら、当面は後衛として魔法を使ってくれればいいぞ」
アシュレイがそう言うと、レイは軽く腕を回してから、「大丈夫」と答え、
「これから少しずつ慣らしていくよ。当分、この鎧で過ごさないといけないんだからね」
「そうだな。宿に入ったら訓練をするか。ここ数日、訓練をやる機会がなかったが、そろそろ以前と同じに戻すべきだろう」
ステラも話しに加わり、
「そうですね。アルス街道に入れば魔物も少ないですし、帝国に入ればもっと安全になりますから、体が鈍らないように気をつけないといけませんね」
彼女はそう言いながらも、ようやく安全な西側に入れたことから、心の中では安堵していた。
(これで当分は大丈夫。トーア街道は危険だけど、セイスさんたちがいれば、盗賊や魔物から奇襲を受ける危険はないわ。後は虚無神のことを考えておけばいい……)
ステラは自分の後ろにいるライアンのことも考えていた。
(この人は変わったわ。この短期間で随分腕を上げている。アルベリックさんたちに特訓してもらったからと言う話だけど、それ以上に努力している。それほどルナさんのことが……)
そのライアンは疲労のため馬に縋りつく感じで乗っている。
彼はルナの使っていた和弓を背中にくくりつけていた。兵士たちは愛する女性の形見だという話を聞いており、出発の際には多くの者が激励にきたほどだ。
彼は明日の夕方にはルナに会えると聞き、嬉しい反面、不安も抱いていた。
(ようやく会える……俺が油断してあいつを奪われてから五ヶ月だ。魔族の女王様という話だが、どうなっているんだろうな。レイの奴は変わっていないと言ったが、本当にそうなんだろうか……)
そんな彼らは順調に街道を進み、一日目を終えた。
その頃、ルナはトーアの西、宿場町タルエルジグ近くの森の中に潜んでいた。
四月七日にレイたちと別れた後、治癒師のイオネとともに、獣人奴隷のウノ、オチョ、ディエスの三人に守られながら獣道すらない森の中を五十kmほど移動した。
移動中に何度も危険な魔物に襲われたが、ウノたちの戦闘力は凄まじく、三級相当のサラマンダーすら倒している。
そして、昨日ようやくこの地にたどり着いた。
彼女たちが潜んでいるのは街道から二百mほど森に入ったところで、きれいな小川が流れている小さな谷のような場所だった。大きな岩がひさしのように張り出し、雨露を凌ぐことができ、街道からは死角となっているため、火を焚くこともできる。
(予定では明日以降に合流できるはずだけど、簡単には砦を出られないかもしれない。そうなると、何日もここにいることになる。今のところ体調は問題ないんだけど、何もしないで待っているのはもったいないわね)
ルナはイオネに魔法を習いながら、レイたちを待つことにした。
四月十三日の午後三時頃、魔法の練習をしていたルナにウノが声を掛けた。
「アークライト様たちが到着されました。すぐに出立の用意を」
「分かりました。それにしても早かったですね」と言いながら荷物を肩に担ぐ。
イオネも荷物を担ぎ、木製の棍を持つ。
「後は町に入ってから私のオーブ作りですね。上手くいけばいいのですが……」
彼女は魔族の国ソキウスの民だ。そのため、身分証明書となる魔道具、オーブもソキウスの物しかない。今回、彼女は魔族に攫われたが何とか逃げ延びた者を演じ、オーブは逃げる途中で失ったという説明をすることになっている。
冒険者ギルドで新たにオーブを作る予定だが、そのことに不安を感じていた。
「大丈夫よ。レイなら何とかしてくれるから」
そう言いながらウノの後をついていく。
■■■
トーア砦の司令官ベンジャミン・プラマー子爵は部下たちの信頼を失った。そのため、彼の消極的な態度やいくつかの命令違反について、いくつもの報告が早馬で王都アルスに送られている。
更に今回のマーカット傭兵団の傭兵、白き軍師ことレイ・アークライトとのトラブルは、ラクス王国およびペリクリトル市との関係を考えれば、看過し得ない問題だった。
拷問を行った者として謹慎処分を食らった騎士が恨みを晴らすべく、プラマーの失態の数々を王国政府に報告書として送ったのだ。
今までは彼の子飼いの騎士が報告書を一括で管理していたため、彼に不都合な報告はすべて握りつぶされていたのだが、部下に責任をなすりつけようとしたことが噂となり、騎士たちも彼を見限った。そのため、早馬は黙認された。
もっともそれ以前からプラマーが更迭されるという噂があり、どこで見限るかのタイミングを計っていた者が多かった。
四月十七日。その報告が王都アルスに届いた。文官から報告書を受け取った王妃カトリーナは直ちに国王アルバート十一世に謁見し、プラマーを非難する。
「司令官の怠慢は明らかです。このままにしておけば、ペリクリトルへの魔族の侵攻は我がカウム王国の失態であるとされかねませんわ。そうなれば、賠償の話が出てくるでしょう。早急に対応しなければなりません」
王妃はプラマーが消極的な性格であり、国防の要となるトーア砦の司令官としてはふさわしくないと常々考えていた。更に彼がノーリッシュ公爵家の係累であり、実力主義をうたう彼女にとって排除したい人物でもあった。
しかし、プラマーにとって運が良いことに魔族によるトーア砦への攻撃は行われず、彼が更迭されるような失敗を犯すことはなかった。また、平時であれば、組織運営者としてそれなりの能力を示していたことと、不利な情報はすべて握りつぶしていたため、王妃としても強引に更迭することができなかった。
王妃はこの機にトーア砦の体制を一新しようと考えた。
それに対し、国王はいつも通りの消極的な姿勢で王妃の提案を退けようとした。王妃の国政への介入は結果からすればすべて成功しているが、それが国王の無能を際立たせることになり、彼はことあるごとに王妃の介入を妨害している。
「魔族の侵攻が考えられる時期に司令官を替えるのは不味かろう。出るかどうか分からぬ賠償の話で更迭はできん」
「それではこのままの体制でいかれるとおっしゃるのですのね」
王妃はそう言い、静かに国王を見つめる。そして、国王が頷く前に話し始める。
「今回のペリクリトル侵攻でトーアを経ずに侵攻するルートがあることが明らかになりました。また、勇敢な傭兵によってトーア付近の地形も明らかになっていますわ。それでも手を打たれないとおっしゃるのですね」
王妃の追及に国王は口を噤む。更にたたみかけるように話は続いた。
「その傭兵はラクス王国を救った英雄。つまり、祖国に戻ればラクス王国の国王や騎士団長と面会する可能性が高いのですよ。そうなれば、必ず今回の話が出ます。今のうちに手を打つべきですわ」
「しかし、それでは今から手を打っても同じではないのか? 逆に司令官を更迭すれば非を認めたことになりかねん」
「それについては考えてありますわ。雪解けを待って大規模な偵察を行う予定だったと公表すれば、おかしくはありません。アクィラの厳しさは誰もが分かっていることですから」
王妃の考えは真冬に情報を得たが、偵察隊を出すには雪解けを待つ必要があり、そのための準備を行っていたため、今の時期になったというものだ。実際、ラクス王国で最も優秀な傭兵団、レッドアームズですら、真冬の進軍で苦労しており、冬のアクィラの厳しさは常識となっている。
「今すぐに司令官を交代し、アクィラに偵察隊を出せば、我が国の失態は糊塗できます。ご決断を」
そう言って迫られ、国王も頷くしかなかった。
王妃は用意周到で、既に候補者を決めていただけでなく、すぐに出発できるよう準備もさせていた。そのため、国王の裁可の翌日には、新司令官はアルスを発っている。
五月に入ると、ベンジャミン・プラマー子爵はアルスに召還された。
そして、王妃に謁見する。
「あなたは不作為により王国に不利益をもたらしました。このことについて弁明があるなら聞きましょう」
プラマーは冷や汗を掻きながらも、冷静に見えるように低い声で答える。
「小職は司令官の任を解かれたことに納得しておりません。小職が司令の任にあった期間、魔族がトーアを抜けて王国に損害を与えたことはありませんでした。この事実こそが小職が司令として職務を全うした証拠。妃殿下のおっしゃる不作為とは何を指しておられるのか、分かりかねます」
王妃はその言葉に「そうおっしゃると思っていましたわ」と冷笑を浮かべ、
「王国としては認めませんが、ペリクリトル市が襲撃を受けた責任はトーア砦にあります。中鬼族が率いたと疑われるオークの群れが二度もトーア近くの抜け道を通っていたのですよ。このことは何度も警告したにも関わらず、あなたはその抜け道を探す努力を怠りました。その結果がペリクリトル市への大侵攻であり、街の四分の一を消失する損害を与えたのです。もし、この事実がペリクリトル市に知られれば、我が国は多額の賠償を請求されるでしょう。それでもまだ王国に不利益をもたらしていないと強弁するのですか?」
王妃の言葉にプラマーは返す言葉を失った。事実、彼が適切に対処していれば、トーア砦付近にある抜け道を見つけ、適切に処理できたはずだ。少なくとも無警告で魔族の大軍が侵攻する事態は防げただろう。
「プラマー子爵家は男爵家に降爵となります。もちろん、あなたが当主の座を退くことが条件です。従わなければ……これ以上いう必要はありませんね」
それだけ言うと、王妃はプラマーとの謁見を切り上げるよう文官に命じた。
プラマーは引き立てられるように退室させられていった。
その後、カウム王国軍の改革は一気に推し進められた。
正規軍に当たる黒鋼騎士団の騎士団長には王妃の弟ロージングレイブ子爵が就任し、王妃の命じるまま改革を行っていく。守旧派からは外戚の専横であると反対の声を上げたが、それらも含めて国政の中枢から排除されていった。




