第八話「拘束」
四月七日。
レイたちはまだ雪が残るアクィラ山脈を抜け、あと三日でトーア砦というところまで戻ってきた。
「この先は別行動になる。ルナにはウノさんたちが護衛をするから、ウノさんの言うことを聞いて無理はしないで……」
ルナとイオネはウノ、オチョ、ディエスの三人の護衛に守られながら、トーア砦に入ることなく間道を進み、砦から四十km西にあるタルエルジグの町で合流することになっていた。
これはルナが月の御子であり、今回の魔族軍襲撃の原因であったと知られている可能性を考慮したことと、敵国ソキウスの民であるイオネの正体に気づかれると、トラブルを招きかねないからだ。
レイはルナの手を取り、
「野宿が続いて悪いんだけど、体には気をつけて」
「分かっているわ。さすがにレリチェからの移動で野宿にも慣れたし、十日や半月は問題ないわ。それよりあなたの方が心配よ……」
ルナは明るい口調で答えたものの、レイの方が危険ではないかと真剣な表情で話す。
「……いくら“白の軍師”と“赤腕ハミッシュの娘”といっても、魔族の地、永遠の闇から戻ってきた人を簡単には解放しないと思うわ。何といっても魔族は傀儡の魔法が使えるんだから」
このことについては、ザレシェからの移動中に充分話し合っており、レイは彼女に心配を掛けないように軽い口調で答える。
「大丈夫だよ。レッドアームズが傀儡の魔法を見破る魔道具を置いていっているはずだし、上手く演技をして信用してもらうから」
彼の言葉にアシュレイも頷く。
「普段はこんな感じだが、こいつはここ一番になったら、相手が公爵だろうが、堂々と渡り合えるのだ。だから、安心して待っていてくれ」
「こんな感じはないだろう」と、レイは口を尖らせて抗議をする。しかし、その姿にアシュレイだけでなく、ルナからも笑い声が上がる。
「そうね。私の方はウノさんにお任せするから大丈夫よ。イオネもいるから怪我や病気も大丈夫だし。だから、あなたも無理はしないで」
そう言ってルナたちは出発した。
彼女たちを見送った後、レイはアシュレイとステラに、「じゃあ、僕たちも行こうか」と声を掛け、獣人奴隷であるセイスとヌエベに「周囲の警戒をお願いします」と頭を下げる。
セイスたちは「御意のままに」と言って飛ぶように離れていった。
それから二日間は大きな事件が起きることなく、アクィラの山中を進んだ。しかし、危険なアクィラということで、四級の魔物であるグリフォンや五級の灰色熊などと何度も戦っている。
これはレイがあえて行ったことだ。セイスとヌエベ、そしてステラの危機察知能力は高く、やり過ごそうと思えば充分に可能だった。
しかし、危険な魔族の地に行った者が、戦いの痕跡もなく戻ってきたら疑われると考えた。そのため、自分たちでも充分に対処できるが、ある程度説得力のある強さの魔物と戦い、その魔晶石を証拠として持ち帰ることにしたのだ。
四月九日の夜。
トーア砦まであと五キメルの位置にまでたどり着き、明日の午後には砦に入れるところまで来ていた。
トーア砦の兵士たちに会うこともなく、偵察が行われている痕跡はほとんどなかった。レイはマーカット傭兵団が砦にいないことを確信する。
(ハミッシュさんたちがいないことは間違いないな。いれば間違いなく、この辺りまで偵察に出ているはずだし……そうなるとあの司令官と僕が一対一で対決しないといけないのか……)
レッドアームズは副官であるアルベリック・オージェや三番隊の隊長ラザレス・ダウェルなど、優秀な斥候を多く抱えている。また、団長のハミッシュ・マーカットは偵察の重要性を理解しており、相当特殊な状況でない限り斥候を出す。
レイは自分の考えをアシュレイらに話していく。
「この辺りに偵察が来ていないのなら、レッドアームズはいないと考えていいと思う。ハミッシュさんなら、僕たちを見つける意味でも斥候を出すはずだからね」
「そうだな」とアシュレイが答え、
「まあ、予想されていたことだ。三ヶ月以上も魔族追撃隊が砦にいることは考えられんのだから。それに悪いことばかりではない」
レイが首を傾げると、ステラが代わって答える。
「この辺りに斥候が来た痕跡が無いということは、更に奥地をいくルナさんたちが見つかる可能性はないということです」
「なるほどね」と彼は頷き、自分の装備を見ながら笑った。
「僕たちもいい具合に汚れてきたしね。逆にあまり早く見つかると少し困ったかも」
そう言って笑う。
彼が言う通り、魔物との戦いで鎧には返り血や泥が付着しており、更にここ数日間は顔を洗うこともなく、食事も制限しているため、全員が薄汚れた感じでやつれている。
これもトーアの兵士たちに疑念を抱かせない工夫だった。
「明日には砦に入れるから、もう少しの我慢だね。早くすっきりきれいにしたいよ」
「そうだな。自分の匂いが気になって仕方がない。お前の洗浄の魔法で早くすっきりしたいものだ」
翌四月十日。
みぞれ混じりの雨が降る中、レイたちはトーア砦にたどり着いた。
彼らは以前魔族追撃隊が使った道から戻ったが、砦の兵士たちは彼らが生きているとは思っておらず、魔族軍の斥候と間違えられる。
「魔族軍だ!」
歩哨が大声で報告すると、砦を守る兵士たちが弓を手にワラワラと現れた。
しかし、わずか五名しかおらず、警戒することなく近づいてくるため、魔族の斥候ではないと判断され、安堵の息を吐くものが多かった。
それでも警戒を緩めない隊長が、「動くな! 武器を捨てろ!」という警告を発する。レイたちは素直に武器を捨てた。
「マーカット傭兵団のレイ・アークライトです! 魔族ではありません!」
彼は愛槍を投げた後、マントを跳ね上げて、自分の特徴的な鎧を見せる。
砦の兵士たちも“白の軍師”という名と彼の聖騎士紛いの鎧を覚えており、
「本当にアークライト殿なのか……」と言った後、言葉に詰まる。
その後、武装を解除された上で、砦の前で司令であるベンジャミン・プラマー子爵の審問を受けることになった。プラマーはレイの魔法を警戒しているのか、兵士たちの後ろに隠れている。
「レイ・アークライト、アシュレイ・マーカット、ステラ、セイス、ヌエベの五名で間違いないな」
「間違いありません。オーブを確認していただければ分かると思います」
プラマーは部下たちに「まず先に拘束しろ。アークライトは魔法を使えぬよう猿轡もかませるのだ」と命じる。その行為にアシュレイが抗議の声を上げる。
「我々は魔族追撃隊の一員だ。任務を終えて魔族の地から命懸けで戻ってきた我らにその仕打ちは酷いのではないか」
プラマーが何かいう前にレイが「仕方がないよ。司令官が心配するのはおかしなことじゃないよ。ここは大人しく拘束されよう」といい、縛りやすいように両手を前に突き出す。
「傀儡の魔法を見破る魔道具があったはずです。それで僕たちが魔族の傀儡になっていないことを確認してください」
その間にレイたちはロープで拘束されていく。特に獣人奴隷のセイスとヌエベはグルグル巻きという感じで厳重に拘束されていた。
プラマーは部下に「魔道具で確認しろ」と命じ、更にアシュレイに尋問する。
「他の者はどうしたのだ。十名で出発したはずだが」
「仲間は……あの地で命を落としたのだ。あそこはアクィラより遥かに危険なところだ……」
苦渋に満ちた表情でそう告げる。
その間に灯りの魔道具を改造した傀儡の魔法の発見装置での確認が行われた。
「全員、傀儡の兆候はありません!」という兵士の言葉で、その場に安堵の息が漏れる。
更にオーブの確認も行われ、本人に間違いないことも確認された。
しかし、プラマーは拘束を解くことなく、「牢へ連れていけ。後ほど尋問を行う」と命じると、その場を離れていった。
レイたちが砦に引き入れられると、アルベリックとライアンが遠くから声を掛ける。
「無事みたいだね」という暢気ともいえるアルベリックの声とは逆に、「ルナは、ルナはどうしたんだ!」というライアンの悲痛な叫びが響く。
猿轡をされているレイに代わり、アシュレイが「済まぬ」と言うが、すぐに兵士たちに引き立てられてしまう。残されたライアンはがっくりと膝を突き、慟哭を始めた。
アルベリックは慟哭を続けるライアンに「とりあえず立って」と促し、彼にだけ聞こえるように「レイ君が手ぶらで戻ってくるはずはないよ」と告げる。
ライアンは「えっ?」という声を上げるが、
「部屋に戻ろう。あの司令官だと拷問をやりかねないから、何か作戦を考えないとね」
アルベリックはそう言ってライアンを促すと、レイたちが連れていかれた廊下を見つめる。
(アッシュの表情を見る限り、何か隠していることは間違いないね……失敗したのなら、あのレイ君が大人しくここに戻ってくるはずはないもの……)
アルベリックはレイが大人しく拘束されたことに違和感を持っていた。
二人しかいないとはいえ、あの優秀な獣人奴隷がいるなら、砦を迂回することはそれほど難しいことではない。
また、同じルートを通るかどうかはともかく、大鬼族たちはペリクリトルから街道を通ることなく、トーア砦を迂回して東に戻っていったのだから、そのことにレイが気づかないはずはない。更にプラマーが自分たちを疑うことは充分に考えられるため、素直に戻ったのには理由があると考えたのだ。
部屋に戻ったアルベリックは自分の考えをライアンに話していく。
「あのレイ君が失敗したのに大人しく帰ってくるとは思えないんだ。それにステラちゃんが大人しかったのもおかしいよ。あの子なら絶対にあんなことを認めないと思うからね……」
彼の言葉に落胆していたライアンも少しずつ希望が見え始める。
「っていうことは、ルナは無事っていうことなんですか! なら、なんで一緒にいないんだ!」
「落ち着いて。僕にも分からないけど、レイ君が考えなしに置き去りにすることはないはずだよ」
そう言いつつもアルベリックには懸念があった。
(あの司令官が大人しく解放するかな。魔族のスパイとかに仕立て上げて手柄にしそうな気がする……レイ君はあの司令官のことを知らないから、説明すれば納得してもらえると思っているかもね……だとすると、不味いかも……)
アルベリックはこの三ヶ月間で、プラマーが小心者であると同時に虚栄心の強い人物だと気づいていた。更にプラマーの地位が危ういという噂を兵士たちから聞いている。
(今のカウム王国であの王妃様に目を付けられたらヤバイよね。特に彼は失敗しているからなぁ。彼女ならミスしないだけじゃなくて、やるべきことをやらないとすぐに首にしそうだし……)
カウム王国では十年ほど前から王妃カトリーナによる改革が行われていた。彼女は旧態然とした政治を刷新し、軍と官僚機構の斬新な改革に手をつけた。
その結果、能力がない者は王家の縁戚であっても排斥し、逆に平民であっても有能な者は重要な役職に就けている。
官僚機構は早期に改革に着手し成果を挙げているが、軍の改革は絶えず魔族の脅威があったことから遅れ、未だに縁故によって役職に就いた者を完全に排除できていなかった。
しかし、ペリクリトルでの大勝利により、魔族の脅威が小さくなったことから、王妃が改革に着手することは確実と思われ、それが辺境の下級兵士の間で噂になるほど広まっている。
プラマーは以前いた上級貴族の縁戚の者より無能ではなかったが、前例に拘り新しいことには消極的だった。そのため、トーア砦の防衛というカウム王国の存亡を左右する職務に就きながらも、積極的に魔族の情報を手に入れようとしていない。そして、その結果がペリクリトル攻防戦の遠因ともなっており、若手官僚たちから非難されていた。
「フフフ……何にせよ、面白くなってきたね」
アルベリックは純真とは言い難い笑みを浮かべているが、口で言うほどプラマーの将来を面白がっているわけではない。どちらかといえば、この後、クウァエダムテネブレから戻ったレイたちが何をするのかに興味があったのだ。
「どっちにしても僕が動かないと駄目だよね。ライアン、君はいつでも出発できるように準備をお願い。レイ君の馬はいるけど、アッシュやステラちゃんの馬の準備も必要だし。それにルナっていう娘の分の準備もしておいてね」
ライアンはなぜ出発の準備が必要なのか理解に苦しむが、三ヶ月間アルベリックと付き合ってきた経験から、深く追求することを止め、大きく頷いた。
それに満足したアルベリックは飄々とした表情のまま、砦の奥に向かった。




