第七話「レッドアームズ帰還」
トーア砦での話です。時間は2ヶ月ほど遡っています。
時は二ヶ月ほど遡る。
二月一日、マーカット傭兵団を含む魔族追撃に参加した傭兵二百名が、トーア砦を出発しようとしていた。
任務が完全に成功したわけでもなく、大した成果は上がっていないが、マーカット傭兵団以外の傭兵たちが帰還することを主張し始めたためだ。
また、大鬼族の残党が東に逃げ去ったことを確認したこと、その後も何度か偵察を出しても魔族の痕跡が見つからなかったこと、無為に延長し続ければその分各国の負担が大きくなることなども帰還の理由だ。
指揮を執るハミッシュ・マーカットとしても、明確な理由なく引き伸ばすことはペリクリトル市を始め、各国の理解が得られないと考え、苦渋の決断をした。
しかし、全員がトーア砦から去るわけではなかった。
連絡要員という名目で、ハミッシュの副官であるアルベリック・オージェとルナの冒険者パーティの一員だったライアン・マーレイの二人が残る。
出発の際、ハミッシュはアルベリックに「アッシュたちのことを頼む」と仏頂面で言い、彼の妻ヴァレリアも「アル兄に任せるのは不安なんだけど、お願いしますね」と言って笑った。
二人ともアシュレイやレイのことで心を痛めていたが、そのことは口に出さなかった。
「僕に任せておいてよ。春になったらライアンの訓練がてら、山に入るつもりだし、何か痕跡くらいは見つけられるよ」
アルベリックは散歩にでも行くような口調で話しているが、アクィラの山は三級相当の魔物が頻繁に出没し、時には一級相当の竜すら姿を見せる危険な場所だ。
超一流と呼ばれる二級傭兵の彼であっても、単独での偵察は命懸けの行動であり、レベル三十にもならないライアンが同行するとなれば、危険は更に増大する。
「無茶はするな。レイがついているんだ。奴なら何事もなかったみたいな顔をして戻ってくる。お前が邪魔をする方が心配だ」
アルベリックは心外だという顔をし、
「それはないよ、ハミッシュ。僕だってちゃんと考えているんだよ。一番面白くなるようにね」
その言葉にハミッシュとヴァレリアがこめかみを押さえる。
「いずれにせよ。定期的に連絡を送ってくれ。既に説明しているが、ペリクリトルに戻った後、俺たちはフォンスに戻る」
マーカット傭兵団は元々ペリクリトルへの救援のため、ラクス王国から南下したが、その後、ペリクリトル市および冒険者ギルドの要請で魔族討伐隊として追撃を行っている。そのため、一旦ペリクリトル市に報告し、その後は本拠地があるラクス王国の王都フォンスに戻ることになっていた。
ヴァレリアはアルベリックの後ろに立つライアンの前に立ち、「あなたも無理はしないでね。アル兄の言うことは話半分で聞いておくこと」と言って肩をポンと叩く。
「はい。俺はアルさんが帰っても、ここでルナを待ち続けます」
真剣な表情で、宣言するように告げる。
彼はマーカット傭兵団の正式な一員となっていた。トーア砦には傭兵ギルドの支部もあり、傭兵として登録した後、ゼンガ・オルミガ率いる二番隊所属となっている。
ライアンが言うように、アルベリックはレイたちが戻って来なければ、半年間だけここに残り、夏頃にフォンスに帰還することになっている。
カウム王国を含め、西側諸国には魔族の地である“永遠の闇”の情報がなく、どの程度でレイたちが戻ってくるか分からないためで、半年待っても戻ってこない場合は全員が死亡したと判断することにしたためだ。
一方、ライアンは半年が過ぎても戻るつもりはなかった。幸い、この地には冒険者ギルドの支部もあり、砦近くで魔物を狩れば生活することは可能だ。
もっともペリクリトルに比べ、辺境のトーアの物価は高く、ソロの六級冒険者程度の収入では厳しいかもしれない。
それでも、彼は待ち続けるつもりだった。最悪の場合はトーア砦の守備隊に入隊することも考えている。ここは常時募兵を行っており、冒険者ギルドや傭兵ギルドに登録している者であれば、カウム王国民でなくとも入隊は可能だった。
傭兵たちは真冬のトーア砦を出発していった。
残されたアルベリックとライアンは彼らを見送った後、訓練を始めた。
レイたちと別れた時、ライアンの槍術士レベルは二十三に過ぎなかったが、ゼンガを始め、二番隊の猛者たちによる特訓で、僅か一ヶ月でレベルを二十五にまで上げている。しかし、レベル四十台のレイたちとは雲泥の差であり、少しでも差を縮めるべく、更なる特訓を行うつもりでいた。
アルベリックは弓術士としても剣術士としても一流だが、ライアンが使うハルバードについては専門外であり教えることができない。しかし、実戦形式の訓練ならできるだろうとライアンがアルベリックを説得した。
その際、アルベリックは「僕の訓練は厳しいらしいよ。アッシュたちから聞いているかもしれないけど、それでもいい?」と確認している。
「聞いています。それでもお願いしたいんです。少しでもルナの力になるなら、どんなことでも耐えてみせます」
訓練が厳しいことで有名なレッドアームズの傭兵たちがアルベリックとの訓練だけはやりたくないと言っている。そのことをライアンも知っているし、実際何度か経験し、その厳しさを実感していた。
アルベリックは激しい攻撃を加え、骨を折ってもその場で治癒魔法を掛けて立ち上がらせ、倒れたまま立ち上がれなくなっても、無理やり引き摺り起こして訓練を続けさせる。そのため、彼の訓練に一日以上耐えたものは一番隊のガレス・エイリング隊長の他には僅か数名しかいない。
ライアンの特訓はトーア砦の訓練場や傭兵ギルドの訓練場で続けられた。当初、その無茶な訓練に兵士たちは眉を顰め、気のいい者などは止めに入ってもいた。しかし、当のライアンがそれを断り続け、十日を過ぎた頃からは彼のことを見直す者が多くなった。
そして、一ヶ月が過ぎ、三月に入る頃には頻繁に山に入るようになり、実戦経験を積んでいく。五級相当の灰色熊などの大型の魔物や敏捷な雪狼、更にはストーンゴーレムのような珍しい魔物とも戦った。
その結果、四月に入る頃には槍術士レベル二十八と僅か三ヶ月でレベルを五つも上げるという驚くべき実績を作っている。通常、レベル二十を過ぎた者のレベルアップは年に一回か二回であり、その非常識さに砦の兵士たちの間で知らぬ者がいないほど有名な話になっていた。
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トーア砦を出発したハミッシュたちは往路のような無茶な移動はせず、五百kmの距離を二十日間で移動し、二月二十日に無事ペリクリトルに到着した。
年末に出発した時、ペリクリトルは街の四分の一が焼けて荒涼としていたが、二ヶ月弱という短い期間で見違えるほど復興していた。
街中に人が溢れ、更にレイの策によって焼けた東地区では、大工たちの活きのいい声と槌の音が絶えず響いている。
ハミッシュはペリクリトルの行政庁でもある冒険者ギルド総本部に向かった。彼の後ろには妻であり五番隊隊長のヴァレリアと三番隊隊長ラザレス・ダウェルが付き従っている。
有名な傭兵団である“レッドアームズ”ということで、すぐにギルド長のもとに通される。
応接室に通されるとギルド長レジナルド・ウォーベックと防衛司令官ランダル・オグバーンがすぐに現れた。
「よく戻ってきてくれた。どうやら敵は逃げ帰ったようだな」とレジナルドが右手を差し出すと、ハミッシュもすぐにその手を取る。
「無駄足とまでは言わんが、少し長くなりすぎた。すまん」
ハミッシュはそう言って頭を下げる。
今回のマーカット傭兵団を主力とする魔族追撃隊は、ペリクリトル市が要請する形で結成されたが、実質的にはレイがルナを取り戻すために兵士や市民を動かしたため結成された。
形式上とはいえ、ペリクリトル市が要請しているため、市に費用の請求が行われる。もちろん、協定により各国が分担金を拠出するが、復興で資金が必要な時期に市に大きな負担を掛けることに違いはない。
ハミッシュの言葉に対し、ランダルが普段の軽い口調でそれを否定する。
「いや、実際大鬼族はいたんだ。それにトーア近くまで数百の鬼人族部隊が出張ったとも聞いているしな。お前さんたちが行かなけりゃ、レイが言っていたようなことが起きたかもしれん」
追撃隊が結成された公式の目的は、大鬼族の残存部隊がトーア砦の西側に潜み、東側の本隊と呼応することを防ぐというものだった。その点で言えば、トーア砦の迂回するルートの発見と、その後のネストリ率いる大鬼族部隊との戦闘により、目的が間違っていなかったことを証明している。
「いずれにせよ、今後はカウム王国が対応することになる。魔族追撃隊は本日をもって解散だ」
レジナルドの宣言により、魔族討伐隊は解散となった。級に合わせた日当が支払われるが、マーカット傭兵団に対しては猶予を申し出てきた。
「済まんのだが、フォンスに戻るまで待ってくれんか。今は金がない。他の連中なら大した級の奴がいないから何とかなるが、お前のところは洒落にならん金額だ。フォンスのデュークのところでの支払いにさせてくれ。頼む」
レジナルドはそう言って頭を下げる。マーカット傭兵団への支払額は追撃分だけで五十万クローナ(約五億円)を超え、それだけの現金を用意することができなかった。そのため、デューク・セルザムが支部長をしているフォンス支部での手続きを依頼してきた。
「俺たちは構わんが、大丈夫なのか?」
ハミッシュの言葉にレジナルドは「ああ」とだけ答える。
「金自体は各国から取り立てるから何とかなる。フォンスでの受け取りにしたのもラクスはお前さんたちを派遣したことにしているからだ。足りん分はサルトゥースからの拠出金を当てるつもりだ」
魔族の侵攻に対しては各国が協力して当たることになっており、遠方の諸国や固有の軍隊を持たない都市国家などは拠出金という形で協力する。
今回、ラクス王国はマーカット傭兵団を臨時で雇い、派遣したという体裁にしている。これは自国の東部が不穏なためだが、契約自体はペリクリトルの救援だけであり、追撃分は入っていない。そのため、ラクス王国が全額を負担することを拒否する可能性があるが、その際は戦いに参加していない北部のサルトゥース王国からの拠出金を当てる。
レジナルドたちとの会談を終え、ハミッシュたちは総本部を出ていく。
「うちも厳しいけど、大変そうね」とヴァレリアが呟くと、ラザレスが肩を竦める。
「まあ、ここが全滅しなかったのが奇跡だからな。商業ギルドが何とかするだろうよ」
冒険者ギルドを設立したのは商業ギルドであり、また、冒険者たちの恩恵を最も受けているのも商業ギルドだ。
その冒険者ギルドの運営が滞ることになれば、街道に魔物が溢れ、商業活動に支障をきたす。そうならないためにも商業ギルドは冒険者ギルドを支援せざるを得ないというのがラザレスの意見だった。
彼は元冒険者であり、ペリクリトルに長く住んでいることから、こういった事情にも通じていた。
「とりあえず、金はもらえるのだ。懐かしいフォンスで奴らを待つぞ」
ハミッシュがそう言うとヴァレリアが大きく頷く。
「そうね。でも、フォンスに戻ってくるのかしら? そのままどこかに流れて行っちゃいそうなんだけど」
特に根拠があるわけではなかったが、ヴァレリアはレイたちが素直に戻ってくるとは思えなかった。
ハミッシュも同じことを考えていた。
「そうかもしれん。だが、あそこはアッシュの家でもある。俺たちが待っていてやらねばな」
宿に戻ると、傭兵たちを集め、マーカット傭兵団以外にはここペリクリトルで支払いがなされると伝える。
「俺たちレッドアームズはこのままフォンスに戻る。長い間、世話になった」
そう言ってハミッシュが頭を下げると、傭兵たちは慌て始める。彼らにとってハミッシュは英雄だからだ。
「頭を上げてください、ハミッシュさん」という声が上がり、更には「俺たちもフォンスに連れて行ってください」とマーカット傭兵団への入団を希望する者も続出する。
それに対し、ハミッシュは「レッドアームズに入りたくば入団試験を受けてもらう」と凄みを利かせる。その言葉に声を上げていた若い傭兵たちはトーンダウンしていく。
マーカット傭兵団の入団試験は非常に厳しく、更に入団後の訓練も通常の傭兵とは比較にならないことは有名で、自分には無理だと諦める者が多かった。
結局、マーカット傭兵団以外の百名の傭兵のうち、入団を希望した者は僅か二十名で、そのうち合格した者は七名に過ぎなかった。
ハミッシュたちはペリクリトルを出発し、ラクス王国の王都フォンスに向かった。
ヴァレリアはペリクリトルの門を出る時、東の山脈アクィラを眺め、
(アッシュ、早く帰ってきなさい。みんな待っているから)
心の中で妹にも等しいアシュレイに語りかけていた。




