第六十九話「理想に向けた一歩」
三月十八日。
月の御子ルナは鬼人族の都ザレシェの中心、大政庁と呼ばれる建物の前で熱狂的な民衆に語りかけていた。
「……私は皆さんと共にあります!……確かに邪神、虚無神の力は強大です! ですが、私たちにも戦う術はあるのです! それはすべての種族が手を取り合い、信頼しあうことです。つまり、ソキウスの建国の理念こそがヴァニタスに対抗する唯一の手段なのです!……」
彼女の声は闇の精霊たちによって力が与えられ、風の精霊たちによって人々のもとに運ばれていく。
そして、彼女自身も自らの言葉に奮い立ち、徐々に熱を帯びていった。
「……皆さんにお願いがあります! ソキウスの理想を実現してください! すべての人々が虐げられることない、理想の国を作ってください!」
彼女の声に民衆たちの間から「御子様のために!」、「俺はやるぞ!」という言葉が次々と上がる。
そこで両手を広げて民衆たちの興奮を鎮めていく。そして、それまでの熱を帯びた声からトーンを落とし落ち着いたものに変える。
「……既に聞いているかもしれませんが、私は一度この国を離れます……」
鬼人族の戦士たちに話した時と同じく、民衆たちに落胆の声が上がる。中には涙を流している者もいた。
「……ですが、私は必ず帰ってきます! 私を受け入れてくれたこの国に、そして、この街に!」
そこで大きな歓声が上がり、演説は終了した。
「お疲れ様」
演台を降りたルナにレイから労いの言葉が掛かる。
「何回やっても慣れないわ」
レイが心配そうな表情を浮かべると、ルナは笑みを浮かべ、「でも、必要なことだから」とサバサバとした感じで答える。
彼女は更に数箇所で同じような演説を行うことになっていたが、レイたちは出発の準備を進めるため、彼女と別れザレシェの街に繰り出していく。
しかし、人族と獣人族という組み合わせでは侮られると考え、ベントゥラ氏族の族長代理、ペッカが同行していた。
当初ペッカも人族であり、白の魔術師と呼ばれているレイを白眼視していた。
「レイは私の命の恩人であり、最も信頼する修行仲間なの。あなたがどうしても嫌というなら、他の誰かに……そうね、ヨンニ殿に頼むけど、できれば最初に私の力になってくれた、ベントゥラのあなたにお願いしたいと思っているの。どうかしら」
敬愛するルナからそう言われ、ペッカは感激しながら「ぜひ私に」と言って引き受けた。
ペッカと共にベントゥラの戦士が護衛に付く中、ザレシェの街を歩いていく。
街には木造の建物が多く、何となく和風な感じがあり、時代劇に出てくるような印象を受けていた。
(何となく江戸時代の下町って感じがするな。ペリクリトルも木造の家は多かったけど、ここの方が引き戸を使っていたり、茅葺だったりするからかな……)
そんなことを考えながら、今日揃えるつもりの保存食や予備の武器についてアシュレイとステラに確認していた。
突然、ペッカが話しかけてきた。
「あまり買いすぎても荷物になる。途中の街で買えばよいのではないか」
彼はレイに侮られないよう、いつも以上に肩肘を張った物言いをしていた。レイには何となく理由が分かっており、その姿を微笑ましく思いながらも丁寧に理由を説明する。
「何かあった時のために準備はしておきたいんです。準備不足でルナを……ルナ殿を守れなかったら大変ですから」
ペッカもルナのためと言われ納得するが、敬愛する月の御子を呼び捨てにしたことに眉を顰めていた。
「レイ殿と御子様は修行仲間ということだが、どのような修行をされたのか。御子様と貴殿とはまるで違うと思うのだが」
「主に学問ですね。様々な現象を数式で解き明かす学問や、昔に起きたことから今に生かせる教訓を学ぶ歴史とかですね」
ペッカには想像が付かなかったが、何となく高度な学問を学んでいたと考え、大きく頷いていた。
その後、彼は少しでもルナのことを知りたいと、レイに何度も話しかけ、それがきっかけで当初あったわだかまりも徐々に消えていった。
更に絶望の荒野のことやルーベルナでの出来事なども聞きたがり、レイはその無邪気さに閉口しながらも対応していた。
(何というか無邪気というか、分かりやすい性格だな。大好きなルナのことやみんなが怖がっている絶望の荒野のことを好奇心に任せて聞いてくる。中鬼族はもっと荒々しい人たちだと思っていたけど、僕たちとそんなに変わらないんだ。ルナも同じことを思ったのかな……)
ペッカの案内で店に入ると、商人たちは下にも置かない対応をする。鬼人族の中でそれほど力を持っていないベントゥラ氏族とはいえ、族長会議に名を連ねる名家であり、護衛たちが身に着けている防具の紋章からすぐに気づいたようだ。
ただ、レイたちが話しかけると、鬼人族の商人は露骨に見下すような態度を取った。
「人族が何のようだ。今はベントゥラの方々の対応で忙しいんだ」
その態度をペッカが咎める。
「貴様は御子様のお言葉を聞いておらんのか! 全ての人々が手を取り合う国を作らねばならんのだ!」
ペッカの言葉に商人は平身低頭で謝罪する。
「御子様のお言葉は聞いておりますが……申し訳ございません」
「人はすぐには変われませんよ、ペッカ殿」
商人は特権階級であるペッカに親しげに話しかけるレイに驚きを隠せなかった。
必要な物資を揃えた後、ルナの護衛の鬼人族戦士たちとの顔合わせに向かった。
今回の護衛は大鬼族、中鬼族、小鬼族の主だった氏族から千名ほどが選ばれ、眷属であるオーガやオークは一切同行しない。更に人族や獣人族からも数十名程度同行することになっている。
主力となるのは大鬼族のクロンヴァール家で、タルヴォ自らが五十人の戦士を率い、レリチェ村の責任者が小鬼族のエイナル・スラングスであることから、スラングス家も族長自らが精鋭を率いて参加することになっていた。
大政庁近くにある広場でタルヴォ自らが精鋭たちの訓練を見守っていた。
激しい訓練がなされており、若い戦士が何人も膝を突いている。
「その程度で膝を突く者は御子様の護衛と認めんぞ! 御子様の御為に意地を見せんか!」
普段、大人然としているタルヴォだが、この時はルナの奪還に向かった時と同じほど熱くなっていた。
「精が出ますね、タルヴォ殿」とレイが声を掛ける。すぐ後ろで見ていたペッカはその気負いのない態度に驚いていた。
(今日のタルヴォ様にあれほど気安く声を掛けられるとは……さすがは御子様が最も信頼すると言い切られただけのことはある……)
レイはタルヴォと打ち解けられており、今も訓練で熱くなっているだけだと思っているため、気にしていないだけだが、鬼人族でも最も地位が高い族長会議の首座に気安く声を掛けたことで、周りからは大物に見えていたのだ。
「レイ殿か、もうそんな時間か……」
元々、顔合わせをすることが決められていた。ザレシェでは二時間ごとに鐘が鳴るが、タルヴォは自分で思っている以上に気合が入っており、約束の時間になったことに気づかなかった。
「別に急いでいませんので、待ちますよ。キリのいいところまでやってください」
タルヴォは「済まぬな」と言うが、すぐに訓練に戻っていった。その様子にレイは苦笑し、アシュレイに話しかける。
「何となくハミッシュさんに似ているよね、タルヴォ殿は」
アシュレイも同じことを思っていたのか、「そうだな」と言って笑った。
三十分ほどで小休止となったのか、タルヴォが戻ってきた。
兵士たちは厳しい訓練で疲れ果てたのか、大の字になって倒れている者もいた。
「待たせて済まぬ」と軽く頭を下げると、すぐに本題に入っていく。
「ここにおる者が御子様の護衛となる」
そう言って顎で兵士たちを示す。
「今回の目的は既にお話した通りですけど、もう一度確認のために説明します。鬼人族の精鋭方に同行してもらうのはレリチェ村の兵士たちを暴走させないためです。確かクロンヴァール家の方もいたと思いますが、ルナから聞いた話では月の御子を敬うという気持ちがなく、力で西側を屈服させたいと思っている人たちが多いようです……」
レイはレリチェ村の兵士たちは最前線にいることから好戦的だと考えていた。実際、ルナを軽んじていたこともあり、白の魔術師である自分が村に入れば、兵士たちが暴走して西側に攻め込む可能性があると考えている。
「その者らが御子様を侮らぬように、儂らが絞めればよいのだな」
タルヴォの“絞める”という言葉に苦笑が浮かぶが、すぐに首肯する。
「レリチェの部隊が暴走すると、ルナの使命が妨げられるだけでなく、彼女の身も危険になります。もちろん、タルヴォ殿たちが去った後も同じです」
「その点は儂も理解しておる。我が愚息、ネストリは連れて帰るつもりだが、スラングスの族長イスト殿に残ってもらうことも考えておる」
現在のレリチェ村の責任者エイナル・スラングスは十九年前の大侵攻の生き残りで、小鬼族だけでなく、中鬼族や大鬼族の戦士たちにも一目置かれている。このため、安易に更迭することができず、彼の兄であり、小鬼族の名家スラングス家の族長イストに抑えてもらうことを考えていた。
「そうして頂けると助かります。レリチェが暴走すれば、ルナがソキウスに戻ることができなくなりますので」
ジルソールからの帰還方法はまだ考えていないが、少なくとも安全に通過できるルートはトーア付近しかないため、トーア砦を刺激するような行動を起こされると、結果としてルナに危険が及ぶことになる。
「エイナルを含め、御子様を軽んじるような者はソキウスの戦士ではない。腹に一物持っておるようなら、儂が成敗する」
目を細めてそう呟くが、その迫力にレイだけでなく、アシュレイですら背筋に冷たいものが流れていた。
(さすがは荒くれ者が多い鬼人族をまとめているだけのことはある。マーカット傭兵団で慣れている私ですら反射的に剣に手を置きそうになる……)
それほどまでの気合を見せるタルヴォだが、すぐに実務的な話に切り替えていく。
「街道沿いの民たちに御子様のお姿と精鋭の雄姿を見せるとのことだが、旗を用意したいというのはなぜなのだ?」
レイはソキウスという国の国旗があるか確認したが、国旗がないとのことで、各氏族の紋章を描いた旗を用意してほしいと頼んでいたのだ。
「主要な氏族が月の御子に従っているという事実を分かりやすく示したかったのです。今回は族長会議に名を連ねる二十五の氏族すべてが精鋭を出すと聞いています。それだけの数の紋章が描かれた旗が並ぶ姿は壮観ではないでしょうか」
「つまりだ。御子様の権威を行く先々の民たちに見せるためということなのだな。うむ……」
タルヴォはレイの目的を理解したものの、本当に必要なのか疑問を感じていた。
「月の御子がすべての町や村で言葉を授けるわけにはいきません。もちろん、姿は見せるようにするつもりですが、ソキウスが一つになっていると目で見て分かる方が民たちも喜ぶのではないでしょうか」
「うむ。確かに」と頷き、
「旗は明日中には用意できると聞いておる。明日の夜には御子様にご覧いただけるだろう」
こうして準備は着々に進んでいった。
翌日もルナは様々な場所で演説を行った。
人族や獣人族が多く住む地区にも足を運び、住民たちは彼女の言葉に涙を流していた。
その日の夜、大政庁の大広間ではルナに対し、各氏族の旗が披露される。
「我がバインドラー家の旗でございます」と言ってエルノが部下に旗を広げさせる。
白地に赤で二匹の蛇が絡まるデザインの旗が勢いよく広がった。僅か二日で作ったとは思えないほどの出来栄えで、ルナは「素晴らしいですね」と本心から感心していた。
その後、次々と各氏族の旗が披露されていく。そのすべてが独特の力強いデザインだった。
「これが明日、すべて並ぶのね。楽しみだわ」
翌日の三月二十日。
大政庁前には鎧を身に着け、剣や槍を持った戦士たちが立ち並び、その最前列には各氏族の旗がはためいていた。
やや雲が多い朝だったが、時折差す日の光を受け、幻想的ともいえる光景を作っていた。
漆黒のドレスに身を纏ったルナが演壇に立つ。
「これより西に向かいます! 皆さんと共にあることを、これほど誇らしいと思ったことはありません!……」
彼女の高揚した気分はそのまま闇の精霊たちによって鬼人族に伝えられ、彼らも同じように気分を高めていく。
「……虚無神との厳しい戦いはまだまだ続くでしょう。ですが、皆さんと力を合わせれば、私たちは決して負けません! 私と一緒に理想の国を作り、ヴァニタスから世界を守りましょう!」
その直後、鬼人族たちから「「オウ!」」という雄叫びが上がる。
その興奮はレイたちにも伝わっていた。
(ルナは完全に鬼人族を掌握しているなぁ。これならこの国は大丈夫だろう。後はジルソールに何が待っているかだ。でも、それは今考えても仕方がないな……)
頭の片隅でそう思いながら、彼も鬼人族たちと同じように声を上げていた。
第四章はこれで終わり、次話から第五章「始まりの国:神々の島」となります。
第四章は過労死寸前の忙しさ(笑)とトリニータスシリーズ書籍化の影響を受け、3年以上も掛かっています。(2014年7月~2017年10月)
次章が最終章になる予定で、五十話程度を一年以内に書きあげ、2018年中には完結させたいと思っています。
次章ではカエルム帝国、ジルソール王国、そしてルークス聖王国が舞台となり、今までにない目まぐるしく変わる舞台での話となるはずです。
……と、書きましたが、あくまで予定は未定です(笑)。
第六章に続くかもしれませんし、まだ何年も完結しない可能性もありますので、その辺りは話半分で聞いておいてください。もちろん、プロットはできていますので、大きく話が外れていくことはないと思います。
次章も変わらず、応援よろしくお願いします!




