第六十七話「ソキウスの理想へ」
三月十七日の夜。
鬼人族の都ザレシェに到着したレイたちは大政庁で歓迎の宴に出席していた。
出席者は鬼人族が二十五人。いずれも有力氏族の族長かその代理で車座になって座っている。
そして、ルナが上座に座り、その横にレイ、アシュレイ、ステラが並ぶ。ルナの従者である人族のイオネは主の後ろに控えていた。ウノたち獣人奴隷は宴への出席を断り、様々な場所からレイたちの護衛を行っている。
族長会議首座のタルヴォ・クロンヴァールの開会の挨拶で宴は始まったが、豪放な鬼人族の宴であることから堅苦しさはなかった。
それでも月の御子として傅かれているルナは緊張を強いられていた。
それはこの場を使って西に行くことを認めさせなければならなかったからだ。
(私がザレシェを出ていくと言ったら絶対に反対される。聖君は上手くいくと言っていたけど、本当に大丈夫なのかしら……)
宴会が進むにつれ、酒の効果もあり、族長たちの陽気さも増していった。
これまでも族長会議メンバーで宴会を行うことはあった。しかし、氏族間の力関係や合従連衡などの駆け引きが絡むため、弱小氏族にとっては常に緊張を強いられるものだった。
今回の宴会は今までとは全く異なっていた。それは月の御子を取り戻すためにすべての氏族が利害を超えて団結したことから、今までにないほど打ち解けた宴会になった。
宴会が始まって一時間ほど経った頃、レイがルナに目配せをし始めた。このタイミングで切り出すように合図を出していたのだ。
ルナはそれに気づきながらもなかなか踏ん切りが付かなかった。
それでも勇気を振り絞り、ゆっくりと立ち上がる。
ルナが立ち上がったことで、談笑していた族長たちが彼女に注目する。その視線に緊張が高まるが、気合を入れ直して話を切り出した。
「皆さんにお話があります」
その言葉に談笑していた族長たちが居住まいを正す。
「既に説明したことですが、虚無神の脅威は去っていません。未だに世界は滅びの危機に瀕しているのです」
族長たちの表情から陽気さが消え、真剣な表情に変わっていく。
「ヴァニタスがどのような手を打ってくるのか、私にも、そして、ここにいるレイにも分かりません。ですが、一つだけ分かっていることがあります」
そこで息を大きく吸込み、話を続けていく。
「私は闇の神からある啓示を受けました。それを行えば、ヴァニタスの侵攻を一時的にですが、食い止めることができます」
レイたち以外の全員が息を飲むが、誰も言葉を発しない。
「それは私が南の島、ジルソールにある“始まりの神殿”に赴く必要があるということです」
その瞬間、族長たちの間にざわめきが起きる。ルナはそれを無視して話を続けていく。
「そこに行って何をすればいいのか、それは分かりません。ですが、私が行かなければ大変なことが起きるということは分かっています。そして、私に与えられた時間はそれほどないと感じています」
ルナはそこで族長たちからの質問を待つかのように言葉を切った。
中鬼族の大部族バインドラー家の長エルノが周囲に目で断ってから発言する。
「御子様が行かなければならないのは間違いないのでしょうか」
ルナは大きく頷き、
「月の御子である私が断言します。私が行かなければならないと、ノクティスが命じたものであると」
はっきりと言い切ったことで族長たちの間に溜め息が漏れる。
「誰を連れて行くおつもりなのか。我ら鬼人族は御子様のためなら、地の果てであろうとお供いたす所存」
タルヴォが重々しくそう告げると、族長たちが同意するかのように大きく頷く。
ルナはここが正念場だと拳を握ってそれに答えていく。
「ここにいる盟友レイ・アークライトと彼の仲間、そして、イオネが同行します」
居ても立ってもいられなかったのか、中鬼族のペッカ・ベントゥラがルナの足元で平伏する。
「それでは御子様を守りきれません! せめて鬼人族の精鋭をお連れください!」
ルナはペッカにゆっくりと近づき、彼の肩に手を置く、そして、慈愛を込めた声でそれを断る。
「残念ながらそれはできません」
ペッカは顔を上げ、「なぜですか!」と叫ぶが、本来なら不遜な行為であるにも関わらず誰もたしなめない。皆同じ思いだったからだ。
「ジルソールはトーアの西にあります。カウム王国、カエルム帝国を経て、海路を使わなければたどり着くことができません。鬼人族の戦士が同行すれば、すぐにカウム、カエルムの兵士に捕らえられてしまうでしょう。このことはルーベルナでも話しています。月魔族の呪術師ヴァルマ殿が同行を申し出てくれましたが、同じ理由で断っているのです」
タルヴォと小鬼族のソルム・ソメルヨキはルナの説明に合理性を感じ、理性では納得していたが、自分たちが力になれないことに憤りを感じていた。
他の族長たちも同じだった。
しかし、意外な考えを口にした人物がいた。それはエルノだった。
「我らは何の役にも立たぬ。そのようなことは認められぬ!……我らが総力を挙げて西に攻め込めば、御子様を無事にジルソールとやらにお連れできる。数十万の鬼人族、妖魔族が力を合わせれば、西の国など……」
ルナは強い口調でエルノの発言を遮った。
「それはなりません!」
その迫力にエルノだけでなく、他の族長たちも息を飲む。
ルナは強めた表情を優しげなものに変え、再び語り掛けるように話し始めた。
「ロウニ峠で伝えたはずです。すべての種族が力を合わせなければ、ヴァニタスの脅威は去らないと。ここでソキウスが西側に侵攻すれば、ヴァニタスの思う壺なのです。ですから、神々の要請に従うため、目立たないようにジルソールに向かう必要があるのです」
エルノは床を拳で打ち付けて悔しがる。ルナは彼の横に座り、その腕を優しく掴む。
「私のためにそこまで想ってくれてありがとう。あなたの忠義はよく分かっています。ですが、これは私に与えられた使命なのです。私が無事に使命を果たせるよう祈ってください」
エルノはルナを見つめ、滂沱の涙を流す。
「うっ……分かりました。御子様の御為に……祈りを捧げます……うっ……」
族長たちはエルノと同じように悔し涙を浮かべていた。
タルヴォは涙を拭き、族長たちを代表して想いを口にした。
「我らの想いはエルノ殿と同じ。されど、御子様の使命を妨げることは本意ではありませぬ。しかし、何もできぬというのはあまりに不甲斐ない。我らにできることを命じてくだされ」
ルナはそれに頷き、用意していた考えを示していく。
「すべての種族との融和こそが、ヴァニタスに対応する唯一の手段なのです。ルーベルナでも月魔族、翼魔族に命じましたが、人族、獣人族の方々を虐げないでください。すぐには難しいかもしれません。ですが、少しずつでも構いません。ソキウスの理想に向かって進んでほしいのです。そのためにまずしてほしいことがあります」
“してほしいこと”という言葉に族長たちの目に希望の光が浮かぶ。しかし、次の言葉に困惑する。
「皆さんの眷属であるオークやゴブリンの召喚に人族や獣人族の女性を使わないでください。私は実情を見ていませんが、無理やり魔物の子を産ませていると聞きました。これはソキウスの理想に反する行為です。私は断じて認めることはできません」
鬼人族の主戦力である眷属の量産を否定され、中鬼族と小鬼族の族長たちは顔を見合わせていた。
「眷属すべてを否定しているわけではないのです。人を道具のように使う行為を禁じると言っているのです。野生の魔物を使役することを禁じるつもりはありません」
ルナは知らなかったが、野生のオークやゴブリンを使役することは非常に難しく、数千という数を揃えることは現実的には不可能と言えた。
「私がこれを禁止するのはすべての種族と融和するためと言いました。ですが、理由はもう一つあるのです。それはその召喚方法がヴァニタスによってもたらされたのではないかと疑っているからです」
これはルナが考えたことではなく、レイが考えた推論だった。彼は鬼人族の侵攻が突然激しくなったという事実を知り、タルヴォたちにいつ頃から始まったことか聞きだしていた。
鬼人族の言い伝えでは、およそ千年前のトリア歴二千年頃に小鬼族の天才呪術師が編み出したとされていた。そして、その伝説では闇の神の啓示を受けて発明したと伝えられている。
レイは安寧の神でもあるノクティスがそのような非人道的な方法を伝えるとは思えず、月魔族を洗脳したようにヴァニタスがノクティスの名を騙ったのではないかと考えた。
「月魔族が私を攫ったのはノクティスの名を騙ったヴァニタスによる洗脳のためでした。同じことが千年前にあったのではないか、そう思えるのです」
族長たちは言葉を失った。
彼らも口には出さないものの、鬼人族は魔法の研究という点で妖魔族はおろか、人族にすら劣っていると思っていた。そして、鬼人族の中で比較的魔法の才能がある小鬼族であっても、魔晶石を使うという独特の方法を編み出したことに疑問を感じる者は多かった。
微妙な空気が大広間を支配する。
自分たちの力の源が邪神の策略であり、自分たちが力を持てば持つほど世界が滅びに近づくと、敬愛する月の御子に言われたのだ。
しかも、その説明は充分に納得できるものであり、反対する理由はないのだが、自分たちの祖先が邪神に操られていたと言われ、素直に認め難いところがあった。
そんな空気を感じたソルムが体躯に見合わない大声で宣言する。
「我らソメルヨキ家は御子様のお言葉に従い、人を使った眷属の召喚を禁忌とする!」
鬼人族の中でも大量に魔物を召喚する小鬼族が宣言したことで、流れは変わった。
「我がバインドラー家も御子様の言葉に従う!」
中鬼族の主要氏族であるバインドラー家が宣言したことから、他の氏族も次々と声を上げていく。
その様子にタルヴォは安堵していた。
彼ら大鬼族は人を使った魔物の召喚はほとんど行っておらず、彼が最初に声を上げると、他の氏族、特に中鬼族から反発を受ける可能性があったのだ。
(ソルムはよく分かっておる。だが、本当にそれでやっていけるのか。我ら大鬼族は問題ないが、中鬼族、特にバインドラー家は力を落とすことになる。これが部族間の火種にならねばよいが……)
大鬼族は眷属であるオーガを使うものの、大鬼族戦士の戦闘力がオーガのそれを大きく上回っていることから、眷属の召喚を禁じてもあまり問題がない。また、オーガの召喚自体、“苗床”と呼ばれる女性への負担が大きく、大量に召喚できないため、野生のオーガを捕らえることの方が多かった。
小鬼族も同様で、元々ゴブリンの戦闘力は小さく、小鬼族が野生のゴブリンを従えることはそれほど難しくない。
一方、中鬼族は単体の戦闘力ではオークと大して変わらず、野生のオークを眷族としているのはごく一部の操り手しかいない。特に一人のテイマーが大量の眷属を使役することができるバインドラー家はオークの大量生産を禁じられると、部族間での相対的な力を落とすことになる。
族長であるエルノは単純な性格であり、今はルナの前で舞い上がって禁じると宣言したが、ルナが去った後、この事実に気づいて撤回することも考えられる。
(ブドスコはヨンニ殿が抑えるからよいだろうが、バインドラーには注視しておかねばならん。御子様のお言葉を違える者が出ることは鬼人族全体の恥となる……)
すべての氏族が眷属の召喚を取りやめると宣言した。
「我ら鬼人族は御子様のお言葉に従い、人族、獣人族、その他の人を使った眷属の召喚は今後一切行わぬ。これを破った者は闇の神への背信と捉え、厳罰に処すと触れを出す。これでよろしいですかな、御子様」
ルナはタルヴォの言葉に大きく頷いた。
「皆さんなら分かってくださると思いました。ありがとうございます」
そう言って大きく頭を下げる。
鬼人族の族長たちが「頭をお上げください」と慌てる中、ルナは更に自分の考えを伝えることにした。
「もう一つお願いがあります」
族長たちが居住まいを正してルナを見る。
「鬼人族だけでなく、すべての種族の代表が参加し、ソキウスを動かしてほしいのです。そのためには、妖魔族、人族、獣人族の代表を集め、議論できる場を作る必要があると思います……」
彼女はソキウスに住むすべての人が政治に参加すべきだと考え、民主政治について説明していった。
しかし、鬼人族たちは彼女の言葉についていけない。元々、鬼人族は力こそすべてであり、強い者が弱い者を従えるのは当たり前という考え方が強い。実際、厳しいこの地では合理的な考え方であり、ルナの理想を実現しようとすると多くの弊害があった。
戸惑う鬼人族を見て、レイは危惧を抱く。
(ルナの言いたいことは分かるけど、ここでそれを言っても混乱するだけじゃないかな……)
困惑する鬼人族とそれに気づかないルナを見て、レイは横から口を挟んだ。
「すぐには難しいと思うよ。それは君が帰ってきてからやったらいいんじゃないかな」
その言葉で、ルナは初めて鬼人族が困惑していることに気づいた。
「そうね。分かったわ」とレイに答えると、
「今語ったことは私の理想とする国のことです。すぐには難しいかもしれませんが、私はこのソキウスという国を皆さんと一緒によりよい国にしていきたいと思っています」
鬼人族は理解できなかったものの、ルナが自分たちのもとに戻り、理想に向かって共に進みたいと言ったことに安堵する。
彼らは彼女が西から戻ってこないのではないかと心の底で危惧を抱いていた。しかし、彼女が将来のビジョンを明確に語ったことで、必ず戻ってくると思えるようになったのだ。
その後、宴会は更に盛り上がった。
レイやアシュレイはもとより、ルナも酒を手にしていた。彼女の周りでは酔った若い族長が踊りを披露したり、歌を歌ったりしている。
(久しぶりね、こんな感じの宴会は……あの人はよく言っていたわ。気の置けない仲間と楽しく飲む酒は何物にも代え難いって……今なら少し分かる気がするな。あの人の気持ちが……)
少し甘みのある野趣溢れる果実酒を飲みながら、何度も声を上げて笑っていた。
外伝と違い、宴会シーンや飲んでいる酒について、詳しく書くつもりはありません(笑)。
(この先は分かりませんが)




