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トリニータス・ムンドゥス~聖騎士レイの物語~  作者: 愛山 雄町
第四章「魔族の国・東の辺境」

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第六十四話「鬼人族との邂逅」

 三月三日午後十一時頃。

 一行のもとに、翼魔族の呪術師が舞い下りてきた。


「鬼人族の先遣隊が近づいてきます。あと二時間ほどで、ここに到着するかと思われます……」


 呪術師は報告を終えると、再び空に舞い上がっていった。


「じゃあ、準備を始めようか」と言ってレイが立ち上がる。


 アシュレイは馬車を移動するようにウノに指示を出し、ステラは万一に備えて周囲の警戒を始めた。


「私はどうしたらいいのかしら」


 ルナの問いにレイが少し困った顔をする。


「特にないんだけど……」


 そこでイーリスが話に加わってきた。


「私と共に闇の神(ノクティス)に祈りましょう。御子様が心から願われれば、神は必ず力を与えて下さいます」


「そうだね。イーリス殿の言う通りだ。言い方はよくないけど、ノクティスは安寧を司る神様なんだ。興奮した鬼人族が少しでも落ち着くようにお願いした方がいい」


 レイが僅かに茶化す感じでいうと、ルナも彼の気遣いを感じ、明るい口調になる。


「そうね。“月の御子”と“月の巫女”が二人で祈れば、ノクティスも手を貸して下さるはずよ」


「イオネさんも一緒に祈ったらいいよ。この二人と一緒に祈れば、ノクティスがあなたにも言葉を掛けてくれるかもしれないから」


 ルナとイーリス、そしてイオネの三人はそれぞれのやり方で祈り始めた。

 ルナは静かに目を瞑り、ノクティスに語りかけていく。しかし祈りは徐々に神への不信に変わっていった。


(……私に何をさせたいの? 私はあなたの道具じゃないわ。虚無神(ヴァニタス)と戦うなら、自分たちでやればいい。別の世界から勝手に呼んで、人の心を傷つけて……)


 周囲にいた闇の精霊たちの動きが荒々しいものになっていく。

 そのことにイーリスとイオネが気づき、イーリスが祈りをやめてルナに声を掛けた。


「御子様、精霊たちが動揺しています。怒りがこの場を支配しようとしています。何卒、お怒りを鎮めていただきますよう……」


 その言葉にルナはハッとして目を開く。


「未だにヴァニタスの影響が残っているのかもしれません。御子様のお気持ちは周囲の者に大きな影響を与えます。不甲斐ない我らへのお怒りはごもっともなれど、今は心静かにノクティスに身を委ねるべきかと」


 イーリスはルナが神々に対し不信感を持っているとは考えなかった。レイやルナに強い信仰心がないことは聞いていたが、それでも彼女の常識では神に対し不信感を持つということは想像すらできなかったのだ。


 しかし、ルナは“ヴァニタスの影響”という言葉で、ヴァニタスが神々に対する不信感を与えたと考えた。


(ヴァニタスの影響が残っている……だとすれば、今回の衛士たちのこともすべてヴァニタスが仕組んだこと……こんなことがいつまでも続くのは嫌。だから、私は戦うわ。でも、どうやって戦えばいいのかしら……)


 ヴァニタスの影響を残していることが彼女の精神の不安定さの原因ではあった。今回の一連の騒動はヴァニタスが直接手を下したものではなく、単に偶然の産物に過ぎなかったが、精神的に疲弊している彼女には都合のよい考えだった。


「心を鎮めるといってもどうしたらいいのかしら……」という呟きが漏れる。それに対し、イオネが静かに話し始めた。


「ノクティスは安寧を司る神でございます。私は修行中によく母のことを思い出すように言われました。ルナ様も母君のことを思い出されてはいかがでしょうか」


 ルナは「そうね。ありがとう」と答え、日本にいる母親やこの世界で姉のように慕った赤毛の女性のことを思い出そうとした。

 ティセク村から助け出された直後に聞いた子守唄のことが頭に浮かぶ。


(あの子守唄は私の心を何度も救ってくれた。あの歌を思い出そう……)


 ルナの周りの精霊たちが落ち着きを取り戻していく。


「よくやりました、イオネ。御子様のお役に立てましたね」


 イーリスから労いの言葉が掛けられ、イオネは驚きを隠せない。


「あ、ありがとうございます……」


「これからも御子様のことを一番に考えるのです。それがあなたに与えられた使命なのですから」


 イオネはその言葉に平伏し、感涙の涙を浮かべていた。彼女にとって“月の巫女”は天上人ともいえ、神の化身である“月の御子”より現実味がある上位者だった。その巫女から直接、褒められ、舞い上がっていたのだ。


「では、私たちも祈りましょう。御子様のために」


 そう言ってイーリスは祈りを再開した。同じようにイオネも祈り始めるが、その様子を見ていたレイは一抹の不安を感じていた。


(月宮さんは神様のように崇められたいわけじゃないんだ。あんな感じが続くと、不味い気がする。まあ、ルーベルナの人にとっては何千年も待ち望んだ神の化身が現れたから仕方ないのかもしれないけど……)


 日付が変わった頃、ステラの緊迫した声が響く。


「鬼人族が近づいています!」


 暗闇で姿は見えないが、レイの耳にもドッドッという低く重い足音が聞こえてきた。



 ルーベルナに続く街道に鬼人族が生み出す重い足音が響く。

 レイたちはロウニ峠の頂上付近に馬車を止め、用意した灯りの魔道具の先に立っていた。


「人がいるぞ! 月魔族と人族が二人、いや、四人だ!」


 鬼人族の先頭を走る小鬼族の長、ソルム・ソメルヨキが叫ぶ。

 まだ、五十(メルト)以上離れているが、すぐにその光の中心にいる人物の正体に気づいた。


「御子様だ! 御子様がおられる!」


 次の瞬間、鬼人族戦士が「「オウ!」」と雄叫びを上げる。


 鬼人族の先遣隊は主力である中鬼族が戦士千名、眷属であるオークが五百体。小鬼族は戦士を千名、大鬼族は戦士二百名と眷属であるオーガが百体という構成だった。その最後尾までは一km(キメル)ほどあるが、次々に後ろに伝えていくため、すぐに全員に伝わった。


 峠にはドドドと響いていた足音がバタバタという足音に代わり、「御子様!」という声がその足音を消している。


 ルナまであと二十メルトというところで、鬼人族の足が止まった。月の御子であるルナが両手を上げ、止まるように命じたからだ。


「皆さんに話があります! 代表者の方は前に!」


 その言葉は凛としており、鬼人族は反射的に命令に従った。


 鬼人族の代表である大鬼族の長タルヴォ・クロンヴァール、中鬼族の長エルノ・バインドラー、小鬼族の長ソルム・ソメルヨキの三人が前に出る。そして、五メルトほどの場所で一斉に跪いた。


「よくぞご無事で……」とエルノが涙ぐむが、タルヴォとソルムはルナの隣に“月の巫女”であるイーリス・ノルティアがいることを不信に思い、エルノほど感情を高ぶらせていない。更にその隣に純白の鎧を身に纏ったレイの姿があったが、彼らの目にはルナと彼女を奪ったイーリスしか映っていなかった。


「最初に伝えておきます。私は皆さんと共にザレシェに戻ります!」


 ルナの言葉は闇と風の精霊を通じて、最後尾にまで伝わった。そのため、鬼人族たちが再び歓喜の声を上げる。


「我らのもとにお戻りくださる! ああ、神よ! 感謝いたします!」


 エルノが感極まったのか、そう言って地面に伏して慟哭し、彼の後ろでは多くの戦士たちが同じように慟哭していた。

 ルナは今の状況では話ができないと、落ち着くのを待った。

 数分間歓喜の声が静かな峠の森に響いたが、徐々に静けさが戻っていく。


「今回のことについて、すべてお話します。ですから、最後まで私の話を聞いてください!」


 鬼人族はその場で跪き、頭を垂れる。


「私がルーベルナに連れ去られたのは邪神、虚無神(ヴァニタス)が仕組んだことです。ヴァニタスは私の身体を寄り代にして、この世界に降臨し、世界を滅びの道へといざなおうとしました……」


 ルナは闇の神殿を司る月魔族が長年に渡ってヴァニタスの影響を受けていたこと、自分を攫ったのはヴァニタスに操られて行ったことであることなどを話していく。


「……私もヴァニタスに飲み込まれそうになりました。幸いなことに仲間が私を助け出してくれましたが、ヴァニタスは人が対抗できる存在ではありません。そして重要なことは、未だにヴァニタスの脅威は去っていないということです……」


 彼女が感じた恐怖心が闇の精霊を通じて鬼人族の心に伝わっていく。

 剛毅な彼らであったが、闇の精霊が伝える恐怖は背筋に冷たいものを流れさせ、世界が未だに危険であると実感させた。


「私たちはこの世界を守らなければなりません! そのためにはすべての人々が手を取り合って戦わなければならないのです!」


 そしてイーリスを一瞥してから再び鬼人族に向き合う。


「確かに月の巫女は鬼人族の方々の命を奪いました」


 そこで最も被害を受けた中鬼族の表情に怒りが浮かぶ。


「しかし、ヴァニタスの力の前には巫女といえども無力だったのです。誰もが彼女の立場になりえた。この私も彼女と同じことをしたかもしれないのです! それほどまでに邪神の力は強大なのです……」


 ルナの言葉に、更に闇の精霊たちが力を与えていく。慈愛に満ちた言葉が中鬼族の怒りを和らげていった。


「今すぐ、すべてを忘れ、和解してくださいとは言いません。ですが、ソキウスの民同士が相争うことはヴァニタスの狙いそのものなのです。すべての元凶であるヴァニタスの策略に乗ることなく、彼女を赦し、すべての民が手を取り合うように努力してほしいと願います。では、イーリス殿、あなたから鬼人族の皆さんに謝罪を」


 そう言ってイーリスに場所を代わる。

 イーリスはルナの言葉に誘われるまま、街道の中央に立った。


「此度の私の失態、鬼人族の方々には許し難いことと思います。私自身、赦しを乞える立場にないと分かっていますが、謝罪をさせてください。申し訳ありませんでした」


 そう言って彼女は大きく頭を下げる。

 鬼人族たちは高慢な月魔族の彼女が素直に謝罪したことに驚きを隠せない。


「御子様は私のことを赦すようおっしゃいました。ですが、私は赦しを乞える立場にないと思っています。いかにヴァニタスに操られていたとはいえ、安寧の神、闇の神(ノクティス)の祭祀長である“月の巫女”が、ソキウス建国の理想を忘れ、同胞である鬼人族の方々を殺めてしまったのです。このことは赦されるべきことではありません……」


 そして、再び大きく頭を下げる。


「この身はどのようにされても構いません! 御子様のお言葉に耳を傾けてください! 私はヴァニタスの魂に触れました。あれほど冷たくくらい世界を私は知りません。世界が滅びるという御子様のお言葉は誇張ではないのです! ですから……」


 そこでルナが彼女の肩を抱く。


「イーリス殿はこのように反省しています。この先、私の身をザレシェに移すことについても快諾してくれました。私は皆さんと共にあります! ですから、すべての種族が手を取り合うソキウスの理想を実現するために私に力を貸してください!」


 そう言ってルナが頭を下げると、鬼人族は一斉に平伏した。


「ここで私を助けてくれた仲間を紹介します。彼は私がヴァニタスに狙われていることを知り、何度も警告してくれました。そして、ヴァニタス降臨の儀式を阻止するために、皆さんが“絶望の荒野(デスペラティオニス)”と呼ぶ危険な土地を、危険を顧みずに通り抜け、私を助けてくれました」


 その言葉に鬼人族が一斉にレイに目を向ける。そこには危険な絶望の荒野(デスペラティオニス)に挑んだことに対する尊敬の眼差しと、逆に信じられないという懐疑の視線が混じっていた。


「私の最も信頼する盟友です。彼の名はレイ・アークライト。皆さんがよく知る名では“白の魔術師”と呼ばれている人です」


 “白の魔術師”という言葉に鬼人族に動揺が走る。

 月の御子の前であることから騒ぎ出す者はいなかったが、落ち着きなく周囲の者と目配せをしている。

 レイはその微妙な雰囲気を感じながらもルナの横に立った。


「レイ・アークライトと言います。皆さんとはいろいろな因縁があり、正直なところ何を話したらいいのか分かりません」


 レイの自然体でありながらも歳相応の話し方に、鬼人族の戦士たちは更に混乱していった。

 彼らにとって“白の魔術師”とは、僅かな兵を率いて千五百人にも及ぶ同胞を葬り去った宿敵であり、奇策を弄するだけでなく、大鬼族の雄オルヴォ・クロンヴァールと一騎打ちを演じた歴戦の戦士という認識だったからだ。


「皆さんとの間にわだかまりがないと言えば嘘になります。それは皆さんも同じでしょう。僅か二ヶ月前に私はあなたたちの同胞と殺し合いをしたのですから。皆さんのご家族や友人に多くの犠牲が出たことは知っています。それが私のせいであることも。しかし、私も、そして、ルナ殿も多くの仲間を失いました。この事実は簡単に忘れられるものではないと思います……」


 淡々と話す彼とは対照的に鬼人族、特に中鬼族の戦士たちはいきり立っていく。

 レイもまた、徐々に言葉に熱を帯びていく。


「……ですが、それは月の御子、ルナ殿を助けるため! 私も皆さんと同じ気持ちで戦ったのです! 尊い犠牲などとは言いません! このような悲劇が二度と起きないように、私たちは手を取り合わなければなりません! ルナ殿の言うようにすべての種族が手を取り合い、ヴァニタスに対抗しなければ、同じような悲劇は何度も繰り返されるのです……」


 そこでルナが話を引き継ぐ。


「私はザレシェで皆さんのことを少しだけ理解しました。皆さんも私たちと同じように家族を愛し、笑って暮らせる世界を望んでいると。ですから、私からのお願いです。レイ殿と和解してください。彼はこの世界を救うために必要な人なのです!」


 ルナは今まで以上に強く訴えた。彼女の言葉を運ぶ精霊たちも、彼女の想いを余すことなく伝えていく。

 それまで怒りに打ち震えていた中鬼族ですら、彼女の言葉に怒りを鎮めていく。

 その様子を見たルナは小さく安堵の息を吐き出した。


 しかし、彼女の思いを裏切る者がいた。それは彼女が予想していなかった人物だった。


「御子様のお言葉なれど、儂は認めん! このタルヴォ・クロンヴァールは白の魔術師と手を取り合うことなどできぬ!」


 大鬼族の英雄タルヴォが仁王立ちでレイを睨みつけていた。

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