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トリニータス・ムンドゥス~聖騎士レイの物語~  作者: 愛山 雄町
第四章「魔族の国・東の辺境」

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第六十一話「誤算」

 三月三日。

 翼魔族による偵察により、鬼人族の位置が明確となった。

 鬼人族は約三千の精鋭だけで月魔族の都ルーベルナを目指し、昼夜を問わず走り続けている。夜明けの段階ではルーベルナの入口ともいえるロウニ峠の南、約百km(キメル)の位置にあった。


「……このペースで進みますと、今夜、日付が変わる頃にはロウニ峠に入るのではないかと……更に後方百キメルの位置には主力と思しき集団が見られました。深い森の中であるため、正確な数は判りかねますが、恐らく一万を大きく超える数かと……」


 レイたちは大広間で、月の巫女イーリス・ノルティアが招集した鬼人族対策会議に出席していた。そこには当然月の御子ルナの姿があり、ヴァルマ・ニスカら主要な神官、呪術師たちが集まっている。

 彼は鬼人族の驚異的な体力と、月の御子を取り戻すという強い意志に驚きを禁じ得ない。


(僕たちが歩いたあの山道を走り続けているってことだ。僕たちなら一日三十キメルがやっとだったのに、その三倍以上の速度なのか。それほどまでに月の御子を取り戻したいと思っているんだな……)


 報告を受けた後、大広間は沈黙が支配する。

 鬼人族が精鋭のみを先行させたことは想定内だったが、レイと同じく、主力の移動速度が異常に速いことに驚愕しているためだ。

 そして、この事実はルナによる説得が失敗した場合、非戦闘員を脱出させる時間がないことを暗示していた。


「私の役割が重要ということですね。もし、失敗したらここは破壊しつくされてしまうでしょう」


「大丈夫。君が説得すれば鬼人族も納得してくれるはずだよ。僕が保証するよ」


 重苦しい空気の中、その場にそぐわないレイの明るい声が響く。


「私にできるかしら。いいえ、私がしなくてはいけないのね」と自らを鼓舞するように頷いている。しかし、神官たちの表情は硬かった。


「じゃあ、他に報告がなければ、いつ出発するかを決めませんか。僕たちの出発準備はできているから、いつでも出発できるんですけど」


 彼はこの重苦しい雰囲気を変えるべく、話題を変えた。


(分かっていたことなんだけど、やっぱり不安になるのかな。ルナ(月宮さん)の雰囲気が演説の時みたいなら、みんなも不安に思わないんだろうけど……)


 彼の想像通り、神官たちは不安を感じていた。

 昨日のルナの演説により気持ちは高揚していたが、数万にも及ぶ怒れる鬼人族の軍勢が迫っていると聞き、現実が見えたためだ。更に彼らの指導者であるルナとイーリスが不在になるということも不安を増大させている。


「レイ殿の言う通りです。御子様のお言葉に心を動かさぬソキウスの民はいません。それは昨日、皆も感じたはずです。何も問題はありません」


 イーリスがそう言うと神官たちも徐々に明るさを取り戻していった。

 同行できないヴァルマは硬い表情を崩していないが、レイが話題を変えてくれたことに感謝しつつ、彼の問いに答えていく。


「出発は午後四時頃でよろしいかと。距離的には二時間もあれば充分に到着できますが、日が落ちてからの移動は思わぬトラブルを招きますので。馬車は一輌。御者はウノ殿の配下の方にお願いする予定です。既に御子様の荷物は準備できております」


「それじゃ、夕方まで時間が空くんだね。僕はこの街を見ていないから、観光させてもらいたいんだけど、いいですよね、イーリス殿?」


「問題ありませんが、目立つ装備は外していただいた方がトラブルを招かないかと思いますわ」


 イーリスの答えにレイは大きく頷き、


「さすがに闇の大神殿のある街で聖騎士に見える格好はしませんよ」と笑い、更にアシュレイたちに顔を向ける。


「みんなで一緒に街に出ようか」


「私は構わんが。ステラ、問題はないか?」とアシュレイがステラに話を振る。


「はい。特に問題は無いと思います」


 レイはアシュレイとステラに頷くと、ルナに顔を向ける。


「お忍びで街に出てみるかい? 変装すれば気づかれないと思うよ」


 イーリスが「御子様がお忍びで……」と絶句する。しかし、ルナは表情を明るくし、


「私も行きたいわ。街に入った時は気を失っていたし、この神殿から見えるところしか知らないから」


「しかし、危険が……」とヴァルマが言いかけるが、レイがそれを制する形で話していく。


「僕たちとウノさんたちがいれば、危険はないと思いますよ。第一、この街は治安がいいと聞きました。ルナの正体がばれることだけが心配ですけど、フードが付いたマントを着れば、ばれることは無いと思いますしね」


 イーリスにもヴァルマにもレイの思惑が分かっていた。

 時間が近づくにつれ緊張していくと考え、それを少しでも緩和しようと気を使っている。

 神官や呪術師から反対の声が上がるが、ヴァルマがレイたちの戦力なら町の中であれば危険はないと断言することでその声は消えた。


「じゃあ、イオネさんに案内をしてもらおうかな。ちょうどいい練習だと思いますしね」


 そう言ってルナたちを率いて大広間を出て行った。

 残されたイーリスはレイのことを考えていた。


(本当に面白い人だわ。あの険しいアクィラを越え、危険に満ちた絶望の荒野(デスペラティオニス)を横断する豪胆さを持ちながらも、緊張している御子様に気遣いができる。やはり、深い絆で結ばれているのね……でも、黒魔族のことがある。このことを話しておかないといけないけど、今は御子様の心に負担をかけすぎてしまう。もう少し落ち着いたところで話せばいいわ……)


 黒魔族の長サウル・イングヴァルが魔将アークデーモンを召喚したことを思い出した。しかし、鬼人族のことで頭が一杯になっているルナにこれ以上負担をかけないように、もう少し落ち着いたところで話そうと考えた。

 街に黒魔族の手の者が入っているとは考えていなかったが、僅かでも危険があるならと、ヴァルマに警備の強化を命じた。


「街の警備を強化しなさい。不審な者がいるとは思わないけど、黒魔族のことがあります。レイ殿たちが向かう先に怪しい者がいれば、すぐに拘束するのです……」


 ヴァルマは直ちに治安担当者を呼びだし、イーリスの命令を伝えていく。


「これは極秘事項です」と前置きした上で、


「御子様がお忍びで街を散策されます。危険がないか事前に確認しておきなさい」と命じたのだ。


 治安担当者は月の御子の安全を守る使命であり、やる気を見せようとしたが、元々非常に治安がいい街であり、実際にはやることが見つからない。

 そのため、治安要員をいつもより多く街に配備する方法で対応しようとした。更に非公式の行動であるからとルナが街に出るという情報はあえて伏せていた。

 これが大きな混乱を招く原因となった。



 正午頃、レイはアシュレイ、ステラ、ルナ、イオネを伴い、街に繰り出した。

 もちろん、全員目立たない巡礼者の姿に変装しており、傍目には年長のイオネが若い信者を引率して神殿に参拝に来たように見える。

 彼の計画では二時間ほど街を散策した後、神殿に戻り、午後四時の出発に充分な余裕を持って間に合わせることになっている。


 彼らは神殿の裏口から誰にも見咎められることなく、街に出ていく。

 その周囲にはウノたちが陰ながら付き従っていたが、イオネは何も気づいていなかった。


「どこか行きたいところはある?」とレイがルナに確認すると、少し考えた後、


「そうね。お昼時だから、食事ができるところに行きたいわ。ここの名物料理が食べられるようなところがいいわね」


 その言葉を聞いたイオネは「ルーベルナの名物料理ですか」と考え込む。ソキウスの北部を旅している彼女だが、ルーベルナの名物料理といえるものが思いつかなかったのだ。

 実際、宗教都市でもあるルーベルナには食堂はあるものの、普通の大都市にあるような屋台や旅行者が利用するような酒場が少ない。

 また、食材自体周辺の村から買っているため、料理の質はよいものの、味付けなどは周辺の村とほとんど変わらなかった。

 そして、彼女自身、ルーベルナ周辺の土地以外に行ったことがなく、何が名物なのか全く見当がつかなかった。


「申し訳ございません。私には思いつきません」と泣きそうな表情で大きく頭を下げる。


 ルナは失敗したと思ったが、表情を変えることなく、言い方を変えた。


「じゃあ、この街の人が普段食べにいっている食堂みたいなところはしらないかしら? そこでメニューを見て決めればいいから」


 イオネはその言葉に安堵の表情を浮かべる。


「それでは私が以前行っていたところではいかがでしょうか? 御子様、いえ、ルナ様に足を運んでいただくようなところではないのですが……」


 イオネはまだ“ルナ様”という呼び方に慣れていないのか、何度か“御子様”と呼んでしまう。


「そこにしましょう。アシュレイさん、ステラさんもそれでいいわね」


 二人は頷くが、「僕には聞かないのかい」と言ってレイが拗ねた振りをする。


「うふふ、ごめんなさい。あなたよりアシュレイさんたちの方が食べ物については信用できそうだったから。昔のあなたのイメージだと食べ物に拘っているとは思えなかったのよ」


 ルナは周りから浮かれている若者に見えるよう演技をしていた。実際には鬼人族との邂逅が不安で堪らなかったが、それを見せまいとしていたのだ。レイも何となくそれを感じとっており、彼女に合わせている。


 和気藹々という感じで街を散策していく。

 闇の大神殿がある地区を抜けると、宿や商店が姿を見せ始める。灰色掛かった石材を使っており、全体に暗い感じがするが、人々の声は明るかった。彼らの会話のほとんどが昨日の月の御子の話題であり、レイたちは何となく居心地の悪さを感じていた。


(ペリクリトルみたいに活気のある街じゃないけど、きれいな街ね。住んでいる人も旅人も礼儀正しい人が多いし、ゴミなんかほとんど落ちていない。今は雪が降っていないけど、真っ白な雪に覆われたら幻想的なんだろうな……)


 ルナは不自然にならない程度に街を観察しながら、以前住んでいたペリクリトルと、この街を心の中で比べていた。

 食堂に向かう途中、レイに静かに近寄る影があった。それは獣人奴隷のウノで彼にだけ聞こえるよう耳打ちをする。


「この先で衛兵たちが検問を作っています。オーブの確認をしていますので、迂回された方がよろしいかと」


 レイが頷くと、ウノは静かに彼らから離れていく。


「この先で検問をやっているみたいなんだ。別の場所に行った方がいい」


「あら、残念ね。じゃあ、別のところに行こうかしら」とルナが答えるが、街に詳しいイオネは検問と聞いて首を傾げていた。


「街の中で検問を行うなんて……初めてのことだわ」


 彼女の独り言がレイの耳に入る。


(どうやらヴァルマ殿か誰かがルナの安全を気にして手を回したみたいだな。だとすると、早めに神殿に戻った方がよさそうだ……)


 彼の思いとは裏腹にトラブルの方が先にやってきた。

 再び、ウノが近づき、「警邏隊が近づいてきます。こちらへ」と行って先導する。レイはアシュレイたちに「神殿に帰った方がよさそうだ」と言ってウノについていく。

 ルナも自分を守るために手配されたと気づくが、これから先のことを思い、気が重くなる。


(私を守ってくれるためなんだろうけど、これから先のことを考えると気が重いわ。ヴァニタスと対決して、無事に戻ってきてもこんな生活が続くのなら、戻って来たくなくなる……私が生まれつきの王族なら気にしないんだろうけど……)


 ウノの先導で警邏隊と鉢合わせることはなかったが、散策というより逃走劇になっていた。


 無事に神殿に到着したものの、中に入ろうとしたところで更なるトラブルが発生した。

 神殿の裏口を含め、普段は開かれている正門すら閉じられ、すべての出入口に衛士が立っていたのだ。


「これじゃ戻るに戻れないな。どうしたらいいと思う?」


 その問いにアシュレイが不思議そうな顔で答えた。


「ルナが身分を明かせばよいのではないか。街を散策しただけなのだ。後ろ暗いところは何もないし、第一、彼女を守るために行っているのだろう。ならば、無事に神殿に戻ってきたのだから、何も問題はないだろう」


「私もそう思います。ここの人たちはルナさんの姿を見ていますし、イオネさんもいます。兵士が騒いでも、神殿関係者のイオネさんが説明すれば収まるのではないでしょうか」


 その時、レイも楽観していた。多少騒がれてもヴァルマが駆けつけるだろうと考えていたのだ。


 裏口の一つに向かい、イオネを交渉役に神殿に入る許可を得ようとした。


「私は神官見習いのイオネです。こちらにおられる方は月の御子であらせられるルナ様。お忍びで街に出ておりましたが、今戻ったところです。すぐに開門をお願いします」


 そう言ってオーブを見せるが、衛士は変装しているイオネの姿を見て、神官に相応しい服装でないことから尋問を始めた。


「確かにあなたのオーブは神官見習いを示しているが、鬼人族の手先である可能性は否定できん。第一、御子様が神殿をお出になられたとは聞いていない」


 衛士たちには今回の警備強化の目的が知らされておらず、彼らは迫り来る鬼人族軍の手先が破壊活動をしないように取り締まるのだと思い込んでいた。また、月の御子ほどの重要人物がこのタイミングで外出するわけがないという思い込みもあった。


「一度、全員詰所に来てもらおうか。そこで事情をもう一度説明してもらいたい」


 そこまで話したところでルナが前に出た。そして、マントのフードを取る。


「私は月の御子のルナ。あまり大事にしたくないのだけど、ヴァルマを呼んできてもらえないかしら。彼女が来ればすぐに確認できるから」


 顔を出したものの、下級の兵士に過ぎない衛士はルナの顔がはっきりと見える場所にいなかった。また、声を聞いても、昨日は高揚感が伴っており、印象が違うと感じていた。


「ヴァルマ様を呼ぶ権限を我らは持っていない。先ほどから詰所に行くのを嫌がっているが、後ろ暗いからではないのか」


 ルナは煩わしいと思ったが、素直に従おうとした。しかし、イオネが衛士の態度に激高する。


「無礼な! 御子様が御自らお命じになったことを果たさないだけでなく、尋問をしようとするとは! すぐにあなたの上司を呼びなさい!」


 ルーベルナにおいて、闇の神殿の神官の地位は非常に高い。例え、それが見習いであったとしても、警備担当者よりも上位に当たる。


 しかし、彼女が人族であることが災いした。元々、神官は月魔族や翼魔族など妖魔族系の種族が多く、特に大神殿にいる神官のほとんどは妖魔族だった。これは種族差別の典型でもあるのだが、常識として“神官イコール妖魔族”という図式はルーベルナの人に刷り込まれていた。そのため、衛士もイオネが神官見習いであると分かっても、地方の神官であると勘違いした。


「上司を呼ぶかはこちらで判断する。怪しい者がいれば捕らえよと命令されているのだ。見習いとはいえ神官であるから下手に出ているが、これ以上騒ぐようなら捕縛する」


 一触即発の状況になっていた。

 その時、レイは密かにステラにウノを通じてヴァルマを呼び出すよう頼んでいた。


「ウノさんに符丁で連絡して。誰でもいいから話が分かる人を呼ぶようにと。これ以上話がややこしくなると、夕方の出発に支障が出るから」


 ステラは黙って頷くと、すぐに獣人部隊に伝わる符丁を使ってウノに指示を出した。

 レイはそれを見届けることなく、前に出る。


「詰所に行った方がよさそうですね。僕たちは何も後ろ暗いところはないんですから」


 彼はそう言ってイオネを説得するが、アシュレイは自分たちの身元を証明するオーブが西側のものであることから危惧を抱いていた。しかし、この場でこれ以上騒ぐことは得策ではないと、レイの言葉に従うことにした。


「ルナもいいかな、それで。すぐにヴァルマ殿か、神官の誰かが来てくれるから」


 彼はウノがすぐにヴァルマを連れてくると楽観していた。


(しかし、失敗したな。気晴らしのつもりだったんだけど、逆効果だったかな。まあ、すぐにヴァルマ殿が来てくれるから問題はないか。この兵士が処罰されないように言っておかないといけないな……)


 しかし、彼の思惑は大きく外れることになった。

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