第五十六話「女王ルナ」
三月二日の朝。
朝食を終えた後、レイはイーリス・ノルティア、ヴァルマ・ニスカと共に、月の御子であるルナの部屋に向かっていた。
すれ違う者の数こそ少ないものの、神殿の下働きの者たちは完全武装の彼の姿に皆、振り返っている。しかし、闇の大神殿の最高権力者イーリスが微笑を浮かべて同行しており、更にその側近であるヴァルマも問題視していないため、誰一人疑問を口にすることなく、静かに頭を下げて見送っていた。
ルナに与えられた客室に着くと、アシュレイとステラが出迎える。獣人奴隷のウノたちが事前に連絡していたためだが、レイは二人と再び合流できたことに安堵する。
(大丈夫だと分かっていてもやっぱり一緒にいた方が安心だ……それにしても一晩一緒じゃなかっただけなんだけど、随分離れていた気がする。いろいろあったからそう思うのかもしれないけど、不思議な気がするな……)
ルナの回復の儀式の後、キーラの襲撃を受け、更にイーリスと話し合いをしていたため、思った以上に時間の経過を感じていた。
「ルナも既に目覚めている。朝食も終えたところだ」
アシュレイが簡潔にそう報告すると、イーリスが挨拶をしながら部屋に入っていく。応接室には落ち着いた様子のルナが待っていた。
漆黒のドレスに着替えており、若干疲れているように見えるものの、昨夜より血色はよかった。
「おはようございます。イーリス殿、ヴァルマ。それに……レイも」
未だにレイと呼ぶのに抵抗があるのか、“聖君”と言いそうになる。
「お加減はいかがでしょうか。ご無理はされていませんか?」とヴァルマが心配そうに聞くと、ルナは昨日までのわだかまりを捨てたかのように笑顔を見せる。
「ええ、大丈夫よ。まだ、少し身体は重い感じはするけど、アクィラの山の中で熱を出した時に比べれば全然問題ないわ」
全員が座ると、イーリスが口を開く前に落ち着いた様子のルナが話し始めた。
「大体の話は聞いています。レイが襲われたことも。それを含めて、今後どうするのか、まずはあなたたちの意見を聞かせてください」
イーリスは小さく頷き、まず謝罪の言葉を口にした。
「改めて謝罪いたします。レイ殿に危害を加えるつもりは私にはございません。ですが、配下の者たちにそれを徹底できませんでした。これは月の巫女である私の失態。罰はいかようにもお受けいたします」
「既に彼が謝罪を受け入れているなら、私への謝罪は不要です。時間があまりありません。今後のことを早急に話し合いましょう」
ルナは女王のような貫禄を見せてそう言った。
(高校時代の月宮さんの面影はないな。見た目はほとんど変わっていないのに物凄く堂々としている。本当に女王様のようだ……)
レイはそんなことを一瞬考えるが、すぐに話に思考を戻す。
「鬼人族のこと、これについてはどう対応したらよいと考えていますか?」
ルナの問いにイーリスが答えようとしたが、「それは僕が」とレイが断ってから話に加わる。
「僕とイーリス殿で話し合ったんだけど、基本的には鬼人族の暴走を止めるという点で一致している。ただ、方法を一つしか思い付かなかったんだ」
ルナは静かに頷いた。
「私が彼らを説得するしかないということね。そうなんでしょう?」
気負いもなく、世間話のように自然な感じでそう話した。
イーリスはその姿に月の御子が神の使いであるということを確信し、心の中が歓喜に包まれる。
(やはりこの方は神の御使いで間違いないわ! これで世界は救われる!)
イーリスと異なり、レイはルナが達観していることが気になっていた。
(何だか妙に達観している感じだな……もしかしたら、自分を犠牲にして彼らを止めようとしているのかも……)
そう考えるものの、彼は頷くことしかできなかった。
「まず今の状況だけど、鬼人族は明日の夜にはここに到着するらしい。僕としてはここに到着するまでに説得して引き返させたい。怒り狂った鬼人族が暴走した場合、ここだと何が起きるか分からないからね。僕としては大鬼族のタルヴォ・クロンヴァール殿を説得するのが一番だと思うんだけど、君の考えは?」
ルナは大きく頷く。
「私もその意見に賛成だわ。タルヴォ殿とソルム殿なら話を聞いてくれそう。あとはヨンニ殿も」
彼女は大鬼族を代表する族長タルヴォと、彼の参謀役である小鬼族のソルム・ソメルヨキ、中鬼族でありながらも思慮深いヨンニ・ブドスコなら自分の話を聞いてくれるのではないかと考えた。
「具体的な場所はイーリス殿とヴァルマにお任せするけど、私一人で彼らの下に向かうつもりよ」
その言葉にイーリスとヴァルマが立ち上がる。
「それはなりません! 御子様がザレシェに連れ去られてしまいます!」
イーリスの叫びにルナは冷静さを失わずに理由を説明する。
「元々、私はザレシェから拉致されました……」
そこまで言ったところで「それは……」とイーリスが言いかけるが、ルナは静かに頷くことでそれを抑え、話を続けていく。
「あなたたちが虚無神の影響下にあったことは理解しています。ですが、私がここにいなくてはいけない理由はないのです。後で相談するつもりでしたが、一旦ザレシェに行き、その後はジルソールにある“始まりの神殿”、創世神の神殿に向かうつもりです」
「ジルソール? 始まりの神殿? どうして?」とレイが疑問を口にする。
彼の疑問に「突然でごめんなさい。もう少し順序立って説明するつもりだったのだけど」と笑い、話を続ける。
「昨夜、夢の中で啓示を受けました。“始まりの神殿”という言葉です。そして、その言葉について考えれば考えるほどそこに向かわねばならないという思いが強くなっていきます。そこに行けば、私がすべきことが分かると……ですから、これは決定事項です。月の御子として誰にも邪魔はさせません」
「ですが……」とヴァルマが言うと、
「私は必ずソキウスに戻ってきます。全てを終えたら必ず」
決して強い口調ではなかった。しかし、その言葉には彼女の決意が滲み出ており、ヴァルマもそれ以上反対することができない。
いつもなら真っ先に反対するイーリスだが、彼女はルナの言った“始まりの神殿”という言葉に考え込み、反対の声を上げなかった。
レイが静かに口を開いた。
「一人じゃないよ。僕も一緒に行くから」
その言葉にアシュレイとステラが「「駄目だ(です)!」」と同時に反対する。
「お前は鬼人族の宿敵、“白の魔術師”だ。数千の鬼人族軍を壊滅させているお前が行けば必ず報復される」
「アシュレイ様のおっしゃる通りです! いくらレイ様でも怒りに我を忘れている鬼人族を説得することはできません!」
二人の反対に「僕が説得するわけじゃないんだけど」と苦笑いを浮かべ、ルナを見る。
「月の御子であるルナに鬼人族を説得してもらうつもりだよ。もし、彼女が説得できないようなら彼女自身、ザレシェに幽閉されるだけだし、ジルソールに行くことなんてもっと無理だと思う」
「そうね。あなたのことも含めて、ヴァニタスのことはきちんと話しておかないといけないわ。そうしないとこの国は分裂してしまう……」
そこで僅かに考えた後、言葉を続けていく。
「何となくだけど、ヴァニタスの狙いが神々への信仰心を無くすことだと思うの。鬼人族が闇の神を信仰しなくなったら、ノクティスは力を失ってしまう。それが狙いだと思えるのよ」
ルナの考えにレイはあり得ると思った。
(なるほど……そんな設定の話があった気がするな。神々は人々の信仰心で力を保っているから、信者を失った神は力を失って神でなくなる……神を滅ぼすために力を奪うって考え方は合理的だ……)
日本人であるレイとルナは創作などでよくある設定であり、すぐにイメージできた。しかし、イーリスを始め、他の者たちは皆、その衝撃的な話に言葉を失っていた。
「神々の力を奪うために信仰心を奪う……そんな方法で神々の力がなくなることがあるのかしら……」
闇の神殿の祭祀長であるイーリスはそう呟く。彼女にとって、神々が力を失うということは想像すらできないことだった。
「確かにそうだね。この世界には精霊の力が満ちている。その力が神様の力の一部だとしたら……祈りを捧げることで精霊たちに力を与えていることができるなら、ありえることだと思う」
レイが自信有り気にそういうと、イーリスも納得したのか小さく頷く。
「確かに祈りによって神々の力が満ちるのを感じたことがあるわ。それと全く逆のことだと考えればありえないことじゃない……でも、それは恐ろしいこと。世界を形作る精霊から力を奪うことだから……」
イーリスは誰に話すでもなく、独り言を呟いていた。
「話を戻すけど、月の御子が成すべきことを助けるのが、闇の神殿であり月魔族なら、月の御子が成すべきことと言えば従うということですよね」
レイはイーリスとヴァルマに向かってそう言った。
「ええ。その通りですが……」とヴァルマが答える。
それに頷くと今度はルナの方を向き、
「鬼人族はルナに心酔している。数百kmもの山道を全力で駆け抜けるほどに。そうであるなら、ルナが誠意をもって説得すれば必ず通じるはず。そうだよね」
ルナは頷きながら、しっかりと彼の視線を受け止める。
「あの人たちは見た目こそ恐ろしいけど、私の言葉にきちんと耳を傾けてくれたわ」
しかし、言った後に怒り狂った鬼人族の姿を想像してしまい、僅かに顔を伏せて「私にできるかしら……」と呟いてしまう。
「大丈夫。自信を持って“月宮さん”。君なら絶対にできるから」
元の名で呼ばれ、伏せていた顔を上げる。彼女のことを聞いているアシュレイとステラは特に表情を変えなかったが、イーリスとヴァルマは聞きなれない言葉に僅かに不審の目を向けた。
「少しだけルナと話をさせてください。それほど時間は取りません。僕たちの関係について説明していいのか話し合いたいので」
イーリスは頷き、「隣の部屋にいます。終わりましたら呼んでください」と言って立ち上がった。
部屋を出て行ったことを確認し、後ろに控えるウノに監視の有無を確認する。
「ウノさん、誰か僕たちを監視していますか?」
「いいえ。我らが感知できる範囲では監視の目はございません。しかし、ここは闇の神殿。我らの知らない方法で監視している可能性はございます」
「訓練を受けたウノさんたちが気づかない方法は多分無いと思います。あるようなら、ここまで自由に動けないと思いますから。じゃあ、本題に入ろうか」
そう言いながらルナの方に視線を戻した。
「アッシュとステラは僕たちのことを知っている。そのことはペリクリトルでも話したよね」
「ええ、私がヴァルマに攫われる直前に聞いたわ」
「今、僕たちのことを知っているのは、この二人とアッシュの家族だけなんだ。それを前提にイーリス殿たちに話していいのか、君の意見が聞きたい」
「そうね。話しておくべきかも……私たちがなぜここにいるのかは分からないけど、世界の存続に関わっていると思うから。でも、どう説明していいのか難しいわね」
気が緩んだのか、それとも昔を知っているレイと話すためか、先ほどまでの女王然とした威厳は消え、歳相応の話し方に戻っている。
「僕としてはまだ全てを話すほど信頼できるとは思っていない。全てを話せるのはここにいるアッシュやステラくらい……そうだね、命を預けられるくらい信頼できないと……だから、話す内容は僕たちが別の世界から意識だけ飛ばされてきたこと、神から何か言われたわけじゃないけど、この世界が危ういということを知っていること、世界の崩壊を救うためには僕たちが何らかの行動を起こさないといけないこと。この三点だけ話して、向こうの出方を見るべきだと思う。どうかな?」
「そうね。その程度なら……私たちの関係も話しておいた方がいいわね。でも、学校の同級生という程度では弱いかも。アシュレイさん、ステラさん、どう思うかしら?」
彼女はこの世界の住人であるアシュレイたちに意見を求めた。
「そうだな。確かに同じ学び舎で学んだ仲間という程度では、命を賭して助けにくるという話は納得できまい。レイが命を賭ける理由が必要だな……」
「元の世界で数年間にわたって互いに尊敬し高めあった同志というのはどうでしょうか? これなら魔術師の方には分かり易いと思うのですが」
ステラの案にレイが頷く。
「互いに尊敬する同志か……嘘を言っているわけじゃない。少なくとも僕はルナのことを尊敬していたしね」
「そうね。私もレイのことを勉強ができるって尊敬したから嘘じゃないわ。高めあっていたって部分もテストで競っていたわけだから嘘じゃない。もちろん、私は足元にも及ばなかったけど」
ルナに笑いながらそう言われ、彼は僅かに赤面する。それを誤魔化すかのように話を続ける。
「曖昧な言い方で向こうが勘違いしてくれれば、例えば恋人同士に近い関係だったとか、そう思ってくれれば変な言い訳をしなくていい」
「そうね。嘘をつくのは嫌だけど、勝手に勘違いしてくれる分にはその方が助かるわ」
レイはそこで話を整理するため、全員を見回していく。
「それじゃ、結論を言うよ。僕たちは別の世界から魂だけやってきた。恐らく神様の意思で。理由はこの世界が危機に瀕していることと、僕たちが行動しないと世界が危ういと知っているから。僕とルナの関係は同じ場所で修行した同志。それも互いを尊敬し、競い合う間柄だった。後はできる限り日本の話はしない。地名くらいは言ってもいいけど、魔法がないことや科学が発達していることなんかは言わないでほしい」
ルナは「分かったわ」と同意するが、
「魔法がないこととか科学のこととかはどうしてなの?」
「少なくとも僕の魔法の力は異常なんだ。それが魔法のない国からなんていうと根掘り葉掘り聞かれてしまう。だから、この世界と大して変わらないと思わせたいんだ」
「そうだな。私も始めて話を聞いた時にはいろいろと聞いた。我々にとって未知の世界のことだから」
アシュレイがそう言うとステラも「私もそうでした」と頷いている。
「趣旨は分かったわ。でも、説明はあなたに任せるわよ。私より説明が上手そうだから」
レイが頷くとステラが立ち上がり、イーリスたちを呼びにいった。




