第五十五話「月の御子とは」
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レイは翼魔族の呪術師キーラ・ライヴィオの襲撃を受けた後、月魔族の指導者イーリス・ノルティアと面会していた。
彼女が“月の巫女”の名に賭けて身の安全を保証してくれたものの、自らが“白の魔術師”と呼ばれる存在であり、その名が魔族に動揺を与えていることを危惧している。
更にどうやってルナと共に西の地に帰るか、その方法が思い付かない。
(今の状況だと月宮さんが鬼人族を何とかしないと、このソキウスという国は内乱になってしまう。そうなったら僕たちがアクィラの西に戻ることも難しくなる。一番いいのは月魔族に協力してもらって穏便にこの国を去ることなんだけど、待ちに待った“月の御子”を手放すとは思えない。さてどうしたらいいんだろうか……)
侍女に朝食の準備を命じたイーリスが戻ってきた。
「すぐに朝食がきますが、その前に少しだけ話したいことがあります」
レイは小さく頷き、「ルナとの関係のことですか」と確認する。
「ええ、御子様とあなたに強い絆があることは昨夜の儀式で充分に分かりました。ですが、あなたの使った言葉は全く知らない言葉でした。私たちの調査では、御子様はペリクリトルの近くでお生まれになったはずです。しかし、あの辺りで特別な言葉を使う一族がいるという話は聞いたことがありません」
レイは儀式の間、常に日本語で話しかけていた。
この世界の言葉は多少の方言や種族固有の言語はあるものの、全く異なる言語は存在しない。更にこの世界の言語は英語に近く、日本語とは単語、発音とも全く異なっているため、イーリスは疑問に思ったのだ。
レイは思った以上に月魔族が西側の情報を持っていることに驚く。更にどう答えるべきか困り、口篭る。
(日本の話をするわけにはいかない。別の世界から来たなんて言ったら、それこそ邪神との関係を疑われてしまう。どう言ったらいいんだろう……)
彼の戸惑いにイーリスの疑問は更に大きくなる。
(御子様と同郷という話だけど、どこの生まれなのかしら? そう言えば、白の魔術師は突然現れたという噂話をヴァルマが聞いているわ。それに北のラクスからペリクリトルにやってきたこともおかしな気がする。御子様のお生まれになった場所はペリクリトル周辺、確かヴァルマが御子様を見つけたティセク村だったはず……)
ヴァルマはルナを見つけた後、傀儡の術を使って情報収集を行っていた。レイのことは冒険者ギルドの情報課員イントッシュから、ルナのことは彼女のパーティメンバー、ヘーゼルから聞いていた。事態が急変したため、ヴァルマが完全な報告を行う時間はなかったが、簡単な報告は行っており、ある程度の情報はイーリスも知っている。
「詰問しているわけではありません。御子様のことはできる限り知っておきたいだけなのです。話せる範囲で教えていただけないでしょうか」
真摯な表情で語るイーリスに、レイは困惑する。
「僕もお話ししたいのですが、彼女の生まれのことを勝手に話すわけには。ルナと相談してから、お話しさせていただくことでどうでしょうか」
「確かにそうですわね。御子様のお気持ちのことを考えておりませんでした。鬼人族対策会議の後にでも御子様と相談していただけないでしょうか」
そう言って頭を下げた。
朝食が準備されると、互いに口を開くことなく、静かに食事を始めた。
しかし、二人の心の中ではいろいろな考えが渦巻いていた。
レイはこの先、どうやってルナを連れ戻すかについて考え、イーリスは鬼人族への対応と同族である妖魔族への説明をどうするかについて考えていた。
イーリスはレイの知恵を借りることを思いつく。
(白の魔術師は“白き軍師”と呼ばれるほどの知恵者。内輪のことはともかく、鬼人族への対応なら聞いても問題ないわ。第一、この点については利害が一致しているはず。彼も鬼人族の暴走はなんとしても食い止めたいはず……)
食事を終え、茶が用意された。
イーリスは侍女が下がった後、思い切って相談を持ちかける。
「鬼人族のことは聞いていると思います。あなたの意見を聞かせていただけないでしょうか」
突然の問いに僅かに驚くが、情報が少なすぎて判断が付かない。
「鬼人族について、僕はほとんど何も知りません。月の御子を拉致……強引に連れてきたとヴァルマ殿から聞きましたが、彼らは今、どのような状況なのでしょうか」
イーリスは拉致という言葉に自嘲気味に笑うが、すぐに表情を戻す。
「恐らく怒り狂っているでしょう。中鬼族は元々気が短いですし、思慮も足りません。大鬼族や小鬼族も今の状況なら完全に逆上しているはずです。大鬼族の長、タルヴォ・クロンヴァール殿なら逆上してはいないでしょうが、御子様を奪った我々の話に耳を傾けることはないでしょう」
自分が倒した大鬼族の戦士オルヴォ・クロンヴァールを思い出す。
「タルヴォ・クロンヴァール殿? オルヴォ殿の親族の方ですか?」
「ええ。タルヴォ殿はオルヴォ殿の実父です。ですから、あなたは実の子の仇ということになります」
子の仇と言われレイは僅かにたじろぐ。
(僕が仇……確かにたくさんの鬼人族を手に掛けている……分かっているけど、こういう事実は凹む……)
その間にもイーリスの説明は続いていた。彼女はザレシェで見た光景を思い出しながら、鬼人族の狂信的とも言える忠誠心について話していく。
「鬼人族の御子様への忠誠は本物です。御子様のためでしたら、彼らは命を捨てることを厭わないでしょう。実際、ザレシェでは一介の兵士ですら、“月の巫女”たる私に反抗的な態度を見せたのですから」
未だに違和感は拭えないが、ルナが神の使いであるという事実を認めざるを得ないと彼は思った。
「そうなると、“月の御子”である彼女が説得に行くしかないですね。今のままでは内乱になることは必至ですから」
「ですが、それでは御子様がザレシェに連れ去られてしまいます。御子様はノクティスの御使い。この大神殿にこそ相応しいのです」
レイは彼女の目を見つめ、やや強い口調で問い質す。
「ルナが大神殿にいなければならない理由はありますか? そもそも、神の降臨自体がヴァニタスの罠だったのでは? だとすれば、彼女がここにいる理由はないはずです」
彼の言葉にイーリスは素直に頷けない。
「確かにそうなのですが……」
「そもそも、月の御子とはどんな存在なのですか? ヴァニタスが吹き込んだ虚像ではないのですか?」
彼の率直な疑問に、彼女は激しく反応する。
「いえ! 我が月魔族が闇の神より大神殿にお迎えするように神託を受けたのです。私も神託を受けた一人ですが、あれは間違いなくノクティス、安寧を齎す神……破壊と終わりを齎すヴァニタスではあり得ません!」
そこで自分が興奮していることに気づき、「申し訳ありません」と謝罪し説明を再開する。
「月の御子とは世に安寧を齎す神の御使いなのです。世界が危機に瀕した際に現世に現れ、我らを導く方なのです」
レイは具体性に乏しい説明に困惑する。
(救世主という感じなのかな? 世界を救うために月魔族を導く。宗教にはありがちな設定だけど、漠然としていて何をするのか全く分からないな……)
その疑問を素直に言葉にした。
「救世主という感じのようなのですが、神託では具体的に何をするか伝えられていないのでしょうか?」
「ええ。世界を救うとしか……ただ……」
彼女はそこで口篭った。
「ただ? 何かあるのですか?」
イーリスは一旦口篭ったものの、すぐに気を取り直した。
「いえ。ただ、神託では御子様ご本人は何をすべきか分かっておられると。我々は御子様の成されることを全力でお助けするようにと。そう伝えられていますし、私自身もそのような神託を受けています」
「つまり、月の御子を全力で支援することが闇の神殿のなすべきことだということですか? そうであるなら、彼女に直接聞いた方が早いようですね」
そして、二人は同時に頷いた。
その後、呪術師たちのところに行っていたヴァルマが戻ってきた。
「呪術師たちには事情を説明しておきました。キーラがイーリス様のご意思にそむき、暴走したことをそのまま伝えました。レイ殿のことを口外しないように命じております」
「呪術師たちの様子はどうだったのかしら?」
「当初は動揺したようですが、鬼人族との和解が御子様のご意思であること、更にレイ殿が御子様にとって特別な存在であり、鬼人族と戦ったのは御子様をヴァニタスの手からお守りするためだったと伝えたことで、動揺は収まっております」
イーリスはヴァルマの言葉に満足そうに頷き、
「ありがとう。助かったわ。では、御子様のところに行きましょうか」
そう言って立ち上がった。
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時は少し遡る。
ルナはアシュレイたちとの話が終わった後、ぼんやりとしながら、夢で見たことを思い出そうとしていた。
(“始まりの神殿”……どういう意味なのかしら? この言葉が物凄く大事な気がするわ。聖君なら分かるかな……)
そして、そのことを忘れないように近くに置いてあった紙にメモしていく。
その様子にステラが気づいた。
「何かありましたか?」と彼女が尋ねると、横にいたアシュレイもその声にルナの方に視線を向ける。
「特には……目覚める前に夢で見た言葉が気になったから、レイに聞こうと思って……」
「どのような言葉なのだ? 月の御子であるお前が夢で見たなら、それは神の啓示かもしれん。闇の神は夜を司る神でもあるのだ。些細だと思うことでも話してくれた方がいい」
アシュレイに促され、話し始めた。
「そうですね。夢自体ははっきりとは覚えていないんです。誰から聞いたのか、どんな話をしたのかは全然覚えていないんですけど、この言葉だけははっきりと覚えているんです。“始まりの神殿”という言葉なんですけど……」
「始まりの神殿? 私はそう言ったことに詳しくないから分からぬが、ステラ、お前はどうだ?」
ステラは首を横に振り、「私もあまり詳しくは……」と言おうとしたが、何かが閃いたようで口篭る。そして、記憶を探りながらゆっくりと話し始めた。
「前の旦那様と一緒に旅をしていた時、聞いたような気がします。確か、創世神の神殿がそう呼ばれていたような……そうです! ジルソールにあるクレアトールの神殿が“始まりの神殿”と呼ばれていたはずです!」
アシュレイも彼女の言葉で納得したのか、ポンと手を打つ。
「ジルソールか……確かに“始まりの神殿”と呼ばれてもおかしくはないな。世界の始まりはジルソールからという話が神話にあったはずだ。それにあの地は謎が多い。何があってもおかしくはない……」
神話ではクレアトールが天の神、地の神、人の神の三主神を作りだし、その三主神が世界を作った。その最初の地が南の海に浮かぶジルソールであり、そこを足がかりに世界を作っていったとされる。
ジルソールにあるクレアトールの神殿には不思議な伝説が多い。
神殿関係者以外は一切入れない特殊な場所とされ、強引に入ろうとした者が突然死んだり、消えたりしたという。また、クレアトールの祭祀長はエルフより長命で、不老不死という噂まであった。
「ジルソールの神殿は謎が多い。確かにレイに相談するのが良いかもしれん。いや、闇の神殿の祭祀長であるイーリス殿なら何か知っているかもしれん……」
「時間ができたら一番に相談してみます。ありがとうございました」
ルナはレイに相談した方がいいというアシュレイの助言に素直に礼を言った。しかし、アシュレイは静かに首を横に振った。
「いや、できる限り早く、その話はすべきだ。もしかしたら、今回の騒動を収める鍵となるかもしれん」
ステラもルナも彼女の言葉の意味が分からず首を傾げる。
「始まりの神殿がジルソールだとすれば、そこに足を運ばねばならん。もしかしたら、ヴァニタスから世界を守る鍵となるかもしれんのだからな」
そこでステラがアシュレイの意図に気づく。
「つまり、ルナさんを西の地に連れ戻す理由ができるということですね。妖魔族や鬼人族を説得する必要はありますが、それでも強引に逃げるよりは実現性が高いです」
ルナもその話に納得する。
「そうですね。確かにそれならこの国を離れる理由になります。ですが、その前に鬼人族を説得しないと……」
ステラとルナが一喜一憂している姿にアシュレイは苦笑を浮かべる。
「まだ、決まったわけではないのだ。レイとイーリス殿の考えを聞かねばな。私の考えが合っているとは限らぬのだ」
ステラが「確かにそうですね」と笑い、ルナも「先走りました」と頭を下げる。
それでもルナには確信があった。
(今のアシュレイさんの話はすとんと腑に落ちたわ。私がしなければならないのは鬼人族を抑えて、この国が分裂しないようにすること。そして、始まりの神殿に行くこと。何が待っているのかは分からないけど、考えれば考えるほど、行かなければっていう思いが強くなる。操られているのかもしれないけど……)
そして、そのことをアシュレイたちに告げると、二人は微妙な顔になる。
二人はレイがペリクリトルやドクトゥスで思考を誘導されているようだと何度も言っていたことを思い出したのだ。
しかし、二人は何も言わなかった。
彼女たちも西に戻ることを望んでおり、そのためにはヴァニタスの誘導であっても望ましいと思えたからだ。




