第四十八話「神々への祈り」
お待たせしました。
あらすじ:
虚無神ヴァニタス降臨の儀式は防いだものの、ルナはその影響で自らの意思を意識の底に封じ込めた。
レイはルナの回復のため、月魔族のイーリスと和解した。
そして、妖魔族の都ルーベルナに到着し、大神殿に入った。
イーリスは疲労した体に鞭打ち、大規模な儀式を行うことにした。
三月一日の夜。
レイは食事と沐浴を終え、神殿の中心部である聖堂にいた。
久しぶりに屋内で食事をし、更に入浴したことで、リフレッシュしていた。
彼は武具を外し、純白の騎士服に着替えた。アシュレイと出会った頃に着ただけで、聖騎士を思わせるデザインを警戒し、今まで袖を通すことがほとんどなかった服だ。しかし、厳粛な儀式が行われると考え、正装であるその服を身に纏ったのだ。
ただ、純白の生地に金糸や銀糸をふんだんに使って太陽を模した紋様が入った服は、黒を基調とした闇の神殿の神官たちとは相容れない雰囲気があった。実際、神官たちは光の神殿、光神教を思わせるその衣装に眉を顰めている。
それでも彼は気にしなかった。闇の神に願いを伝えるためには少しでも敬意を表すべきだと思ったためだ。
(ノクティスは光の神と対を成す神。敵対しているわけでも嫌っているわけでもないんだ。影は光によって作り出される。月は太陽によって輝く。だとするなら、この服装でも問題はないはず……)
無論、月の巫女であるイーリス・ノルティアには事前に話し、了承を得ている。彼女も彼の考えに全面的に賛同していた。
「虚無神に心を操られている時は別だけど、あなたの考えは闇の神殿の教えと同じよ。ノクティスの闇は全てを包み、安らぎを与えるもの。ルキドゥスの光は全てを照らし、命を与えるもの。光と闇は決して対立しないわ」
そう言ったものの、彼の姿に驚きを隠せない。
「それにしてもどこに持っていたの?」
レイが答えに困っていると、
「それより、その服には不思議な力があるわね」
予想外の言葉にレイは首を傾げる。
「力ですか? 僕には感じられませんけど」
イーリスは微笑みながら、
「恐らくだけど、それは聖職者の着るものよ。僅かに精霊の力が流れ込んでいる感じがするわ……今回の儀式に良い方向に作用する気がするの……」
彼女の説明では今回のような大規模な儀式や祈祷の場合、聖職者は精霊の力を集め易い道具を用いる。錫杖などの杖や腕輪やネックレスのような装身具などだが、それと同じ効果がレイの服にはあるという。
「それを見て、今思いついたのだけど、今回はノクティスだけに祈りを捧げるのではなく、全ての神に祈りを捧げた方がいいような気がしてきたわ」
「それはなぜ?」とレイが疑問を口にする。
「敵がヴァニタスだから。神話ではヴァニタスは世界に終わりをもたらす神。創世神をはじめ、十二柱の神々は世界を作り保っておられる。つまり、ヴァニタスの力が世界に及ぶことを厭われると思うの」
レイはなるほどと思った。
(確かに小説の世界設定でもそんな感じだった……ヴァニタスの降臨が世界の破滅を意味するなら、神々も力を貸してくれるはず……)
儀式の打合せを行い、準備があるイーリスと別れて先に聖堂に来ていた。
二十人以上の月魔族、翼魔族の女性神官がいるが、咳きひとつ聞こえず、高い天井の聖堂は静寂に支配されていた。
聖堂は円柱の柱がアーチ上の天井を支える構造で、床と柱には黒曜石のような石材が使われているが、壁は白を基調としており閉塞感はない。床には複雑な紋様の魔法陣が描かれている。
また、天井近くの窓には青と赤が主体のステンドグラスが用いられており、日中なら美しい光が差し込んでいただろう。
大きな木の扉の入口の正面には祭壇があり、高さ五mほどの神像が安置されている。それは闇の神の像のようで、聖母のような柔らかな笑みを浮かべていた。
聖堂といってもキリスト教の教会のような長椅子はなく、イスラム寺院のような印象を受ける。
レイには上品さと重厚さがうまく調和し、モノトーンの色調と相まって近代美術館のような印象さえ与えていた。
(昔テレビで見たのかな? どこかの美術館でこんな感じのところがあったような気がするけど……モルトンの街の神殿も落ち着いたけど、さすがは総本山だ。心が洗われる気がする……)
天井や壁を見回していると、ヴァルマ・ニスカが入室してきた。神官たちが一斉に頭を下げる。
ヴァルマもレイの姿に驚きを隠せないが、それでも不快な表情は全く見せなかった。
「素晴らしい聖堂ですね。心が洗われる気がします。神々の声が聞こえても不思議ではないですね」
「そう言っていただけると嬉しいわ。ここは月魔族だけでなく、妖魔族の誇りなのよ」
にこやかにそう応えるが、すぐに話題を変える。
「イーリス様から聞いていると思いますが、あなたには祈りに参加して頂き、アシュレイ殿とステラ殿は御子様の付き添いとして聖堂の中で控えて頂きます」
「ウノさんたちはどこに?」と聞くと、
「残念ですが、ウノ殿たちは公式にはここに入れません。外で待っていただくことになります」
ヴァルマが“公式”という言葉を強調したことで、レイはウノたちがこの中に潜んでいると察した。
「分かりました。ここで何か起きるとは思いませんので問題ありません」
ヴァルマが軽く会釈をして立ち去ると、イーリスが入ってきた。その後ろでは翼魔が寝台を運んでいる。その寝台にはルナが横たわり、彼女を守るかのようにアシュレイとステラが左右を歩いている。二人は修道女が着るような清楚な服に着替えており、武器の類は持っていない。
ルナも身体を拭われたのか、岩場で横たわっていた時の汚れはきれいになくなり、着ていたドレスとは別の漆黒のドレスに着替えている。
翼魔たちは指定された場所である魔法陣の中央に寝台を置くと、何事もなかったかのように聖堂を出ていった。
「皆も私たちがヴァニタスにたばかられたことは知っていると思います。すぐに御子様の御心をお救いする必要があります」
神官の一人が「部外者がおりますが」と発言した。
「ここにおられるレイ殿は御子様と同郷であり、全属性の使い手でもあります。更に言えば、我が命に必ず従う者であり、何も心配はいりません。今は時が惜しい。御子様をお救いすることのみを考えるのです」
張り上げているわけではないが、その声には力があり、神官たちは内心では疑問を感じながらも、イーリスが自分に従うと断言したことで、何らかの処置がなされているのだろうと、それ以上追及することなく頭を下げた。
イーリスはルナの傍らに立ち、レイもまたその隣に跪いてルナの手を握った。
「では、詠唱を開始しなさい」
イーリスの命令により二十人の神官たちが呪文を唱え始めた。その呪文は聖歌のようなゆったりとした旋律であり、その美しいソプラノが聖堂を包むにつれ、聞く者に安らぎを与え、更に精霊の力が満ちていく。
精霊の力が充分に満ちたところで、イーリスがルナの胸に手を置き、一心に祈り始めた。
「闇と安らぎを司るノクティスよ。世界を作りしクレアトールよ……御身の御子の魂はヴァニタスによって大きく損なわれました。彼の魂に祝福を与えたまえ……」
彼女が唱えた言葉は呪文ではなく、ルナを想う真摯な言葉だった。傍らにいるレイにはそのひたむきな言葉に偽りはなく、心からルナのことを想っていると感じていた。
そして、彼も同じように神々に祈った。その祈りはルナに届くようにと日本語を使っている。
『僕を呼んだ神々よ。聞こえていたらルナを、月宮さんを助けてください。彼女が戻ってこないとまた多くの命が失われます。だから、月宮さんを助けてください……』
アシュレイとステラは今まで感じたことがない力を感じていた。その力は暴力とは無縁の包み込むような優しいもので、母親の胸に抱かれているようや安らぎを感じていた。
(これがノクティスの本当の力なのか……安らぎを与える神という話は真なのだな。魔族は荒々しいだけの種族だと思っていたが、それは誤りだ。このような安らぎを作り出せる闇の神を信じているのだ……この歌を聞いていると、母上のことを思い出す。幼かった私に子守唄を歌ってくださった母上のことを……)
アシュレイは亡き母のことを想い、人知れず涙を流していた。
ステラも同じように優しい歌声に身を任せていたが、それでも心の片隅では常に警戒していた。
(この歌は素晴らしいわ……前の旦那様、デオダード様が亡くなられた後、レイ様が私を慰めてくださった時を思い出す……でも、油断はできない。ここは敵地なのだから……)
そして懐に隠し持った投擲剣を握り締める。
ウノたちはいつの間に入ったのか、既に聖堂の中に潜んでいた。潜入時に使う黒っぽい装束に身を包み、天井の梁の陰、祭壇の下など目立たない場所からレイに危害が加えられないか見張っている。
事前にアシュレイとステラから月魔族に不審な行動が見られた場合や再び虚無神が力を振るった場合に、それを防ぐよう依頼されていた。
レイは周囲を気にせず、ひたすら祈り続けていた。また、ルナが目覚めるようにと、小さな声ではあるが、日本語で高校時代の話をしていた。
『月宮さん、覚えているかい。一年の時の文化祭で龍司が馬鹿をやって生徒会の先輩たちに叱られたこと。あれからあいつは生徒会に入り浸るようになったんだよ。それで結局、会長までやったんだから何がきっかけになるか分からないものだね……』
そんな他愛のない話を続けながらも心の中では必死に戻ってきてほしいと訴え続けている。
(月宮さん! 戻ってきて! みんな、君のことを心配しているんだ……ペリクリトルに帰ってライアンやヘーゼルさんたちを安心させないと……君のことを待っている人がいるんだ! もちろん、僕も君が帰ってくることを望んでいる! 月宮さん! 帰ってきて!……)
彼の想いは精霊たちに伝わり、色とりどりの精霊が聖堂を舞った。
ヴァルマや神官たちの目には精霊たちの楽しげな乱舞が映り、レイとイーリスがすべての神々に祈りを捧げていると感じていた。
特にヴァルマはレイの周りを舞う多くの精霊に驚きを隠せなかった。
彼の周りを飛ぶ精霊の数は月魔族最高の術者、月の巫女に匹敵していたのだ。更に闇の精霊が主体のイーリスに比べ、全ての精霊が同じように楽しげに乱舞している。
(白の魔術師と言ったけど、すべての属性の精霊に愛されている……彼は何者なのかしら? 人族がイーリス様に匹敵する力を示すなんてあり得ない。御子様と同郷と言ったけど、どこから来たのかしら?)
頭の片隅でそう考えたが、すぐに考えを改める。
(彼が誰だろうと関係ないわ。今は御子様をお救いするだけ。彼が力になってくれるなら、何者であっても問題はない……)
そう思い直すものの、僅かに違和感を覚え始めていた。彼女の目には集まった力が行き先を探しているように感じていた。
(精霊たちは楽しげに乱舞している。これだけの力を見たのは初めてだけど、精霊たちが行き先を探しているような気がする。本来なら御子様に集中していくはずなのに……意図的に御子様に集まらないように妨害されているような……いいえ、御子様自身が受け入れたくないと思っているのかしら? だとすると失敗する可能性が高いわ……)
それでも儀式を中断するわけにはいかず、神官たちと共に詠唱を続ける。
(今はイーリス様とレイ殿を信じるしかない。お二人は間違いなく世界最高の使い手なのだから。でも、大丈夫かしら? イーリス様がお辛そうなのだけど……)
儀式が始まってから既に一時間が過ぎ、イーリスの額には玉のような汗が浮かんでいた。それでもその顔に苦痛の表情は見せず、真摯に神々に祈り続けている。
神官たちは適宜交代しており、その都度、イーリスの姿を心配そうに見つめていた。しかし、中途半端な状態で中断することは術者に大きな負担が掛かることを知っており、イーリスを止めることができない。
(成功するかはイーリス様の体力に掛かっている。少しでも負担を減らすためには私たちが効率よく精霊の力を集めるしかない……神よ! 御子様とイーリス様を助けください!……神よ!……)
ヴァルマは真摯に祈った。
ペリクリトルを混乱に陥れた闇の魔術師の面影は全くなく、敬虔な神職にしか見えなかった。
しかし、更に一時間、午後十時になってもルナが目覚めることはなかった。
イーリスはもとより、神官たちに疲労の色が見え、限界が近づいていた。




